STAGE.21 揺れる、想い
後半から視点が変わります。
「おはよう、藤堂さん。……やだ、ちょっと顔色悪くない?」
週明け一発目の風紀チェック準備中、2年の駒澤梨花が心配そうに眉根を寄せて瑠架の顔を覗きこんできた。
瑠架はそれに「おはようございます」と律儀に答え、ふわぁと小さく堪えきれなかったあくびを続ける。
「随分お疲れモードみたいね。週末なにかあった?」
「はぁ、わかりますか?」
「そりゃもう。藤堂さんのことだから遊び過ぎ、ってわけじゃないわよね……瀧河先輩にいじめられた?」
「はぁ?なんでそうなるんですか。ちょっと実家のお手伝いで疲れただけですよ」
(うーん、梨花先輩って本気であの人のこと敵視してるなぁ。しかもニアピン賞)
瑠架がここまで疲れているのは、先日のあの薔薇園での告白劇があったからだ。
これまでずっと四条ゆりあの動向に目を光らせ、時には嘲笑い、時には呆れたりしながら彼女の言動にツッコミを入れながら協力してきた、貴重な共犯者。であった、はずなのに。
彼は薔薇園を訪れたゆりあに対し、まるでシナリオがある一定レベルまで進んでいるかのようなやり取りをしてみせ、そして…………それからあの二人がどうしたのか、瑠架は知らない。
恭一郎の方から何か言ってくることもなく、瑠架から何か聞くこともなく。
彼女が進んでいかない限りは生徒会室で会うことも、呼び出されることもない。
週に一度のダンス教室は、高等科に進学した時点でもう充分と辞めてしまったので強制的に顔を合わせることもなく。
ずっと考え込んでいた週末もあっという間に終わり、そしてまた憂鬱な朝がやってきたというわけだ。
瑠架のあまりの疲れ具合に、梨花は「珍しいわね」と苦笑して持ち場に戻っていく。
この日も恒例の風紀チェックがある、となれば瑠架もいつまでもお疲れモードでいるわけにもいかない。
今日も今日とてゴム手袋を填めて塀をよじ登ろうとしたり、往生際悪く開き直ったりしようとする『勇者』達と彼女は戦わなくてはならない。
(勇者と戦うなんて、まるで悪役ポジションだよね)
結局、悪役からは逃れられない運命なのか。
普段の彼女からは考えられないほど、この日の彼女はネガティブ一直線だった。
そういえば、と瑠架はふとこの日はまだ恭一郎の顔を見ていないことに気づいた。
正直今一番見たくない顔ではあるが、風紀チェックである限りは登校する生徒をチェックしないわけにもいかない。
どうしたものかな、と考えた結果、彼女は一番無難な相手に接触を試みることにした。
「すいません、佐々木先輩いますかー?」
訪ねたのは、瀧河と同じクラスで生徒会役員でもある佐々木。
彼女はこっそり廊下の端から3-Aの教室を覗きこみ、そこに目立つ男の姿がないのを確認してから、入り口付近で立ち話をしていた女生徒二人に声をかけた。
「あら貴方確か風紀の1年じゃない」
「瀧河クンならいないわよ」
「いえあの、用事があるのは佐々木先輩なんですけど。生徒会に出す書類のことで、ちょっとご相談したいことがありまして」
「なぁんだ、そうなの。ちょっと待って。佐々木くーん、風紀のおチビちゃんが呼んでるわよー」
(おチビちゃんって、ケンカ売ってるんですかっ!!そりゃね、そりゃね、あなた方に比べれば色々あちこち小さいですけど……っ)
瑠架の身長は一般的な16歳日本人のそれに比べて低い。それに加えて手足も細く、華奢だ。
どうにか胸だけは人並みに育ってくれたものの、グラマラスな母と比べると発展途上と言うしかない残念ぶり。
と、そんなわけで『チビ』は彼女にとって禁句と言っていい。
それを口にしたのが男子生徒だったなら、今頃彼女自慢の回し蹴りが炸裂していただろう。
ぐっと拳を握って怒りに耐えている瑠架の前に、のんびりとした足どりで佐々木がやってくる。
そして開口一番一言。
「ごめんね、瀧河のやつ今日は休んでるんだ」
「だーかーらー、どうして誰も彼も私を見たら瀧河先輩と結びつけるんですかっ!」
「え、だってしょっちゅう一緒にいるでしょ」
「だよねー。瀧河クン、一度気に入ったら執着すごいらしいから。諦めなよ?」
「…………なんかもうやだ。恥ずかしい」
とその場に蹲ってしまった瑠架に、周囲を取り囲む先輩達は一様に同情するような生暖かい眼差しを向けた。
「で、なんだって?」
どうにか立ち直った瑠架は、佐々木を伴って中庭まで来ていた。
個人的に鬼門指定した薔薇園は避け、人気のない花壇の辺りで立ち止まる。
「え、とですね。最近、瀧河先輩の周囲に他校の子がいるとかって話、聞きませんか?」
「ん?どうしてそんなこと聞くのかな?」
「いえあの……実は、先週末に瀧河先輩が他校の可愛い子と薔薇園で密会してたって噂を聞きまして。ほら、私一応婚約者なので。本気だったら体裁が悪いといいますか」
瀧河が友人と認めている佐々木には、二人が婚約者同士だということを伝えてある。
だからこそ彼にならこういった探りがきくのでは、と彼女もそう判断したわけなのだが、佐々木の表情はどうにも優れない。
「うーん、あの薔薇園は許可があれば一般の人も入れるからなぁ。でもそれって藤堂さんが報告書を届けにきた日でしょ?瀧河は私用で人に会うんだって言って早退してったから、もしそれが本当なら生徒会的にもちょっとまずいことになるかな」
(あ、あれ?もしかして大事になりそう?)
問題にしたいのは、彼がゆりあを薔薇園に引っ張り込んだのか、それともゆりあの方が呼び出してきたのか、という点だ。
決して瀧河のこれまでの生徒会長としての実績を無に帰すような、『生徒会長が職権乱用して他校の女子と密会した上に、そのことを理由に仕事をサボった』という問題を提起するつもりではなかった。
どうしようかとあわあわし始めた瑠架を、佐々木はにっこりと笑って見つめ、そして
「だからさ、藤堂さんがちょっと探ってきてもらえない?ほら、婚約者だから家同士の行き来だって簡単でしょ?今日休んだのは風邪だって聞いてるし、お見舞いに行ってもおかしくないよね?」
(まっ、またあの笑顔に騙されたーっ!!)
(でもどうしよう?もし、行った先で『今日は登校した』って言われたら)
相変わらず、瑠架のネガティブ思考は続いている。
佐々木にまんまとはめられてしまったとはいえ、風邪を引いているなら確かに見舞いに行ってもおかしくはないわけで。
だがその反面、もしそこに四条ゆりあもいたら?もし彼女に会うために学園を休んだのなら?と落ち着かない。
頼んで乗せてきてもらった藤堂家の運転手も、大事なお嬢様の落ち着かない様子が気にかかって仕方がないようだ。
「お嬢様、私は一度戻りますが何かございましたら……いいえ。もし不安でしたらすぐにお呼びくださいませ。地の果てからも駆けつけます」
「もう、大袈裟だなぁ。でもありがとう。行ってくるね」
「はい。お気をつけて」
これが『ご令嬢の婚約者の邸前』で交わされる会話とは到底思えない。
瀧河家の警備についている警備員も、さすがにいつもとはまるで違う瑠架の様子に、うちのぼっちゃまがまたなにかやらかしたか、と失礼なことを思ってしまったらしい。
「どうした?珍しいな」
「お休みだって聞いたからちょっと寄ってみただけ。べっ、別に心配したとかそういうんじゃないから」
「なにツンデレてるんだ。俺が珍しいって言ったのは、そのどよんと沈んだ顔のことだよ」
「沈んでる?」
「ああ。この世の不幸を背負いましたって顔だ」
何かあったのか、とベッド上に上半身だけ起き上がった恭一郎は、微妙に手の届かない位置にいる婚約者を来い来いと手招きする。
普段ならこれに対して「私は犬じゃないっ」と噛み付いてくる瑠架が、今日に限っては動かない。
しゅんと項垂れ、しかし彼からは手の届かないだけの距離を置いている。
もどかしい、と恭一郎はベッドを降りてガクンとその場に膝をついた。
慌てたように身を乗り出してきた瑠架の腕を引いて、倒れこんできた身体をその腕の中に収めてようやく息をつく。
(隠し事ってのはするもんじゃないな……他のヤツなら平気なんだが)
恭一郎は、瑠架に隠し事があった。
ある程度状況が変わってから彼女に話すつもりでいたのだが、瑠架が賢かったばかりに彼の隠し事に先に気づかれてしまったのは痛い。
「聞いてくれるか?」
「……なにを?」
腕の中からくぐもって聞こえるその声は、小さく震えている。
それだけ彼女に不安を与えてしまった自分を殴りたくなると同時に、彼は彼女の中を占める自分の存在の大きさにほの暗い喜びも感じる。
独占したい、と思うようになったのはいつからだろうか。
俺はロリコンか、と何度もその想いを否定しようとしたのにできなかった、そうして諦めてすべてを受け入れたのはいつだっただろうか。
可愛い、愛しい、離れたくない、そう言ってことあるごとに惚気を聞かせる遥斗の気持ちが理解できるようになったのは、いつだっただろうか。
婚約して、形式上自分のものとしておいて、だが彼女を警戒させないように慎重に彼は動いていた。
パーティに同行した時は自然と腕を組めるように。
婚約者として頬にキスするくらいは許してもらえるようになり、肩を抱き寄せても何も言われなくなり。
なのに、高等科に入った途端瑠架は距離を置き始めた。
『瀧河先輩』と彼を呼び、彼女のことも『藤堂』と呼ばせて。
(だから、俺は決めたんだ。ゲーム終了を待つまでもない、手に入れてやる、ってな)
「俺は高等科に進学してから何度も四条家の呼び出しを受けていた……って話はしたよな?何度目かわからないお誘いの手紙を貰った時、呼び出し先がうちの薔薇園だったんで気まぐれに様子を見に行ったらそこに四条ゆりあがいた。開口一番言われたよ、『あたしとお友達になりませんか?』って」
「…………それ、ファーストコンタクトの時の」
「そのままの台詞だな。あいつがうちの学生じゃない以外はひねりも何もない。だから俺はその茶番に付き合ってやってたんだ。で、そのクライマックスが先週の金曜日ってわけだ。……まさかお前に聞かれるとは思ってなかった。不安にさせて悪かったな」
腕の中から逃げようともがいていた身体が、ぴたりと抵抗をやめた。
その瞬間を逃さず、彼は隙間なくぴったりとくっつくようにぎゅっと腕に力をこめる。
「あの時……どっちの選択肢を選んだのか、聞いてもいい?」
「ああ、何だ。聞いてなかったのか」
可愛いやつだな。とは口には出さない。
そういうのは遥斗のキャラであって恭一郎のキャラではないからだ。
四条ゆりあは、恭一郎の『シナリオ通り』の台詞に有頂天になっていたようだった。
そして何度か薔薇園で逢瀬を繰り返すうちに、彼を名前で呼びたいんだと、彼女を名前で呼んで欲しいのだと、イベントを起こしてきた。
それに応じてやった彼は、あの日……好感度確認イベントを起こした彼女に対してこう告げた。
『勘違いしているところ悪いが、俺には愛してくれる両親もいれば愛くるしい従妹もいる。信頼できる親友も、気の優しい将来の義弟も、そして何より共に将来を歩んでいくと誓いを立てた婚約者も。そこにお前が入るスペースなんて、最初っからないんだよ』
はじかれたように顔を上げた、泣き出す寸前のような婚約者の顔。
いいか?と許可を取る前に、彼は衝動的にその柔らかそうな唇に己のそれを重ねていた。
抵抗は、されなかった。
 




