EXTRA-STAGE.2 ヒロインはじめました!
今回も閑話ですみません。
「中華まんはじめました」的なノリで読んでやってください。
朝起きて、鏡の前に立つ。
少女はその時間がたまらなく好きだった。
4歳の誕生日に、離れて暮らす父親にねだって買ってもらった大きな姿見。
その前でゆっくりパジャマを脱ぎ、制服に着替え、そしてくるんとスカートを翻して一回転してみる。
ごくごく普通の紺色のブレザーに白のブラウス、スカートもありふれたプリーツ型だ。
胸ポケットの上には【大野】と刻まれた古臭いネームプレート。
(ふふっ。こぉんなだっさい格好してても可愛いなんて、さっすがこの世界のヒロインだけあるわ)
ふんわり肩の上で揺れる、ピンクベージュのボブヘア。
くりっと大きな瞳はテレビで人気の子役なんか霞んでしまうほど愛らしく、これまでも痴漢や変質者の類に誘拐されそうになった経験も多い。
【大野ゆりあ】としてこの世に生を受けた少女は、平凡な母子家庭で小さな幸せを抱えて育つ……はずだった。少なくとも彼女が物心つくまでは、優しい母の庇護下で素直にすくすくと育っていた。
だが突如、ある日を境に彼女は母を困らせるようなことばかりを口にするようになった。
「ねぇ、ママ。ゆりあのパパはどこにいるの?ゆりあ、パパにあいたい」
「ゆりあ、あなたのパパはもういないのよ。あなたが生まれる前に死んでしまったの」
「うそよっ!ゆりあ、わかるもん!パパはいきてるんでしょ?ね?」
母親がどんなに『父はいない』と主張しても、少女が納得することはなかった。
きっと生きてる、ゆりあにはわかるの、と根拠のない主張を繰り返す娘にほとほと困惑しながらも、仕方なく母親はダメ元で彼女の遺伝子上の父親である男に連絡をとった。
彼は妻帯者であった、しかも正妻である女性は名家のお嬢様であるから隠し子の存在など認めたがらないに違いない。そう半ば諦めて連絡したところ、意外にも男はすぐに会いにやってきた。
「お前の嘘を見抜くほど賢い娘ならば、いずれどこかへ嫁がせる駒にできると思ってな」
愚かな娘は駒にもならない、つまりはそう言いたいのだろう。
この男の前では血の繋がりなどなんの意味を成さないに違いない。そう確信した母親は、ならば娘も諦めるだろうと対面させることにした。
が、予想外だったのはここからだ。
「ふふっ、パパったら!そんなにしたらくすぐったいよぉ」
「ああ、すまんすまん。しかしゆりあの肌はちょっと荒れてるな……せっかく可愛く生まれたのに勿体無い。早速乾燥をケアできるものを手配しよう」
「わあ!パパ、ありがとう」
少し席をはずしていた間に、とんでもない事態になっていた。
なんと、『賢い娘なら駒にできる』と打算的なことを言っていた男が、その同じ口で娘のことを可愛い可愛いと褒め称えているのだ。
しかも、大事そうにひざの上に抱えて頬ずりまでしている。
娘の方も無邪気に甘え、くすぐったいと身をよじったり手をたたいて喜んだりと忙しい。
一見すると、幸せそうな親子の図。
しかし、母親は見抜いていた。
無邪気に振舞っている娘の目の奥に、『女』が隠れていることを。
くすぐったいと身をよじりながらも体を擦り付ける、それはまるで男を虜にしようとするプロの手口に似ていることを。
自分の娘であるのに、何か得体の知れない生き物にも感じられる。
その日から、母親はゆりあと距離を置いて接するようになった。
かわりに、溺愛モードになった父親がゆりあの我侭を聞き届けてしまうため、彼女はますます彼に甘え、好き勝手に振舞うようになっていった。
変質者などに狙われやすい彼女がこれまで無事でいられたのも、心配する父がこっそり護衛をつけてくれたからだ。
その護衛は幼稚園の前まではついてくるが、そこから先は別の場所で待機しつつ彼女の帰り時間を待って、また陰から護衛して家まで送り届ける。
ゆりあも彼らの存在を知っていたが、『ゲームには出てこないからモブよね』と割り切って、あえて声はかけずに放っておくことにしていた。
そう、【大野ゆりあ】は転生者である。非常に今更だが。
彼女が『転生したこと』に気づいたのは、ちょうど彼女の言動がおかしくなりはじめた物心ついたばかりの頃。
何がきっかけだったのか、よくは覚えていない。
ただ、ボッチ人生を送った寂しい前世でひたすらやりこんだ乙女ゲームがあったこと、【大野ゆりあ】というのがそのゲームのいずれヒロインとなる少女と同名であること、その少女は近い将来【四条ゆりあ】と改名し、名門四条家に引き取られた後に名門の跡取りであるイケメン達に囲まれることになること、それらを一気に思い出し、そして狂喜した。
(美少女ヒロイン、ktkr!!)
【四条ゆりあ】は完璧美少女だった。
ふんわりしたピンクの髪にくりっと愛らしいチェリーレッドの瞳。
世の平均より華奢なイメージの体格、だがスタイルは良く小悪魔的な魅力も兼ね備えている。
彼女が微笑めば、名家の御曹司といえども即効デレる。
彼女が哀しめば、皆がその原因を排除すべしと怒り狂う。
彼女を喜ばせるために、イケメン達が我先にと手を尽くしだす。
それが三次元でほぼ完璧に再現されているのを確認した時は、悲鳴を上げないようにするのに精一杯だった。
ピンク色の髪はちょっと控えめなピンクベージュに、
チェリーレッドの瞳は、日本人としてもそれほど違和感のない赤味がかった明るい茶色に。
それ以外は、二次元でじっくり見ていたヒロインの姿と変わらない。
甘やかされ、可愛がられ、そして密かに護られ。
そんなお姫様生活の中で、最初に味わった挫折が『小学校受験』の頓挫だった。
月城学園の初等科に行きたいと駄々をこねたゆりあに、母がものすごい勢いで「ダメよ」と反対してきたのだ。
月城学園は彼女が『いずれ通うことになる』学校だ。
ゲームでは高等科2年で編入という形を取っているが、ここには攻略対象者の殆どが通っているとあって、なら早いうちから通っておいた方がいいんじゃないかと考えた彼女は父に盛大に甘えてねだった。
だが母親は保護者の権威を振りかざし、そんな早いうちから英才教育を受けさせるのは情操教育的によろしくないからと猛反対した。
そんな母を相手に、ゆりあは粘りに粘った。
ちゃんと家の手伝いをするから、いい子にするから、将来ママに楽をさせてあげたいから、と。
娘の殊勝な物言い自体は信じていなかったものの、あまりの執着に結局ほだされた母はひとつだけ条件を出した。
『ちゃんと他の人も受けてるテストを受けて、合格したならいいわよ』
ここで彼女は、二度目の挫折を味わうことになる。
ゆりあは確かに美少女で、仕草もいちいち可愛らしく愛らしい。
だが、彼女は勉強ができなかった。
前世でも勉強が嫌いで、授業を適当に流して聞いていたという普通高校出身の何の変哲もない一般人。
そんな彼女が転生し、今度こそはと幼い頃から勉強に励んでいれば初等科の試験で満点をたたき出すことも不可能ではなかったはずだ。
ただし、やる気になっていれば、の話だ。
月城学園の入学試験はとてつもなく難しく、とても普通の6歳に求めるレベルではないと評判だ。
だからこそ初等科編入を望む親達は子供達に英才教育を施し、なんとか合格レベルにまで引き上げられるように力を尽くす。
だがゆりあはそんな話を聞いた上で、笑顔になってこう言い切った。
『だいじょうぶ!だってゆりあはあのがくえんにはいるうんめいだもん』
そうして、せめてもの温情をと裏の手を使って入学試験と同じ問題を受験させた父親が受け取ったのは、無常な【不合格】通知だった。
それでも少女はめげなかった。
(だってあたしは、あの学園に入る運命だもん。ヒロインなんだもん)
この世界は乙女ゲームで、自分はヒロイン。だから何でも叶う。自分が、自分だけが世界の中心。
そう思い込んだ彼女は強かった。主にメンタルが。
「おっはよー、ゆりあちゃん!」
「おはよう」
すれ違うクラスメイトに笑顔を振りまく。
誰もが愛さずにはいられないヒロインの笑顔を。
先輩に、後輩に、女子生徒に、男子生徒に、教師に。
みんなが笑顔になる。
みんなが「いい子だな」と微笑む。
明るくて、優しくて、一生懸命で、頭が良くて、頼りになる。
そんな評価が、どこからか『彼ら』の耳に届くことを願って。
「大野、悪いが今度の遠足のプリントを取りにきてくれ」
「はいっ、先生!」
「おー、今日も元気いいなー。頼りになるクラス委員で先生もうれしいよ」
(ふふっ、頼りになる、ですって。もっと褒めて!もっともっと!)
雑用ばかりのクラス委員になったのも、こうして進んで手伝いを引き受けるのも、自分の評判のためだ。
月城学園に入るには、前の学校の内申点だけでなく人柄や評判といったものも調べられる。
庶民だ名門だという区別をされない代わりに、素行調査のようなものをされるため途中編入はかなり厳しいとされているのだ。
それがわかっているから、ゆりあは頼まれごとを断らない。
相手がモブだろうと登場予定のない人物だろうと何だろうと、笑顔で対応して愛想を振りまき続けている。
「すごーい……ゆりあちゃん、また最高点取ったんだって!」
「さっすが大野。一人でうちのクラスの平均点上げてくれてるよなー」
「やだなぁ、たまたま授業でやったとこが出ただけだよ?」
月城学園の試験とは既に次元の違う小学校のテストは、ゆりあには簡単すぎた。
なにしろ前世は勉強嫌いだったとはいえ一応社会人にまでなった身だ、掛け算から分数、関数問題まではどうにか解ける。
国語も難読漢字以外は問題なし、苦手分野があるとすれば前世で毛嫌いしていた現代社会くらいか。
前世知識のおかげでいつもトップクラスの成績を誇っているゆりあは、この日もクラスメイト達の賞賛を受けながら遠足の引率補佐として教師の隣に並んでいた。
行き先は皇居周辺散策と東京タワー、というどこぞのバスツアー的なもの。
その途中でドラマなどで有名な警視庁の前を通ったゆりあは、そういえばと攻略対象者の一人が官僚を目指すエリート候補生だったことを思い出してふとエントランスに視線を向けた。
(……なぁんだ。外からは見えないんだ……つっまんないのー)
もしかすると若き官僚候補とかに出会えるかも!とどこか期待していただけに、外から見えない仕組みになっているガラス窓の構造にがっかりしながら視線をそらす。
(考えてみれば、これまで攻略対象者にはぜんっぜん会えてないのよねー)
一宮遥斗には、結局会う機会が作れなかった。
義兄になるはずの四条拓人は恐らく四条家の実家にいるはずだから、まだ会えない。
その他にも会おうと思えば会えそうだが、まだ出会えていない対象者がいる。
(きーめたっ。パパにおねだりして、こっちから会いに行っちゃおうっと)
それはその時ガラス窓の内側にいた藤堂瑠架が感じたもの、
この世界のヒロインを自称する彼女の宣戦布告に他ならなかった。
 




