表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/15

うそつきの罪状 後編

うそつきの罪状 後編


浅野竜朗に案内された部屋は、シングルでも十分な広さだった。

クィーンサイズのベッドにちらりと目をやり、あわてて窓の外の夜景に目を移した。

見慣れているビルの灯りとスカイツリーの紫の光が、今夜は嫌に目にまぶしく映る。

「なんか飲むか?」と、尋ねられおれは「別にいい」と断る。

そんなことより…

早くおまえと寝たい…なんて言ったら浅野は引くだろうか…

昔は…

恋人だった頃は、自分から浅野を求めるなんて言動は、ほとんどしなかった。どんなに欲しい時だって、浅野が求めてくるまで待っていた。その方が気が楽だったから。

愛することより、愛されることで自分に自信が持てた気がした。

今となっては本当にくだらない自尊心であり、浅野を焦らすことで、求めない自分の立場の方が上だと勘違いしていただけだ。

五年経ったんだから、今更かわい子ぶってもしょうがねえし…

それよりも浅野と夜を過ごせるって思うだけで身体の方が…なんだか…


「おれ、シャワー浴びてくる」

自分のコートとおれの脱ぎ捨てたコートとスーツのジャケットをクローゼットに片づける浅野に言い残して、おれはバスルームへ向かった。

バスルームと洗面所の仕切りは全面のガラス張りになっていて、おれは服を脱ぐとすぐにシャワーを浴びた。

もうすぐ、浅野と抱き合える…そう想像するだけで、おれは興奮した。脈拍も鼓動も耳まで鳴り響いて五月蠅いし、このままじゃ浅野に触れられただけでイッちまいそうだ。

別れて五年も経つのに、こんなにあいつに餓えてるなんて知られたら、恥ずかしくて死にたくなるし…


「もう…バカじゃないのか、落ちつけったら…」


そう思ったらなんだか今度は心配になってきた。

五年ぶりに浅野と抱き合って、おれ大丈夫だろうか…。浅野を満足させられるんだろうか。

もう三十二だし、若さも肌のハリも絶対老化してるし…。なにより…

浅野に付き合っている奴はいないって言ったけど、別れた後だって色々と遊んでいるし…浅野が求めているのが新鮮味のある身体なら…敏感に感じたフリとか…するべきなのか?

それとも三十越えてるのに慣れてないフリも、ウンザリされたり…

…わかんねえよ、今の竜朗の好みってのが…


頭がパニくっている時に、いきなり洗面所のドアが開いて浅野の姿が見えた。

おれの方をチラリと見た浅野は、さっさと服を脱いで裸になると、おれの居るバスルームの扉に手をかけた。

は、入ってくる気なのか?

ちょっと待てっ!


おれはあわてて扉の鍵をかけ、浅野を阻止した。

「…なにしてんだよ、遠流」

「…ちょっと待ってくれ。まだ心の準備ができてないんだ」

「身体の準備は出来てんじゃんよ」

「…言うなっ!」

「いいから、開けろって。俺もシャワー浴びたいんだよ。ついでに、久しぶりに風呂のセックスでも楽しもうぜ。おまえ、好きだったじゃん。風呂でやるの」

「あーあーあー…聞こえない~」

「…何言ってんだよ。ガキか」

「…」

わかってるけど…


ガラス越しに裸同士でドアを押し合って…、バカなことをしていることはわかっているけれど、もし、このままセックスして浅野がおれに失望したらと思うと…怖くて浅野に触れられない。


「ふう…わかったよ…」

溜息を吐いた浅野は呆れたように扉を離し、バスローブを羽織って洗面所を出ていく。

「…」

なに?その不貞腐れて怒った顔…。

え?マジで怒ったのか?

まさかこのままおれを置いて出て行ったりしないよな。もう抱く気が失せたなんて言わないよな。

いやだよ、そんなの!


バスルームの鍵を開け、おれは急いで浅野を追いかけた。

「待ってくれ、竜朗っ!」

「なんだよ、今度は…。…たく、もう…濡れたまま裸で出てくるなよ」

「だって…ゴメン…おれ…おれさ…」


浅野は黙って自分のバスローブを両手で広げ、おれを包み込み抱きしめてくれた。

「震えてるじゃん。…怖かったんだろ?俺に嫌われたりしないかって、色々と考えるんだよな。遠流のそういうところ、少しも変わってないんだな」

「…ゴメン」

「謝る必要はない。俺はそういう遠流が好きだったんだから」

「…」

そこ、過去形になるのが嫌なんだけど…。

「今の遠流も相当好きだよ」

「…」

おれの欲しいもの、ちゃんとくれる竜朗が…おれも好きだ。

「それに、怖いのは遠流だけじゃねえよ。俺だって、おまえを満足させられるか…自信ねえんだから、さ」

「…竜朗」

「馬鹿…これ以上焦らせるな。お互いこんなになってんのにさ。早くおまえの中に入れさせろよ」

すでに互いの肌の熱さはひとつになっていた。

俺達は五年ぶりのキスをした。


ふたりの夜は明るかった。

お互いを見ていたかったから、灯りは消さなかった。

他の男とは暗闇の中でしか寝ないのに、おれを抱く浅野の顔を、身体の隅々までを…すべてをずっと見ていたかった。

それに、最初は浅野から見られるのが恥ずかしかったけれど、俺を求める浅野の眼差しは、昔よりもずっと優しく、おれを愛おしそうに見るから、おれも、おれで気持ち良くなるあいつの表情が見たかったんだ。


おれ達は我を忘れるほどに、互いを貪りあった。

昔も今も浅野は臆病に震えているおれを引きずり出し、何が欲しいのかを自覚させてくれる。

「竜朗」と、何度震えた声で呼んだだろう。そして何度「遠流」と応えてくれただろう。

あれほど欲しがっていた腕が、肉体が、浅野が、おれとひとつになっている感覚に陶酔した。

すすり泣くおれに「泣くほど良かったか?満足しただろ?」と、浅野が茶化すから、おれは胸に凭れながら「全然足りない」と、欲張った。

もう誰にも気兼ねせずに竜朗の名を呼ぶことが出来る。

暗闇に竜朗を想像することもない。

神様がくれたこの夜の奇跡に感謝せずにはいられなかった。


「…これ以上無理だわ」と、浅野はおれを胸に抱いて笑った。

「おれも…」と、答えた。

身体中が痛かったけれど、心は幸福で舞い上がっていた。乙女のように、朝が来なければいい…などと口走ってしまいそうに酔い痴れていた。

「疲れただろ?少し寝ろよ」

おれの瞼にキスを落とす浅野におれは頭を振った。

眠るのが惜しいんだよ。おまえの体温を感じている意識を離してしまうのが…


不思議なことに、この部屋に来てから、おれも浅野もお互いの過去の話や、未来の夢なんてひとつも語らなかった。

だから、折角出会ったおれ達がこれから先どうなるのかしら、全く探れないままだった。


おれが「また会いたい」と、言えば、その望みは叶えられるのだろうか。それとも浅野はただの偶然の再会を楽しんだだけで、この先、おれと付き合っていこうなどは思っていないのだろうか…

そもそも、浅野には奥さんも子供もいて…常識で考えれば、この状態は浮気なわけで、向こうにしてみれば、非常識…なんだよなあ~。おれが男でも…ますます非常識か…

ああ…おれから「また会いたい」なんて…とても言えない。


いつもの臆病な迷路に嵌っていく…


堂々巡りをしているうちに、いつのまにかおれは浅野の腕の中で眠ってしまっていた。



目が覚めた時、隣りで寝ているはずの浅野の姿はない。

あわてて起き上がったら、身体が悲鳴を上げた。

確かに昨日はちょっとやりすぎた。でも、幸せな痛みだからずっと残っていればいいと思う。

「竜朗…」と、少し擦れた声で呼んだ。

折よく浅野は洗面所から出てきた。

すでにシャツもズボンも身に着けていた。

「おはよう」と、言いながらクローゼットから自分のコートを取り出す。

「も、もう出るの?」

「ああ、名古屋で商談の仕事。十時の新幹線に乗らなきゃ間に合わねえし…。おまえはまだゆっくりしてろ。部屋、延長にしとくから」

「お、おれも一緒に出るよ」

「大丈夫か?身体痛いだろ?」

「大丈夫だ」

強がりを言ってもベッドから降りた足はガタガタで、思わずその場にしゃがみ込む。

浅野は豪快に笑って、おれを引き起こしてくれた。

「だから、言ったろ。…まあ、こんなにしたのは俺の所為だろうけど、半分は遠流の責任だから、謝んねえぞ」

「当然だ」

そうは言っても、おれの着替えを浅野は手伝い、十分後に整えたふたりは部屋を後にした。


エレベーターに向かう浅野の背中を見つめながら、おれはこのまま別れた後、一体どうするのか…そればかりを考えていた。

もう一度やり直したい。でも、浅野の負担にはなりたくない。それの繰り返しだ。

浅野がエレベーターのボタンを押す。

これに乗って、ホテルから出てしまえば、おれ達はもう二度と…


「あのさ」と、おもむろに口を開き、浅野が俺を見た。

「…なに?」

「結婚したって話、あれ、嘘だから」

「………?…はあ?」

「ちょっと嘘ついてみた」

「つ、ついてみたって…嘘って何?…嘘。嘘だろ?」

「嘘じゃなくて、嘘だって…あれ?嘘じゃねえ嘘って…あはは、笑える…」

「わ、笑っている場合かっ!だ、だって、こ、子供の写真だって…」

「あ、あれ。姉ちゃんの末っ子の四男。俺に似てかわいかっただろう?」

「…嘘って…」

力が抜けてしまって、マジで頭がまっしろになる。


「嘘つきは俺だけじゃねえだろ?遠流だって、俺に嘘を吐いているだろう」

「え?」

「付き合っている奴はいないとか、嘘を吐いたじゃねえか」

「…」

「そんなの抱きあえばわかる話だろ?」

「…」

「抱かなくてもわかってたよ。隠してるおまえが気に入らなくて、俺も嘘を吐いてみたんだよ」

「…ごめん」

「二度と後悔はしたくなかった。けど…おまえの気持ちを知りたかった。俺が妻子持ちってわかっても、遠流が俺を欲しがるのかを、試してみたんだ。…悪かった。それから…嬉しかった。忘れられない夜になった。ありがとう、遠流」

「竜朗…あの…」


エレベーターが到着しドアが開いた。

先客が居た所為で、おれは口を噤んだ。

そして、何も会話がないまま、おれと浅野はホテルのロビーから玄関の外へ揃って出ていく。

「じゃあな、遠流。元気で」

「…竜朗…」

本当に…もう会えないのか?おれはまだおまえに…

「神様がくれた偶然の再会に感謝してるよ。またいつか…会えるといいな」

「…」

「天に祈るしかねえかな」

「…」

「じゃあな」

おれに背を向けて二、三歩離れた浅野は「あ、そうだった」と言いながら自分のコートから長方形の箱を取り出し、おれの傍に近寄った。

「今日はバレンタインだったよな。昨日、仕事でデパート行っててさ。すげえチョコが一杯でさあ。そんで…おまえの為に買っておいたんだ。なんかすげえパティシエの高級チョコだってさ。これやるから泣くなよな、遠流」

「…」

俯いたまま答えられなかった。本当に泣きそうだったから…。

え?

ちょっと待て。

今、おまえ変なこと言わなかったか?

おれの為に買った…おれの為に?

…それって…

それって…

おれと会うってわかってた…ってことじゃないのか?

え?

偶然じゃないってこと…なのか?


「竜朗!」

顔を上げて前を見る。浅野の姿はもはやどこにもない。

歩道の向こうにキャメル色のコートをはためかせながら走る浅野の姿が、人ごみに紛れて行った。


「…なんだよ。おまえの方が何倍もタチの悪い嘘つきじゃないか…」


チョコの箱をじっと見つめ、そして裏に返してみると、包み紙にボールペンで文字が書いてあった。

携帯電話の番号と「いつでもご注文に伺います(ハートマーク)」の一言。


呆れて言葉もない。そして…安堵感と嬉しさに胸が詰まる。



きっとおれ達はまた恋をするのだろう。

大人になった分、一度目よりは巧く、そしてたまにずるい嘘を吐きながら…


ふたりで生きていけたら…いいな。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ