18.
しばらくして、フィズさんが御者台から顔を覗かせた。
「もう大丈夫ですか?」
毛布に包まっている姿に、少し驚かれてしまったが体調不良ではないとだけ進言しておく。
じゃないと、色々とまた入らぬ心配をかけてしまいそうだ。
「あぁ、今から出るから念のため外套を着てくれるか?」
「はーい。準備しますね」
外套はすぐに着れる様にと三人分を壁と言うか幌の木枠の部分につり下げている。
これが、簡易の仕切り代わりになったりしてなかなか便利なのだ。
この辺りの作業をしてくれたのはディーンさんだったが、やっぱり旅慣れている人は違う。
ひっそり尊敬ポイントを積み上げたが、本人には伝えていない。
いや、具合が悪くて寝転がっていた時だったので喋れなかったのだ。
思い出したついでに、後で伝えておこう。
フィズさんは、また御者台の方へと戻って回って乗り降り口に来てくれた。
外套を着込んで、フードも被った所でフィズさんが垂れ布をかき分ける。
「行けそうか?」
「はい、大丈夫です。やっと神殿ですね」
心配そうなフィズさんには申し訳ないけれど、ワクワクの方が勝っている。
神殿なんて本当に初めて来た。
どんな所か興味津津だ。
真摯的なフィズさんが手を差し伸べてくれる。
出会った頃は、呆けて見つめてしまったが今は私も少しは成長した。
ありがたく手を重ねて馬車から降りる。
フードのせいで視界は余り良くないが、それでも目の前の立派な建物は見えた。
「すごい、神殿ってこんな風なんだ」
世界遺産とか見た時と同じ様な気持ちで見上げる。
神殿は立派な石造りの建物だった。
やっぱり神殿と言うよりは教会に近い。
壁は唐草模様に似た飾りが彫り込まれていて、柱には花や小鳥の彫刻が所狭しと並んでいる。
凄いなぁ、これ。
じっくりと眺めていたい所だが、フィズさんに手を引かれて神殿の内部に通された。
何か迷子の子どもか、介護されている人っぽいな。
気のせいかな、気のせいだと思いたい。
市松模様の床を見ながら、己の存在について思いを馳せる。
手を繋いで歩くって、もっとロマンティックな物かと思っていたらそうでもないらしい。
これが、私がぴっちぴちの女子高生とかだったらときめきロマンチックな光景だったのだろうか。
人生って世知辛い。
世界の不条理を嘆いている間に、どんどん進んでいく。
「ふおっ」
入り口に入った所で甲冑が二体並んでいた。
綺麗に背景に溶け込んでいるのでてっきり置き物かと思ったら、何事か話しかけたディーンさんに応えて動いたので驚いた。
人間が入ってたとは予想外だ。
「カエ?」
隣のフィズさんが不思議そうに見下ろして来たのに、曖昧に笑って誤魔化す。
正直に述べたら、また困った様な笑顔を頂戴する事になるだろうし。
銀色の甲冑は、ディーンさんとの話の後にこちらにも顔を向けて来た。
身体どころか全身、顔まで覆っている鎧が真正面に来ると威圧感が半端ない。
顔は見えないければ、何となく見られている気はしたので軽い会釈だけ返す。
何だか、うろたえた空気だけは感じ取れた。
え、何か間違えましたか。
一言も喋ってくれないので、疑問は疑問のままになった。
後で、フィズさんに確認しよう。
この年で常識も知らない可哀想な人扱いは辞退したい。
また歩き始めたディーンさんの後を追いかける形で歩き出す。
甲冑の人たちの前を通った時、ガチャンッと大きな音を立てて敬礼らしきものを頂いた。
音にびっくりして思わず肩が跳ねた。
「……びっくりした」
フィズさんが少しだけ苦い顔で、手を引いてくれる。
「悪い」
いきなりの謝罪に甲冑の人たちの代わりに謝ってくれているのかと思ったけれど、そう言う訳でもないらしい。
良く分からないなりに謝罪は受け入れる。
「大丈夫です、ちょっと驚いただけ」
「そうか。身体は大丈夫か?」
「はい。神殿って綺麗な所ですね」
神殿と言うとこう静謐で厳粛な空気と言った感じを想像していた。
でも、ここはアットホームと言うか静かな公園くらいの居心地の良さがある。
「女の人たちは、ここで暮らしてるんですよね?」
「あぁ、だが居住区としてはもう少し奥だ」
なるほど、どうりでさっきから甲冑の人たちしか見えない筈だ。
何度か大きな扉を潜ったり、外に出て門を潜ったりした先でディーンさんは足を止めた。
今までとは明らかに雰囲気の違う立派な扉だった。
どうでも良いけど、辺境だから小さいと聞いていた神殿も結構な広さだ。
これで帝都とかの立派な神殿だとどんな大きさなんだろうか。
現実逃避ぎみに考えながら、立派な扉を通り抜ける。
使い込まれた絨毯が敷き詰められた室内は、思ったよりは地味だった。
壁は落ち着いた薄い緑色。
柱や天井は今までと同じ様に細工が施されているが、どれも年月の古さを物語っている。
掃除が大変そうだなぁ。
ぼけっと部屋を見回していると窓辺に立っていたおじいちゃんが、こっちを振り返った。
白いお髭と小さな身体が、何とも可愛らしいおじいちゃんだ。
「ようこそカロナ辺境神殿へ。私は、この神殿を任されておりますヴェグウェット・トートと申します」
割と偉い人でした。
勝手におじいちゃんとか思ってごめんなさい。
あぁ、でもニコニコ笑っている顔は本当に可愛いんだ。
「突然の訪問を失礼します。ヴァイシュ近衛騎士団所属、シュッツガルド・ディーンです」
堂々としたディーンさんの名乗りだが、小さいおじいちゃんの前だと何だか先生と生徒みたいな微笑ましさがなくもない。
「ヴァイシュ殿下の……。それは、それは。このような辺境までどうされましたかな」
「こちらにも通達が来ていると思いますが、聖女に関する神託が齎されました。我々は、その捜索と護衛任務にあたっています」
「聞いております。残念ながら、私どもの神殿には聖女様はいらっしゃいませんでしたから、そうお返事は差し上げておりますが?」
「報告は受けています。今は、捜索では無く護衛の任務を請け負っています」
「……なんと!」
半ば意識をすっ飛ばしながら二人の話を聞いていた所で、おじいちゃんの目がこちらを向いた。
まっすぐにこっちを見たのは、フィズさんと私の二択だったからだろう。
「ただ、残念ながらまだ候補の域を出てはいないのです。神殿の本分に置いての協力をお願いします」
「もちろんですとも。あぁ、何と言う幸運でしょうか。こうして、女神さまの導きに触れる事が出来るとは望外の喜びです」
拝まんばかりの様子に、ちょっと躊躇う。
たぶん、私は聖女様ではないと思うので。
と言うか、十中八九私ではない。
「改めて、ご挨拶をよろしいですか?」
「あ、はい」
近づいて来たおじいちゃんに、ピンっと背筋を伸ばす。
「お初にお目にかかります。ヴェグウェット・トートと申します。どうぞ、お好きにお呼び下さい」
「ええと、ええっと」
ヤバい、やっぱり名前が聞きとれない。
「トートさん?あ、トート様で良いですか?」
「はい。畏まらずにお呼び下さい」
「ありがとうございます。ご迷惑をおかけします。私は草野楓と申します。カエと呼んで下さい」
「カエ様ですね。長旅、お疲れでしょう。どうぞ、おかけ下さい」
しわしわの手でソファまで案内してくれる。
やっぱり、可愛いわ、このおじいちゃん。
じゃなくて、トート様。
綺麗なソファに座る前に、着ていた外套を脱ぐ。
重たい外套を脱ぐとほっと息を吐く。
「カエ様、あの、こちらの勘違いであれば申し訳ございません。そのお身体は?」
「え?あ!」
何にも気にせずに外套を脱いでしまったが、さすがにお腹の大きさに気付かれた。
フィズさんとディーンさんを見ると、あからさまに失敗した顔をしている。
ディーンさんに至っては片手で顔を覆ってしまっていた。
えーと、ごめん。
たぶん、二人の予定としては諸々説明を先にする筈だったんだよね。
分かってるよ、今察した所で手遅れだと言う事も、分かっているよ!
「えーと、まぁ、そう言うことなので」
何とも答えにならない返事をしてしまった。
トート様は、目を大きくして今にも倒れてしまいそうだ。
どうしよう、私のせいか!
「大丈夫です、ちゃんと育てるので、って言うか今まさにお腹で育ててるんですけど!」
慌てたせいで、訳の分からない自分ツッコミをしてしまう。
お水、だれかお水を持って来て上げて。
「カエ、落ち着け」
「フィズさん……!すみません」
肩を抱かれてひとまずソファに座らされた。
私がまず落ち着けって事ですね。
「何と言う、何と言う事でしょう。女神様をまた裏切る様な真似を……」
トート様は、ディーンさんが向かいのソファに座らせて上げていた。
青白い顔で呟いている様子は、鬼気迫る物があって心配になる。
「トート様、あの大丈夫ですか?」
「え、えぇ。申し訳ありません。取り乱してしまって」
少しして運ばれて来たお茶を口にするとトート様も少しだけ落ち着いたらしい。
「トート殿、カエはこう言う身体ですから神殿で医師か産婆に見て貰えないかと思っているのですが」
「もちろんです。すぐに、手配致しましょう」
「カエ、俺たちはトート殿と話をする事がある。その間に、身体を見て貰うと良い」
フィズさんがテキパキと纏めてくれた。
さすが、頼りになる。
準備が整うまでお茶を頂きつつ、身体を休めた。
ふう、ようやくお医者さんに会えるのか。
大丈夫かな。
不安な気持ちを見透かしたように、お腹がぽこんと蹴られた。
うん、きっと大丈夫だ。
お医者さんは、神殿の一番奥の区画にいるらしい。
つまり、女性たちの暮らしている場所だ。
途中まではフィズさんが一緒に来てくれたが、居住区は男子禁制らしい。
なんて大奥と思った事は内緒だ。
閂のついた扉が何重にもなっている場所を通り抜ける。
厳重な警戒ぶりにドキドキしてくるが、ゆっくりと進んでもすぐの短い通路だ。
「いらっしゃい、貴方がカエさんだね」
最後の扉を通るとすぐに声が掛った。
トート様が可愛いおじいちゃんなら、出迎えてくれたのは恰好良いおばあちゃんだった。
ピンと伸びた背筋も丁寧に纏められた白髪も、何と言うか素敵だった。
「はい、お世話になります!」
「こちらこそよろしくね。私は、ベリエット・ニール。産婆をしているよ」
「よろしくお願いします、ベリエットさん!」
初めて、初めて名前が聞きとれた!
素晴らしい!
勢い込んで、でも噛まずにお名前を呼ばせて頂いたら、元気だねぇと笑われた。
この感動を是非ともフィズさんと分かち合いたかった。
私はこのまま誰の名前も呼べないのかと思っていただけに、喜びが染みいる。
あぁ、嬉しい。
ディーンさんには言ったらドン引かれそうなので言わない。
「こっちにおいで。まずはお腹の子の様子を見てあげないとね。その後で、ここの子たちを紹介してあげよう」
「はい!」
背を向けて案内してくれるベリエットさんを追いかける。
優しくて頼りになる人だ。
色々と男性陣には聞き辛かった事も聞けそうだし。
良かった、良かった。
私って結構人に関しては運が良いのかもしれない。
ベリエットさんが案内してくれたのは、病室と言うよりは保健室みたいな部屋だった。
柔らかい色のカーテンが掛っていて、ベッドが二つ並べて置かれている。
壁の棚には、薬らしき小瓶や包帯やらが見えた。
「そこにお座り」
示されたのはベッドだった。
椅子を引っ張って来たベリエットさんと向かい合うように座る。
「まずは、貴方の身体の方からだ。具合はどうだい?ちゃんと食べれているかい?」
「はい。ええっとちょっと前までは食べられなかったんですけど、今はもう大丈夫です」
「そうか。ならまずは問題ないね。夜は眠れなかったりはないかい?」
「はい。ぐっすりです」
質問を繰り返しながら、乾いた掌が額に触れる。
「少し熱っぽいが、まぁ問題はない程度か。言い難いかもしれないが、便通はあるかい?」
「えーと、昨日はあったので……」
思い出しつつ答えていると、もっと肝心の物があったと思い出した。
今まで書き溜めて来た手帳だ。
言葉で言うよりも見て貰った方が早いだろうとベリエットさんに渡した。
体調の変化とかも書いているので、あやふやな記憶などよりよっぽど正確な筈だ。
「おや、書きつけがあるの……」
ベリエットさんがじっくりと読み始める。
ページをめくる音だけがしばらく静かな部屋で聞こえて来る音だった。
眠たくなって来た所で、ベリエットさんが手帳を閉じた。
「良く分かったわ。貴方、偉いわね。こんな風に記録を残してくれているとこちらも楽だわ」
褒められた!
「ありがとうございます」
「どうも悪阻が長引いて居たみたいね。今、食べられているなら問題ないでしょうけど、念のため後で薬を上げておきましょうか」
「薬?」
「身体に良い薬草で作った薬だよ。食欲がない時に飲むと良いわ」
「分かりました」
「さて、次はお腹の子ね。そのまま横になってちょうだい」
ベッドに横になると、思わず欠伸が漏れる。
「疲れてるみたいだね。お腹も少し張りがあるようだし」
「あ、張りってこう言う事なんですね」
「なんだい、気付いてなかったのかい」
「話に聞いてただけだから、どんな感じなのかなぁと」
違和感があったけれど、慣れない馬車で筋肉痛とかかと思っていた。
ベリエットさんはちょっと呆れたみたいだった。
「張りが強いとお腹の子も苦しいからね。気を付けてあげなさい」
「はい」
一通り触診を終えると、次に磨かれた石を出される。
黒くて綺麗な石だけれど、何に使うものなのか分からない。
「要玉と言ってね、お腹の子の様子を計る石だよ。元気が良ければ色が薄くなるんだ」
「そう言うのがあるんだ……」
「初めて見るかい?」
「はい」
向こうで言うエコーの代わりのような物かな。
ちょっとドキドキしながら、お腹に当てられるのを眺める。
くるくるとお腹に当てながら石を回して行く。
黒かった石が徐々に色を変えて行く。
下から順々に変わって行って、五分も経つ頃には石は白っぽくなっていた。
「おお、すごい」
「元気なようだね。安心だ」
「良かったです!」
今までで一番嬉しい言葉だった。
目に見える形で保障されると本当に嬉しいし、安心出来た。
「通常よりもお腹が大きくなるのが早いようだから、あまり無茶はしないようにね。もしかしたら、早産になる可能性もあるからね」
「はい、気を付けます」
診察が終わって、薬を出して貰っている間にちょっとした雑談を楽しんだ。
ベリエットさんは、気風が良くてお話も面白い。
ついつい喋りこんでしまった。
「おや、他の子に紹介するんだったね。そろそろ行こうか」
「あ、はい。どんな人たちですか?」
「貴方と同じ年ごろの子も少ないけどいるよ。でも、ほとんどが私みたいな婆さんばかりかね」
「なるほど。でも、楽しみです」
本当に楽しみだ。
どんな人たちがいるんだろうなぁ。
願わくば、私でも話が合う人たちでありますように。