STAGE.16 ヒロインvs腹黒王子
今回ちょっと短めです。
『パパ、あたしあの子達とお話したい!』
どうやら勘違いヒロイン大野ゆりあは、彼女を密かに売り込むために連れてきた四条家当主にそうおねだりしていたらしい。
と瑠架が気づいたのは、満面の笑みを浮かべたまま件の少女がタタタと駆け足で寄ってきたからだ。
その仕草だけ見れば文句なく可愛らしいが、こういったパーティ会場において誰かに駆け寄るのはマナー違反だと言える。
現に、いささかサイズのあっていないヒールが立てる高い音で、不快げに眉をしかめる客もいるほどだ。
「あのっ、ごきげんよう!」
「…………」
(第一声がそれか……まぁ確かに知り合いに対する挨拶ならそれでいいんだけどね)
知らない人物へのファーストコンタクト、この場合『連れられてくる子供』は須く親の紹介によって名乗りを上げ、無難な会話を一言二言交わしてから別れるのが普通だ。
子供同士で話すこともあるが、その場合大体は知り合い同士がまず挨拶をし、初対面の相手は知り合いに紹介してもらう、という流れとなる。
今のゆりあのように、子供だけでしかも名乗りもせずにこの場の主役に話しかけるというのは、取り様によっては『相手は自分を知っていて当然』と見なしているとも取られ、つまりはいい印象を与えない。
家柄が上であったとしても、こういった席ではパーティの主催者がホストorホステスであり招かれた側はゲストとして互いに気を使い合うものだ。
主催者側としては『来てくださってありがとう』
ゲスト側としては『お呼びいただいてありがとう』
立場の違い云々で目線は上下するものの、この基本の立ち位置は変わらないはずだ。
突拍子もない第一声に呆気に取られた瑠璃はしかし、自分が主催者側であること、そして隣に守るべき妹がいることを瞬時に思い出し、どうにか気を取り直してにっこりと微笑んだ。
「元気のいいご挨拶をありがとうございます。どなたかは存じませんが、本日は我々の婚約披露式にご参加くださり、大変感謝しております。ところで、慌てておられたようですが何か不手際でもございましたか?あるようでしたらすぐに対処させていただきますわ」
(よっ、姉さん完璧っ!遥斗君がここにいたら何度目か惚れするくらい素敵すぎ!)
『あんた誰?』と暗に問いかけつつも礼儀と愛想笑いを忘れない瑠璃のお返しに、今度は少女の側がぽかんとした顔で黙り込んでしまった。
どうやら普通に会話が始まることを期待していたらしく、こうもきっぱりと慇懃無礼で返されるとは思ってもいなかったようだ。
「え、ええっと……」
「はい」
「その…………あたし、ただ、同じ年頃の子がいたから嬉しくって。だから、お話してみたいなって……ただ、それだけだった、んです。怒らせちゃったなら、ごめんなさい」
「いえ、怒ったわけではございませんわ。むしろ、どうしてそう思われたのか……わからないのですけれど」
理由はわからないがひとまずフォローしておこう、と瑠璃が言葉を重ねるがゆりあはすっかりしょげ返ってしまい、俯いたまま鼻をスンスンと言わせている。
彼女の性格をある程度は知っている瑠架から見ると、わざとらしい泣き真似にしか見えない。
とはいえ何も知らない瑠璃はさすがにおろおろと戸惑ってしまい、視線をさ迷わせ……。
「ん、どうしたんだい?瑠璃」
(あっちゃー、バッドタイミングだよ遥斗君)
さ迷った視線が、皿にお行儀よく取り分けられたお寿司を手に戻ってこようとしていた婚約者、一宮遥斗とぶつかった。
瑠璃としてはグッドタイミング、瑠架にとっては最悪のパターンだ。
なにしろ突然声をかけてきた少女は泣いて(いるように見えて)いて、小さく「ごめんなさい」と繰り返している。
贔屓目に見ても、瑠璃か瑠架がなにかキツいことでも言ったのか、という状況だ。
アウェーの風を感じたのか感じてないのか。
爽やかに微笑みながら戻ってきた遥斗は、俯いたまま鼻を鳴らしている少女を困ったように見下ろし、手に持っていた皿を瑠璃ではなく隣の瑠架に手渡すと、どう説明したものかとおろおろしている婚約者の肩をそっと優しく引き寄せた。
「……失礼だけど、名前を教えていただけないかな?申し訳ないが招待したお客様の全員を覚えているわけではなくてね」
「あっ、あの……あたし、大野ゆりあって言います!」
「そう。それで、どちらの大野さん?確か、大野様という名前は招待名簿になかったはずなんだけど」
(あれ?なんか遥斗君、すごい怒ってる。なんでだろ?)
遥斗はおとなしい瑠維と同じくらい、もしくはそれ以上に沸点が高い。
ただし、瑠璃に関わること以外ではという注釈がつく。
以前瑠架が頬を怪我した時は瑠璃が心配のあまり倒れそうになったことで、いともたやすく怒りを爆発させたことがある。
だが今回は瑠璃が傷ついたというわけでもなく、瑠架が憔悴しているということもなく。
ただ、世間知らずの少女が泣いている(ように見える)だけだ。
この中で恐らく一番の事情通だろう瑠架にも、遥斗が何故ここまで怒りを見せているのかわからない。
遥斗に話しかけられて浮かれているのか、泣いているように見えたゆりあは今やはっきりと顔を上げて、大きな瞳でじっと遥斗の顔を見つめている。
それに対して、遥斗の表情は笑っているのにどこまでも冷ややかだ。
「聞こえなかった?君はどちらの大野さんかな?と聞いているんだけど」
「あたし、その……あ、そうだ!パパに連れてきてもらったんです!パパは四条っておうちの偉い人なんですよ」
「へぇ、四条の?瑠璃、知ってた?」
「え?……いえ。自己紹介いただけなかったので、形式的に参加のお礼を申し上げたのだけれど。それが、怒っているように聞こえてしまったらしくて」
「……ふぅん?」
(怖い!なんか怖いよ!下手すると恭一郎君が怒った時より怖いってば、それ)
遥斗の視線は雄弁に語っている。
『この礼儀知らずのマジキチ娘が。僕の可愛い可愛い瑠璃に挨拶されといて「怒られた」だと?その格好ともどもふざけんじゃねぇぞ』と。
瑠架がはっきりと(物理的にも)一歩引いたことに気づいたらしく、遥斗は小さく咳払いしてから視線だけで『ごめんね』と器用に詫び、それから視線をこちらを窺っていたらしい四条家当主へと向ける。
つられてゆりあもそちらへ視線を向けたことで、傍観してもいられないと判断したのか彼はわざとらしくゆっくりとした足取りでやってきて、「パパ!」と腕に飛びついた娘を背後に庇うように立った。
「これはこれは、今日の主役がお揃いで。全く、寝耳に水の婚約発表でしたなぁ。遥斗君がまさか、格下の家柄であるそちらのお嬢さんと早々に婚約を結んでしまわれるとは。君はまだ若い、まだまだこれからいいお相手が現れるのではないですかな?」
「これはどうも、四条のご当主。貴方は僕達を祝いにいらしてくださったのだとばかり思っておりましたが、どうやらそうではないようですね。そちらの『我々には全く寝耳に水』のご令嬢ともども、非常に残念なことです」
この発言には、瑠架も危うく吹き出してしまうところだった。
遥斗は四条の当主に言われた嫌味の逆手を取って、非公式な存在であるはずのゆりあのことを皮肉ったのだ。
更に、この期に及んで瑠璃の目の前で『まだ他にいい相手が』と言い出す失礼さにもいい加減キレかけであるらしい。
四条の当主はまさかまだ12歳の子供に過ぎない遥斗がここまで言い返してくるとは思わなかったのか、ひくりと頬を引きつらせながらも背後に庇った娘の髪をひと撫でし、まんま小悪党の笑顔を浮かべてみせる。
「そういえば、娘が先にご挨拶差し上げたんでしたな。少々事情がありまして今はまだちゃんとした教育を受けさせてやれておらんのですが、近いうちに正式に引き取るつもりなのですよ。そうすればきっと、一流の淑女となるでしょうなぁ」
「そうですか。ではそのご令嬢に相応しいお相手を探されるとよろしいでしょう。願わくば、政略的なものではなく、僕と瑠璃のように想い合って結ばれるご縁があるとよろしいですね」
(お見事。遥斗君の一本勝ち、だね)
四条の当主の言葉を要約すると『将来的に有望な娘を選んでおかないと損しますよ』で、
遥斗の言葉を要約すると『人の恋路を邪魔してんじゃねぇよ。馬に蹴られろ』だ。
更に追い討ちをかけるつもりなのか、遥斗は「そうそう」とまるで今思いついたように言葉を継いだ。
「余計なお世話かもしれませんが、ひとつだけ。そちらのご令嬢がつけておられる……なんでしょうか、香水、ですか?」
「あ、はいっ!これ、あたしの名前にちなんで作ってもらったオーダーメイドの香水なんです。百合の香りがベースになってるんですよ?気に入ってもらえました?」
「非常に申し上げにくいんですが……これとよく似た香りのついた無記名の手紙が、我が家にしつこく届けられたことがありましてね。それ以来、この香りはトラウマなんですよ。ストーカー事件として警察には届けてあるのですが、まだ首謀者は捕まっていませんし。なんだか、怖くて」
「…………」
呆気に取られてぽかんとしてしまった四条家当主とその娘を置いて、「では他にもご挨拶がまだのお客様がおられますので。失礼」と婚約者を腕に抱え込んだまま遥斗は瑠維のいる方へと足を向けた。
それに置いていかれまいと、瑠架も後を追う。
ちらりと横目で流し見たゆりあの顔は、父親同様わけがわからないという阿呆面だった。




