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神の細道 前編―行きは容易く


「いやいや面白いね。きみは」

黄色の髪をした女性が笑う。

「軽いなーあんたは」

困ったように笑いながら、男が答える。



そこは神聖な場所

けがれなき場所



「まあ、いつも気を張ってても疲れるからね」

長い髪が揺れる。

「そりゃ、もっともだ」

風が通り抜ける。



清浄な世界

純粋な世界


「こんなに笑ったのは久しぶりだよ」



とても静かな


「――何百年ぶりだろうね」


寂しい場所






人が祀り、讃え、願う。

信仰するもの


それは

強大な自然に対してであることもあれば

恩恵をもたらすものに祈ることでもある。

幸福・不運・恐怖・繁栄など

その体現、具現の形


総じて

人ではどうにもならないもの

畏怖すべき対象である。






________________________________________



目が覚める。


突き刺すように眩しい陽光に眼を細め、目頭を押さえた。

少しずつ、眠っていた身体に血が巡り、ぼやけていた思考が形を取り始める。


――朝


寝転がったまま、凝り固まっていた腕や脚をほぐすように伸びをして、欠伸をしながら立ち上がった。


「さて、行きますか。」


涌出た涙を拭いながら、枕にしていた荷物を背負い直し――枝の下(・・・)へと飛び降りた。


数秒の浮遊感の後、脚にかかる軽い衝撃と共に着地する。

周りに広がるのは、朝靄に包まれた木々の姿。


――獣の気配もなし、今のうちにさっさと森を抜けるか


「と、その前に」

進みかけた足を止め、後ろを振り向いた。


「――お世話になりました」


そびえ立つ樹木。

長い年月をかけて成長したであろう巨大な姿。


一夜の寝床を提供してくれた存在に一礼して

今度こそ歩き始める。




________________________________________




「ふーむ」

どうしたことだろう。


神殿に訪れる人々を見下ろしながら考える。


本殿の前へと立つ人々は、様々な供物を差し出し、色々な願いを口にしては去っていく。

そこから伝わるのは様々な形の想い。

豊作祈願、一族繁栄、戦勝祈願。


そのために、神を崇め、祈り、供物を差し出す。

その信仰によって神々は力を得て、人々にその恩恵を与える。

そういう循環、持ちつ持たれつの関係。


自らが統制するミシャクジも、元来の性質は『祟り神』としてのものが強い。

それを蔑ろにするものに対して神罰を下す恐怖からなる力である。

しかし、それを治めるための信仰によって、その荒神の力を逆に鎮守の力へと変換し、守神へとその姿を変えた。そして、その信仰が広まっていくうちに、様々な土着の神々を取り込み、今ほどの大所帯、“土着神の頂点”ともいえるような地位へと上りつめたのである。


けれど

現在――日に日に参拝者の数が減っている。

正確にいうと、ある地域を境として、そこからの参拝者が現れなくなっているのだ。

そして、その境とは、この国の政治をつかさどる大国、中央政府である。


――何かあったかな


何か不安を感じる状況に、中央に近い分社や訪れる旅人などから情報を集めてみようかと思案する。

そこへ


――あれは


妙な人間が目に入った。

格好自体は普通の参拝者とほとんどかわらない、普通の庶民の旅衣装である。

長旅を経たのか、他より少し古びているぐらいだ。貧乏旅を続ける物好きな旅人、それと変わらない。


しかし、その姿は、なぜか目にとまる。


微かな違和感。

多くの神々を治める自分だからこそ感じる――“何かありそうな感じ”という予感めいたもの。

はっきりした根拠はないが


―――試してみようか。


そんな考えが浮かんだ。


「―――――」


小さく呟いた言葉は、ある種の祟りのほんの一部分

微かな不快感――小さな不運、その程度の“(ばち)”が当たる程度のもの。

さして人に影響を与えるものではない。

けれど―――



|普通〈・・〉の人間では気づきようもないもの。

それに――その旅人は微かにこちら(・・・)を見た。




________________________________________




――蛇か


目の前をにょろにょろと這いずりながら進む姿を眺める。


白い蛇

俗にいう神の使い。


優雅にその首を持ち上げて、よどみなく道を進んでいく姿。

すれ違う人々が気にしていない様子を見ると、どうやら自分にしか見えていないらしい。


――案内役って感じかね


時折、こちらを振り向きながら先導する白蛇。

多分、先程の一件が関係しているのだろう。


微かに感じた悪意――嫌な感覚に思わず反応してしまった。

見返すと、そこには妖しげな笑みを浮かべた姿

神々しい神気を発する一柱


「――はあ」

自分の迂闊さにため息が出る。

あの程度の力、ただの様子見、確認であったことぐらい予想できることだろう。


本当になまっている。


―――そういえば、ここ数十年は能力も使っていない。

いくつか小競り合いこそあったが、自らの能力を使う事態までには陥っていない。

正直、あまり自分では好いていない能力だが、肝心なときに扱えなければ意味がない。

勘を取り戻す訓練が必要かもしれない―――後悔する前に


そんなことを考えている間に、どうやら目的地についたらしく。

白蛇はこちらへ振り向いて一礼すると、すっと消えていった。

目の前にあるのは、本殿の奥に存在する建物の扉、関係者以外立ち入り禁止の場所。


やっぱり、ここのお偉いさんか。


自分の目のつけられた相手を確信して、また嘆息する。

面倒なことになりそうな予感に、頭を抱えてしまう。



「でもまあ」


――こちらとしてもある意味都合がいい。

そういうことにしておこう。






「このような下賤の者に何か御用でしょうか――神さま」


扉を潜った先にいた巫女さんに案内され、辿りついたのは屋敷の奥深く。

真新しい、清潔な板張りの間。


「なに、少し話でもと思ってね。そう硬くなるでないよ――変わり種の人間よ」


眼前に現れたのは、優雅な笑みを浮かべ、慈しむような笑みを浮かべる女性。

少し小柄な体躯からは、そうは考えられないほどの力が発せられている。


――なるほど、これが今世の神の頂点、ミシャクジの統制者、か。


土に根付き、土地を守り、畏れられ敬われる神。

自然から生まれたその力は、風雨を操り、地に命を巡らせる。

加えて、この信仰。

神殿から見下ろして見えたのは、たくさんの人。

途切れることのない人の列は、それだけで、その神の力となる。

天地創造の神々、流石にそれには及ばないまでも、それに近い力を有する女性の神。


「そう仰られましても、こちらはただの凡庸な人間。ただ、長生きしてきただけの人間です」

神のお言葉を拝聴するなど、恐れ多いことですと、必要以上に畏まった礼を返す。


あまり目をつけられたくはない。

その姿を目の前にして、余計にそう思う。


「へえ、それほど歳を重ねているようには思えないが」

こちらを探るように目を細め、笑みを深くする神と

「若作りでして……年相応に見られず、苦労しております」

薄い笑みを浮かべて返すこちら


正直、あまり心地よいやり取りではない。

嘘ではないが、本当のところを煙に巻く作業。

途方もなく胡散臭く、意地悪く――自分でも嫌になる。

けれど


「何の面白みもない人間ですよ」

状況が状況。


――まあ、そうはいっても

最近はこんなやりとりばかりしているような気がしてもいる。


これは知り合う相手が相手だからか、それとも自分の性格自体がそうなのか……案外両方な気も……


「あの力に気づくほどの者がよく言う」


くくく、と低い笑いと共に上げられた言葉に思考を中断する。


そう、きっとここで止めておいたほうがいい。

あまり深く考えると、きっと傷つくのは自分だ。

そんな自分の困った一面なんて見つけたくない。


「根が臆病なもので――ついつい過敏な反応になってしまうのですよ」


すらすらと口から放たれる言葉。嘘ではないが、全てが真実とは言い難いもの。

そんな自分の性質が悪いことは着々と自覚してきている。

癖になっても困るので、あまり続けていたくはないが


「だから――先ほどからこちらを探ろうとしている皆さんの視線が怖くて怖くて」


こんな状況で手の内を晒すのもぞっとしない。


放たれた言葉に、微かに漂っていた気配にはっきりとした敵意が含まれる。

警戒すべき対象、そういう存在へと変えられている。


「そうか」

気づいていたか、そんな言葉と共に――身体に巻き付いて(・・・・・)くるようなどろりとした力。


「なら単刀直入に聞こう」


獲物を狙うように

眼光鋭くこちらを見据える目。


「何用だ。力ある人間よ」


――蛇、ね。

纏わりつく圧力は、見目麗しい姿からは考えられないほどに強く――畏怖すべき力。

下手な動きをすれば、一瞬で握りつぶされる、そんな感覚。


「――ただの行き掛けの観光ですよ。なかなか良い社ですからね」

そんな気分の中で、冷静に言葉を返す。


偽りは通じない。

そんな鋭い目でこちらを見据える神視線。

こちらの内を探り、その真贋を見極める目。


数秒ほど、沈黙が続く。


「……嘘じゃないが、それが全てでもないといったところか」

「そりゃあね。一つや二つ、相手が神といえども隠したいこともありますよ」


それが人間でしょう、とその沈黙を破った言葉に対して、軽い調子で返す。

また数瞬、視線をぶつけ合った後、相手の表情からふっと力が抜ける。

「そりゃそうだね」と小さく呟いて、笑みを浮かべる女性。


自らの発していた力を引っ込めると、一拍、軽く手を打った。


「みんな、この者から悪意は感じられない。下がっていいよ」


それと同時に、こちらを取り巻いていた圧迫感が消える。

部屋全体へとかけられたその言葉。

少しの躊躇があったようだが、しばらくして、向けられていた殺気が消えた。

部屋の周りから何かが蠢く気配がして、少しずつ離れていく。


「……ふうー」


その気配が完全に消えるのを確認すると、今まで張っていた力を抜くように一息ついた。

固まった肩をほぐすように二、三度軽く叩く。

面倒くさいことがやっと終わったというよく見る仕草だ。

けれど


「まったく堅苦しいったらないよねぇ~」


神さまの方が、である。


「ああ~肩が凝る」

足を放り出すように姿勢を崩し、片手で肩を叩く姿。

先程まで感じられていた威厳などは完全に吹き飛び、見る影もない。


「きみも楽にしていいよ」

「はあ……」


自分が出会う相手はどうしてこう癖が強いのだろう、そう思った。

悪いことではないが、なんだか、な、という感じである。


諦観に似た思いが込み上げて、ため息がでる。

――こうやってため息ばかりついているのが原因だろうか。


「驚かないね?」


微妙に反応が薄いのが気になったのだろう。

姿勢を崩したままの格好でつまらなそうな表情を見せる神。


――ほんとに……なんだか、な

こういう展開には慣れているとはいえ、微妙に釈然としない。

もう一度、軽くため息をついてから、こちらも格好を崩して相手に向き直った。


「――そりゃ、参拝客を放っておいて鳥居の上に座ってる神さまが仕事熱心だと思うほどお人よし気取ってませんからね」

「違う違う、さぼっちゃいないよ。あれくらいなら下位の連中でも十分だって判断しただけ」

どうせ私の力は信仰者には伝わるんだからさ、と微笑む表情は先程までのものと違い、もっと親しみやすいものへと変わっている。

先程までのが偽物ともいえないが、こちらの方が素の状態なのだろう、自然な感じを受ける。

――しかし、なんというか…


「そんな簡単に私を信用しても宜しいんで」

「まあ、多分いいでしょ」

何かあったらあった。暇つぶしにはなるよ、そういってカラカラと笑う女神さま。

その様子に思わず頭を抱えて、本音が漏れる。


「かるいな、あんたは」

「ずっと気を張ってても疲れるだけ」

たまには力を抜かないと、といって毒気のない表情を浮かべる相手。


「見たとこ、あんたは神さまを敬うなんてこともなさそうだしね」

偉ぶる必要もないでしょう、と続けられて言葉に「失礼な」と返す。


「神さまの力は信じてるよ――まあ、確かに信仰はしていない、かね」

神さまといってもほとんどが年下。

一桁二桁も年齢が下の者に頼りきりというのも何だかな、という感じだ。


それを聞いて「ほらね」と女性は笑う。

「なら、わざわざ肩がこるようなことしてまで偉く見せる必要はないってね」

まるで少女のように笑う姿に――少しだけ危うさを感じた。



ここに来た目的。

訪れた理由。

それは

確かに必要なことだったのかもしれない。



いくら力が強かろうと

いくら信仰を得ようとも

いくら時を経て

いくら年を重ねようとも


独りでは

足りないものもある。


使い分けられるからこそ

器用だからこそ


空いた隙間は大きくなって

生まれた歪みは広がって


埋まらなくなる。


親しみ深い

気安い

人に愛される


そんな感情を見せる神だからこそ

休める場所も必要なのだと思う。





________________________________________




話が弾む。


少し怪しげなこの男は、こちらの欲しい情報自体は持っていなかったが、ものを良く知っていた。

数百年、数千年、そんな単位で繰り広げられる会話。

人間とこんな話をできるとは思っていなかった。


自分がまだ小さな神だったころのこと。

信仰を得る前、生まれる前のことまでも、この男は知っている。

天地創造、大陸分裂、はるか昔に生きていた人々

神秘である私が、神秘に魅せられる。


嘘か真かも妖しい話。

けれど、なんとなく信じてしまうような話。


「いやー面白いね。きみは」


太古の神々の滑稽譚。

男の旅向きの珍道中。

不可思議に巡る不思議な語り。


この男の妙な雰囲気はそんな、積み重ねられた年月からできているのかもしれない。


「まあ、長く生きてますから」

身の上話も増えますよ、と男は笑う。

「なぜか変なことによく巻き込まれることも多いですしねー」

まったく、と少し不満気に呟かれた言葉にも、思わず笑んでしまう。


「いやいや、楽しませてもらったよ」


一刻、二刻と流れた時間。

意義のない有意義な時間。


「こんなに笑ったのは久しぶりだよ」


本当に―――何百年ぶりだろう。


「楽しい時間だった」

ありがとうと、告げる。

男は「勿体無いお言葉です」と大仰に頭を下げて、冗談っぽく笑った。


とても神と人間とのやり取りとは思えない。

けれど――悪くない。



「さて、ではそろそろ」

そういって身支度を整える男。

確かに、結構な時間が流れてしまった。

そろそろ出立するということらしい。


もし必要ならと寝床を用意するかと尋ねたが、それは丁寧に断られた。

まだ十分に日が高いので次の宿場まで足を伸ばしておくらしい。

しかし、そういえば


「用事は終わったの?」

男が語らなかった理由。

ここを訪れた目的は果たしたのか、という疑問が浮かんだ。


男は荷物を肩に担ぎ、やる気なさ気に頭を掻きながら答える。

「一応、ね――まあ、半分は手に負えないってことで」

こんなもんでしょう、とそっぽを向いた。

微妙に何か誤魔化しているような感じだが、まあいいだろう。

きっと――話したくないことなのだ。


「そう。では、またいつか――息災でな」

神としての姿での言葉に

「ありがたきお言葉。光栄の極みです」

人として返す言葉


一瞬の沈黙の後に、顔を見合わせて笑いあった。


「じゃあ、また来てね。楽しみにしてるよ」

「こちらこそ、お元気で、ね」


軽口を叩き合うようにして別れを告げる。


久しぶりに得た

友人に。






その

ほんの半時ほど後


扉を叩く音がした。

「どうした?」

そこにいたのは、ひどく憔悴した配下の者

「い、一大事です」

その上ずった焦りの声を聞ききった後

深く溜め息をついて立ち上がる。


「――そういうことか」



男を呼んだ最初の理由。

この国に起きている事件。


それが明らかとなった。




************************************************




蛙となる前

ただ一柱の神、独りとして


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