STAGE.25 アイデンティティ・クライシス
「パパ、ただいま!」
「ああ、ゆりあか。……おかえり」
「ん?どうしたの、パパ。なんだか顔色悪いみたい。お仕事、そんなに大変なの?」
いつものようにゆりあが学校から帰ってくると、最近ずっと深夜帰宅していた父がリビングで出迎えてくれた。が、余程疲れているのか顔色が青を通り越して土気色だ。
(んっと、ゲームじゃこの時期どうだったっけ?パパってばモブだからそんなに出番なかったのよねー)
そもそも、四条ゆりあの父親は彼女のことを家の繁栄のための駒としか認識していなかった。
義母にいびられ、義兄弟達に虐げられ、それでもゆりあは健気に堪え続け、やがて彼女をそこから救い出してくれる男達に出会うことができるのだ。
一宮遥斗ルートのトゥルーエンドでは、ヴィオルはカフェの店員をやめてシジョウ・コーポレーションのイタリア支店を任されるまでになり、一宮家と四条家は縁戚関係、没落した藤堂家のかつての婚約者を早々に見切った瀧河家は一宮家の親戚であるイギリスのシュナイダー家と縁を結び、間接的に四条と縁続きになる。
獅堂蓮司は四条の分家をまとめる地位について遥斗を支え、拓人はどうやら法律に触れるところまできていた義父の悪行を暴いて四条本家を救い、その後はシジョウ・コーポレーションを立て直すために尽力していく。
そして没落した家の跡取りだった藤堂瑠維も、従兄である遥斗の温情により四条の分家末端に迎えられ、以降は遥斗の秘書としてかいがいしく尽くしてくれる。
ゲームとしての逆ハーエンドは設定されていなかった。
だが一宮遥斗ルートにのみ存在するすべての関係が上手く行くトゥルーエンドがそのかわりのようなものであり、ゆりあは記憶を取り戻してからずっとそのルートを狙い続けてきた。
そのためには、どうしても藤堂家が邪魔だったのだ。
早く没落しちゃえばいいのに、とまで思っていた。
(そうだ!パパがここまで疲れてるのって、拓人さんの告発があったから!?)
エトワールに乗っ取りを仕掛け、逆に手痛いダメージを負ってしまったシジョウ。
拓人がゆりあのために動くとすれば、当然シジョウを潰さないように立て直すこと、そして四条家をダメージから守ること。
時期としてはエンディングよりかなり早いが、早々に傾きかけたこの家を救おうと動いてくれているのなら、当主であり社長でもある父がこうも疲れている理由も説明が付く。
ゆりあは嬉しさのあまり笑い出したくなるのをぐっと堪え、しきりに冷や汗を拭いている父の隣に跪いて上目遣いにその老いた顔を覗き込んだ。
(やあだ。パパってこんなくたびれた顔してたんだ……殆どビジュアルないから忘れてたー)
「パパは疲れてるのよ。今は拓人さんもお仕事手伝ってくれてるんでしょ?だったらちょっとお休みしてもいいんじゃないかな?」
「ゆりあ……だが、今わたしがここを動けば」
「大丈夫だよ。うん、絶対大丈夫。拓人さんは頼りになるし、ヴィオルさんだってイタリア支店を纏めてくれてるでしょ。パパがいなくてもきっと大丈夫」
「…………ああ……」
愛娘の言葉に、父は項垂れた。
ゲーム内で拓人にその座を追われ、しょんぼり去っていく父の姿が思い出され、ゆりあは内心ガッツポーズで『わかった』という最後の言葉を待った。
が、その瞬間は永遠に訪れることはなく。
「……え?」
彼女の目の前で、老いた巨体がゆっくりと……力を失って椅子から滑り落ちた。
「パパ!?ねぇ、どうしたのパパっ!」
「乱暴に揺らすものではないよ。今救急車を呼んだ、今のうちに出かける準備をしてきなさい」
「拓人さんっ!!」
勢いよく飛びついてきた身体を抱きとめてやって、隣室から出てきた拓人はわずかに目を細め義父の姿を見下ろした。
だがすぐにその視線を義妹へと戻し、彼はイヤイヤをするように……必死で何かを否定したがっている子供のように聞き分けのない彼女の顔をそっと覗き込んだ。
「いいかい、ゆりあには少し難しいかもしれないがよく聞くんだ。今日、本社であった会議において父の……社長の退任要求が正式に決定された。つまり、役員や株主の大半が社長の退任を迫ったわけだ。ここまではわかるか?」
「…………パパ、お仕事辞めさせられるんですか?」
「ああ。これまでの実績を考慮しようという声もあったにはあったが、幾度かにわたるエトワールへの乗っ取り未遂やそれに伴う無茶な資金投資が仇になってしまってな。だが義父は退任するわけにはいかないのだと、固辞していた。少し考える時間が欲しいと言われたので、私がここまで送ってきたのだよ」
とそこで、拓人は一旦言葉を切った。
慌しく救急隊員が飛びこんできたためだ。
彼らは床に倒れ伏したままの四条家当主を慎重に担架に乗せ、また慌しく部屋を出て行く。
が、拓人がその場を動く様子はない。
ゆりあもそれに倣って拓人を見たまま動かない。
「…………一緒に行かなくていいのか?」
「……え?」
「愛する父親が倒れたんだぞ?傍についていたくないのか?」
「え、なにいってるんですか?だって病院に行ったんでしょ?ならもう大丈夫ですよ」
むしろ拓人さんの方こそなに言ってるの?そんな問いかけが聞こえてきそうなほど無邪気な表情で、首を傾げてみせるゆりあ。
その瞳には、先ほど拓人が部屋に入ってくるまであった父への気遣いの色は残っていない。
あるのは、彼に対する絶対的な信頼と思慕の念だ。
残念だ、と本当に聞き取れるかどうかという声で拓人が呟き、ゆりあはもう一度「え?」と聞き返す。
「…………いや。ゆりあがいいならいいんだ。それで、先ほどの話に戻るが……」
「パパ、辞めさせられちゃうんですね。可哀想」
「可哀想、か…………お前は本当に」
『優しいな』
そう続けられるものだと、ゆりあは期待した。
彼女に対する好感度がMAXになった拓人なら、きっとそう言って頭を撫でてくれる。
キツい目元を緩ませて、微笑んでくれる。
そうなった時、どう返したらもっと親密になれるのか、そんなことを考えながら俯けた視線を上げたゆりあの視線の先。
「…………たくと、さん?」
先ほど義父に向けられていたものと同種の、蔑み足蹴にするような……まるで害虫を踏み潰したくて堪らないとでも言うような視線を向ける、攻略したはずの攻略対象者が、そこにいた。
「聞いていた通り、とことん性根が腐っているらしいな」
「……どういう、こと?あたし、何も間違ってなんて……」
「まだわからないのか。お前が決定的に勘違いをしているという事実が」
「勘違い?ねぇ拓人さん、一体なんのことだか…………もしかして、誰かに何か言われたの?あたしが酷い子だって?そんな……酷いよ」
藤堂だ、とゆりあは直感した。
ゲーム上でも藤堂姉妹は悪役街道まっしぐらだった。
ゆりあに惹かれていく男達、その事実に嫉妬してあらゆる手段を使って彼女を陥れようとしてくるのだ。
例えば物理的手段としてゆりあを襲わせようとする。
例えば悪い噂を流して好感度を下げようとする。
表立って動いていないと思ったら、どうやら裏で情報を流して悪い噂を広げていたらしい。
酷い人達、でもそんなことしかできないなんて可哀想だわ。
ゆりあの知っている『ヒロイン』ならきっとそう言うに違いない。
だから彼女もそう付け加えようとした。
「酷い、けど……そんなことしかできないなんて」
「わかっていないようだから言い方を変えよう。お前は間違えたんだよ、一番大事な『選択肢』を」
「ひとつだけじゃないだろう、拓人。彼女は最初っから間違えてた。正しいと信じながら、間違った選択肢ばかりを選び続けたんだ。まぁ、そう誘導したのは俺達だけどね」
「【ヒロイン】を自称するあなたにならもうわかるよね?間違った選択肢を選び続けた末路には、バッドエンドしかないって」
どうして、とゆりあは拓人を見上げたままぺたんと床にへたりこんだ。
どうして、好感度をMAXにまで上げてルート選択イベントまで起こした三人が、揃いも揃って彼女を虫けらでも見るかのように見下ろしているのか。
どうして、【ヒロイン】や『選択肢』『バッドエンド』という言葉を当然のように使ってるのか。
(どうして?ゲームのキャラがこの世界がゲームだなんて知ってるはずないのに)
母は、シナリオ通りに死んだ。
父も、アクシデントはあったものの社長から退任させられるというイベント通りになった。
拓人はゆりあにベタ甘で、ヴィオルはゆりあを溺愛していて、蓮司はゆりあを独占したがっていて。
(みんなみんな、シナリオ通り。みんなみんな、イベント成功してるはずなのに)
「どこで…………どこで間違ったの……?」
「だから言ったじゃないか。最初からだって」
「でも、だって、みんなゆりあを愛してくれたでしょ?パパだって、拓人さんだって、ヴィオルさんだって、蓮司君だって!みんな、ゆりあのことが大好きだよって!言ってくれたじゃない!!」
なのに、なのにおかしいよ!そっちの方が間違ってるよ!
ヒステリックに叫ぶ彼女に、蓮司は薄っすらと酷薄な笑みを浮かべる。
「そうだね、言ったよ?俺は【ゆりあ】が大好きだ、って」
「だったら……!」
「だけど、一回だって【あなた】が好きだとは言ってないんだけどな?」
「…………え?」
「俺はね、【四条ゆりあ】は大好きだけど、【あなた】のことなんてなんとも思って……ああ、ちょっと違うね。【あなた】のことは軽蔑に値する人だと思ってるよ」
「義父の様子が変わった時から密かに探らせていれば……月城学園への無謀な受験も、エトワールの乗っ取り未遂も、ああ、誕生日に遊園地を貸しきったこともあったか。とにかく義父の『無駄遣い』は殆どが【お前】のおねだりだった。全く、蓮司にこの荒唐無稽な話を聞いていなければ、早々に始末させていたんだがな」
「自分を『ゲームのキャラクター』だなんて思ってる相手に惚れるはずないだろう?殊勝なこと言ってても、全部薄っぺらいんだよ【君】は」
【彼女】は、もうまともに考えることすらできなかった。
前世では、攻略本を買ったり攻略サイトを参照したりしながら、フルコンプした大好きなゲーム。
『君のために僕がいる』
そのキャラのエンディングをコンプリートすると、ゲームスタート画面で該当キャラがそう囁いてくれる。その瞬間がたまらなく好きで、全員にそう囁いて欲しいからと何度も何度もリロードしたほどだ。
なのに今、その大好きな声で彼らは【彼女】を蔑んでいる。
(あたしは、四条ゆりあ。彼らは攻略キャラで、あたしはヒロインで)
「あたしは……あたしは、一体誰なの……?」
「俺達が【攻略対象キャラ】だっていうなら、君もそうなんだろう?ねぇ、【ヒロイン】ちゃん?」
賛否両論あるかと思いますが、ヒロインプギャーの回でした。
あとおまけ1話でラストです。
 




