二十歳
二十歳
成人式に興味はなかったが、式の後、中学時代の同窓会があるから来いと、世話好きの幼馴染みが五月蠅く誘うので、仕方なく出席してみた。
ホテルの会場に集まった懐かしい面々…
と、いうか…
俺は中学は市外の私立中だったから、正直、ここにいる連中の半分ぐらいしか、面識はなく、そのうち仲の良かった者なんか、数える程しかいない。
と、言っても…
小学時代は頭脳明晰で誰からも好かれる好少年。毎年クラス委員をやらされ、非の打ちどころもない優等生だった俺は、自分で思っているよりも顔が知られているようで、誰彼ともなく挨拶をされる。
勿論、相手が誰かはよくわからない。
女子は化粧と恰好でまるっきり面影もクソもないし、男子は名前を聞いたらなんとかわかる気がするが、それとて過去の想い出話に花が咲くわけでもない。
適当に相手に合わせて談笑してみても、心から楽しめるわけでもない。
次第にここに来たことを後悔し始めた頃、俺の名前を呼ぶ男がいた。
「砂原元気だったか?」
「…」
金色に染めた髪と、洒落たダブルブレストのスーツを着こなした痩躯の男の姿に見覚えはない。
俺の名前を知っているから、きっと同級生だったのだろうが…
俺が黙って見つめると、その男はキョトンとし、そしてクスリと笑った。
「忘れちゃった?俺、崎村哲だよ」
「…哲?おまえ、哲なのか?」
絶句した。
いがぐり頭がトレードマークだった芋臭いガキだった哲が…こいつ?
「わ、るい…いやあ、すっかりあか抜けて…わからなかったよ」
「小坊の頃は、確かに俺、ダサかったからなあ~」
頭を掻きながら苦笑する顔すら、俺にはまだ信じられない。あの哲が、目の前のイケメン優男になるなんて…
「砂原は…あんまり変わらないな」
「そうか?」
「うん。俺の想像どおりの二十歳の男になったって感じかな」
「そう…喜んでいいのかな」
「ああ」
懐かしげに優しい笑みを浮かべる哲を前に、俺は不可思議な気持ちで一杯になった。
そもそも…
俺とこの崎村哲の間に、友情と呼べる信頼関係はない。
どちらかというと、俺にとって哲の存在は目の前にたかるハエのようなものだった。
何もできないくせにぶんぶんと五月蠅くうろついてまわる口だけの軽薄な勉強のできない男子だった。
文武両道で優等生で非の打ちどころのない俺を妬み、つまらない言いがかりで文句をたれ、俺をイラつかせた。
俺も子供だったから、そういうガキっぽい哲を見下し、軽蔑した態度を取っていたのだろう。
哲の俺に対するつまらない苛めはエスカレートしていた。
とは言え、彼の味方はなく、クラスのヒーローだった俺が、あいつの行動に怯むわけもない。
ただ、隣りの席になった時、やたら俺の筆箱の鉛筆やら消しゴムが無くなり、哲に疑惑の目を向けても現行犯で締め上げられなかったことが悔やまれる。
卒業が近くなった頃、ある事件が起きた。
俺と同じクラス委員をしていた女子の金子円が、昼休み時間に俺を校舎の屋上に呼び出したのだ。
頭のいい金子とは塾も一緒だったし、勉強も教えあう仲の友人だった。
その彼女が少し頬を染め、俺に言うのだ。
「手紙、読んだわ。私も砂原くんのこと…ずっと前から好きだったの。付き合ってもいいわよ」
「…は?」
俺には何のことかさっぱりわからなかった。
「悪いけど、何の話?」
「え?…なんのって…手紙…ラブレターくれたじゃない。四年の時から好きだって…」
「待ってくれ。俺はラブレターなんて知らないし、好きだなんて…思ったことない」
「…ウソ…」
「嘘なもんか。なんで俺が金子を好きにならなくちゃならないんだよっ!」
今から思えば、もうちょっと違う言い方をすれば、彼女もあんなに傷つくはなかっただろう。だが、俺も小学生、まだ12歳だったんだ。
いきなり根も葉もないことを言われ、腹が立ってしかたなかったんだ。
金子もまた美人の優等生で、プライドが高かった。だから、嘘のラブレターにも、告白したにも関わらず断ったことに対しても、ショックだったのだろう。
青ざめた顔をして俺を睨んだ。
「じゃあ、これは…この手紙は砂原くんが書いたんじゃないのね」
目の前に突き付けられた手紙を俺は受け取り、中身を読んだ。
「私、塾で砂原くんの字を見慣れているのよ。それ砂原くんの字にそっくりだよね」
「…」
「内容だって…この間、塾で習った恋の和歌とか書いてて…絶対、砂原くんだって思うよね」
「…」
「砂原くんじゃなかったら、誰がこれを書いたって言うの?」
確かに、手紙の内容は俺が書いてもおかしくない内容だったし、なにより右肩上がりの筆圧の強いクセのある字が、俺にそっくりで、金子じゃなくても間違えるだろう。
「…わからない。誰かが俺のマネをしてこの手紙を書いたんだろう。だけど、そんなことをして誰か徳をするヤツがいるのか?」
「…ホントに…砂原くんじゃないのね?」
「当たり前だ!大体…俺、こんな手紙書かない。好きならちゃんと相手に言葉で言うよ」
「…」
「…ごめん」
「…いいわよ、もう…でも、これが悪ふざけなら…許せない」
「俺だって…でも、一体誰が…」
その手紙をもう一度見かえした時、俺の頭にふと崎村哲の顔が浮かんだ。
あいつなら…
俺のノートを何度も写させたこともあるし、俺の文章の特徴も知っている。
あの頭の悪い哲が、俺そっくりの字を覚え、俺が書くような手紙を書いたとは考えにくかったが、こんなことをする奴はあいつしか思いつかなかった。
俺は手紙を金子に返し、急いで教室へ戻った。
昼休み中の教室はまばらだったが、哲は仲の良い男子ふたりとカード遊びをしていた。
俺は何も問わず哲の胸倉を掴み、拳で思いきり哲の顎を殴ってやった。
哲の身体は後ろの壁にぶち当たった。
「どうして殴られたか、よおく考えろよ、哲。俺だけじゃなく他のやつまで傷つけたおまえを…俺は一生許さないからな」
「…」
口唇が切れ血が滲んだ哲は、何も言わず俺を睨みかえした。
その後、卒業まで哲とは一言も口を利かなかった。
金子円も手紙の件に関しては、一言も言わなかったし、俺も何もなかったように接していた。
後味の悪さだけが残った哲との思い出だったが、その後の俺の人生にあまり影響はなかったらしい。その証拠に、哲の顔を思い出すまですっかり忘れていた。
「砂原にはいつか謝らなきゃらならないって、ずっと思ってて…」
「え?」
「あん時、おまえのふりをして金子にラブレター出したのは、俺だった」
「…まあ、ああいうことをやるのは、おまえしかいねえもんなあ」
「悪かったよ。ごめん」
「もういいよ。でも…よくよく考えると、俺の字によく似てたし文章も巧かったし、おまえ、もしかしたら金子のこと好きだったのか?だから俺になりきってラブレターを書いたのか?」
「…は?…いや…そうじゃねえよ。俺は…自分で自分がわからなかったんだよ。頭悪いのに夢中になっておまえの字をマネして、おまえになりきって、手紙書いたりしてさ。…後になって…おまえがよその中学に行ってから…すげえ色々と考えてさ。それで…俺はおまえが好きだったんだと、わかったんだ」
「…はあ?」
「だから、色々とつまらないちょっかいだしたのも、おまえが気になって仕方なくて、それっておまえを好きだったって事だよ」
「…ちょっと…本気で言ってるのか?」
「二十歳にもなったから時効だろ?…俺はおまえが好きだったんだよ、砂原」
「…」
そんな真顔で断言されても、俺も困るのだが…
「そう自覚したから、今の俺が居る」
「え?」
哲は俺の耳元に近寄り、声を低くして呟いた。
「俺、ゲイなんだ」
「…」
「気色悪い?」
「いや。今の世の中、そう珍しくもないだろう」
「そう、良かった。砂原にまた軽蔑されるのかと思って、少し怖かったんだ」
「しないよ。でも他の奴らには言わないほうが良さそうだけどな」
「うん」
安心した顔を俺に見せた哲は、胸元から名刺入れを出し、俺に一枚差し出した。
「今、この店で美容師をしてるんだ。これでも腕がいいって評判なんだぜ。何かのついでの時は砂原も来てくれよな」
「ああ、寄らせてもらうよ」
「…緊張してミスるかもしれないけど…」
そう言って笑う哲は、二十歳の顔をしていた。
「…やっぱ、とおりもんは美味いよな~。地元でしか買えないお土産さいこ~」
「そりゃ、良かったね」
「で、どうだった?成人式じゃなくて同窓会か」
「別に…どうってことなかった」
「昔、好きだった男には会えたかい?」
「…いねえよ、そんなもん。俺には静稀さんがいるもん」
「…だよね」
ふたつ上の先輩と同棲中の俺に、ゲイの哲を責める気なんか、あるはずもない。
二十歳の俺は、どうやら幸せだ。
君もまた幸せでありますように。