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セレナーデ アンコール 2

挿絵(By みてみん)


セレナーデ アンコール2


演奏会場の下見と演奏内容の確認の為、ふたりで出向いた際、今回のプロデューサーと化した八千代に聡良あきらなるを紹介した。

緊張した響のぎこちない挨拶を、八千代は微笑ましく受け止め、響を抱きしめて背中を優しく撫でた。

「聡良さんの大事な人は、私たちの家族と同じよ。これから仲よくしましょうね」と、笑う八千代に、響は感激で言葉がでなかった。


聡良の心配を他所に、なんなく響と八千代は打ち解け、聡良の知らぬ間に自身の過去のことまで、八千代に話していた。

八千代は「大丈夫。私は響さんの味方よ。聡良さんはメンドクサイところがあるから、嫌になったら、うちへ来るといいわ。うちにはグランドピアノもあるから、聡良さんのマンションよりもずっと良い環境で、心行くまでピアノを弾いていられるわよ」

「ありがとうございます。では、その時はよろしくお願いします」

「母さん、変なことを響に吹きかけないでくれよ。響は馬鹿正直なところがあるから、本気にするだろ」

「聡良さん…僕は馬鹿なの?」

「…違いますから」

「ふふ、聡良さん、やぶ蛇ねえ~」

母と嫁が結託すると、息子など入る余地がないと言われる理由が聡良はやっと理解できた。



「大切な人が増えるって…素晴らしいことだね」

ふたりでピアノとチェロの練習の合間に響は、ぽつりと呟いた。

「うん、そうだね」

「聡良さんに出会ったおかげで…愛してもらえたおかげで、僕は今まで見落としていた色々なものが、どんなに貴重で意味のあるものなのか、初めて気づくことができた。その上、家族だと言ってくれる方までいる。僕の幸せはすべて聡良さんがくれたものだ」

「響、違うよ。君は自分でそれを見つけ、幸せになろうと歩き始めた。それは響の力だ。それに、それを言うなら君が俺を愛してくれたことの幸運を、感謝する他はないよ。君の奏でる音楽を、俺は一番近くで見守ることができる。これからもずっと…俺以上の幸せ者がいるなら、目の前に出てきてほしいね。俺の方が幸せだって、論破してみせるから」

「…聡良さん、ありがとう」

愛の言葉にいちいち瞳を潤ませる響が愛おしすぎてたまらない。

衝動的に抱き合うことも日常になってしまう。それすら、愛するふたりには当然なものに感じてしまう。


こんな情熱が一生続くわけはないのだ。だからこそ、今の熱に浮かれた欲情をあますことなくお互いの身体に刻みつけたい。



雲一つない青空が広がった夏の日、「演奏会」は開かれた。

八千代の挨拶で始まりと告げた演奏会は、聡良の「バッハの無伴奏チェロ組曲の一番」からだった。プレリュードから、ジークまでを弾く。

少々緊張した聡良は、前方の端に座る響の笑顔を確認し、心を落ち着かせると、ゆっくりとアラベスクを奏で始めるのだった。

聡良の奏でた余韻を繋ぐように、八千代の選んだスーツを着こなし、ピアノの前に座った響はスカルラッティを弾き始めた。その自然な流れに、聴衆は違和感もないままに響の奏でる音に弾き込まれていく。

スクリャービンの扇情的なエチュード「悲愴」の後、ピアノソナタ三番に移る。

ロマン後期の甘さと、激しさは若々しい音階とリズムに走り、それは響自身の内に秘めた情熱にも似て、聞くものすべてが打ち震えるような感動を覚えた。

そして、ドビッシーの「ベルガマスク組曲」の四曲を終えると、ホール内はオールスタンディングと割れんばかりの拍手が沸き起こった。

椅子から立ち上がった響は、放心した面持ちで何度も頭を下げ、温かい歓声に応えるのだった。


休憩は隣の別室に移り、スタンディング・ビュッフェで軽食を取る。

聡良は負担のかかることを響にはさせたくなかったが、今日の主役が響であるかぎり、知らぬふりを決め込むわけにもいかず、馴染のある招待客には次々と響を紹介した。

勿論、将来有望なピアニストだと知ってもらうことは、これからの響のためにもなるだろう。

八千代もサロンの雰囲気に圧倒されている響をリラックスさせるべく、あれこれと気を使っている。


「響さん、とっても良かったわ~。打ち震えるようなパッションも、静寂な月の光のきらめきも、心を満たしてくれる調べだったわ。二部も楽しみね」

「ありがとうございます。ショパンやベートーヴェンみたいなメジャーな曲目じゃないので、皆さんに喜ばれるかどうか心配だったんですけど…。聡良さんと相談しながら決めたので、失敗しないように頑張りました」

「すごく落ち着いてて、良かったよ、響」

「うん、聡良さんの姿が見えていたから、すごく安心して弾けた気がする」

「まあ、ふたりとも母親の前で見事に惚気てくれるのね~」

「「すみません」」

聡良と響は、目の前の八千代にあわてて頭を下げた。


「じゃあ、響さんに聡良さんより頼りになるパトロンを紹介するわね」

八千代は、近づいてくるふたりの男たちに気づき、手で招きいれた。

「よう、聡良、久しぶりだな。元気だったか?」

「嶌谷財閥」の総頭取である嶌谷宗次朗が、大仰な態度で聡良の頭をぐりぐりと撫でる。もうひとりの嶌谷誠一郎は、宗次朗に控えるように温和な顔であいさつ代わりの手を上げた。

「宗次朗伯父様、ご無沙汰しております。誠一郎さんも…ありがとうございます」

「久しぶりだね、聡良君。元気そうでなによりだ」

「響さん、紹介するわね。こちらは私の頼りになる従兄弟殿よ。嶌谷誠一郎さんと嶌谷宗次朗さん」

「は、初めまして。能見響と申します…」

「聡良から聞いていたとおりの、期待通りの演奏でとても楽しませて頂いたよ、能見響くん」

「あ、ありがとうございます」

「聡良、バイトの話、承諾したよ。響くんの腕なら、うちの客も満足してくれるだろう」

「え?」


宗次朗の従兄である嶌谷誠一郎は新橋にジャズクラブ「サティロス」を経営している。仲間内では評判の良いライブハウスだった。

聡良は響には内緒で、誠一郎に響をバイトで雇ってくれるように頼んでおいたのだ。

それというのも、響は生活すべてを聡良に頼ってしまうことを申し訳なく感じ、せめて大学院の授業料ぐらいは自分で働いて払いたいと、聡良に話していたのだ。

できるならピアノを弾く仕事がいいということだったし、「サティロス」なら、聡良も安心して響を送り出せると考えたのだ。


「誠一郎伯父さんのジャズクラブは、響にとっても決して悪い環境じゃないと思うんだ。音響も充実しているし、客は…変な客がいたら伯父さんにあしらってもらえばいいし…ね、響。バイト先は『サティロス』に決めないかい?」

「『サティロス』ってジャズ演奏家内でも有名なジャズクラブだよ。有名なプロの演奏家に混じって、こんな僕が演奏しても大丈夫なの?」

「君の腕は私が保証するよ。近頃は月に二度ほどクラシックの夕べと称して、クラオタを集めてライブを開いたりもするんだ。響くんが参加してくれたら客も喜ぶと思う。どうだろう?うちで働いてみないかい?もちろん学生の本分が第一だ。君の都合に合わせてシフトを決めることにしよう」

「言っておくが、『サティロス』のオーナーは、この俺だ。何かあったら誠一郎より先に、俺に言ってもらおうか」

「なあに言ってるの?宗ちゃんは、仕事でほとんど日本にいないじゃない。それに『嶌谷財閥』のCEOが、あれこれ言う話じゃないわよ。ねえ、誠ちゃん」

「八千代には敵わないな。能見響、俺らおっさんたちより聡良の母親を味方に付けた方がいいぞ。聡良なんかよりもず~っと役に立つことは請け合おう」

「は、はい」

「それで、バイトの方はどうする?」

「はい、よろしくお願いします。良い演奏を聞かせられるように、頑張ります。本当に…ありがとうございます…」

響はこんなにも自分が幸せでいいのだろうかと、何度もお礼を言いながら、段々と不安になった。それを打ち払うように、パンパンと軽く背中を叩く聡良の掌のぬくもりに、深く感動した。いかに得難いものを与えられたのだと、言い聞かせ、自分もまた聡良を支えていく力を育てていこうと強く誓うのだった。


演奏会の二部は、八千代の知り合いのアマチュアの音楽家たちの四重奏から始まった。

柔らかなヴィヴァルディが流れる舞台の裏で、聡良と響は自分たちの出番を待った。

「なあ、響。今日の君の独奏に敢えてシューベルトを入れなかったのはどうしてなの?」

「え?だって…今日は聡良さんと一緒にシューベルトを奏でたかったんだもの。アルペジョーネ・ソナタは、僕にとって、聡良さんへの想いを募らせてくれた曲なんだ。これを練習している時、僕はあなたのことだけ考え、無上の幸せを感じられる。…僕の大事な宝物だよ」

「響…君は…」

「え?」

「こんなところでそんなことを言われたら…俺は我慢できなくなるだろ?…ったく、今から本番なのに、欲情して仕方がないじゃないか」

「ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかった」

聡良は響の頭を両手で掴み、お互いの額をコツンと合わせた。


「きっとアンコールを求められるよ。どうする?響」

「その時は、勿論。ふたりでシューベルトのセレナーデを奏でましょう。僕達の愛の調べです」

「…響は邪だね。俺がどこまで耐えられるか試したいの?」

「え?…意味がわかりません」

相変わらずの天然の響に、聡良は耳元に囁く。


「いいかい、響。アンコールは一回だけだ。そして、手っ取り早くこの会場から抜け出して、家に直行な。誰が引き留めても、俺たちの邪魔はさせない。今晩は響にずっとセレナーデを唄うよ。君が降参するまで。いいね」

今度は聡良が何を言わんか理解した響は、顔を赤らめ頷いた。


聡良と響の演奏を待ちわびている客たちの拍手が沸き起こる。


羽のような口づけを交わし、聡良と響は肩を並べ、会場へ進んでいく。

光ふりそそぐ明日へ向かって、共にふたりで歩いていく。

それが、聡良と響の望み。




恋愛ドラマなんて、偶然と運命で成り立つ都合のいいハッピーエンドばかりで、すべてにおいて、その時そんな場所に、何故おまえが…?と、何度テレビ画面に突っ込みをいれたことか。

そうなんだ。美しい恋物語に憧れ、夢を見ていたわけじゃなかった。

だが、目の前に繰り広げられた恋物語は、どんなドラマよりも劇的に美しく、ふたりの運命を彩っていくんだ。


これからもずっと…





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