3.
ところで、私の服装ですが。
ふわっとした袖がお気に入りの長袖ブラウス。
ちょっと流行りを過ぎた気もするマイクロ丈のワンピース。
ブラウスは生成りでワンピースは黄緑から緑へと変わるグラデーションです。
切り返しが上の方なのでゆったり着れて楽なのです。
しかし、そのワンピースもだいぶドロドロ。
直に座ったり、繁みかき分けたりしてましたからね。
このまま寝るには、シーツに申し訳ない事になりそうなので。
お兄さんから洋服を一着、ごうだ……もとい貸して頂きました。
完全に男物ですが、贅沢は言いません。
キレイに洗濯してあるし、ちょっと生地がごわごわしているけど着心地も悪くはないし。
「着替え終わったか?」
「あ、はーい」
ノックの音がしてお兄さんがやってきました。
実は、寝室をお借りして着替えさせて頂いてました。
要求の多い客人だなぁと自分でも思います。
このご恩は後ほど、しっかり返す所存です。
「食事が出来たから食べに来ると良い」
お兄さんってば、本当に涙が出る位良い人だ。
さっきからお腹は鳴りっぱなしでした。
ホッとすると一気に空腹になるよね。
「今行きます!」
ちびちゃんもお腹空いてるよね。
自分のお腹を撫でる。
ごめんね、頼りない母親で。
「そんなに腹が減ったか?」
「あ、いえ、ははは」
何だか誤解させたようだが、まぁ良いや。
ひょこひょこしつつ大人しくついて行くと、テーブルには先ほどまでなかった立派な食事が用意されていた。
ここにはお兄さんしかいないようだし、これは全てお手製でしょうか。
「大した物はないが」
「とんでもない!頂きます」
「あ、あぁ」
献立は、固めのパンにポタージュっぽいスープ。それに白いソースみたいなもの。
最初にパンをちぎろうと手に取ると、思った以上に硬かった。
これはパンと言うよりビスケットとか乾パンに近いかも。
パキリッと折って口に入れる。
うん、味はあんまりしない乾パンかな。
ちらりとお兄さんの方を見ると、パンにソースみたいな物を付けて食べている。
真似して塗ってみると、中にはつぶつぶとしたゴマのような物が混ぜてある。
「……美味しい!」
「そうか」
さすがに味のしないパンだけだと辛いけど、このソース?との相性はバッチりだった。
チーズみたいな塩気と粒々がぷちっと弾ける触感。
今まで食べた事のない味だけど、美味しい。
「これ何が入っているんですか?」
「キカの種だ。滋養があるから色々な料理に使っている」
「へー」
もう一すくい取ってパンを食べる。
うーん、やっぱり美味しいなぁ。
ソースの美味しさを堪能しつつスープにも手を伸ばす。
荒く野菜をすりつぶした感じのスープは、掬うとたまにすり潰し損ねた野菜が出て来た。
見た目はカボチャとかコーンとかっぽい。
恐る恐る口に含むと、意外とさっぱりした甘さが広がる。
カボチャと言う程甘くない。
うーん、じゃがイモとかに近いかな。
温かいスープに、ほっと気持ちが解ける。
「ど、どうした!?」
あああ、お兄さんごめんなさい。
ちょっと気が緩んだだけです。
ハッキリ言って、今も意味分かんないし、怖いし、何かもう意味分かんないし。
なのにご飯は美味しいしい、お兄さんは優しいし。
ああ、お兄さんのお名前をまだ聞いていないや。
「すみません、ちょっと、ちょっとだけ、ごめんなさい」
もうちょっとで立て直すので。
鼻はぐずぐずなって、唇が震えて上手く言葉にならない。
ちょっとだけと言ったくせに、それから五分くらい涙は止まりませんでした。
「急にスミマセン」
差し出されたハンカチを有難く受け取って涙とかその他諸々を拭う。
「いや、色々あったんだろう」
重々しく声をかけてくれたお兄さんに、何とも言えない笑みを返す。
色々、あったのかしら?
昼寝をしました。
目が覚めたら、山でした。
遭難しかけました。
助けられました。
四行でまとめられる経緯なので、色々と言えるか謎です。
でも、その行間には私にも説明出来ない間があるので色々で良いのかもしれない。
沈黙した私に、お兄さんは何だか沈痛な面持ちです。
何かまた誤解をさせてしまったでしょうか。
「あ、あの!」
「ん?」
「今さらですが、私は草野楓と言います」
「俺は、フィジシュタット・クーウェンだ。クーサ……?不思議な名前だな」
いえ、お兄さん程では。
えええと、早過ぎて名前が聞き取れませんでした。
「えと、名前は楓、です。か、え、で」
「カ、エーデ?」
「おしい!カエデ」
「カエーデ」
どうも後一歩な所でちょっと違う感じ。
しかも、ゆっくり発音してても何だか言い辛そう。
「カエ、でも良いですよ。仲の良い子はそう呼ぶので」
「カエ、カエ……。あぁ、そちらの方が呼びやすいな」
何度か言い直して、そこに落ち着いたらしい。
さて私の名前をクリアした所で、今度はこちらの番です。
結果として、十回ほど言い直して頂きました。
本当に申し訳ない。
でも、聞き取れないんだよ。
そして、発音出来ないんだよ。
長いよ、名前。
しかも日本名じゃなかった事に、二重の意味で泣きたかったよ。
どうしても上手く言えない私に、お兄さんも妥協案を提示してくれました。
「フィズさん、ですね」
「あぁ、よろしく。カエ」
そう言ってお兄さん、改めフィズさんは笑いました。
感想は、一言に纏めたいと思います。
……破壊力抜群、でした。
何とか食事を終えて、食器の片付けは礼儀として手伝いました。
お皿拭くとかしか出来ませんでしたが。
だって、シンクもないし、水道もないので。
役立たずでスミマセン。
そんなこんなで落ち着いた後。
新しくお茶を入れて貰って、再度テーブルについた。
あ、ちなみにカップはちゃんとマイカップでお願いしました。
落ち着く。
ともあれ、流れに身を任せたままココまで来たが、さすがに現状認識が必要だろう。
現実逃避は、もう限界。
「フィズさんは、ココで暮らしてるんですか?」
何とも回りくどい切り出し方です。
だって、やっぱりスッパリ切られるのは怖いのよ。
「あぁ、と言っても一年ほど前に移り住んで来たばかりだが」
「そうなんですね。この辺りに、他に人は住んでるんですか?」
「いや、麓まで出れば村があるが。周辺には誰もいないな」
「へー、そうなんですね」
へー、そうかー。へー。
……え、もうどうなの、それ。
って言うか、村?村なの。
市町村の区切りには引っ掛かってるけど、私たちの家は立派な町に区切られていた筈。
いや、それで行くとそもそもアパートの近くに山なんかなかったし。
こんな険しい山なんて車で数時間かけて行かなきゃ行けないくらいだし。
いやいやいや、それを言い出すとキリがない。
「フィズさん!」
「ど、どうした?」
おっと力が入り過ぎた。
「ズバリ、この国のお名前は?」
「シュバイエンダー帝国だが」
「て、帝国?」
現在、そんな大仰な国が地球上にあったでしょうか。
私が無知なだけ?
そうであって欲しいけど、それだとまた色々と理由がつかない。
悲しいけれど。
「一番近い村が麓のルーエン村。帝都のツァイアからは馬で三月ほど離れているが」
馬!
移動目安の基準が馬!
しかも遠いな、帝都!
行きたい訳でも、興味がある訳でもないけど!
思わず特大級のため息が出た。
「ここは、ジェジ公国との国境沿いにあるアルバ三連山の一つノア山だ」
滔々と説明して頂いたのですが、半分も頭に入りません。
取敢えず、山だったので、私の勘も外れてませんでした。
「その、だな。言いたくなければ、言わなくても良いのだが」
「はいはい、何でしょう」
すっかり自分の中の混乱を落ち着かせる事に精一杯だった為、適当な返事をしてしまう。
「カエは、商隊とはぐれでもしたのか?」
招待?正体?
うまく漢字変換出来ずに首を傾げてしまう。
「いえ、そう言う訳では。あの、気付いたら山に倒れていたと言いますか」
自分で言っていて何ともあやふやで胡散臭い答えだ。
ごにょごにょと言っていたら、フィズさんの眉間の皺が深くなりました。
「家族は?この帝国の人間か?」
「いやー、多分、違うかなぁ」
「どこの国の人間かは、分かるか?」
「ちょっとそれは、分かんないと思います」
だって、多分、ココ、私のいた世界じゃないよね!
明らかに色々可笑しいので、そこだけは嫌々ながら理解は出来る。
でも、フィズさんにどこまで話して良いのか分からない。
嘘を吐くのも、下手な嘘にしたらすぐバレそうだし。
正直に話すのも、信じて貰えるか自信がない。
曖昧に笑いながら、適当に返事をしていたらフィズさんの眉間の皺は更に深くなった。
「どこか、頼る宛てはあるのか?」
重々しい問いかけに、不意に言葉がつまった。
フィズさん、それは痛い質問です。
私は、いったい誰に頼れば良いのか。
この何も分からない状況の中で。
唇を噛みしめるしか出来なかった私の頭を優しい手が撫でた。
頭を撫でられるなんて、旦那さん以外じゃ初めてだ。
懐かしくて、胸が切ない。
またコロコロと涙が転がった。
やだなぁ、旦那さんとのお別れの時も泣かないで頑張ったのになぁ。
「ここは、険しい山奥だ。自活するのも俺ですら辛いと思う事がある」
「は、はい」
慌てて涙を拭って肯く。
しかし、何を仰りたいのでしょうか。
「女の身で、しかも子どもであれば、尚更辛い事が多いだろう」
「うん、うん?」
ええと、今何やら聞き捨てならない発言が。
「それでも良ければ、ここに暮らすか?」
「フィズさん!」
あああ、本当に、何て良い人でしょう!
「わた、私、何でもします!掃除も洗濯も、料理、はどうだか微妙ですけど!頑張って、覚えます!」
思わず立ち上がって向かいに居るフィズさんの両手を掴んだ。
だって、初めて会った人がこんなに良い人なんてどんな幸運だろう。
「ありがとうございます!ありがとうございます!」
「お、落ち着け。そうなったら、明日にでも必要な物を買いに出ないといけないな」
色々な算段をし始めたフィズさんに、でもこれだけは言っておかなければと切り出した。
「あの、私、妊婦なんです」
「は?」
そんな素っ頓狂な顔でも格好良いなんて、イケメンはお得ですね。
「子どもがいて、あ、まだ四カ月ちょっとなんですけど」
見た目的には、そこまで変化はない。
悪阻も奇跡的に酷くないのでお気楽妊婦さんだと母から呆れられたくらいです。
ええと、だから子どもじゃないですよ。
立派な大人です。
えへん、と胸を張りたかったが、良く考えなくてもフィズさんにとっては厄介この上ないのではないだろうか。
「ご迷惑はおかけしない、ように頑張るので、どうかお願いします!」
深々と頭を下げた。
これ位しか、出来る事がない。
でも、今フィズさんから見放されたらどうして良いのか分からない。
情けないけど、フィズさんの優しさに全力で縋るしかなかった。
「何と言う……」
ギリギリと何だか不穏な音が頭上から聞こえて来た。
大事な事、黙っていて怒ってるのかな。
やっぱり追い出されるかな。
じわっとまた涙が浮かんで来たのを、頑張って弾き飛ばす。
ここで泣いたら、嫌な女だ。
縋るしかないけど、負担になりたい訳じゃない。
「分かった。それなら、尚更ここで暮らすと良い。大事な身体だ、今日はもう休んだ方が良い」
「フィズさん!」
あぁ、恰好良いお顔が尚更光り輝いて見えます。
拝み倒したかったが、さり気なく寝床に案内されてしまった。
一応、マイカップは持って寝室まで移動しました。
先ほど案内された部屋は、多分だけれど、フィズさんがいつも使っている部屋ではないような気がする。
こう物が少ないのもあるけど、大きなシーツが丸々ベッドを包んでいたから。
そのシーツを豪快にはぎ取ってフィズさんが説明してくれる。
「この部屋は客室のようなもので、遠方からの客人を泊める部屋だから好きに使って良い。少し湿気ているかもしれないが、今日の所は我慢してくれ」
もうベッドがあると言うだけで十分です。
腰かけて見ると、ちょっと硬いけれど十分な弾力性。
気持ち良く眠れる言えるほどではないけど、我慢してと言う程でもない。
まだ寝るには早い気がしたけれど、横になってみればすぐに眠気がやって来た。
色々あって疲れたからかな。
「お休み」
「お休みなさい、フィズさん」
最後にフィズさんが明りである蝋燭の火を消してしまうと部屋は真っ暗になった。
私もそのまま目を閉じて、ぐっすり夢も見ずに寝ました。
意外と神経図太いのね、私。