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フィジシュタット・クーウェン編 .2

カエを置いて村に行かなければならない日が来た。

彼女を一人家に置いて行くのは気が進まない。

只でさえ、普通の身体とは違うのだから気にかかると言うのに、彼女はいつも無茶をするからだ。

出来るなら、じっとベッドの上で過ごして貰いたいくらいなのだが、それは彼女自身から否定された。

この時期になったら動く事も大切なのだそうだ。

女性の身体と言うのは謎が多い。

特に、俺自身が母と過ごした記憶も薄れかけている程だから、尚更に。

何に気を付けて、どう守れば良いのか。

分からない事が多くて、不安になる。

毎日、彼女が無事に過ごせているか、不安に思っている事がないか、気に掛けているつもりだが至らない事も多いだろう。

そんな俺に、カエはいつだって明るく笑ってくれる。

朗らかな笑顔を見る度に、灰色だった日々に色が付き寒々しい家に温もりが漂う。

もう彼女がいなかった生活が遠く思い出せなくなりそうだ。

一ヶ月ぶりの村は、さほど変化はない。

ただ、冬に向けた仕度が本格化しており、店頭に並ぶのも毛皮や保存食料ばかりだ。

必要な物を幾つか買い込むと帰り路に並ぶ露店を眺める。

今までなら素通りしていた露店も、家に居る人を思い浮かべると自然と足が止まる。

カエは可愛らしい少女だ。

いつもは飾り気のない恰好をさせてしまっているが、多少の飾り物が欲しかったりするのかもしれない。

とは言え、露店に並ぶのもなめし皮や無骨な木工細工がほとんどだ。

こんな辺境の村では、女性的な小物などほとんどない。

コレと言った物が見つからず、ため息をついて露店を通り過ぎた所で、小さな敷き布を広げた店が目に入った。

きちんとした屋台を組んだ店の中でも、ひと際小さな店だった。

並べているのは、色鮮やかな刺繍がほどこされた布や飾り紐だ。

「いらっしゃい、お兄さん。何をお求めだい」

しわがれた声で商人が声をかけて来る。

大判の布を頭に巻いた姿で、顔も満足に見えないが老人には違いないらしい。

「これは、何だ?」

手に取ったのは、丸い硝子粒を繋いだ腕輪だ。

三連の環を束ねた腕輪は、橙色に若葉色の硝子玉が編み込まれて光を弾いてキラキラと光る。

鮮やかで温かな色合いがカエの笑顔と重なった。

「あぁ、そいつは腕飾りですよ。昔の女たちが良く身に飾った物です。若い娘っ子たちの腕に飾られるとそりゃ華やかで愛らしかったもんですよ」

懐かしい光景を思い出すように声が明るく弾む。

今はもう見られなくなった光景だ。

女性たちの姿は、今やすっかり日常から消えてしまった。

露天商が売っているのは、昔の商品の残りなのだろう。

買い手のいない商品は、それでも愛らしく美しいまま店頭を飾っている。

「ひとつ、貰おう」

「はい、ありがとうございます。……贈りものですかい?」

「いや……、あぁ、そうだな。土産にしようと思う」

「そうですか。それなら、小奇麗に包みましょう」

何かを誰かに贈ると言うのは、久しぶりの事だった。

日常の何かを与える事はあっても、その人の喜ぶ顔を思い浮かべて買うと言うのは胸弾む事だったと懐かしく思い起こした。

露天商は意外と細やかな仕事を見せてくれた。

綺麗な薄紙につつまれた腕飾りを受け取って、万が一にも落としてしまわないように懐に仕舞う。後は、帰るだけだが、その帰り路こそが厄介な物でもある。

少し時間が押してしまった。

早く帰らなければ、途中で日が落ちてしまう。

村の賑わいを背に足を速めて帰途につく。

懐の土産物が、疲れが溜まっている筈の足を軽やかに動かしてくれる。

柄にもなく浮かれていたのだろう。

考えて見れば、カエと出逢ってから、彼女と暮らし始めてから浮かれていない日はなかったのかもしれない。

だからこそ、過去を忘れ去っていた愚かな自分に神が現実を突き付けに来たのかもしれない。

暗く闇に落ちた山の中。

ようやく見えて来た我が家に安堵の息と僅かな違和感。

ぼんやりと木々の影に浮かび上がる家は、明かり一つ点いておらず暗闇に沈んでいる。

カエは居候の身だと遠慮する事が多く、明かりもギリギリまで付けない事がある。

危ないからとなるべく早めに付けるようには言っているのだが、あまり改善はされていない。

とは言え、こんなに暗い中で明りを灯さない事は可笑しい。

何かあったのかと足を速めて門扉を開けて、玄関へと向かった時だ。

「よう、フィジー。遅かったじゃねえか。こんな所で野宿かと肝が冷えた」

「……シュッツガルド」

久方ぶりに口に出した名はうめき声に似ていた。

暗がりに沈む中、わずかに浮かび上がる顔を見間違える筈もない。

「色々とな、話したい事があるんだが、まず部屋に入れてくれ。つか、お前、使用人とか雇ってたのか?外を回った時にちっこいのが見えたが」

シュッツガルドの言葉に、カエの事が浮かび上がる。

目の前の男よりも優先させなければいけない事だ。

飛びつくように扉の鍵を開けると部屋に飛び込む。

いつもなら、夕飯の支度をしているだろう小さな姿がどこにも見えない。

明りも付いておらず、暗い部屋はガランとして人気もない。

部屋に籠っているのか。

何処かに倒れているのではないか。

不安に急き立てられるように燭台に明りを灯して、居間を見回す。

カエが自分の席だと笑って行っていた椅子が床に転がっているのが見えた。

こんな風に家を荒らした状態にするのはカエらしくない。

良く見れば、椅子の背もたれの近くにカエのカップが転がっていた。

いつも大事に、肌身離さずと言って良い程、大事にしているカップだ。

やはり何かあったのか。

「おいおい、どうした。お前らしくない。あぁ、そう言えば窓から覗いた時、何か慌てて逃げてったな。それっきり見なかったが、使用人ならもう少し躾けた方が良いぞ」

「……黙れ」

恐らく、ここで休んでいたカエはシュッツガルドを見て驚いたのだろう。

大事なカップを放り出してしまう程に。

転がったカップを拾い上げて、カエの部屋に向かう。

「カエ、居るか?カエ?」

声をかけても応答がない。

もしかして、具合を悪くして寝ているのだろうか。

少し強く扉を叩く。

「カエ?具合が悪いのか?開けても良いだろうか?」

これで応答がなかったら、無礼は承知で部屋をこじ開けようかと思った時、小さな物音がして扉が開かれた。

思いの外、力強く開かれた扉からはカエが飛び出して来る。

「フィズさん、お帰りなさい!」

満面の笑みで、嬉しくて仕方ないと全身で示して来るカエを慌てて受け止める。

下手をすると転んでしまいそうだ。

帰宅を喜んでくれるのは嬉しいが、落ち着かせないと身体に悪い。

名前を強く呼んで、どうにか落ち着いてくれる。

子どもだからか、時折思ってもみない無邪気な反応を見せてくれるが、心臓に悪い事が多い。

「具合が悪いんじゃないのか?大丈夫か?」

「え、はい。全然、何ともないです」

「そうか。良かった。あぁ、これが床に落ちていたんだ。何があったのかと驚いた」

ホッと息を吐いて、拾ったカップをカエに返す。

体調を崩して寝込んでいるのか、それとももっと何か悪い事が起きたのかと色々と考えてしまった。

「あ、カップ!ありがとうございます」

両手に掲げたカエが礼を言って笑う。

その笑顔を見る事が出来て良かった。

「そうだ、そうだ、フィズさん!何だか、知らない人がやって来たんですよ!窓から覗いてて、びっくりして!」

無意識に手が伸びそうになった所で、カエが勢い込んで報告してきた。

やはり、カエを脅かしたのはシュッツガルドらしい。

苦々しい思いで背後を見やる。

広くもない家の中、シュッツガルドはきっちりと後をついて来ている。

先ほどから堪え切れていない笑い声が耳につく。

「この人!この人です、窓にいたの!変な人!」

ようやく新たな人間に気付いたカエが、シュッツガルドを見て騒ぎたてる。

あまり興奮しては身体に障る。

遠慮くなく笑い声を出し始めた男の名を呼ぶ。

「シュッツガルド……」

「ひー、はらいてー。悪い、悪かったって。だから、そんなに睨むなよ、フィジー」

謝罪は良いから、黙れと睨みつけるとようやく笑い声を納めた。

ひとまず、落ち着く事が大事なようだ。



カエを先に休ませて、シュッツガルドと向かい合う。

食事が並べられていた食卓には、今は酒が並んでいる。

此処で暮らし始めてから酒がほとんど置いていない。

せいぜい葡萄酒が一瓶あるかどうかだ。

だから、目の前に並ぶ火酒や白葡萄酒の類がこの家にある物ではない事くらいはすぐに分かった。

「わざわざ持って来たのか」

「土産代りだ。禁欲的な山暮らしにも潤いは必要ってね」

土産、の言葉に買って来た腕飾りを思い出す。

結局渡す事が出来ずに今も懐に仕舞ったままだ。

この男が来なければ、問題なく渡せていたかと思うと忌々しい気持ちが甦って来る。

「……何しに来た」

「さっきも答えただろ。殿下の思し召しだ」

手酌で開けた葡萄酒を一息に飲み干してシュッツガルドは笑う。

相変わらず、酒に関しては底抜けだ。

この男が良い潰れた所を今も昔も見た事がない。

「フィジー、フィジシュタット。過去は過去だ。もう変えられない。それに、俺たちはようやく過去に区切りを付けたんだ。何故、お前だけがそれを今更引きずる?」

更に手酌で酒を注ごうとしたシュッツガルドから酒瓶を取り上げて、空の酒杯に注いでやる。

分かっている。

だが、これは戒めだ。

何故、全てを知ってのうのうと殿下の元で仕え続ける事が出来るだろうか。

そんな恥知らずな真似は出来なかった。

ただそれだけだ。

「……はぁ、頑固な奴だな。お前が僧侶のように暮らしているのは想像がついた。だが、あの子どもは予想外だったな」

結局のところ、それが気になっていたのだろう。

シュッツガルドの目が好奇心で輝いている。

「あの子は、カエは山で捨てられていたのを保護しただけだ。行く所もないと言うので家に置いている」

「それだけか?」

「それ以外に何が?」

冷静に問い返して、懐に手をやる。

硬い感触が伝わって、不思議とそれが落ち着かない気持ちにさせた。

「良いか。あの子が移民だと言い張るのなら、それも良いだろうさ。だが、ここは帝国だ。神の慈悲が尽きかけたこの国で、信じるに足る物はそう多くはないぞ」

「分かっているさ。あぁ、分かっている」

痛い程に、理解している。

それは、シュッツガルドにも伝わったのだろう、一言詫びの言葉が投げられた。

しばらく二人とも無言で酒を酌み交わした。

持ちこまれた酒瓶が残りの一本になった時、シュッツガルドが口を開いた。

「……託宣がもたらされた。聖女が選ばれる」

一瞬だけ、手が震える。

シュッツガルドが口にしたのは、それだけの衝撃を与える言葉だった。

「今度こそ、間違える事は出来ない。一刻も早く保護をしなければならない。だが、神殿内には託宣に該当する女性はいなかった」

一気に言いきってシュッツガルドはまた酒を呷った。

「俺の持ち場はクライブ平野とノアの麓までだ。ここが最後だ。後は、帝国に戻るだけだ」

シュッツガルドの様子からは、成果は芳しくないのだろう。

だが、帝国は広い。

他の人間が見つけて保護している可能性もある。

シュッツガルドは胸元を探って、石を取り出した。

一度だけ見た事がある信託を受けた者を見分ける石だ。

“信託の石”と呼ばれ、特別な時以外は神殿に厳重に保管されている。

「渡されたは良いが、まず女性すら見つけられなかったからな。俺が見つけた女性と呼べるのは、ここの移民の子どもだけだ」

ふと、言葉を止めてシュッツガルドが考え始める。

「まさか、あの子どもが……。そんな訳ねえか」

真面目な顔で冗談を呟いて、笑い飛ばす。

目元がかすかに赤くなっている。

山を登って、長らく外で待っていたらしい。

疲れが溜まっているのだろう。

残りの酒を二人のグラスにそれぞれ注ぎ分けて、瓶を空にする。

「最後の一杯だ。寝床はないが、毛布は用意しよう」

「屋根と壁があるだけありがたいね。懐かしい友との再会に乾杯」

乱暴にグラスをぶつけて、くいっと惜しげもなく飲みほした。

合わせて、こちらもグラスを空けると布団を用意する為に、立ち上がる。

もともと小さな家だ。

空いていた部屋は既にカエに与えている。

自室に戻って棚に納めていた毛布を二枚取り出す。

それを抱えて戻った時には、シュッツガルドは既に今の隅に身体を納めている所だった。

どんな場所でも身体を休めるように特殊な訓練は受けて来た身だ。

先ほどの言葉は誇張でもなく真実だと知っている。

かと言って、さすがにやって来た友人を裸で放置は出来ない。

「寝床を作る位はしろ」

「おう、ありがとよ」

半分寝かけていたのか、幾分ぼやけた声で返事をして毛布を受け取った。

ごそごそと身動きして眠りに入るシュッツガルドに、一応の眠りの挨拶をする。

ハッキリしない言葉が返って来て、苦笑と共に居間を後にした。

そのまま寝室に戻るつもりだったが、カエの様子が気になった。

今までにない事が起きて、驚いただろうし、疲労もあっただろう。

女性の部屋に無断で入る事は無礼を通り越した行動だが、相手は子どもでもある。

いくつかの自分を誤魔化す言葉を並べて、扉に手をかける。

真っ暗な部屋は、あまり広くはない。

すぐに寝台に行きあたってしまう。

部屋の主を起こしてしまわないように、静かに寝台に近づく。

健やかな寝息は、乱れもない。

寝台脇に膝をついて見守るとカエは両手でカップを握り締めたまま眠っていた。

余程、大事な物なのだろう。

長く女性の寝顔を眺めるものではない。

立ち上がって出て行こうとした所で、かすかな声が聞こえた。

起こしてしまっただろうか。

慌てて振り返れば、カエは眠ったままだ。

それでも、か細い声が聞こえて来る。

何か訴えているのだろうか。

気になって口元に耳を寄せる。

切れ切れの言葉は聞き取り辛かった。

「……ぅき。……ないで」

どんなに耳を澄ませてもハッキリとは聞きとれない。

泣いているのかと思うほど、かすかなか細い声だ。

寝言だろう。

夢を見ているのだろうか。

カエはあまり昔の事を語らない。

いつか話してくれれば良いとは思っているが、こんな風に眠るような過去ならば忘れてしまっても良いと思う。

「おやすみ、良い夢を」

願うように告げて、カエの部屋を後にした。

酔いに任せた眠気が、少しだけ遠ざかった夜だった。


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