8.
朝です。
薄暗いけれど、朝ですね。
ここに来て、何となく体内時計で動けるようになって来ました。
人間って幾つになっても進化するようです。
すごいね。神秘だね。
それはともかく、どうも目元が腫れぼったい気がする。
何でかなぁ。
変な夢でも見たのかな、全く覚えてないんだけど。
ちょっと頭もボーっとする。
折角なので、頭がスッキリする飲み物でも飲もう。
昨日、ちょっと粗雑な扱いをしてしまったから魔法が切れてないと良いけれど。
「そうだなぁ、スッキリする冷たい物かな。炭酸とか久しぶりに飲みたいけど、ちょっと我慢だし。グレープフルーツジュースとか良いかな」
むうっと念じるとカップは、爽やかな果汁で満たされた。
にがすっぱ甘い。
適度に冷たくて良い感じ。
ゆっくり一杯を飲み干すと、目元の腫れぼったさも気にならなくなった。
「良し、今日も一日頑張りましょう!」
お腹に話しかけるとぽこんっと衝撃が返って来る。
そうだ、そうでした、そうだった。
ついに動くようになったんでした。
いや、もっと前から動くのは動いていたと思うけど。
それがようやく母体、私まで届くようになったのだ。
赤ちゃんが元気に成長していると言う証拠だ。
色々と不安が多かっただけに、これは嬉しい事だった。
フィズさんにも報告したかったのに、スッカリ忘れていた。
ぺたぺたと部屋から出て、朝食の準備のために台所に向かう。
何で、こんな大事な事を忘れてたんだっけ?
「……ふわっ!」
やっぱり寝起きは頭が働いていない。
そうだった、そうだったよ。
いきなりフィズさんの知り合いらしき人が訪ねて来たんだった。
そして、その人は居間で寝てた。
ビックリした。
隅っこにいるから、最初人とは思わなかった。
良く良く見れば毛布にくるまって寝てる人だった。
まだ明るくないので、ハッキリ見えないのが原因だよね。
あービックリした。
ドキドキ鳴ってる心臓を押さえて、どうしたものかと考える。
このままココで調理を開始したら起きるかな。
でも、作らないとお腹空くよね。
うーん、起きたら、起きた時でフィズさんを呼ぼう。
そうしよう。
それにしても、朝はまだ寒いのだけど、毛布一枚で寒くないのかしら。
ベッドは確かに私とフィズさんの部屋に一台ずつしかないから。
ハッ、もしかしてこの人が使う筈だったベッドを私が横盗りしちゃった感じ?
それなら、申し訳ない。
このままだと風邪を引きそうだし。
うーん、一晩過ごした後なら今更かな。
でも、気付いてしまったら見過ごせない。
とりあえず、私のベッドの布団を持って来よう。
来たばかりの廊下を引き返して、よっこいしょと布団を持ち上げる。
起きちゃわないでねぇ。
それだけは念じながら、胡坐をかいた状態で器用に眠る人に布団を広げる。
いや、広げようとした。
「へ」
いきなり突き飛ばされて尻もちを突く。
咄嗟に出た言葉なんて、大した物ではない。
ただ、無意識にお腹を庇ったのは我ながら偉かった。
何が起こったのか分からずに目の前に光る物を見つめる。
何だろう、コレ。
長いし、銀色だし、アレかな。
何か似てるよね。
包丁とか。
あと、刀、とか。
至近距離にあるものを見つめすぎて目が痛くなって来た。
「何をしている?」
「はっ、はい?」
問いかけの意味が分からない。
むしろ、何をしてるのか聞きたいのはこっちだ。
何で、いきなり突き飛ばされて刃物を突き付けられてるの。
何で、こんな怖い顔で睨まれてるの。
頭が回りだしても、意味が分からなくて、声が出て来ない。
フィズさんを、そうだフィズさんを呼ばないと。
そう思うのに、大きな声が出て来てくれない。
ただ、寒そうだったから布団を掛けてあげようと思っただけで。
低血圧ですか。
眠りを妨げられるのがこの世で一番憎い人ですか。
それなら、本当にごめんなさい。
余計な事をしなきゃ良かった。
色々な事を考えても、それはさっぱり表に出てくれなかった。
「答えろ、どうして近づいた?」
「ふとん……」
ようやく出て来たのは、情けない程震えた声だった。
しかも、ふとんって何だそれって言った本人も思ったよ。
案の定、睨んでる人の顔も不可思議だと言っている。
抱えていた布団は、突き飛ばされた時に傍らに転がっていた。
重さがある分、遠くにはいかなかったらしい。
「コレを俺に?」
「寒いかと思って」
ようやく単語以外が出て来た。
本当にそれだけです。
他意なんてありません。
小さな親切大きなお世話って事もありますよね。
それは身に染みて反省した。
もう、二度と余計な事はしない!
だから、この物騒な物を退けて!
「なんだ」
納得してくれたのか、目の前から刃物がようやく無くなった。
「驚かすな。間者かと思っただろうが」
「……驚かされたのは、こっちです」
どうにかこうにか非難めいた声が出た。
でも、やっぱり情けないくらいにへろへろだ。
「悪かったって。ほら、立てるか」
差し出された手を取っても大丈夫なのか、じっと見つめて考える。
また突き飛ばされたら、今度はお腹を打ってしまうかもしれない。
それだけは怖い。
「もう乱暴な事はしねえって。ほらよ」
無理やり手を取られた。
「うわわわ」
まだ、膝が震えている状態では上手く立ち上がれない。
思いの外、強い力に倒れ込む形になる。
「何やってんだ?」
呆れた声が頭から振って来て、どうやら抱きつく形になったらしい事を知る。
こんな怖い人と密着なんて、とんでもない!
慌てて離れようと目の前の胸板に手を突いた。
「痛っ」
なんか、ゴリッとした感触が掌に。
「お前、なんでそんな所に手を突くんだ!」
「不可抗力です!」
別に業とじゃない。
「すげえ音がしたぞ、今」
ブツブツ言いながら胸元から何か取りだした。
「あぁ、無事だな。つか、俺が痛ぇよ、ちくしょう」
「それは、良い気……スミマセン」
いけない、いけない。
思わず本音が出そうになって誤魔化す。
ええと、この人の名前なんだっけ。
ロバートじゃなくて、デニーロじゃなくて。
ええと、あ、そうだ、ディーンさん。
確か、そんな名前だった。
それにしても、男の人が身に付けるネックレスにしてはちょっとファンシーだ。
クリスタルだよね。
二つの山がある結晶型のクリスタルは、見ように寄ってはハートにも見える。
綺麗だなぁと思って、目の前の石をちょっとだけ触ってみた。
いや、目の前をゆらゆら揺れていたから、ちょっと触ってみたくなって。
そんな猫みたいな反射的行動は、思いもよらない結果をもたらした。
うわぉ、光ってます。
めっちゃ光ってますよ、クリスタル。
どうしたの、コレ。
こう言う石なのかな。
さすが異世界、進んでる。
ほけっと光るクリスタルを眺めて、ふとディーンさんが動きを止めている事に気付いた。
もう膝の震えも止まったし、一人で立てるから、支えている手を離してほしいのだけど。
「あの、ディーンさん?」
大丈夫ですか?
見上げて、思わず言葉を飲み込んだ。
だって、とっても驚いた顔でクリスタルを見つめていた。
クリスタルの発光は割とすぐに収まって、もう既にただの透明な石だ。
それなのに、ディーンさんは食い入るようにクリスタルを見つめたまま動かない。
え、どう言うこと。
もしかして、私また余計な事をしましたか。
「お、まえ」
「はい?」
もしかして、怒られる?
ちょっとそれは遠慮したい。
「どう言う事だ?お前がそうなのか?」
「え?」
どうしたの、この人。
さっきの発光でちょっとアレな人になっちゃったとか。
やっぱりフィズさんを呼ぼう。
何か身の危険を感じる。
そっと離れようとした所で、ぐっと腕を掴まれた。
ちょっと痛い、痛い。
力込め過ぎだから。
「ちょっと、痛いって!」
思い切り訴えると、ハッとしたように腕は解放された。
何なんだ。
「いや、でも移民なら該当しない筈だ。どう言う事だ……。いや、良い。お前、ここを動くなよ!」
ぶつぶつ呟いていたと思ったらいきなり人に命令して足音荒くフィズさんの部屋の方に行ってしまった。
いや、何なのあの人。
ちょっと怖いよ。
さっきとは別の意味で、怖い。
だいたい、この家から出る事なんてないんだから変な命令だ。
とりあえず、朝ご飯作ろう。
フィズさんを起こしに行ったみたいだし、すでにちょっといつもより遅れてるんだから急がないと。
えーと今日は何にしようかなぁ。
「カエ、大丈夫か?」
それから、すぐにフィズさんが飛んで来ました。
すごい勢いだったので、切ったパンを落としそうになりました。
ギリギリでキャッチ出来たのでセーフ。
「あの、大丈夫ってどう言う意味で?」
掴まれた腕が痛かったり、ディーンさんが怖かったりしたのは全然大丈夫じゃないんですけど。
「ディーンが何か変な事をしなかったか?」
「えーと、まぁ、それなりに」
やんわり言いつけておく。
だって、本当に怖かったんだから。
これくらいの意趣返しは当然だ。
「あほか!そんな事はどうでも良いんだよ!」
それなのに、フィズさんの背後からはカリカリした声が聞こえて来る。
やっぱり情緒不安定じゃないかな、この人。
怖いんだけど。
そっとフィズさんの後ろに隠れると、フィズさんも察してくれたようで、庇うように前に立ってくれる。
「シュッツガルド、落ち着け」
「お前が落ち着け、この石頭が」
あら、何で睨み合ってるの?
意味が分からないんですけど。
「あーもう!良いから、こいつをソイツに持たせろ」
埒が明かないと言うようにディーンさんが首かけていたクリスタルをフィズさんに渡した。
訝しげながらも言われるがままにフィズさんは、それを私に持たせた。
別に持つくらいなら、何でもないのでオッケーですが。
重い物でもないしね。
掌に乗せられたクリスタルは、先ほどと同じ様に発光する。
真っ白な光は柔らかくて綺麗だ。
目を刺す程の眩しさは感じない。
周りがこんなに暗いのに見つめていても目が痛くならないのは不思議だ。
「これは……」
「な!そう言う事だよ!」
我が意を得たりとディーンさんは、声を上げるが残念ながら私にはさっぱりだ。
フィズさんは、何だか理解しているみたいだけど。
「だが、カエは帝国の人間ではない」
「本当にそう言い切れるのか?」
苦しそうに首を横に振るフィズさんにディーンさんが詰め寄る。
どう言う事だ、本当に。
「あの」
さすがにこれ以上の置いてけぼりは異議を申し立てさせて頂きます。
どうも私が問題のようだし、議題は全員に分かるようにするべきだ。
だが、それ以上に大事な事がある。
「説明を聞きたいのは山々ですが、まずは朝ご飯にしましょう」
うん、これ大事。
厳かに告げた私に、フィズさんがまず同意してくれた。
「そうだな。まずは朝食にしよう。詳しい事は、それから説明する」
「……はぁ、分かったよ」
「良し、それじゃさっさと朝食作っちゃいますね」
クリスタルはディーンさんにお返しして、パンを切る作業に戻る。
もう時間もないし、何だか先が気になる話があるみたいだし、手早くいつものオープンサンドの更に手抜きバージョンで良いかな。
いつもなら温かい物を食べようと目玉焼きを焼いたり、ベーコンを焼いたりとしてみるのだが、今日はとっておきを使ってしまおう。
じゃじゃーん、それがコレ。
ハムです。
焼かなくてもオッケーな時間が無い時に便利な食材。
これもやっぱり塊なので、ちょっとだけ厚みを持たせた状態で切って行く。
切ったハムはキカの種を混ぜたソースを塗って、パンの上に乗せれば完成だ。
手抜きも良い所だが、勘弁してもらおう。
だいたい、朝ご飯を作る時間を邪魔したのはそっちだし。
「はい、出来ましたよ」
何やらテーブルで話し合っていた二人の前に、お皿を並べる。
「では、いただきます」
難しい話は、ご飯の後でお願いします。