STAGE.2 あれが攻略対象ですね
「じゃあいこっか、ルカ、ルイ」
「うんっ、おねーちゃん」
「それじゃいってきまーす」
「いってきまーす」
伸ばし始めた髪をふわりとなびかせる瑠璃、姉に置いて行かれまいと駆け出していくのが5歳になった瑠架と瑠維だ。
瑠架がこの世界についての記憶を取り戻してはや3年、彼女は5歳になっていた。
途中「やだー」と駄々をこねてみたものの結局可愛らしい反抗期としか思ってもらえず、瑠璃と共に私立月城学園附属幼稚園へと通うことになってしまったのは、これも運命なのか世界補正なのかといい加減諦めている。
月城学園という学び舎自体、瑠架は嫌いではない。
更に2歳上の瑠璃や同い年の瑠維と一緒、とくれば嫌がる要素は少なくとも高等科までは存在しないはずなのだが。
(うーん……でもあれに出てきた高等科の生徒って殆ど内部進学の生徒ばっかりだったはず)
月城学園はとにかく学費がバカ高い。
そんな中、将来的なステータスと名門進学校としての学力の高さを見込んで入学した生徒は、その殆どが附属幼稚園から初等科、中等科、高等科、大学と進学していくのが常だ。
極端なことを言えば、幼稚園からずっと同じという学年全体幼馴染状態になりかねない、ということ。
瑠架はそんな中、ゲーム開始時期前に攻略対象に逢ってしまう事態を危惧しているのだ。
ヒロイン、【四条ゆりあ】の攻略対象となるのは、全部で6人。
ゲームが始まるのは彼女が高等科2年に編入してからだ。
その時点での6人の年齢は、上は26歳に始まって21歳、17歳、16歳、15歳、そして最年少が14歳と幅広い。
開始時点で既に20歳を超えている攻略対象者は、例えこの月城学園に所属していたとしてもとっくに幼稚園は卒園しているはずだ。
だが残る4人は、一番上で瑠璃と同い年、一番下で瑠架の1歳下ということもあって、全員附属幼稚園で顔を合わせる危険性がある。
四条ゆりあも一緒ならまだしも、彼女は家の事情から高校生になるまでは庶民として暮らしているため、余程のことがなければ逢うこともない。
つまり瑠架が危惧しているのは、四条ゆりあが登場する前に先に攻略対象に逢ってしまうことで、変なフラグを立ててはしまわないか、ということなのだ。
とはいえ、幸いなことにこれまで逢う可能性のあった瑠璃と同年の攻略対象には結局逢うこともなく、瑠架から見てひとつ年上の攻略対象にも未だ出会っていない。
幼稚園とはいえひと学年の人数がかなり多いこともあり、全員が集まる集会や運動会などの機会でもなければ、中々他クラスの生徒を見ることもないからだろう。
「それじゃまたあとでね、ふたりとも」
「うん、あとでねルリねぇ」
「ルリねぇ、ばいばーい」
今年7歳の瑠璃は初等科の建物へ、今年5歳の双子はその隣にある附属幼稚園の年長クラスへと分かれる。
いつも瑠璃が幼稚園の手前までついて行き、弟妹達を見送ってから改めて隣の初等科クラスへと向かっていた。
(うーん、瑠璃ねぇの学年にいるかもしれない攻略対象のことは気になるけど……)
瑠璃と同年の攻略対象は一人。
その人物は藤堂家にも深く関わってくる重要ファクターなのだが、基本的に他の建物への出入りは禁じられているため、いるのかどうか探りに行くことはできない。
何も知らない瑠璃に『お友達の名前教えて』と強請ることはできても、クラス名簿を入手したりはさすがの前世持ちの瑠架でも無理だった。
というようなことを考えながらクラスの前までたどり着いた二人は、入り口付近に見張り番よろしく立っていた先生にぺこりと一礼する。
「せんせい、おはようございます!」
「はい、おはようございます藤堂さん、藤堂くん」
幼稚園としては少々堅苦しいかもしれないが、ここではこの挨拶をしないとクラスの中には入れない。
さすが名門だけあって、礼儀教育は小さい頃からというのがモットーであるらしい。
幼児期からここにいるのは、程度の差はあれいずれ社交の場に出る必要がある子供ばかりであり、それ故目上の相手に対する礼儀作法は重要になってくる。
先生達の教育が厳しいのは、物心ついたばかりの頃から礼儀作法を覚えることで、それを当然と感じさせるためであるらしい。
とはいえ、生徒達はクラスに入ってしまえば自由だということを知っている。
中で余程大騒ぎしない限り入り口の先生は構ってこず、だからか皆結構好き放題なことをしているようだ。
楽器を弄ったり本を読んだり、なかには持ち込みを許可されているスマートフォンで遊んでいる子もいる。
基本的にゲーム端末の持ち込みは禁じられているが、携帯アプリ程度ならと見逃されているらしい。
「おはよー」と声をかけながら中に入り、藤堂姉弟は窓際のいつもの席に座った。
学校と違って特に席は決まっていないのだが、皆お気に入りと決めた場所に座るため自然と『自分の席』が確保できてしまっている。
瑠架と瑠維が選んだのは窓際の最前列。
窓際に瑠維、その隣に瑠架という並びで座ると、途端に瑠維が眠そうに大きくあくびした。
「ねむーい」
「ルイ、ねてていいよ?せんせいきたらおこしてあげる」
「んー、ありがとー」
言うなり、こてんと机の上に突っ伏すくせっ毛。
日の光に透けてほんのわずか青っぽくも見えるその髪は、日本人独特のまじりっけのない黒髪だ。
藤堂家は、母親がハーフ、父親が生粋の日本人であり、姉弟達はクォーターになる。
母親の髪は金に近い薄茶、目も琥珀色という日本人ではあまり見かけない淡い色をしている。
対して父親は黒髪に焦げ茶の目、という日本人に一番多い色だ。
姉弟であれば違う色の組み合わせもあっておかしくないのだが、三人が三人とも髪は父親、目は母親譲り。
顔立ちも瑠璃が少し気の強そうな切れ長の目で瑠架と瑠維がくりっと目の大きな幼めの顔立ちということ以外は、三人とも色白で生粋の日本人よりも少しだけ彫が深い、と共通している。
このあたりは、遺伝子云々の関係よりもゲームの製作者サイドの意図があったのではないか、と瑠架は疑っている。
(あどけない顔しちゃって。これが数年後には美少年になるなんてねぇ)
瑠架は、間違いなく同じ遺伝子を分け合って生まれた双子の弟の顔をじっと眺め、小さく苦笑した。
瑠架と瑠維は、今はまだ近しい家族以外は中々見分けることが難しいと言われるくらい、そっくりの容姿をしている。
ゲーム設定では瑠維は幼さの残る心優しい美少年として、そして瑠架は第二次性徴を過ぎたとは思えないくらい瑠維にそっくりな容姿はそのままに、高飛車な美少女として描かれているのだが……恐らくこのまま何事もなく育てば、二次元と三次元の違いはあれど外見上は設定そのままに成長するだろう。
瑠架は、己のことは棚上げした上で弟の将来について思いをはせた。
このまま進むということは、ゲーム通り瑠維はヒロインである四条ゆりあと委員会を通じて知り合い、そしてそのひたむきさに惹かれていくことになる。
姉弟の真ん中としては、姉はもとより弟の恋路にも口を出すつもりはない、はずなのだが。
だがひとつだけ、彼女にはどうしても気になることがあった。
それが、マルチエンディングだ。
エンディングパターンは一人につき3つ。
ひとまず周囲に認められたハッピーエンド、友情寄りのノーマルエンド、そして最悪のパターンを迎えるバッドエンド。
その他、公式にヒロインのお相手に最も適していると設定された所謂『メインヒーロー』の場合だけ、全員纏めて幸せになった上にヒロインのお家事情やらもすべて片付くトゥルーエンドというのが用意されている。
瑠架が最も恐れている瑠維のルートでのバッドエンドは家族崩壊だ。
その内容は、家族に猛反対された瑠維がヒロインを連れて逃避行するというエンディング。
見ようによっては純愛を貫いたハッピーエンドに見えるのだが、そのエンディングの中で瑠維は断ち切ってきたはずの家族との絆と、ヒロインへの愛情の板ばさみになって延々苦しみぬいた挙句、ついには心を病んでしまう。
彼女がそのエンディングを見た時は、二次元の作り物とわかっていてもなお心苦しくなったのだ。
それがいざ現実となるかもしれないと想像しただけで、キリキリと胃が痛くなってしまうほどに。
(だから、ヒロインにはうちの家族と関わるルートを選んで欲しくないんだよね)
藤堂姉弟とヒロインがそれほど関わらないルートは3つ。確率は五分五分だ。
もし設定上どうしても関わらなければならない残る3ルートだった場合でも、ゲーム通りに動きさえしなければそれほど関わらずともやり過ごせるのではないか、と瑠架はそう考えている。
瑠維の場合はそういうわけにもいかないため、彼のルートはできれば選ばせたくないと思うのが姉心というやつだ。
などと考えていたのが悪かったのか。
「…………うわあ。なに、あのハデな人」
「あれ、ルカ知らないの?あの人、高等科の実習生なんだって。おっきいよね、さすが高校生」
「……よそうがいです」
「うん?」
「なんでもなーい」
(うん、予想外だよ。まさか一番会わないだろうって思ってた人が来るんだから)
そういえば、と瑠架は思い出していた。
月城学園には、初等科から高等科まで互いに行き来する実習制度があったことを。
とはいえゲームはあくまでもヒロインの恋愛模様を中心に動くため、まさか附属幼稚園との交流があることまでは知らなかったが。
今、彼女たち姉弟の視線の先にいる『派手な人』は、高等科からの実習生である。
ふわりと首筋にかかるストロベリーブロンドも、紫に近い青の瞳も、十代半ばにしては大柄な体格も、瑠架には見覚えがあった。
正確には『そんな特徴を持ったキャラを知っている』というべきか。
所詮、彼女が知っているのは二次元上でのキャラクターであり、今現在目の前にいるのは三次元……彼女と同じ生きて動いている人間なのだから。
彼女が『予想外』と称したわりにはそれほどショックを受けていないのは、その該当人物が藤堂姉弟とは殆ど関わりのない位置づけにあるからだ。
敵か味方かと極端な人間関係を形成しているゲーム上の藤堂家にとって、目の前の彼は所謂無害な人物と言ってよかった。
時間は昼休み。
建物同士の行き来は認められていないものの、その中間点にある庭園への出入りは自由とあって、藤堂姉弟も毎日のようにここへ顔を出し、一緒に食事をとっている。
視線の先には、一般公立小学校のグラウンドくらいの広さを誇る附属幼稚園の砂場。
いつもは適当に散らばって遊んでいるはずの幼稚園生達が、今日はその実習生達が来ているからか珍しがってわいわい彼らの周囲に群がっている。
特に目立つ派手な生徒の周囲には、早熟な女の子達が集まり我先にと飛びついたり話しかけたりしているようだ。
「ヴィーせんせー、こっちこっち!」
「はいはい。こっちにはなにがあるのかな?」
彼の名前は、ヴィオル・アルビオレ。
名前と外見だけではどこの国籍かわかりにくいが、数カ国の血が混ざったアメリカ人留学生である。
今はまだ、体格のわりにあどけなさの残る顔立ちの高等科1年生だが、彼もまた紛れもなく攻略対象の一人。
比較的穏やかで、しかし一度恋愛モードに入ると嵐のように情熱的で積極的になる、ラテンの血を色濃く引いたかのような彼。
瑠維以外で初めて出会った実在の攻略対象から、瑠架はしばらく目が離せなかった。
その、あまりのインパクトの大きさに。




