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「というわけで、あの魔導書はロザータ政府で管理されているそうだ」
レノンに魔導書を奪われた翌日の登校中、アルシアの隣で颯太が昨日の出来事を説明する。
颯太の予想通り、エルド達が拾ったという魔導書は、アルシアが持っているものだった。
「できるだけ早く取り返したいんだけど、今日の夜、時間あいてるか?」
「……取り返す?」
アルシアが他人事のように聞き返してきたので、颯太の口調が少しきついものになる。
「当たり前だろ。魔導書を奪われたんだぞ!? なんでそんな平気な顔でいられるんだよ!?」
「確かに、私がお母様に言われたのは、あの魔導書を持って逃げることだけど、私が持っているよりも政府で管理されている方が安全でしょ?」
アルシアの言っていることは正しい。個人で持っているよりも、集団で管理する方が、効率も安全性もはるかに高い。尚且つ、ロザータ政府というのは、魔女にとっては《地雷》そのものだ。地雷に自ら突っ込んでくるのは……
そこまで考え、颯太ははっと気づく。
「……いや、安全なんかじゃない。むしろ逆だ。アルシア、昨日の夜、俺があの魔女を追っていたのは、政府で管理していた魔導書をやつに奪われたからなんだ」
アルシアの足がすっと止まる。
「……ってことは、もしかしたら私が持っているよりも危険……ってこと?」
「さすがに昨日の今日だから、すぐに奪われることは無いとは思うけど……って、おい!!」
ロザータ政府のある方向に走り出そうとしたアルシアを、颯太は手をつかんで制止させる。
「……どこ行く気だったんだ?」
「どこって、魔導書を取り返しに――」
「今から行っても怪しまれるだけだ。早いことにこしたことはないけど、それと焦ることは違うだろ」
「だけど!! ……だけど……」
アルシアがむきになる気持ちもわかる。彼女にとって、あの魔導書は母が最期に残した形見なのだ。それが自分の目の届かないところにあるのは気が気でないだろう。
「俺だって早く何とかしないといけないってことはわかっている。だけど今動いたら、俺はともかく、アルシアが魔女だってことがばれるかもしれない。頼りないかもしれないけど、俺も手伝うからさ」
「……ごめん。……でも、いいの? 逆らうことになるんだよ。ロザータ政府に」
目の前に魔女がいる時点で政府には逆らっているんだけどな。と心の中で呟きながら、それは口に出さず、代わりにずっと内に秘めていたものを打ち明ける。
「一度この国から離れたからかな。最近、魔女狩りって何なのかわからなくなってきたんだよ。昔はこれが正しいことなんだって思ってきたんだけど、アルシアと一緒にいると……おかしいんじゃないかって思う。魔女を、人を殺すことは」
そして、息をのむと、
「だから、この国を裏切る覚悟は……できている」
時刻は午後四時過ぎ。一昨日アルシアとファミレスに入った時刻と全く同じ。つまり放課後だ。
そんな中、エルダート学園の一年C組の教室に、必死にペンを動かす颯太と、机に顔を伏せて、こちらも必死に笑いをこらえているアルシアがいた。
「おい……笑うな」
颯太が不機嫌そうに呟くと、アルシアは顔を上げ、
「だって……あんなかっこいいこと言っておいて……颯太……補習……」
「やめろ。俺だって死ぬほど恥ずかしいんだ。それ以上傷をえぐるようなことはやめてくれ」
「……ごめん……だけ、ど……もう、だめ」
こらえきれなくなったのか、再び顔を伏せてしまったアルシアを横目に、颯太はため息をつく。
一応、颯太はこの学校の留学生ということになっているので、勉強に力を入れなくてはならないことはわかる。だが、こんな大切な時に補習を出す担任を、少し恨めしく思う。
「……そのおかげで頭冷えたみたいだから、結果オーライなんだろうけどさ」
あれだけ焦っていたアルシアが、何も言わずに付き合ってくれているのがその証拠だ。……いや、もしかしたら馬鹿にされているのかもしれない、という不安も少しあるが、小一時間ほどで解けるであろう問題なので、予定に支障を与えることはないだろう。
順調にペンを走らせていた颯太だったが、ある問題にたどり着き、ペンが止まってしまう。
「……ん? ……え~と」
颯太の思考が完全に止まり、いつの間にかペンでせわしく机をたたいていた。
「アルシア、この問題わかるか? ……って、あのな」
無駄だと思いつつも、アルシアに解き方を聞こうとすると、いまだに笑いのツボに入っているらしく、小刻みに震えている。
「俺は今ほどお前を殺さなかったことを後悔したことは無いぞ」
「そん、なこと……言われても……」
「あ、こりゃだめだ」
頭を抱え、問題と正面から向かい合おうとした時、不意に何かの気配を感じた。
「なんだ? 魔力……とかじゃないよな。今までそんなもの感じたこともないし。これは……」
窓ガラスにピキッとひびが入った瞬間、その答えがわかる。そう、これは、
――――殺気!!
「アルシア!! 伏せろ!!」
窓ガラスが割れると同時に、教室内に炎が吹き込んでくる。ジリジリと火災警報がけだたましく鳴り響く。
「ここにいるんでしょ。《転生の書‐レメゲント》を出しなさい」
いろいろな音が入り混じって聞き取りづらかったが、間違いなくあの声は昨日の魔女、レノンのものだった。ただ、一つ異なるのは、昨夜の余裕のある声とは正反対の、何かに追い詰められたような、どこか焦った声だということだった。
「何が起こってんだよ」
颯太は教室から飛び出し、破軍の剣が置かれている校長室に向かおうとしたが、レノンが無造作に放った炎が行く手を遮る。
いまいち覚えきれていない校舎内の地図を頭の中に広げ、校長室へのルートを探していると、アルシアが魔術で水を生成し、颯太の目の前の炎を消化する。
「何であの魔女が来てるの? それに……」
「ああ、あの魔導書を奪いに来た、ってみたいだな。転生の書、とか言ってたな」
なぜこんな時間帯に堂々と襲撃してきたのはわからないが、魔導書の持ち主であるアルシアを出すのはあまり得策ではない。
「アルシア、ここからは俺一人で行く。みんなと一緒に避難していてくれ。アルシアがここにいないとわかったら、あいつも帰ると思うから」
「でも、あの魔女は……」
「わかってる。けど、我慢しててくれ。この国で魔術を使うと殺されるし、それに……」
颯太は一瞬間を置くと、
「俺もあいつに借りがあるからさ」
「待って」
破軍の剣を取りに行こうとした颯太を、アルシアがとめる。
「破軍の剣、校長室にあるって言ってたよね。魔法でここに持ってこれるよ」
魔術って便利なんだな、と思うと同時に、ある考えが浮かぶ。
「なあ、その魔法って、いわゆる瞬間移動って感じなのか?」
「そもそも瞬間移動の原理がわからないんだけど……。私のは、こっちの世界とは別の空間を移動して、目的地に行くって感じなのかな」
「つまりここから校長室まで取りに行くのと比べると、距離的にはあんまり変わらないってことか。……なあ、その空間の中に俺が入ったらまずいか?」
不思議そうに見つめてくるアルシアに、颯太は耳元に囁く。
「……試したことないからどうなるかわからないよ」
「ああ、わかってる」
「そう……。メイ、お願い」
ぽんっ、という音を立て、アルシアの使い魔であるメイが契約者の肩に乗る。
「じゃ、行くよ」
一瞬、くらっというめまいに襲われ、思わず目を閉じる。ゆっくりと目を開くと、そこには何もない、ただただ白い空間が広がっていた。
初めて味わった魔術に戸惑いながらも、この空間にどことなく虚しさを感じる。そう、まるでこの魔術を使用したアルシアの心の中の寂しさが颯太の中に流れ込んできているようだ。
「はい。これ」
アルシアは破軍の剣が入った竹刀ケースを差し出す。
「早いな。校長室までの距離は結構あったんだと思うんだけどな」
「こっちだと高低差とかはあんまり関係ないから、その分近くなるの。……こっち来て」
少し離れたところで、アルシアが手招きする。
颯太は、動きながらケースから取り出した破軍の剣の柄を握りしめ、ありったけの魔力を注ぎ込む。
「準備はいい?」
「ああ、頼む」
颯太が呟くと同時に、白い世界から解き放たれる。最初に目に入ったのは、レノンの後ろ姿だった。箒に乗って燃えている校舎を見下ろしているレノンを、颯太は背後から構えていた剣を振り下ろす。
「あら……あなた」
ピシィィィイイイ!!
空気が軋むような甲高い音を立て、颯太は着地する。
「よう。大丈夫か?」
土煙の中からレノンの姿が見える。レノン自身に目立った外傷は見られないが、彼女の足元には無数に散らばった箒が颯太の不意打ちが成功したことを物語っている。
だが、レノンはそんな状態の中、不気味に笑うと、おぞましい声で呟く。
「まさかあなたから来てくれるとはね。探す手間が省けてよかったわ」