5.
「おかえりなさい!」
フィズさんのお世話になり始めてから、早いものでもう一ヶ月が過ぎました。
残念ながら、フィズさんのお宅にカレンダーらしきものはなかったので、勝手に自作したもので確認しています。
いや、もしかしたら私が気付いていないだけでカレンダーもちゃんとあるのかもしれないけど。
それが間違っていなければ、一ヶ月は経っています。
変化と言えば、少しお腹が大きくなった事。
「起きていて大丈夫か?」
そして、何だか今までの分を取り戻すように体調不良が続いている事くらいです。
う、本当に申し訳ない。
たぶん、悪阻みたいな物だから風邪を引いたとか、そんな物ではない、筈。
「はい、寝てたからだいぶ良くなりました」
熱っぽさと胃もたれに似た不快感。
食欲も少し落ち気味だけど、まったく受け付けないほどじゃない。
だから、料理の仕度くらいはと頑張っていました。
あれからフィズさんに教わって、台所周りは不自由なく使えるようになりました。
火を使うのはまだちょっと苦手だけど、まぁ何とか。
「ご飯、もうちょっとで出来ますよ」
「あぁ、ありがとう」
にっこりと笑うフィズさんは、出逢った頃と変わらず男前です。
いやぁ、旦那さんと会う前だったらころっと行っていたかもしれません。
残念ながら人妻で、身重の身。
ときめかないとは言えませんが、不貞は働かずに済んでいます。
向こうにも選ぶ権利はあると思うので、うん。
今日のメニューは、畑で採れた青菜と木の実を使った炒め物とお芋のシチューです。
フィズさんの作る料理は、何と言うかこれぞ男の料理と言った感じで素敵なのですが、やっぱり栄養なども気になる所。
妊婦は、普通よりも食事に気を使わなければならないのです。
お肉は美味しいけど、食べ過ぎ厳禁。
偏った食生活も厳禁。
こうなると居候の身で色々と注文を付けるのは申し訳ない上に、自分でも何様だと思う。
それなら作らせてもらった方が、心も身体も楽だし。
「着替えて来ますか?」
「そうだな。今日は畑を弄ったから汚れている」
「温石を熱しているので、使って下さいね」
部屋に戻る背中に声をかける。
温石は、その名の通り石っころ。
これを火にかけて熱した物を水をためた桶に入れる。
そうすると水が温められてお湯になる。
庭には石を熱する為のかまどがあって、さっきそこに火をおこして石を入れておいたので今頃は使い頃だろう。
石の大きさを変えれば、小さなものから大きなものまでお湯を作れるので結構便利です。
おかげで、週に二度くらいだけどお風呂にも入れるのだ。
なんて便利な道具でしょう。
フィズさんを見送ってから、料理の仕上げに入る。
とは言っても、後はお皿に盛りつけるだけだけど。
自分の分とフィズさんの分のお皿を出して、取り分ける。
途中で味見をしてみたけど、今回はなかなかの出来です。
初めて見る食材も多いけど、炒めるか煮るかの選択肢しかないので、何とかなっている。
これで魚を捌いてとかだとお手上げだけど。
あ、丸焼きならいけるかな。
川魚の塩焼きとか美味しそう。
久しぶりに、そう言うのも食べたいなぁと思ってしまう。
フィズさんに言ってみようかな。
いや、でも、そんな我がままを言うのも申し訳ない。
結局、いつもの結論にたどり着いてしまう。
来た頃よりは格段に成長した手際で夕食の準備を完成させる。
うむ。我ながら、上出来、上出来。
一人で悦に入っていると、さっぱりしたフィズさんがやって来た。
いつも不思議になるのだけれど、フィズさんのお風呂は早い。
きちんと全身洗っているのか疑いたくなるくらいには早い。
でも、変な臭いはしないし、見た所は清潔だ。
男の人だからかなぁと思うが、旦那さんは私と同じか私以上に長風呂好きだった。
やっぱり人それぞれなのかな。
「あぁ、美味しそうだ」
食卓を見たフィズさんが、顔を綻ばせる。
こうして素直に喜んでくれるから、毎日の張り合いになる。
「今日は自信作ですよ!」
胸を張って食卓につく。
「いつもありがとう。あまり、無理はしてくれるなよ」
「大丈夫ですよ。いつも言ってますけど、病気じゃないんだから」
いただきます、の代わりにフィズさんは毎日こうして感謝と労わりを向けてくれる。
くすぐったくなって、さらっと流してしまいがちだけど、嬉し恥ずかしながら、きちんと答えるよう努力はしている。
夕食の間は、毎日のことをお互いに話題にしている。
私だったら今日の体調の事や、料理の事、後はお掃除や畑の事も時々。
フィズさんは、外の話や私の知らない街の話をしてくれる。
笑いの絶えない賑やかな団欒にはならないけれど、話は途切れることなく続いて穏やかな気持ちになれる。
「明日は、どうしますか?また畑?」
狩りに行く事もあるが、最近のフィズさんは畑仕事を中心にしているようだ。
もしかしたら、私が良く寝付いているからかもしれない。
優しいフィズさんは、そんな気遣いをほとんど見せない。
だから、ちゃんとこっちからも大丈夫ですよ、心配ないですよ、と発信しなければいけない。
「いや、少し備蓄が心もとないから村に下りようかと思っているんだが」
「そうなんですね。それじゃ、明日はお弁当作ります」
何だか心配そうなフィズさんの表情は敢えて無視して笑顔を返す。
「無理しなくて良い」
「いいえ、大丈夫です。もうだいぶ良くなったんですよ」
「だが……」
「大丈夫です。無茶はしないように気を付けてますから」
うん、それは本当。
申し訳ないけれど、私の一番はやっぱりお腹の赤ちゃんだ。
子どもに負担がかかるような事は、出来ない。
だからこそ、出来る事はちゃんとやりたいのだ。
「あ、でも、こんな事言っておいてもしお弁当作れなかったら、それはごめんなさい」
作ると言っておきながら、難ですが。
軽く吹き出したフィズさんは、笑いながら頷いてくれた。
「弁当、楽しみにしている」
「任せて下さい!」
期待されると頑張れるタイプなんです。
次の日は、ちゃんとお弁当を作る為に早起き出来ました。
偉い、私。
やれば出来る子。
とは言え、手際良く出来ないので早く起きる訳で。
サンドウィッチに数種類のおかず。
きっと手慣れた主婦なら一時間もかからずにパパっと出来てしまうのだろうが、私には無理難題だ。
出来るだけ、丁寧に失敗しないように心がけて料理するだけだ。
まだ薄暗い中で、冷たい水で野菜を洗ってゆっくり切って行く。
明りの蝋燭もただではない。
少しでも節約しなければと、ある程度目が慣れてきたら消してしまう。
一度、間違って指を切ってしまった時もあったが、そこはそれ。
今では少しは上達して来た、つもりだ。
とん、とん、とゆっくりとした包丁の音が早朝の空気に漂う。
この音は何となく落ち着いて好きだ。
もう少し、リズミカルに行くと良いなぁとは思うけれど、それはこれからかな。
切り終えた野菜を一まとめにして、用意したフライパンにざっと入れ込む。
ここからは、より慎重に。
火を付けるのは三回に一回は失敗してしまう。
何度も火傷を繰り返して、一度はフィズさんに取り上げられそうになったが、どうにか説得して続けている。
「ぅ良し!」
綺麗に火が回った薪に、力の籠った独り言が漏れる。
一発成功は気分が良い。
フライパンに徐々に火が回って行くと野菜がじゅうじゅうと音を立て始める。
サラダ油はないので、代わりに背油に似た白い油脂を一欠け陥れる。
じゅわっとした音がひと際大きくなって、焦げ付く臭いも強くなる。
慌てて、菜箸で野菜をかき混ぜる。
青菜を中心とした野菜はすぐに火を通してしんなりして来る。
ザッと炒めた所で、調味料として塩っぽ何かを振りかける。
一度、単体で舐めて見たが、塩よりはちょっと土っぽい感じがした。
岩塩に近いものかもしれない。
基本的な料理の味付けは、この塩だけだ。
もしかしたら、もっと色々とあるのかも知れないが、少なくともこの家にある調味料はオンリー塩だ。
たまに出汁の味が恋しくもなるが、温かい物が食べられるだけありがたい事と納得している。
炒めた野菜を取り出して、油が残ったフライパンにベーコンを入れる。
焼いて行くと更に油が出てきて、ハッと気付く。
順番間違えてないですか、私ってば。
ベーコンを先に焼けば、油は引かなくても良かったのに。
「うう、勿体ない事を」
この生活で、すっかり質素倹約が身について来た。
それでも、たまにこの手の失敗をやらかしてしまう。
たっぷり出て来た油を恨めしく見ながら、とりあえずベーコンを焼き上げる。
ちょっと油が多すぎる気もするけれど、折角なので卵焼きに挑戦する事にしよう。
その前に、取り出したパンを切る。
最初は失敗したパン切りも、もう慣れた物。
と、言えれば良かったのだけど、大して成長していないのが現状です。
頑張ろう、私。
出来る限り薄切りしたパンに、焼いたばかりのベーコンと野菜を乗っける。
更にパンで蓋をしてサンドウィッチの完成だ。
同じものをもう一組作って、綺麗な布巾に包んで重し代わりのお皿を乗せる。
パンを落ち着かせている間に、卵焼きに挑戦だ。
ここでは卵も貴重品。
大事に使わないと。
溶きほぐした卵液に、塩とキカの種のソースを入れる。
ちょっとチーズ風味になって私のお気に入りです。
美味しいのよ。
火加減が難しいので、なかなか成功しないのだけれど。
一度、火から鍋を下ろして濡れ布巾でじゅわっと冷ます。
気休めかもしれないけど、案外これで成功率が上がるので侮れない。
再度、火にかけて卵をそろっと落として行く。
そうそう、卵焼き機なんて物はないので、フライパンで全てを賄っている。
「よーし、よし、良いぞ。良い調子」
自分で自分を褒めてあげながら、卵を巻いて行く。
やっぱり油が多すぎたせいか、周囲が白く揚がってしまっているが見ない振り。
最後の一巻きをした所で、背後から足音が近づいて来た。
振り返らなくても相手は分かる。
「おはようございます」
「おはよう、カエ」
イケメンは、朝見ても、昼見ても、仕事上がりでもイケメンです。
いや、フィズさんは男前って言った方が似合うかしら。
どちらにせよ、美形は何度見てもお得な気分になる。
「ちゃんとお弁当作ってますからね!」
「あぁ、ありがとう」
にっこりとほほ笑まれると、胸がちょっとだけときめく。
あ、勿論恋愛的な意味ではなくアイドル的な?
顔を洗うフィズさんを見送って、卵焼きを完成させる。
ちょっと焦げがある所はあとで切り落としておこう。
お弁当箱を取り出して、実際は四角い籠のような物だけど。
そこにサンドウィッチを半分に切って詰めて行く。
隙間には完成した卵焼きと生で食べられるラディッシュの様な野菜を詰める。
デザートは、果物だ。
柿っぽいような、林檎のような。
まぁ、そんな果物があるので、味が混ざらないように食べられる葉っぱを間に挟んで詰める。
何とかお弁当っぽくまとまったのではないでしょうか。
向こうだったら冷凍食品も、お手軽な総菜もいっぱいある。
一から作るのは、なかなかハードルが高いが、及第点かな。
「後は、朝ご飯を」
お弁当を作るだけで、太陽が顔を覗かせている。
急いで、朝食を用意しないといけない。
「良い、後はこっちでやるから。休んでいて」
持ち上げたフライパンをさらっと取り上げられました。
相変わらず、行動もイケメンですね、フィズさん。
確かに、ちょっと身体も重くなって来たので素直に交代する。
「カエ程、こった物は出来ないが」
「フィズさんのご飯、好きですよ。美味しいです」
謙遜するフィズさんに力いっぱい褒めておく。
実際、手間取るばかりの私よりもフィズさんの料理は手早く美味しい。
その分、確かにシンプル料理だが十分だ。
ありがたく椅子に座って、朝食の準備をするフィズさんを眺める。
私がお邪魔するようになるまでは、これが彼の日常だったんだなぁ、などと考える。
一人暮らしの男性に、可笑しな世界からやって来た女が押し掛けて来る。
なんて、状況だけ見ればとんだラブコメディだ。
惜しむらくは私は美少女でもなければ、そもそも少女なんて年齢でもなかった事だろう。
良い年した妊婦なんて、物語の主人公にはなれそうにない。
膨らみが目立ち始めたお腹を撫でて、苦笑する。
ちびちゃんは、男の子だろうか。
それとも女の子?
どちらでも嬉しいけど、この子はどんな恋をするのだろう。
まだ生まれてきてもいない我が子の恋路を想像した所で、朝食が運ばれて来た。
フライパンで焼かれた温かいパンに、ベーコンと付け合わせのお芋。
出来たての食事をフィズさんと囲んで、手を合わせる。
この世界にはない作法らしいが、こうしないと落ち着かない日本人だ。
「いただきます」
いつもの様にフィズさんは、笑って見守ってくれた。
朝食の後、いつもならのんびりお茶の時間だけれど、今日は村に出るからとフィズさんは慌ただしく準備をしている。
邪魔にならない程度に、準備を手伝って、詰めただけのお弁当を大判の布で包む。
「はい、お弁当です」
「ありがとう。夜には戻れるようにするが、戸締りには気を付けてくれ。あと……」
「はいはい、外には出ないように気を付けます。あ、でも畑の様子はちょっと見たいので」
長くなりそうなフィズさんの言葉を遮らせて貰う。
「その位なら、構わないが」
表情的には、余り歓迎しないと書いている。
そこまで過保護になってくれなくても大丈夫なのになぁと思うが、しょうがない。
「今日は、体調も良いから心配しないで下さい」
「あぁ、行って来る」
「はい、行ってらっしゃい」
それでも心配そうなフィズさんを見送って、扉に鍵をかける。
さて、朝食の片付けも終わったし、やる事は洗濯くらいかな。
のんびりやりましょう。