14.
山歩きは、割と順調に始まった。
気温もそこまでは上がらなかったのも良かった。
先頭は、山道に慣れたフィズさんが務めて、殿はディーンさんが受け持ってくれる。
間に挟まれた私は、のんきに風景を見ながら歩いて行く。
気分はちょっとしたハイキング。
いや、遠足?
小学校の頃とか、こうして一列に並んで歩いたよね。
前後だと少し喋り辛くて、気付いたら二列になってて先生から怒られたり。
懐かしい。
既にあの頃の先生と同じ年代になってると言う事実が恐ろしい。
大人になって、またあの頃と同じ様に歩く事になるとは思わなかった。
「大丈夫か?」
「はい、まだ平気です」
体調も案外落ち着いている。
初めての遠出で緊張しているのかも知れない。
「辛くなったら言ってくれ」
「その時はお願いします」
事前の打ち合わせで、体調が悪くなったらフィズさんが背負ってくれる事になっている。
別におんぶではなく、何と言えば良いのだろう。
フィズさんが背負っているのは、足のない椅子のような物。
おとぎ話のお祖父さんが薪を乗っけてるような物に近いのかな。
これが何と言う名のつく物なのか分からない。
いざとなったら、薪ではなく私がそこに座る事になっている。
人間タクシーと言えば良いのか。
いや、それも何か違うな。
悶々と考えながらフィズさんの背中を見つめる。
ちなみに今は、旅に必要な道具などが積まれている。
私がお世話になる時には、フィズさんが持っている荷物はディーンさんに渡る事になっている。
もう全般的にお世話をかける次第です。
地面から張り出した根っこを避けながら、ゆっくりと進んでいく。
既に振り返っても、長くお世話になった家は見えない。
鬱蒼とした山には、鳥や虫の鳴き声がするばかりだ。
「この調子だと、どれくらいで村に着きますか?」
軽い世間話程度に尋ねてみる。
黙ったまま歩くのも何となく詰まらない。
その内、そうも言ってられなくなるんだろうけど。
「そうだな。三時間ほどかな」
「三時間かぁ」
まだ始まったばかりだからか、ピンと来ない数字だ。
でも、長いなぁとついため息が出る。
「いきなりへばるなよ」
「頑張りますけどね」
後からからかうディーンさんに、辛うじて前向きな言葉を返す。
頑張るけど、頑張りきれなかったら後は頼もう。
垂れさがった枝を避けて屈むとお腹がちょっとだけつっかえる。
うーん、こう言った所でも主張するようになったんだなぁ。
正直な所、邪魔だなと思ったりもするが成長の証と思えば愛おしくもなる。
お腹を庇いつつ、山道を下って行く。
登り続けるよりも楽だと自分に言い聞かせて、既に上がりそうになっている息を誤魔化した。
突然ですが、到着しました。
ウエルカム、なんとか村。
長い道のりを振り返る事はしないでおきましょう。
今は、一刻も早く横になりたい。
折角の初めての村だと言うのに観光気分にもなれない程度には体調が悪い。
それなりに頑張った山道だったが、残りの三分の一は限界が来てフィズさんに頼りました。
ごめんなさい。
「カエ、大丈夫か?」
「は、はい」
例え大丈夫では無くても、そう答えてしまうのが日本人の性だ。
「いや、お前明らかに顔色が悪いぞ」
呆れた口調でディーンさんにまで気遣われる。
でも、ここですっごい体調悪いですとは主張し辛い。
少なくとも私はそうだ。
「先に宿屋を決めるか。つっても、この村だと一軒しかないんだっけ」
「あぁ、ベッカスさんの所だな」
どうやらフィズさんが知っているらしいので、その宿屋に向かう事になりました。
「ほら、もう少し頑張れ」
「はい……」
ヨロヨロとしつつも励ましを受けて歩き出す。
フィズさん、お気になさらず。
これで、抱きかかえられでもしたら、私は吐く自信があります。
さすがに女として、その一線は守りたい所。
あと少し、あと少し。
そう自分に言い聞かせつつ気力を振り絞った。
幸運な事に宿屋までは、そう遠くない距離だった。
普通に歩けば、村の入り口からすぐそこと言った距離だ。
現在の私から言えば、割と長く感じた事は確かだけれど。
それはもう精神状態の問題だと思うので、当てにはならない。
半ばフィズさんに担ぎこまれるようにして宿屋に入る。
手続きをしてもらっている間に、私は置いてあった椅子に休ませて貰った。
ソファでも何でもない硬い木の椅子だったけれど、もうこのままココで眠っても良いと思えるほど身体が楽になる。
足の裏がジンジンと痺れている。
すっごくむくんでいるのだろうなと思うが、何かもう体調の悪さにどうでも良い気分になる。
温泉に入りたい。
いっそ足湯でも良い。
いや、もう贅沢言わないから眠りたい。
柔らかい布団が欲しいな。
ゴロゴロしたい。
思考が見事にとっちらかっている。
ぼうっとしている間に、フィズさんが戻って来た。
宿の人も一緒だ。
心配そうにこちらを見ているのは、真っ白なお髭が良く似合うおじいちゃんだった。
「カエ、部屋に行こう」
「……はい」
本当はもう一歩も歩きたくない気分ではあるが、今からお布団に会えるのだからと根性入れて立ち上がった。
「いたたた」
思わず声が漏れつつお腹を庇いながら歩き出す。
「カエ?」
「あ、大丈夫です。足がちょっと痛くて」
顔色を変えたフィズさんに、慌てて訂正する。
お腹を触ったせいで誤解させたらしい。
目の前に伸びる階段にため息が出そうになるが、堪えて登る。
そう大きくない宿のようで、部屋にはすぐにたどり着いた。
ベッドが二台置かれた部屋は、古びてはいるが清潔そうだ。
「カエは、先に休んで居てくれ。もう少し、やる事があるから」
「はい、すみません。ありがとうございます」
フィズさんの言葉に全力で甘えて、よろよろとベッドに横になった。
あー、楽だー。
本当は顔を拭いたり、寝巻に着替えたりしないとシーツが汚れてしまうのだろうが、一度横になってしまうと置きあがる事は出来なかった。
じわぁっと広がる足の痺れを感じながら目を閉じる。
ちょっとだけ休んで、それからフィズさんを手伝おう。
そう言えば、ディーンさんってどこだろう。
宿の所までは居たよね?
つらつらと考えている内に、意識はなくなっていた。
寝すぎた!
心臓が冷える様な焦りと共に目が覚めた。
「……あれ?」
見覚えのない部屋は真っ暗で人気もない。
バクバクと鳴っている心臓を押さえて、必死で思い出す。
えーと、山を降りて、村に来て。
そうだ、ここは宿屋で、フィズさんはどこだろう?
どうにか自分の居る場所を思い出して、ホッと息を吐く。
窓の外は真っ暗で、所々に見えるのは街灯だろうか。
夜になっている事は間違いない。
ベッドから起き上った自分の恰好は、ここで横になった時と変わっていない。
「うわ、外套くらい脱げば良かった」
改めて自分の適当さに後悔しつつ、外套を脱ぐ。
思いの外、重みがあったらしく脱ぐだけでも身体の軽さが違う。
「ふう」
丁寧に畳んで、一先ずベッドの隅に置いておく。
「フィズさんたち、どこに行ったんだろう」
もしかして、まだ村で何か用件を済ませているのだろうか。
もっとちゃんと一日の予定を聞いておけば良かった。
彼らがいつ戻って来るのか、まるで分からない。
何とも言えない不安に襲われて、首にかけていたカップを手に取る。
丸いフォルムは手に包んでいるだけでも、何となく安心出来た。
「ついでだから、何か飲もうかな」
コロコロとカップを弄んでいてもしょうがない。
何が良いかなぁ。
温かい物が良いなぁ。
んー、甘い物。
ミルクティとかどうですかね。
誰にお伺いを立てているのやらって感じですけど。
一人で馬鹿な問答をしている間に、甘い匂いが立ち上ってカップが満たされる。
カップもじんわりと温かくなる。
もう驚かない。
改めて見るとやっぱり不思議だなとは思うけど。
それよりも便利な事に違いはない。
「……おいしー」
ほわっと身体の緊張がほぐれる優しい甘さだ。
ゆっくり味わうようにして飲む。
全部飲み終えた頃には、身体も温まってスッキリしている。
横になった事が良かったのだろう。
足の痛みもだいぶ和らいだ気がする。
明日になったらまた筋肉痛で酷い事になりそうだけど。
身体も楽になった事だし、フィズさんたちを見つけないと。
一人で出歩くのは怖いが、一階に降りて聞いてみるぐらいは大丈夫だろう。
もし、二人が外に出ているのなら部屋に戻って待てば良い。
「良し」
行動を決めれば、後は動くのみ。
早速、立ち上がって廊下へ出ようとした時。
がちゃりと音を立てて扉が開いた。
「ぅひっ!」
今まさにノブを掴もうとしていた時だったので驚いて身体が竦む。
ついでに、変な悲鳴も上げてしまった。
「カエ?起きてたのか?」
「あ、へ、フィズさん?」
廊下が明るいせいで、逆光になっていて顔が良く見えない。
でも、声だけで誰かはすぐに分かった。
「すまない。良く寝ていたから、起こさなかったんだ」
「いえ、こちらこそ、スミマセン」
謝りあって、フィズさんを招き入れる。
手にしていたランプで部屋も明るくなった。
ランプと言っても中の光源は蝋燭だ。
硝子が無色ではなく黄色がかっているので、部屋の中も温かな色合いで照らされた。
「どこか行っていたんですか?」
「いや、手筈はだいたい整ったから食事を取っていた。一人にしてすまないな」
「いいえ!ゆっくり休ませて貰えて、身体も楽になりました」
「そうか。後で食事を持って来よう。食べられそうか?」
「あまり多くは無理かもしれません」
さっき飲んだミルクティのお陰で、少しだけ空腹を感じていた。
フィズさんの申し出は、とてもありがたい。
「そう言えば、ディーンさんは?一緒ですか?」
「あぁ、馬車の手配をしていたんだが、先ほど戻って、今は食事をしている」
「なるほど」
途中で姿が見えないと思っていたら、ちゃんと働いていたらしい。
むしろ、働いて居ないのは私だけだ。
最悪だな、私。
反省を込めて組んだ両手に顔を埋めていると、扉がノックされて話題の主が顔を出した。
「おー、起きてたか。戻りが遅いから、飯持って来てやったぞ」
「ディーンさん、意外と気が効きますね!」
「てめ、飯やんねえぞ」
「褒めたのに!」
ぜったい、そう言った気配りが出来ないタイプだと思ったから私の中では最上級の褒め言葉でしたよ。
いや、今、冷静に考えると欠片も褒めてない事は気付いたけど。
何だかんだ言いつつご飯を渡してくれたディーンさんは良い人です。
宿のご飯はワンプレートのパンケーキのような物でした。
サラダらしき野菜が添えられている。
フィズさんが作る料理とも違うメニューにちょっと心躍る。
そう言えば、ちゃんとしたお店の料理ってこれが初めてだ。
お箸はないので、渡されたフォークで頂く。
見た目よりもモチモチしていて、一口に切り分けるのがちょっと難しい。
何度かお皿を逃げるパンケーキを捕まえて一口食べる。
「……美味しい!」
「ケラフを使ったパンケーキだ。この村の特産でもある」
フィズさんの一言解説に、へぇと相槌を打ちながら食べる。
ケラフって何だろう。
小麦粉とかの種類かな。
内心で首をかしげつつ、少しずつ攻略していく。
見た感じだと少ないかなと感じたが食べてみると結構どっしり系だ。
一枚だけでも結構お腹に溜まる。
甘くないご飯系のパンケーキで、上にかかっているのは胡椒の実に近いかな。
食べるとピリッとした辛みがあった。
久しぶりに果物以外の物を食べて美味しいと感じた。
その事にも、実はこっそり感動していて、二人がじっと食事の様子を眺めている事に気付くのが遅れた。
「な、なんです?」
あまり見られていると食べ辛い。
尋ねてみれば、男性陣は何か目配せし合って気まずげな様子だ。
何ですか、何か変な事をしていたなら教えてくれるのが優しさですよ!
こっちの行儀なんて分からないから適当やってるんだから、気付いたなら教えて欲しい。
「いや、女ってのは、そんな風にして食べるんだなと」
「は?」
言い難そうにディーンさんが告げた理由に、驚いた。
「パンケーキをそんな風に切って食べるなんて、した事がないからな」
「そうだな」
フィズさんも控えめに同意している。
「え、駄目ですか?」
豪快に齧り付くのはちょっと遠慮したい。
ぜったいに途中で落とすから。
「駄目ではない。ただ、珍しかった」
「え、あー、女の人が居ないんですっけ?」
周りが男ばかりだと、そんな違いも珍しいのだろうか。
いや、でもフィズさんとはずっと一緒に食事をしてたのに。
思い返してみたが、だいたい齧り付く系のパンか、シチューとかがメインだった。
こんなパンケーキみたいな洒落たメニューはなかったなと振り返る。
この程度で女子力を感じて貰えるのなら、なんてちょろ……簡単で素晴らしい事だと思います。
えぇ、真剣に。
苦笑して肩を竦めるディーンさんから、早く食べてしまえと急かされつつ食事を終えた。
結局、一枚でリタイアしました。
残りはディーンさんが平らげてくれた。
手づかみで豪快に食べる姿に、なるほど私程度でも女としてそれなりのレベルで居られる事を理解した。
この世界の女の人に、早く会いたいな。
実際に会ってみて、太刀打ちできない女子力の持ち主ばかりだったらどうしよう。
確立した地位が地に落ちる未来しか想像できなくて悲しいです。