STAGE.22 ベクトルの向かう先には罠がある
恭一郎がちょっとだけ変態くさい、かもです。
いや、これはこれで甘酸っぱいのか?
「そういえば瑠架。最近恭一郎君、遊びに来てくれないわね。そんなに忙しいの?」
「前にも言ったじゃない。後期生徒会役員選挙が近いから、って。大学も推薦じゃなくて外部受験するみたいだし、子供の時みたいにそうそう遊びになんて来られないよ」
「あら。だから最近は瑠架も遅いのね。毎日のように生徒会室に顔を出して、お仕事手伝ってるんだって佐々木君から聞いてるわよ?うふふ、結婚前の初めての共同作業ねぇ」
この空気を読まなさ過ぎる母の爆弾発言に、その場にいた母以外の人間は紅茶を噴き出すやらむせるやら固まるやら。
明日から三連休、という金曜日の夜。
週末から月曜にかけてイベントを開催する【エトワール】グループ、大学受験を控えた瑠璃のかわりにヘルプを頼まれた瑠架は、リビングで行われた最終打ち合わせに参加していた。
が、どこでどうしてそんな話題になってしまったのか、彼女にも母のぶっ飛んだ思考は理解できない。
「る、る、る、瑠架?その、結婚というのは……まだ早すぎやしないか?」
「お父さん、『る』が多いから。ちょっと落ち着いて」
誰もするなんて言ってないから。
そう付け加えたことで、動揺甚だしい父はようやく落ち着きを取り戻した。
と、そこへ母がまたしても空気を読まないダイレクトアタック(父限定)をくりだしてくる。
「あらそうなの?でも婚約してるんだし、いずれはお嫁に行くんですもの。今のうちにお仕事を手伝えるような内助の功を発揮しておくのはポイント高いわよ?」
「よっ、よよよよよ嫁だと!?」
「お父さん、さすがに高校卒業してからの話だからね。お母さんも、このままじゃ話進まないからちょっと黙ってて」
「瑠架ったら、いつの間にかしっかりした子に育っちゃったわね。誰に似たのかしら」
お母さん、寂しいわ。なんて台詞を言われたところで、瑠架は容赦しない。
(なんでもうこんなとこでまであの人の話をしなきゃいけないわけ?)
したくないわけではない。わけではないのだ。
ただ、キスされたあの時から妙に素直になれないだけで。
好きだと告げられたわけじゃないのに、好きだと告げたわけでもないのに、あの時一気に距離が縮まった。
これまでは協力者であり共犯者、信頼できる相談相手だという、性を感じさせない距離感だったのに。
彼の周囲には常に群がってくる『女』達がいたけれど、その匂いを彼から感じることはなかったのに。
女なんて、ましてや子供なんて興味あるわけないだろ。
そんな澄ました顔をしていた恭一郎が、あの瞬間から大人のオトコに見えて仕方がない。
距離感がわからない。
だから彼女は、仕事に打ち込んだ。
仕事を介していれば、彼女も彼もお互いに関わることなく目の前の問題ごとだけを見ていられるから。
『それじゃ、また明日きます』と後輩の顔で部屋を出ることができるから。
あれ以来彼からそういった類の接触はないが、それでも時々背中あたりにゾクリとするような色気を含んだ視線を感じることがある。
忘れるな、そう念を押すような強い視線を。
ある日 会場で 瀧河に 出会った
(いやいやいや、上手いこと言ってる場合じゃないから。落ち着け、私)
イベント当日。
母達とは別入りしてイベント会場に出かけた瑠架は、そこでばったりと今一番会いたくなかった人に出会った。
逃げようかと思ったものの、視線をロックオンされていてはもう間に合わない。
久しぶりに学校外で見る彼は、今日は場所が場所ということもあり白のスタンドネックシャツに夏用のジャケット、同色のパンツに革靴というシックな装いだった。
見てはいけないと思いつつも、瑠架の視線はついつい恭一郎に向いてしまう。
「えっと……なんでここに?」
「エトワールカフェの内装はうちのグループで手がけてるからな。視察も兼ねて手伝ってこいと言われた。ので、佐々木も巻き込んだ。後で来るはずだ」
そういえば、と瑠架は思い出す。
エトワールカフェの第一号店は瀧河グループの経営するホテル内だった、と。
恐らく出店する際に内装諸々の打ち合わせをし、その段階でカフェ部門の内装は統一するというコンセプトのもとで、全て瀧河グループに任せたのだろう。
それなら、瀧河グループ次期跡取りが視察を兼ねて来るのもわかる。
ちなみに、瑠架のような売り子兼ウエイトレスではなく、飲み物を準備したり片付け物をしたりという裏方を担当するらしい。
「接客すれば人気出るのに」
「バカ言え。俺が表に出たら煩い女どもが群がって仕事にならないだろうが」
「……ハイハイ、ソウデスネー」
と、ナチュラルナルシーな台詞に棒読みで答えれば、恭一郎はムッと眉根を寄せて手を伸ばし、その柔らかい頬をむにっと摘み上げた。
それはもう、遠慮の欠片もない力加減で。
「お前、どうやら本気で泣かされたいらしいな?」
「いひゃい、いひゃいれす、ひぇんはい」
「ふん。何を言ってるのかわからんな。せめて人の言葉で話せ」
「ひゃなしてきゅりゃしゃいってあ!」
もう限界、と彼女が本気で抵抗し始めたところで、「はい、そこまでにしとこうね」と背後からやんわり別の声がかかった。
「佐々木か」
「ひゃひゃきひぇんはい、ひゃすけて」
「はいはい。もうしょうがないなぁ。そんなわけだから瀧河、藤堂さんで遊んでないで放してあげなよ。むにょんとほっぺたの伸びたウエイトレスなんて嫌でしょ?」
「まぁ確かにな」
と、ここでやっと瑠架は『ほっぺたむにょんの刑』から開放され、慌ててスマホの画面を見ながら真っ赤になった頬を擦った。
そして、冷やせばなんとかなるかと判断し、すぐにその場から駆け出していく。
「チッ、逃したか」
「あのさあ」
「なんだ」
「可愛がってるのはわかるけど、本人にそれが伝わんなきゃ意味ないでしょ。可愛い姿を独り占めしたい、とか言ってあげれば?」
「……誰が言うか。ガラでもない」
だって、可愛かったのだ。本気で可愛かったのだ。今日は薄く化粧して髪型も変え、ドキッとするような色気まで感じさせていて。そんな彼女が更にウエイトレスの格好をして接客するなど、他の男に愛想を振りまくなど、許せるはずがない。むしろ閉じ込めたい。独占したい。
(言えるわけないだろ、そんなこと。言ったらドン引きされるに決まってる)
だからこれまで、大人の男を装ってクールに接してきたのだ。
本当なら、仕事といえどずっと同じ部屋の中でパソコンのキーをたたき続けている彼女に、背後から圧し掛かって悪戯してやりたかったのに。それをずっと我慢していたのに。
我慢すればするほど、妄想は膨らむ。
やめろと自制すればするほど夢の中では羽目をはずしすぎて、朝起きると『orz』のポーズで項垂れたりする。
だから、あえて突き放してみた。
わざと意地悪なことを言ったり、さっきのようにつねってみたり。
そういえばゲームでは『ドS担当』だったか、と苦笑しながら。
彼女の反応がまた可愛らしいので、結局堂々巡りになっていることなどとうに気づいてはいるが。
「でもさ、なんかあの子といると瀧河も年相応に見えるよ。怒ったり不機嫌になったりほっぺたつねったりさ」
「なんだそれは。まるで俺が怒ってばかりみたいじゃないか」
「いいんじゃない。どっかの猫とネズミみたいで。たださ、あんまり執着しすぎて殺しちゃわないようにね」
「そんなことするわけないだろうが。…………監禁ならまだしも」
「はいアウトー。監禁も犯罪でしょ」
本気でやめなよ、と忠告してくれる優しい友人に、彼はわかったよと面倒くさそうに答えた。
「ところで、佐々木先輩も裏方さんですか?」
どうにか頬の腫れを落ち着かせた瑠架が、ウエイトレスの格好に着替えて合流する。
その頃には恭一郎や佐々木も着替え終わっており、二人共ギャルソンの制服を借りてきっちりそれを着こなしていた。
(うーん。美形とまではいかなくても、癒し系ギャルソンってウケると思うんだけど)
そんな瑠架の内心を知ってか知らずか。
佐々木はあっさり「ん?僕は売り子だよ」と答えた。
「藤堂さん一人に接客任せるわけにもいかないでしょ。僕んちはケーキ部門に関わってるからね、フロアはお任せするとしてもお持ち帰りはやらせてもらうよ。将来、店を任された時に役立つからね」
「ああ、なるほどですね。佐々木先輩のお父様ってパティシエですもんね」
「まぁね。姉がパティシエールを目指すらしいし、僕は経営とか接客の勉強をしようと思って」
パティシエールとは、女性の菓子職人のことだ。
やはり小さい時から親を見て育っただけあって、娘は父の背を、息子は母の背を追うように将来を見定めたらしい。
良いご家族ですね、と瑠架が言うと佐々木も笑いながら、藤堂さんちもねと返す。
一人置いてきぼりを食らった恭一郎は、面白くなさそうに踵を返し
「いたっ!」
行き掛けの駄賃、とばかりに瑠架の後頭部を掌で叩いて行った。
と、当然わけもわからず叩かれた被害者は勢い良く振り向き、カウンターの向こうに行った長身の横顔を睨み付け…………妙に熱のこもった視線を返されたことで、慌てて視線をはずした。
(なんで、そんな目でこっち見るの)
(そんな目、向けるな。セーブできなくなる)
視線のベクトルは互いに向いているのに、その奥にあるものにはお互い気づかない。
否、気づかないフリで誤魔化している。
不器用だなぁ、と傍観者である佐々木は苦笑する。
この二人が婚約者だと知る前から、彼はちょこちょこ一緒に行動していたのを知っている。
その時から、独特の雰囲気を持ってるなぁと気にはなっていた。
子供であるのに、大人びた瞳の二人。
可愛らしい容姿の瑠架と、綺麗な顔立ちの恭一郎と。
顔だけじゃない、家柄だけじゃない、二人には何か二人にしかわからないものがあるんじゃないか。
佐々木がそうなんとなく気づいた時には、二人はもう婚約披露を済ませた後だった。
(それが何かはわからないけど……でもね、なんか楽しいなぁ)
大人びた瞳をした少年が、熱っぽい年頃独特の眼差しを少女に向けるようになった。
可愛らしく笑う少女が、戸惑いの中に同じ熱を隠し持っている。
そういう甘酸っぱい関係を、佐々木はほぼ独り占めしているようなものなのだ。
これが楽しいといわずになんと言う。
「さ、そろそろ開店準備始めるよ。そっちは任せたからね、藤堂さん」
「はい。佐々木先輩もファイトです」
(ああ、そうだね瀧河。なんか可愛いなぁ)
とはいえ、佐々木の目にはどこをどうしても愛玩動物にしか見えなかったが。




