EXTRA-STAGE.4 修学旅行は疑惑の香り
基本、一宮遥斗視点です。
「さてと、瑠璃。どこ回ろうか?」
「そうねぇ。出かける前に瑠架に日常会話は教えてもらったし、どうせなら下町の方に行きたいわね。ほら、この街って噴水があちこちにあるんだし」
「ふふっ、わかったよ。でもガラが悪い人もいるんだから、あんまり奥には行かないよ?護衛がついてこられる範囲で回ろう」
ここは、イタリアの街ローマ。
修学旅行に来た高等科2年の一宮遥斗は、プライベートジェットでやってきた可愛い可愛い婚約者と現地合流し、これから自由時間を一緒に回ろうと今からウキウキしていた。
修学旅行なのだからと、初日は教師の引率の元でぞろぞろと観光地を巡った彼らも、二日目以降は指定の街を出なければ自由行動することが許されている。
しかも、家から護衛を連れてきたり別便で同行者を呼んだりするのも黙認されているのだから、他の学校とはやはり一味違う。
夏休みにこうして修学旅行を行うのも、比較的自由度の高いスケジュールが組まれているためだということだ。
などという裏事情は、遥斗にはどうでもいい。
ただ、護衛つきとはいえ瑠璃とこうして婚前旅行ができることが、彼には何よりのご褒美だった。
(去年の行き先は近場だったから、同行させてもらえなかったんだよなぁ)
去年、瑠璃の修学旅行の行き先はなんと近場も近場韓国だった。
だからか自由時間が少なく、遥斗も同行するスケジュールが取れなかったこともあり、泣く泣く彼女一人を行かせるということになってしまったのだ。
だが今回はその反動のように遠方で、しかも自由時間が5日もある。
指定の街はローマにフィレンツェ、そしてナポリと定番ばかりだが、見所は多いし泊まるところも一宮家の定宿になっている、四条でさえも手が出せない高級ホテルにもう決まっている。
遥斗も年頃の、しかも恋する男子高校生だ。
愛しい婚約者と5日間も一緒、とくれば当然夜のことも含めてあれこれ計画したくなるのも無理はない。
の、だが。
(…………どうしてこうなった……っ!っていうかあの護衛、今すぐクビだクビっ)
「あのぉ、助けていただいてほんっとうにありがとうございました!あのままだったらきっと、知らないところに連れて行かれて……どうなってたか」
今、遥斗と瑠璃の目の前にはピンクベージュの髪をサイドアップにして、有名ブランドの最新作である清楚系ワンピを着た四条ゆりあがいる。
彼ら二人(と護衛)が下町風の裏通りにある大小様々な噴水を見つけ、写真に収めていた時のこと。
きゃあ、とはしゃいだような声が表通りの方から聞こえ、どうせミーハーな観光客だろうと気にもとめていなかったところ、イタリア語でなにやら争うような会話が聞こえると瑠璃が不安げに告げてきた。
その時点でその場を離れようと決断した遥斗は賢明だった。
が、間の悪いことにその喧騒の気配に気づいた護衛の一人が表通りを探りに行ってしまい、戻ってきたら四条ゆりあを連れていた、というわけだ。
瑠璃もゆりあのことは知っている。
あの婚約披露式の時、礼儀もマナーもなっていない挨拶をかましてきた少女にやんわり社交辞令を返してやった途端、まるで瑠璃が意地悪をしたかのように泣かれてしまった。そんな相手を忘れるはずもない。
またその後、遥斗に届けられていたあのストーカーもどきの手紙にゆりあがからんでいることも知り、彼女に対して言いようのない不安感と恐怖心を抱き続けてもいる。
助けなくても良かったのに、とまでは思わない。
だが、関わりあいたくはなかったというのが彼女の本音だ。
「そういえば……前に一度、お会いしてますよね?良かったぁ……知人に誘われてイタリアに来たんですけど、観光に出た途端迷っちゃって。知ってる人に会えてホッとしました。タイミングよく助けてもらっちゃって、すっごく嬉しかったです」
「……僕は何も。そっちの護衛が勝手に首を突っ込んだだけだから」
「はい、わかってます!ふふっ、そういうことにしときたいんですよね?ちゃあんと、わかってますよ」
(わかってない。なにもわかってないだろ、つか邪魔)
ゆりあは『わかってますよ』と微笑みながら、遥斗の前に立ちふさがって動こうとしない。
華奢な彼女をどかして先に行けなくもないが、そんなことをすれば隣にいる瑠璃がきっと嫌な思いをするに違いない。
『遥斗、修学旅行では気をつけろよ。あの女が接触してくるかもしれない』
出掛けに恭一郎が言っていたことが、遥斗の脳裏に蘇ってくる。
彼は、四条ゆりあがどうやら遥斗や恭一郎までも『落とそう』と狙っていると告げ、実際に彼の幼少時代に瑠璃と出たCMの企画段階で瑠璃と交代しようとしていたこと、これまで何度も一宮家に接触しようとしては恭一郎や瑠架にやんわり邪魔されていたこと、などを話して聞かせてくれた。
そして、四条ゆりあがこの夏休みに行われる修学旅行で接触してくるかもしれない、もし会ってしまった場合は即効で関わりを絶て、とまで。
「っ!」
恭一郎の警告を思い出したその一瞬の隙をつかれ、瑠璃の肩を抱いていない方の腕に絡みつく華奢な身体を避けるのが遅れてしまった。
ぎこちない仕草で傍らを見下ろすと、腕にぎゅっとしがみついたゆりあが上目遣いに遥斗を見上げている。
「そうだ!せっかくだし、一緒に回りませんか?こんなところで同じ日本人の、しかも知り合いに会えるなんて滅多にないですし……あたしもその方が心強いな、なんて。えへへ」
「…………岡嶋、汚名返上の機会を与えよう。確か在イタリア日本大使館はローマにあるんだったな?」
「はい。住所と連絡番号は控えてございます」
「あ、あの?」
「では即刻、こちらの四条家のお嬢様を大使館へお連れしてくれ。迷子です、と念を押してな」
「かしこまりました」
(僕もこんなに低くて冷たい声が出せたのか。……なんか恭一郎みたいだったな)
と、内心で苦笑しているが勿論顔には出さない。
迷子とやらになったのが意図的なものなのか本当にそうなのか、遥斗には確かめる術はない。
だが本当に迷子なら、今頃捜しているだろう連れの相手を放り出して一緒に回ろうとは言わないはずだ。
そのこともあって、遥斗は先ほど命令もなしにゆりあを助けに行ったほぼクビ確定だった岡嶋という護衛に、ゆりあを日本大使館まで送っていけと命令した。
今ここで振り払おうとしても、日本語が通じないだの心細いだのと駄々をこねるに決まっている。
冷たく突き放しても良かったが、そうすると瑠璃がどう思うか。
日本大使館なら困っている日本人を見捨てることはないだろうし、仮にも四条家のご令嬢なら無碍に扱われる心配もないだろう。加えて、日本語が通じるし日本人もいる。
「え、やだやだ!やめてってば!行きたくない!!」
遥斗に振り払われ、体格のいい岡嶋にそっと逃げられないように確保され、ゆりあは癇癪を起こした子供のように駄々をこねた。
それを見て、遥斗はまるで聞き分けのない子供をなだめるように、薄く笑う。
「おや?だって君は迷子なんだろう?今頃連れの人は汗だくになって探しているはずだよ。この広い街をあてもなく探して回るよりも、大使館に行けば日本語は通じるし日本に連絡だって取れる。四条の家に頼んで、連れの人に連絡を取ってもらえばそれで済むじゃないか」
「そんなぁ……あたしはあなたと一緒に……」
「あ、それ迷惑だから。僕にはこの可愛い婚約者がいるし、彼女との大事な婚前旅行を誰にも邪魔されたくないんだよ。だからね、四条のお嬢様……僕を落とそうなんて時間の無駄だから」
僕は君じゃなく瑠璃を選ぶ。僕には瑠璃じゃなきゃダメなんだ。
『もしどうしても困ったら、こう言ってみるといい。さぞかし驚いてくれるだろうな』
魔法の言葉みたいだ、と遥斗は恭一郎の言葉通り目を剥いたままずるずると引きずられていくゆりあにちらりと視線を向け、すがすがしいほど爽やかな笑みを浮かべた。
「おかえりなさい!ハル兄さん。……あれ、姉さんは?」
「ただいま、瑠維。ああ、ごめんね?瑠璃なんだけどちょっと体調が優れないからって、先に来てたうちの車で送って行ったんだ。医者も手配したから大丈夫、気分がよくなったら送っていくよ」
「そう?ならいいけど。今回はイタリアだったから、疲れちゃったのかな?」
「そうかもしれないね。それじゃ行こうか。悪いけど、先にうちに寄ってくれる?」
空港に迎えに来ていた瑠維は、飛びつかんばかりの勢いで出迎えた従兄の隣に姉がいないことに疑問を抱いたらしいが、もし重篤なら彼がここまで平然としていないだろうと気持ちを切り替えて「こっちだよ」と藤堂家の車がある方へと先に立って歩いていった。
ここで運転手に引継ぎひとまずお役御免になる同行組の護衛達は、妙に生き生きとした様子の遥斗と、穢れを知らない純粋無垢な瑠維の後姿を一礼で見送り、ほぼ同時にはぁっと息をついた。
「瑠璃お嬢様、なんとおいたわしい……」
「こら、滅多なことを言うな。遥斗様に聞かれでもしたらどうする」
「だが……ああ、まぁそうだな」
「そうだとも。少なくとも遥斗様はお嬢様一筋だ。愛されすぎて辛い、とはなんと贅沢なことか」
「…………だな」
ゆりあと接触してしまってから後、遥斗は必要最低限の時間以外は瑠璃を手放さなかった。
街を歩いている時はもとより、食事の席でも、ティーブレイクを取っている時でも、買い物に行った時も、風呂に入る時も、そして夜も。
瑠璃がさすがに恥らってやんわり拒絶すると、彼は捨てられた子猫のように心細そうな表情で「不安なんだ。一緒にいてよ」と彼女の逃げ道をふさいでしまう。
そして、結果的に彼女は体調を崩した。
婉曲的な言い方をすれば、リア充爆発しろ的ないちゃべたらぶあまなことをやりすぎた、ということだ。
それを知っている護衛達は、愛されすぎるのも辛いという贅沢極まりない言葉の真意が、なんとなく理解できた気がして、一様に遠い目をして窓の外を眺めた。
後日、ゆりあと接触したことの一部始終を聞いた恭一郎は「そろそろ、だな」と意味深な笑みを浮かべていたという。
 




