4.
朝、窓から差し込む日の光と小鳥の声で目が覚めました。
こう文章にすると、優雅な起床ですが、実際はと言うと。
「ま、まぶしい……。鳥、うるさ、い……」
と言う大変、優雅とは程遠い起床になります。
それでも何とか起き上りました。
その時、ベッドにころんと転がったのは大切なカップ。
昨日は、ここからウーロン茶が出て来た。
拾い上げてジッと空のカップを見つめます。
朝なら、牛乳が飲みたいな。
牛乳出て来い、出て来い。
「なーんて、そんな魔法みたいな事が」
朝でボケた頭の自分を笑う。
笑っていた筈なのに、カップの木目が見る間に白い液体で隠されていく。
「おおお!」
思わず変な声が出た。
やっぱり昨日は夢じゃなかったのか。
八分目で止まった牛乳をごくごくと飲みほして見た。
うん、牛乳だ。
寝起きでガラガラだった喉がお陰で潤った。
空になったカップは洗った訳でもないのに、牛乳臭さもないし綺麗に渇いている。
やっぱり旦那さんは、どこかの魔法学校からこのカップを輸入したのでしょうか。
まさか、プレゼントされると幸運を運ぶって言うはこう言う事?
いや、向こうにいた頃はそんな事は起きなかったし。
うーん、分からない。
頭を捻っていると扉がノックされた。
「カエ、起きているか?」
「あ。はい!今、行きます」
「足の怪我もある。慌てなくて良い」
わずかに笑い交じりの声に、何だか読まれているなと感じる。
でも、確かに慌てて転んだりしたら大変だ。
お腹に手を当てて、ふうっと息を吐く。
「おはよう、今日も一日頑張ろうね」
まだ名前も決まってないお腹のちびちゃんに挨拶をして、いちおう身だしなみとして手ぐしで髪だけ整える。
残念ながら部屋には、鏡も櫛も置いていない。
出来るなら、せめて顔くらい洗いたいけれども。
たぶん、水も外にいかないとないのだろう。
気休め程度に、手で顔を擦って扉を開けた。
フィズさんは、朝でもやっぱり男前です。
「おはようございます」
「おはよう。良く眠れたか?」
「はい、ぐっすりと」
夢も見ずに眠りました。
「そうか」
ホッとしたように見えたのは気のせいでしょうか。
「そちらに水があるから、顔を洗うと良い」
ありがたい。
洗面台なんて物はないけど、ちょっとした台があってその脇に水を張ったタライがある。
指先が痺れるくらい冷たい水で、顔を洗うとちょっとぼんやりしていた頭が引き締まる。
「食事の用意をするから、待っていてくれ」
「あ、手伝います」
ここにお世話になる身だ。
上げ膳据え膳で過ごせるなんて思っていない。
と言うか、色々教えて貰わないといけないし。
「いや、大丈夫か?」
「え?あぁ、足の方はちょっと痛いですけど、特に問題ないですよ」
「その……、身体の方だ」
「あ、あぁ。大丈夫ですよ。病人って訳じゃないし。ちょっとくらい動かないと」
体調はすこぶる良いって訳にはいかないけど、大丈夫でしょう
いえ、初心者妊婦が偉そうな事は言えませんけど。
それに、現在は怪我人なので尚更大した手伝いは出来ませんが。
「そうか。なら、これを切って貰えるか?」
「あ、はい」
差し出されたのは昨日のパンだ。
一斤よりもまだ長い。
続いて渡されたのは、包丁と言うかナイフっぽい刃物だ。
フィズさんの隣に立ってゴリゴリとパンを切って行く。
ちょっと歪になったけど、どうにか昨日と同じ厚さで切れた筈。
それにしても、隣のフィズさんを見る。
手慣れていらっしゃる。
小さな竈と言うか、剥き出しのコンロと言うか。
薪にちょっとした鉄製の覆いを被せてその上でフライパンっぽい物で調理している。
じゅうじゅうと美味しそうな音と共に焼けているのは、ベーコンかしら。
「パンを」
言われて慌てて切ったばかりのパンを差し出す。
焼きあがったばかりのベーコンをパンの上に乗っける様を絵になる。
頭上の棚から背伸びもせずに取りだしたのは、小さなツボだ。
布で蓋をされたその中味は、とろりとしたソース。
昨日のソースと一緒の物っぽい。
それをかけるようにと言われて、たどたどしくベーコンの上に塗って行く。
いえ、家ではちゃんとご飯を作ってましたよ。
ただこう歴戦の主婦の皆さまには適わないと言いますか。
レシピ本がないとちゃんと作れないタイプなだけで。
ちゃんと母親から料理を習っておけば良かったと後悔したのは同棲後すぐと現在です。
だって、うちの旦那さん、私より普通に料理が上手かった。
女として、結構な屈辱でしたとも。
ソースを塗り終わると、隣ではベーコンの油を使って目玉焼きを焼いていました。
とろっと半熟で止めると、私が塗ったソースの上に目玉焼きを乗せる。
おお、とっても美味しそう。
「そこの棚に皿があるから、取って貰って良いか?」
「はい!」
すぐ脇の食器棚から昨日使っていた物と同じ物を取りだす。
こうして二人分の朝食が出来あがりました。
私が出来たのって、きっと小学生レベルのお手伝いです。
もうちょっと頑張りたい所。
「いただきます」
両手を合わせてパンを取る。
目玉焼きが滑り落ちそうになるのを引き止めつつかぶりついた。
ザクザクしたパンの歯ごたえとベーコンの塩気に目玉焼きのとろとろがとっても美味しいです。
パン自体も大きさがあるので、一枚食べ終わると結構お腹に溜まります。
けど、フィズさんはこれで足りるのかしら。
私よりもだいぶ前に食べ終わったフィズさんは、お茶の準備を始めた。
注がれる濃い色のお茶は、ちょっと苦そうだ。
行儀が悪いがお茶の時に寝室に置いて来てしまったカップを取りに戻った。
やっぱりコレじゃないとね。
「気に入っているんだな」
「え、まぁ、大事な人からの贈り物なので」
ころんとしたフォルムを撫でる。
ちなみに、お茶は見事に苦かったです。
私、コーヒーも飲めないお子様舌なもので。
「それじゃ、買い出しに言って来る」
「はい、行ってらっしゃい!」
「来客はないだろうが。野生動物はたまにうろつくからあまり外には出ない方が良い」
「はい、出ません」
だって怖いから。
元気のよい挨拶に、苦笑を浮かべながらフィズさんは出掛けて行きました。
私の為の買い物なので、お付き合い出来れば良いのですが、なにぶん身重の身。
足の怪我を差し引いたとしても、足手纏いにしかならないよね。
十分、自覚はあったので大人しく留守番になりました。
せっかくなので、ちょっとしたお掃除とか洗濯とか出来れば良いんだけど。
うーん、やるなら掃除かな。
一応、掃除道具の場所とか井戸の場所も聞いたので出来なくはない。
フィズさんは、井戸には近づかないようにとは言っていたけど。
うん、掃除だな。
ついでに、干せるなら布団も干しておきたい所。
はっ、ちょっと待って自分の服を洗ってないわ。
このままだと着れなくなってしまう。
台所と言うか、土間っぽい所に水がめがあるから、そこからちょっと拝借しようかな。
大変、申し訳ないけれど。
ここに洗濯機なんて物はない。
タライと大きな縄を結んでたわしにした様なものぐらいだ。
石鹸くらいは、あると良いんだけど。
ちょっと探してみた所、なさそうだ。
タライに泥で汚れた洋服を入れて、たわしもどきもついで入れて、外に出る。
外と言っても玄関脇までだ。だって、怖いから。
水の方は、水がめから木製バケツに移して運ぶ。
足を庇いながらになるから、結構な時間がかかる。
洗濯だけでも一苦労。
昔の人は偉いなぁ。
「良い天気」
外に出ると青い空。
鬱蒼と茂る木々。
あぁ、やっぱり何だかファンタジーと言うより田舎の原風景。
「良し、頑張って働こう」
じゃぶじゃぶと洗って小一時間。
脱水なんてどうすれば良いのか分からないので、力技で絞った。
ちょっとだけ外を回って、テラスみたいな所を見つけたので、そこの柵に洋服はかけさせて貰った。
今日は良い天気だから、すぐ乾くだろう。
ついでに、だいぶ広いので、そこのテラスに布団も持って来て干す。
フィズさんのお部屋は、入って良いのか迷って、今回は遠慮しておいた。
うん、男の人のお部屋は秘密でいっぱいだよね。
「ちょっと疲れたかな」
ちびちゃんに話しかけて、休憩にする。
細々と動いてうっすら額に汗が浮いている。
部屋に戻って、マイカップを手にする。
今日は何にしようかな。
甘い物は良いなぁ。
うーん、ココアとか。
あ、良いな、ココア。
むんっと念じればカップは甘いココアで満たされる。
一口すすってほうっと息を吐いた。
甘い、美味しい。
窓辺に座って、のんびりと休む。
あぁ、良い気持ち。
「良い人に会えてよかったねぇ」
こうしてのんびり出来るのもフィズさんのお陰だ。
「……何一つ、解決はしてないけど。ああ、考えたくないー」
立てた膝に顔をうずめて深々と息を吐く。
一つ、ここは日本じゃありません。
二つ、たぶん地球上のどの国でもありません。
三つ、どうやってココに来たのか分かりません。
四つ、どうやって帰ったら良いのかも分かりません。
ないない尽くしだ。
「家の引っ越しどうなったんだろう」
午後から業者の人を頼んでたから、きっと不審には思ってくれるだろうけど。
引っ越し先は、実家になるから、きっと実家にもすぐ連絡は行くだろう。
旦那さんとお別れしてから、すぐに母親から実家に戻るように言われた。
身重の身で、仕事だって出来なくなる。
だいたい旦那さんの看病その他で、有給は使いきっていた。
会社だって、働けない人材を抱えておいてくれる程余裕がある訳じゃない。
社長さんは良い人で、気にするなと言ってくれたけど。
甘えてはいけない一線ぐらい心得ている。
辞表を出して、実家に戻る事にしたのは現実的にそうした方が良かったから。
家族にまた甘える形になるのは申し訳なかったけど。
助けて貰える事は、素直に有難かった。
それに、実家は田舎ながら若者の働き手をどこも欲しがっているから、選り好みしなければ再就職もそう難しくないだろうと言う計算もあった。
「心配かけてるだろうなぁ」
両親と、後は弟も。
お義父さんの方にも、変な連絡が行ってないと良いけど。
おっとりした旦那さんのお父さんは、笑っちゃうくらい旦那さんそっくりだった。
奥さん、旦那さんのお母さんになる人は旦那さんが中学生の頃に亡くなられたらしいから。
おっとりのんびり父子で頑張って来たのだろうに。
孫が出来たよ~と電話で伝えると、うちの両親以上に喜んでくれた。
たぶん、電話口で泣いてたんじゃないかな。
ちゃんとお義父さんには、孫を抱いてもらいたい。
その為には、私がしっかりしなくちゃ。
残りのココアを飲み干すと力が湧いて来る。
メソメソしたってしょうがないじゃない。
変な世界に来ちゃったのだって、きっと何か原因がある筈だし。
それが分かれば帰れるかもしれない。
私はお母さんなんだから。
「良し!」
気合を入れて立ち上がって、違和感に気付く。
朝までは痛かった筈の片足。
やけに痛みが遠い。
まさかもう治った訳じゃないでしょうに。
恐る恐る座りなおして、足の包帯を解く。
フィズさんが薬草を張り付けてくれた傷口。
「え、あれ?」
乾いて足の裏に張り付く薬草を取り除くと、切り傷があった場所はもうすっかり塞がっていた。
ちょっとだけ瘡蓋が残って、赤く痕もあるがそれだけだ。
指でつついて見ても痛みはない。
まさかココまで効能のある葉っぱなの?
魔法の薬草だったりしたのかしら。
ドキドキしながら、念のため包帯を巻きなおす。
フィズさんに言われるまでは、見なかった事にしておこう。
ココでの常識が分からない以上、下手な事はしたくない。
出来るだけ無害な人間だと思われていたいし。
「と、とりあえず、掃除の続きかな。うん」
空のカップをテーブルに置いて、掃除道具を取りに行く。
そう言えば、フィズさんは何時ごろ戻って来るのかな。
あ、お昼!
お昼どうしよう!