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陽に向く花

向日葵と呼ばれる植物。

日に向く、で向日葵と呼ばれるが、実際には太陽の向きへと花が回るわけでもなく。

多くの場合、開花後は東へと向きが固定される。

全体の部位が様々な薬効を持ち、食用としても扱いが可能であり、花弁は染色に、種は絞って油、絞りかすは蝋燭や石鹸の材料とすることもできる。

非常に価値の高い植物といえるだろう。

原産は北アメリカの西部とされ、ヨーロッパから中国、日本には江戸時代初期にやっと紹介されたという。当時は『丈菊(じょうぎく)』と呼ばれたそうだ。


そう

伝わったのはずっと先。

名前がついたのはもっと先。

けれど

それよりずっと昔、まだその存在すら知られていないもの。

名も知られず、誰にも気づかれず、その花がそこに持ち込まれていたとしたら

そして、奇しくもそれが芽吹き一つの園となっていたとしたら。



誰に気づかれても、誰に知られても、

その花の名は知らず、ただの景色として、ただの花として眺められて場所。

いつの間にかなくなったとしても

誰もその名を知らないのなら

誰もその花を知らないのなら

それは幻想といってしまってもいいのかもしれない。

幻想の向日葵畑

在るはずのない。

在ったことすら忘れられた場所。



________________________________________


それは一面の輝きだった。

緑の世界が広がる中に、ポツンと広がった。

鮮やか色。

強く香る匂いは、その生命力を表しているような。


突っ切ろうとした森の中、急に現れた黄色の色に目が眩む。

大きく、丸く、明るい。

鮮やかで、強く、真っ直ぐで。

「――眩しいな……」

少しの間、その色に見惚れ、魅入られていた。

自分とは180度違っているような、その姿に。

今だけを、短いときの中を精一杯生きる光。

「何て、名前の花なんだろうな」

自分にはないものを持つ花。

「名前なんて人間が勝手に呼ぶものよ」

魅入られたままに、思わず呟いた言葉は、誰かによって訂正される。

「人のいない場所では意味を成さないもの」

堂々と、力強い。

その花と同じ強さを持つ声。

少しはっとしてそちらを振り向く。


そこには、花畑の中に立つ女性が一人。

翠色の髪と赤色の衣装。

幽然とした姿と背筋が凍るほどに美しく笑う。

そんな女性。

「――そりゃそうか」

突然現れた女性に驚き、少し呆けてしまった。

すぐに気を取り直して、軽い調子でそう返す。

――何かを誤魔化すように。

「そう―――それに、花の美しさに言葉は要らないでしょう?」

周りに広がるその姿をいとおしむように語る声。

優雅に微笑むその姿は、どこか威厳を発しているようにも感じる。

その視線の先、咲き誇る黄色の花林を眺めた。

――名前のない美しさ、か。

その通りだと、そう思う。

この姿は、言葉では言い表せないほどの美しさを保っている。

人では作り上げられない、長い時間をかけて一つの世界としてできたもの。

生きてきた、そのままの姿。

ただ、少しだけ

「それを眺めるものがいるなら、言葉にしてもいいとも思うけど、な」

それは意図せずに出た呟きだった。

自然に、というわけではなく、積み重ねた人間としてのものから、染み出した言葉。

泉に投げ入れられた小石の波紋によって、僅かに浮かび上がった考え。

「どういう――意味かしら」

その瞬間、少し、女性の気配が濃くなった気がした。

美しさを保っていた姿にひび割れがはしり、その間・・・から先程までは感じられなかった圧力が覗く。

この世界が乱れるのを嫌うように、異物を排除するように、空気自体が敵意に塗り替えられる。

外敵は――雑音は許さない、そういっているように。

けれど、なんとなく言葉は止めなかった。

「そこに形が出来て、そこに場所が出来て、そこに世界が出来る」

流れるように言葉をつむぐ。

考えてはいない――考えてきたことではあるのかもしれない。

「その世界を眺めるものがいて、その世界を愛するものがいて、その世界を守ろうとするものがいる」

何度も何度も繰り返してきたことで、何度も何度も生まれて――死んだもので。

「自分の好きなもの、愛しいものに名前をつけるのは――その世界と繋がろうとする証拠だろう」

それでも一緒にいようと想ったもの。

失っても残ったもの。

「自分のことを伝えたい。相手のことを知りたい。たとえ勝手に押し付けた名前だとしても――それは触れようとする一歩目」

自分勝手なものだとしても

「自分勝手なものだとしても――誰かを、何かを好きになるのは自分の気持ちだろう。自分がもったものだろう。最初は押し付けあって、自分勝手に触れようしていくもの」

それでも

「それでも」

いつかきっと

「いつかきっと――その名を呼ばれるのが嬉しく思うときがくる」

その名を大事に思える時が来る。

いつかの自分を想い出すように。



________________________________________



「これは俺の持論だが、ね」

――ふっと

我に返ったようにこちらをみて、照れくさそうに頭を掻きながら彼はいった。

何かを思い出していたような表情は消え、最初に浮かべていた少し面倒くさそうな、やる気のない表情に戻っている。

「名前、ね」

親子のような、姉妹のような、そんな愛しさを抱える花の園に目を向ける。

巡るたび、時が流れるたびに、顔を会わせてきたものたち。

全てを知っていると思っていた。

全てを知られていると思っていた。

呼び合うことなど必要ないと思っていた。

季節ごとに訪れた花々の里。

何度も出会い、別れてきた四季の巡り。

それぞれの性格を持ち、それぞれの美しさを持っていた花々たち。

「名前」

もう一度呟いた。

「名前は記号、けど、家族や友達、恋人ってのも一種の記号」

彼はまた語る。

「なら、特別なものをつくってもいい」

そう思う、と楽しそうに、それでいてどこか寂しそうな眼で一面の色を眺めながら彼は呟く。

おそらく、自らの大切だったもの、特別な名前をもっていたものを思い返しているのだろう。

懐かしく、美しく胸に残り、もう絶対に届かない過去の記憶。

その名を思い出すたびに巡る、追憶の旅。

私は忘れていくのだろうか。

忘れていたのだろうか。

季節が巡るたびに足を踏み入れた友人たちのことを。

季節が巡るたびに散っていく家族たちのことを。

巡るのが自然なことだとして。

四季それぞれに咲く花たちを、同じ花として同じものとして扱っていなかっただろうか。

「ふふふ」

なぜだか、笑いがこみ上げた。

「人を嫌って、名前など意味がないものとして――結局のところ、一番それに縛られている」

自分の滑稽さに、自分の愚かさに。

「この子達をまっすぐに眺めていたつもりで、自分の気持ちを押し付けた」

人間への対抗心から、この子達を守るべきものとして

この子達に近づこうとしていなかった。

「私が一番、この子達を」

「その先は違うんじゃないか」

次々と流れでた自嘲の言葉が、せき止められる。

その留め金を揺らした当人によって。

「その先は、あんたにとっても――こいつらにとっても失礼だ」

否定を否定する。

強い言葉。



________________________________________



笑い顔が泣きそうに見えた。


何かに触れてしまった。

そうなのだと思う。

信念だったのか、矜持だったのか。

悩みだったのか、痛みだったのか。

それはわからない。

けれど、少しだけ

自分の言葉が何かに触れてしまったのだと思う。

蓋が外れて、溢れ出す。

そこに仕舞われていたもの。


それは

ずっと抱えてきた引っ掛かり。

抱えたまま、考えないようにした、押し込めたきたもの。

けれど

「あんたがしてきたことも真実だろう」

何かに気づき、自分が間違っていたと思っても、今までしてきたことが

「今まで、こいつらを大事に想って、大切にして」

そんな気持ちをずっと抱えていたのだとしても

「それを特別にしてきたことは」

ずっと持っていた気持ちも

「真実だろう」


それは真実だ。

守ろうとした。大事にしようとした。対等であろうとした。

そのままで、その美しさを見ようとした。

友人として

家族として

「間違いじゃない――もう一つ、違う方法を見つけたというだけだ」

『これでもいいんだし、あれでもいいんだよ。そう思う気持ちがあれば、なんでも真実になる』

昔、教えてもらった言葉。

遠い昔に亡くなった友人の言葉。

その名前は確かに自分の中に残っている。

それが自分なりの大切にする方法。

「それがいいと思ったなら、今までに重ねていけばいい」

自分なりの形に、着こなせていくように。

「大切にするってのは、そういうもんでもいいだろう」


そこまでいってしまってから、柄にもなく語ってしまっていたことに気づき、誤魔化すように笑う。

それまでの真剣な雰囲気が崩れ、急に適当になった言葉に驚いたのだろう。

女性は虚を突かれたような表情になった。

「ま、俺はそうしてるだけってことだ」

参考程度に、といつもの表情へと切り換える。

真剣さの欠片もない、ふざけているような顔。

こういう適当なほうが、自分らしい――今の(・・)、自分らしい。

「ック、フフフッ」

こちらの様子がおかしかったのか、女性は笑い出した。

「ここまでいっておいて、それはないのじゃないの」

先程までの、何かが崩れてしまったような、今までの自分を否定してしまいそうな表情はなく。

ただ、おかしそうに笑っている。

「あんまりかっこよく言いすぎたんでね。期待させちゃ悪いだろう」

責任もてませんからね、とこちらも笑い返す。


そうして、その色を眺める。

まだ名前もない花たち。

特別にされてきた特別なものたちを。



________________________________________



なぜだか愉快だった。

なぜだか楽しく思えた。

間違っていたと、歪んでいたのだと、そう思って揺らぎ

全てを後悔してしまいそうになったのに

今、笑っている。


間違ってはいない、また新しい発見があっただけ。

それをまた私の形に加えていけばいい。

押しつけてきたと思うなら、今度は相手を知ろうと思えばいい。

押しつけてきた時があるからこそ、気づけなかったことを。

だからこそ、わかることがあるのかもしてない。

近づいて、離れて、また近づいて、遠ざかる。

関係というのはそういうもの。

少しずつ、特別になっていくものなのかもしれない。


負の方向に傾きすぎていた針が少しもどり、混乱したままでは思い浮かばなかっただろう考えに辿りつく。

針が揺れなければ知らなかった想い、揺れなければ想えなかった距離。

退化か、成長か、それはわからない。

けれど、気分は悪くない。

私は今笑っている。


私の中に生まれたものを――楽しんでいる。


「あなた――名前は?」

針を揺らした存在に問いかける。

今は、軽薄で、のらりくらりといった印象しか持つことのできない表情で

なぜか時折、途方もない寂しさを、闇を抱えているような表情をもつ男に。

「今は――」

男は、答えようとして少し思案気な顔となった。

答えたいのだが、答えが見つからないといった表情。

「答えられないのかしら?」

「いや、そうしたいんだが――俺も今は名無しのようなもんだから」

名前募集も保留中だしね、とよくわからないことをいう。

その困ったままの表情を見て

「なら、自己紹介も保留ということにしましょうか」

そんな提案をした。

「それまでに、この子達の――この場所の名を決めておくわ」

そして、自らの名も――自分という存在の記号を

「おや、もうここにはこないかもしれないぜ?」

腰を下ろしていた草原から立ち上がり、こちらに向き直りながら男はいった。

その表情を正面から眺める。

「来ないつもりなのかしら、こんなに美しい景色を一度だけで満足できるの?」

花畑を背にするように立ち、両手を広げていった――その姿達を誇って。

少し、きょとんとした表情をした後、男は口角を上げる。

「くくっ、そりゃ確かに勿体ない」

我慢しきれなくなったように、頭を抱えるようにしながら笑い声を上げて、心底楽しそうな表情を浮かべる男。

「このたくさんの太陽を眺めになら、遠い道のりも吝かじゃない」



太陽

この花々の姿を指したものだろう。

たしかに、この強く雄大で、美しい姿は空に浮かぶ日輪のようにも見える。

悪くない表現だ。

こんな話をしていなかった自分が聞くと、他のものに例えた時点で怒っていたような気もするが――本当に、悪くない。

そんな自分に可笑しさがこみ上げて、同じように笑い声が漏れた。


風が吹いて

黄色い、太陽を模した様な姿が揺れる。

大事に、特別にされた花々が揺れる。




________________________________________



―――ふむ、少し危なかったかな。

荷物を背負い流しながら考える。

ずっと受け流していた。

上手く誤魔化してはいたが、一つ間違えば、それが合図となっていたかもしれない。

それほどの殺気。

問答無用で、踏み入ったものを狩る。

妖怪らしい感情。

けれど、こちらは人間で、そんな感情は持ち合わせていない。

それに

―――殺し合いなど、とっくの昔に飽いている。


向けられる殺気を上手く流し、花について話しを始めると気が逸れたので、そのまま戦の雰囲気を徐々になくしていく方向に語り続けた。

まあ、途中で懐かしいことを思い出して、当初の目的など忘れて話していたが……

語るに落ちるとはこのことだろうか。

人生観や昔語りは年寄りの悪い癖だ。

まあ――なんとかなったから良かった。

向こうも何か感じるものがあったようだし

「――に、しても、あの悪戯兎が」

確かに面白いものが見れたが、一歩間違えば面白いものにされるところだった。

剣呑なことをさせてくれる。


――まあ、それでも殺し合いなんてものにならなかったのは、あの兎の幸運のかごだったのかもしれない―――ってことで

「一応、重畳ってことだろう」

そういうことにしておこう。

一つ呟いて

一つ区切りをつける。




木々の葉が揺れる音がして、背中側から風が通り抜けた。

微かにだが、あの花の香りがした気がして、少し微笑む。

―――名前は、いつ聞きにくるかな

それまでに自分の名も決めておこうか。

そんなことを考えながら適当な方向へと足を踏み出す。


また一つ

関わりを得て


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