STAGE.12 やられたらやり返す、倍が(ry
「おはよう、瑠維」
「瑠架、おはよう」
初等科に進学したのをきっかけに、瑠架と瑠維の部屋は別々に分かれた。
瑠維はこれまで『お姉ちゃん』と呼んでいた瑠架のことを『瑠架』と呼び捨てるようになり、二人揃って『瑠璃ねぇ』と呼んでいた瑠璃のことを『姉さん』と統一して呼ぶようになった。
二人とも時々呼び方が混ざることがあったものの、最近ではこの呼び方で定着してきたようだ。
同じ家にいてもそれぞれ準備時間がずれているため、姉弟達は毎日玄関先で待ち合わせて一緒に学校に向かう。
この日も瑠維が玄関先に下りていくと、そこで待っていたのは瑠架だけだった。
「あれ、姉さんは?」
「今日はクラス委員のお仕事だって。もう出たみたい」
「へぇ、クラス委員も大変なんだね」
話しながら、校舎までの道をゆっくり歩く。
月城学園は藤堂家から歩いて通える距離にあるため、幼稚園にいた頃から姉弟は毎日歩いて通学している。時々遥斗や恭一郎と一緒になる時は車に同乗させてもらうこともあるが、普段は歩きが基本だ。
学校が近づいてくると同じ制服を着た生徒とすれ違うことが増える。
藤堂姉弟といえばかなりの有名人だ、道行く生徒達からもひっきりなしに『おはようございます』と声がかかり、彼らもそれに対して愛想よく『おはようございます』と返していく。
そんな、未だ容姿のそっくりな双子にこっそり萌えているお姉さま方がいることを、彼らは知らない。
「そうだ、そういえばこの前借りた本結構面白かったよ」
「え、もう読んだの?どうだった?」
「うん、単純なようでいて結構難解だね。ねぇあのさ、あの本紹介してくれたアレクセイさんに会えないかな?原文で読んでみたいんだ」
『アレクセイさん』というのは、瑠架の通うダンス教室でもベテランの部類に入るロシア人男性のことだ。
一風変わった輸入書籍を取り扱う会社を経営しているらしく、本を薦めてくれたり内容を読み解いてくれたり、時にはいい本の選び方などをレクチャーしてくれたりもする。
会話に時折ロシア語が混ざるため、瑠架としても彼との会話はいい勉強時間になってきている。
「アレクに?それじゃ今日ダンスの日だから一緒に来る?」
「踊らなくていいんならね」
と、瑠維は困ったように笑う。
身体を動かすことが好きで運動神経も悪くない瑠維だが、唯一ダンスだけは苦手としていた。
女性をリードする側であるのに、身長が同い年の平均よりも低めだというのがコンプレックスになっているらしい。
唯一似た背丈の瑠架とはどうにか形になるものの、経験差から瑠架がついついリードする側になってしまう。
一度、『恭一郎くんと踊ってみたら?』と瑠架が提案してみたことがあるのだが、その時は男子二人に揃って『却下!』と怒られてしまった。
二人とも、まだ幼くても男の子ということだろう。
そんな話をしながら二人は初等科4年Aクラスの教室へと入る。
手提げタイプにもなる2WAYスクールバッグをロッカーに入れ、カチャリと鍵をかけてから瑠架は「ちょっと行って来るね」と教室を出た。
(帰り、瑠維が一緒になるって先に伝えとかなきゃ)
ダンスの日は毎週金曜日。
その日だけは、恭一郎と一緒の車で直接教室に向かう。
そしてレッスンが終わるとそのまま藤堂の家に直行してもらい、そこで夕飯を一緒に食べてから恒例の情報交換会を行うのだ。
この予定が少しでも狂うと、恭一郎の機嫌が悪くなることを瑠架はよく知っていた。
だからこそ先に伝えておこうと、彼女は恐らくここにいるだろうと見当をつけて児童会用の会議室に向かった。
まだ時間も早いということで人気のない渡り廊下を通り、会議室の手前まで来た時。
カラリと音を立てて、目的の会議室からちょっとぽっちゃりタイプの女の子が出てきた。
(あれ……役員の子、じゃない、よね?)
少なくとも、これまで手伝いに来た中で逢ったことのないタイプだ。
児童会役員でないとすると、クラス委員だろうか。
そんなことを考えながら少し端に寄った瑠架、だがその少女も同じ方向に向かって早足で近づいてきた。
そして
パシン
春と言ってもまだ冷たい廊下に、乾いた音が鳴り響く。
「あんたなんて大っ嫌いっ!!」
バタバタと走り去っていくその背中を呆然と見送っていると、「早く入れ」と腕を掴まれた。
「さて、と……一体なにやったの?」
「別に何も」
「ほんっとーに、なにもしてない?」
「ああ、全く。『相手にもしてない』な」
「…………あー、そういうこと」
そりゃキレるわ、と瑠架は可愛らしい手で叩かれた頬を撫でながら遠い目をした。
恐らく瀧河恭一郎を狙っている、もしくは狙うようにと親に言い含められた哀れな少女。
しかし当の本人には全く相手にされず、出直そうかと部屋を出たところで彼が現時点で唯一特別扱いしている藤堂瑠架に出会った。
相手にされない自分と、相手にされている瑠架。
その違いに腹を立て、つい感情剥き出しになってしまった、というわけだろう。
だがその感情を向けた相手と、場所が悪かった。
瑠架自身は「ちょっと痛かったけど可愛いもんだよね」で済ませるが、恭一郎はそうはいかない。
しかもどこに人目があるかわからない公共の場というのも悪かった。
もしあの現場を誰かに見られていたなら、そこでへらりと笑って許してしまっては藤堂家を侮られてしまいかねないのだ。
「んー、私自身気は進まないけど……ここはあれかなぁ。ハンムラビ法典」
「目には目を、か。甘いな。やられたらやり返す、俺なら倍返しだ」
「はいはい。なんかそんなドラマあったねー」
気持ちはわかるけど、と瑠架はぐっと顔を近づけてきた共犯者の肩を押し、距離を戻す。
恭一郎なら倍返しどころか徹底的に弱みに付け込んで潰しかねない、それはゲームの設定から外れた今であっても変わらない、彼の『大事なものだけが全て』というある意味一途な面からもわかっている。
そんな彼に報復を任せてしまっては、あの女生徒は2日と持たずに学園から姿を消すに決まっている。
(やりすぎず、かといって侮られない方法か……難しいなぁ)
瑠架が何をやったとしても、あの女生徒にとっては憎しみの対象にしか映らない。
最も効果的なのはやはり恭一郎に任せることなのだが、やりすぎてしまっては意味がない。
『目には目を、歯には歯を』その言葉通り、やられた分だけしか返してはいけないのだ。
どこかのヒットドラマのように『倍返しだ』と意気込んで許されるのは、それが作り物……エンターテイメントショウだからだ。
現実にそれをやるのは全く構わないが、自分の関係ないところでと瑠架はその点割り切って考えている。
「で、どうするんだ?」
「んー……ここは未来のお義兄様の情に訴えてみますか、ね」
「うん?」
「ちょっと!瑠架、その顔どうしたの!?」
4年の藤堂瑠架が頬に大きなガーゼを貼っている、そんな噂は瞬く間に学園中に広まった。
良くも悪くも有名人というのは噂になりやすいものだ。
そしてその噂を聞きつけて教室に駆けつけた瑠璃は、実際にその姿を見て悲鳴に近い声を上げた。
気が強そうと称されるその顔は蒼白で、今にも倒れそうだ。
その肩をそっと支えるのが瑠架曰くの『未来のお義兄様』……一宮遥斗で、彼も瑠架の頬を見て痛々しそうに顔を歪めている。
「瑠架ちゃん、その頬……」
「心配かけてごめんなさい、姉さん、遥斗君。理由は言えないんだけど、ちょっと腫れてしまって。あ、でもちゃんと消毒はしたし、今も冷やしてるからすぐ治ると思う」
「消毒……」
「冷やすって……」
この言葉で、二人には『理由』がわかってしまった。
瑠架はやや潔癖症なところがあり、好ましくないと判断した相手に触れられた後はその場所を消毒したがる。
つまり、好ましくない相手になんらかの行為をされた結果腫れてしまった、ということ。
簡単に考えれば、頬をぶたれたという結論に達する。
と、このことで元々心配していたクラスメイト達にどよめきが走った。
彼らも同じAクラスの生徒だ、瑠架の言葉少なな説明で彼女がどうしてそういった行為に及ばれたのか、なんとなくだが原因に思い当たったらしい。
「瑠架さんに怪我をさせるなんて……原因が妬みや僻みだったとしても、許せませんわ」
「そうですとも。大体、敵わないから手を上げるなど、お下品な下等生物のやることです。すぐに防犯カメラの映像を解析に回してはいかがかしら?犯人は罰せられなければなりませんわ」
「君達が瑠架ちゃんを思いやってくれるのはありがたいよ。でもね、彼女自身は大事にしたくないと思うんだ」
「お言葉ですが一宮様っ」
「だからね、ここは僕に任せてもらえないだろうか?大丈夫、悪いようにはしないから」
(うわあ、遥斗君マジギレ寸前。姉さんのショックが大きいってのが原因かなー)
彼なりに瑠架のことも可愛がってはくれているが、彼にとっての優先事項第一位は相変わらず瑠璃のままだ。
彼は瑠架が傷つけられたこと、そして何より瑠璃がそのことで相当ショックを受けて倒れかけたことが許せないらしく、にこやかに場を収めながらも内心腸が煮えくり返っているだろうことは間違いない。
さすがに藤堂姉弟の前では優しい従兄の顔を取り繕ったが、己のクラス5年A組に戻ってからというもの始終不機嫌で、
「女の子の顔に怪我させるなんて許さない」だの
「人として最低の行為だ」だの
クラスメイトをはじめ、風紀委員の仲間にまで零していたという。
と、ここまでは瑠架の予想通りに進んだのだが、ここからが違った。
憤りの収まらない遥斗がその不機嫌なオーラを纏ったまま児童会に乗り込み、それを受けた恭一郎が
「それが本当なら軽蔑に値する行為だな」
と、そ知らぬ顔で決定的な一言を放っていた。
それをどこからか聞いた件の女生徒は、等倍で収まらないほどのショックを受けて数日寝込み、それ以降大人しく目立たない生徒として常に人の顔色を伺いながら、いつしか『あー、いたっけ?』と言われるほど影の薄い存在になってしまった、とのことだ。
後にそれを噂で聞いた瑠架は、「だから言わんこっちゃない」と額を押さえたらしい。




