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僕はもう、死んでいるんだよ。
そう言い残し、ヒュドラは姿を消した。いや、正確には、そこで颯太の記憶は途切れている。気が付くとベットで目覚め、何気ない一日が始まった。
夢だと思いたかった。だが、心の中にあの男の、ヒュドラの言葉が突き刺さっていた。
――君だって、たくさんの人を殺したんだろ? 僕を責める義理はあるのかい?
――君は、たまたま出会った彼女を利用して、逃げ出しただけの、わがままなやつだよ。
「ふざけるな。俺は……俺は」
颯太は拳を握りしめる。自分がやってきたことを根本的に否定されたのに、何も言い返せなかった。それどころか、疑っていた綾花にフォローされ、本物の殺人鬼を取り逃がす羽目となってしまった。
「颯太。どうした? 元気ないようだけど」
クラスメイトのリノが声をかけてくる。だが颯太はうつむいたままだ。
「……お前には関係ないよ」
「関係ないことないって。話したらちょっとは楽になるかもしれないぜ」
「うるせえよ!! 部外者は引っ込んでろ!!」
予想以上に大きな声を出してしまい、周りがざわつく。
「ああわかったよ。悪かったな、部外者で」
リノは、ちっと軽く舌打ちをして、教室から出ていく。
「……颯太」
遠くでアルシアが心配そうに眺める。
颯太はその視線に気づき、アルシアの方を見るが、すぐに目をそらした。
「どうしたの? 今日の颯太、変だよ」
帰り道でも、ぎすぎすとした雰囲気の颯太に、アルシアは家に上がり込んで尋ねる。
「リノくんにも、なんかきつく当たってみたいだし。普段の颯太なら、あんなこと、絶対に言わない」
「聞いてたんだったらわかるだろ。部外者は黙ってろ」
「……私にも言えないことなの?」
颯太は深くため息をつき、
「あのさ。たかが二週間ちょっとしか一緒にいないのに、俺が信頼してるって思い込んでいるみたいな口だな」
違う、こんなことを言いたいわけじゃない。その思いを、まるで否定するように、颯太の口は動く。
「だいたいアルシアは魔女だろ? 魔女を執行者である俺が、信頼するわけないだろ!?」
「……そんな魔女を守るって言ったの、颯太だよ?」
アルシアは悲しそうな目で、颯太を見る。
「うれしかったんだよ。本当は、どうしていいのかわからなかった私を……守るって言ってくれて。魔導書を取り戻す時も、不死鳥の生贄にされていた時も、颯太は……一生懸命で」
涙をこらえきれなかったのか、アルシアは外へ飛び出す。
「……最低だな。俺」
アルシアの涙。ファミレスで魔女を守ると誓ったあの日、アルシアのそれを見て、魔女が人間であるということを思い出すことができた。レノンからアルシアを取り戻すことに成功した時、それを感じて、助けてよかったと思えた。
だが、今日の涙はそれとは全く違う。何も感じなかった。今の颯太には。
「もう、なにがなんだかわからねえ……」
頭ではわかっているつもりだった。だが、いざ言われてみると、心が傷つく。
今まで殺してきた何十人もの魔女。その責任から逃げるため、都合よく殺すことができなかったアルシアを守ろうとしたこと。それは薄々感じていた。一人の女の子として見ることのできたアルシアを守れば、罪滅ぼしになるのではないかと思った。
颯太はベットに転がり込むと、天井をぼーっと眺める。
何が正しくて、何が間違った行動なのかを考えながら。
「あ……ありがとうございます。わざわざ中に入れていただいて」
「いいよ。気にしないで」
アルシアが涙をこらえ、颯太の部屋から飛び出したとき、偶然にも、様子を見に来た綾花と鉢合わせた。
部屋の中を覗こうとする綾花を、アルシアは止め、現在に至る。
「それで、御影先輩はどうなされたのですか?」
アルシアが出した紅茶を一口、上品にすすりながら、綾花は尋ねる。
「それはこっちが聞きたいくらいなんだけどね。学校でも、明らかに様子がおかしかったし。……ねえ、綾ちゃんは何か知らない?」
「えっと。それは……」
何やらためらっている様子だが、綾花が誰に気を使っているのかはわかってる。
「あのね。私、知ってるから。あなたと颯太が執行者だってこと」
「え? 御影先輩、自分だけじゃなくて私のことも話しちゃったんですか!?」
そこまで聞き取り、アルシアは自分の失態に気づく。颯太はともかく、綾花が執行者だと知っているのは、颯太が、遊園地に彼女と一緒に行ったことを問い詰めたときに、偶然聞いたからだ。
「えっと……実は、颯太とあなたが遊園地に入るところをたまたま見て、それを問い詰めたら……」
「……言っちゃったんですか。私が執行者だってことも」
正直、今のこの状況では、そんなことはどうでもいい。綾花もようやく気づいたらしく、説明に入る。
「昨夜、私は御影先輩と合流して、魔女を殺害している犯人の正体を突き止めようとしていたんですけど……あ、接触しようとした魔女が、何者かに殺されていた話は、御影先輩から聞かれてますか?」
「え? ……まあ、一応」
アルシアも魔女なので、颯太に、耳が痛くなるほど注意するように言われてきた。
そんなことより、綾花の説明が丁寧なので、将来は教師か何かになれそうだなと、呑気に考えていると、
「そして、その魔女の家で、ヒュドラと名乗る人物と出会ったんです。御影先輩はヒュドラにその……お前は逃げているだけだとか、お前もたくさんの人を殺してきた、といったような、ひどい言葉を言って」
「なんだ。そんなこと」
冷たく突き放すアルシアに、綾花は抗議する。
「そんなことって!? 御影先輩はあんなに苦しんでいるのに!?」
「だって、そのことは、颯太だってそれ相応の覚悟があったから決めたことでしょ? ちょっときつく言われたからって落ち込みすぎ」
「それでもひどくないですか? 心配してたんじゃないですか?」
アルシアは砂糖とミルクをたっぷりと入れた紅茶を口に含ませる。
「別に心配してなかったわけじゃないよ。けど、手の施しようがない問題じゃなくてよかった。……二度と帰ってこない人を見るのは、もう嫌だから」
「アルシア、さん……」
アルシアは、黒ミサによる襲撃で、母親だけでなく、多くの仲間を失った。みんなを埋葬するために数日前に教会に戻った。その時、アルシアは、親しい者の《死》というものに、初めて直面した。そしてやっと実感することができた。自分の考えていた死ぬという意味を、どれだけ安易に考えていたことに。
「死んだら戻ってこられない。けど、生きているならやり直せる」
「けど、過去も変えることができない……ですよね?」
「あなたまで落ち込んでどうするの。颯太を慰めに来たんじゃないの?」
アルシアは立ち上がり、自分が飲み終えたカップを洗面台のそばに置く。そして、棚から密封した袋に入ったクッキーを、綾花に差し出す。
「颯太もいろいろ悩んでるんだから、元気づけてあげよ。……これ、昨日作ってみたんだけど、食べてみる?」
「あ、いただきます。そっか。もうすぐバレンタインですもんね」
形はいまいちだが、味見をして悪くないはずだ。
「……どう?」
恐る恐る尋ねるアルシアに、綾花は申し訳なさそうに答える。
「やめておいた方がいいんじゃないですか? これ、……甘すぎます」
「そうかな? ちょうどいいと思うんだけどな」
アルシアもクッキーをかじる。そして、うん、とうなずくと、
「おいしいものを食べたら、もやもやした気持ちも消えると思うよ」
颯太が奢ってくれた、三千円もするパフェ。決して慰めのつもりではなかったことはわかるが、あれを食べて少し、心が落ち着いたことは確かだ。
「あの。ですから、このクッキーはちょっと甘すぎると思うんですけど……」
綾花の忠告を聞かず、アルシアは拳を突き上げる。
「じゃあ、颯太を元気づけるぞ作戦、開始!!」
「そのことには賛成ですけど、これを出すのはやめておいたほうがいいと思うんですけど。思うんですけど!!」
一人の魔女と、一人の執行者。駆られる者と狩る者という、真逆の立場の少女たちの意見が初めて、一致した。




