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暗中模索に五里霧中


「やあ、邪魔するよ」


薄煙る囲炉裏の前に座り、床に広げた何かに筆を揺らす老翁。

その先端に向けて鋭く細められていた目蓋を開き、こちらへと顔を上げた。軽く手を上げて応えると、呆れたように小さく溜め息をついて――


「嬢ちゃんも物好きだねぇ・・・」


そう言いながら、筆を脇に置いた。

ぺこりと頭を下げて、老人と向かい合うようにして囲炉裏の前へと腰を下す。


「今日もお願いします」


もう一度、今度は深々と頭を下げて、丁寧に礼の形をとった。その様子に翁は仕方ないといった感じに首を振って、一枚の紙をこちらに渡す。


「それじゃあ、今回は――」



――こんな勉強をすることになるなんてね。


歳の割には力強いその声に耳を傾けながら、今の自分の身の上の不思議さを思った。


少しずつだけれど、上手く動くようになった指先と流暢になった筆さばき――これも習練の成果だろう。

霊力の使い方も、その抑え方も、なんとなくだが理解できるようになってきた。


――でも


油断しちゃいけない。


髪に触れると、少しのほつれを感じさせる薄絹の感触。


――まだ、待ってほしい。


自信をつけるまで――自分を抑えられるほどの力を得られるまで



あの時に誓った『約束』を守りきるために。



________________________________________



――こりゃあ、きついな・・・


獣道ともいえないほどに荒れ果てて、腰ほどにも届く草々に覆われてしまった道。

それを両腕で掻き分け、多少なりともましだと思える地面を選り分けながら――本格的にまずくなり始めた空を見上げた。

そこには、日光を遮るほどに濃く、黒ずんだ雲々がもうすぐ開戦の時間だぞとでもいうように湿った空気を吐き出して・・・その時を待っている。


――こりゃあ、掴まっちまうかもしれんね。


幾分水気の多くなった気がする空気を胸中に取り込み、迫りくる雨の気配に眉を顰めた。

ごろごろと際限なく転がる小石や雑草に邪魔されながらも、出来るだけの速度で先へと進み、なるべく早くここを抜けてしまおうと足を早める。


――せめて雨宿りできる場所までは・・・。


この辺りの地形を思い返し、少しはマシであるだろう場所を考える。

記憶は数十年前のものだが、参考程度にはなるはずだ。


――ただ


「――少し妙なんだよな」


爪先に当たる石を蹴り飛ばし、道の端へと吹き飛ばしながら思った。

記憶の中の光景と目の前に広がる景色の、その差を見比べて――首を傾げた。


――流石に荒れすぎじゃないか・・・・・・?


山と山との間をすり抜けるようにして存在する山越えの道。

正規の街道ではない知る人ぞ知る抜け道のようなものだが、これを利用するものも結構な数存在していたはずだ。地元のものは当然として、急ぎの訳があるもの、退治屋や祓い師などの裏家業のもの、盗賊や落ち武者など――あまり良くない事情を持つものにとっては、ある意味公道のようなものであったはず。

昔、とある武将が相手陣への奇襲のために造ったものが元となっているそうだが・・・・・・今それは関係ない。重要なのは、人びとがある程度行き来していたはずの場所だということ


――何十年か前の記憶とはいえ


整備はされないまでも、そこそこに人々が訪れるこの道は、もう少しまともなものだったはずだ。通り過ぎる人びとによって踏み固められた地面は、そこを通った人々の分だけ歩きやすい場所になっていた――それが、今は獣道とさえいえない。


道の名残が少し残る程度。


――もう使われていないのか・・・?


道の真ん中にまで侵食した植物の群れに、そんなことを思う。


予定では悪天候に掴まる前――もう少し早くこの場所を抜けてしまうはずだった。

荒れ果てた道が足枷となったことにより、そんな予定は叶わない。


小さく溜め息をついて、まだまだ続く荒れ道を眺めた。


「まあ、人生に予定外はつきものだ」

これもまた、良い経験になる。


そうやって無理やりにでも前向きに考えて、打ち捨てられた旧道を進む。

胸に過ぎる嫌な感覚は、考えないように蓋をして――それでも、なんとなくの予感を感じながら――先を急ぐ。





________________________________________




「これは・・・?」


男から差し出されたのは、何枚かの書状。


「紹介状・・・・・・陰陽術や法術なんかを扱ってる人たちへの、ね」


――なんのために・・・?


相手の意図が分からずに訝しげな顔をすると、男は「ふむ」と小さく呟いて、懐から何枚かの紙の束を取り出した。

そしてそれらをこちらに見えやすいように床に並べて広げて見せる。


「これは『炎除け』、火を沈め、退ける系統の力をこめた霊符です」


男の指の先、長方形の白い紙の列には、それぞれ複雑に絡み合った線が詳細に書き込まれており、それは何かの形を象っているようにも見える。貰った髪留め(にしているもの)にも同じような模様が描かれていた気がするが――たまに書かれている『水』や『土』といった文字以外、ほとんど意味が分からない。

多分、これが術式や方術を使うための意味を持っているものなのだろう。


「――これが一体何なんだ?」


首を傾げる私に男は、自分の右隣、部屋の中央にある囲炉裏を指差した。

それは先ほど、鍋を煮るために使ったため、まだちろちろとした炎が残っており、もくもくと細い煙とあげている。


「少し待ってくださいよ」


そんな言葉と共に、男はその中にいくつかの焚き木を放り込んだ。

しばらく、息を吹きかけたり、薪を動かしたりしながら、それに火を燃え移らせて――炎の勢いがある程度高まったところで手を止めた。


「さて」


小さく呟いて、こちらに振り向いた。

そして、ゆっくりと口を開いて


「火を消すものといえば?」

「え・・・?」


そんなことをいった。

質問の意図がわからずに首を傾げるが、男は何も言わずにこちらの答えを待っている。


――え、えっと・・・

深読みするべきだろうか。それとも単純に・・・。でも、あれ・・・ええと・・・


「――水、じゃないの?」


ぐるぐると頭の中を巡る迷いに混乱しながらも、極単純にそう答えた。

それ以外に考えられない。火を消すには水をかければいい。子どもだって知っている。


そんな答えに、男は軽く「そうですね」と頷いて見せた。


ほっと胸を撫で下ろした私をよそに、男は並べて札のうちの一枚を掴み、それをこちらに見えやすいように掲げて見せた。


「これは水符・・・霊力を使って空気中の水分を集め、それを力とするもんです」


言いながら、薪を持ち上げた。

その先を囲炉裏の炎にかざし、炙るようにしながら、もう片方の腕で私の方を指す。


「こういうのは込める力の他に、その場の環境にも左右される」


水気が多き場所ならそれだけ強い力を発揮するし、からからに干上がった場所であるなら弱くなる。下手すれば発動すらしないかもしれない。

その場における状況。天気や気候といったものなどに左右されて力の強弱が決まる。


そんなことを話しながら、囲炉裏の火に当てていた焚き木を掲げるように持ち替えた。

その先端は炎に炙られ、赤い光を放ちながらパチパチと音をたてる。


「つまり――」


それに向かって、片手に持った札をゆっくりと近づけていく。

すると、その札が近づくごとに徐々に炎の勢いが和らぎ、それが弱まっていくのがわかった。


「――こうなる」

「へええ」


まるで見せ物を見ているような光景に、思わず感心の声を上げる。


「そして」


ある程度まで近づけた札をぱっと引き離して、男はその札をひょいと囲炉裏の中へと放り込んだ。ひらひらと、しばらく炎の中を踊るように揺れたそれに、炎の勢いがわずかに緩んだように見えた――が、次の瞬間には札は燃え尽きて、炎も元の勢いを取り戻してしまう。


「水気や力が足りなけりゃ、こうなります」


黒く焼け残った札の燃え滓小さく舞い上がる。

男は、それを手で払いながら、片手にもった焚き木をくるくると回し、そうやって風に煽られた火種はまた赤々とした姿を取り戻していく。


「つまりね」


そんな手遊びをしながら、もう片手での指が伸ばされた。


私の顔より少し上方――頭の上辺り。

男のくれた髪留めのことを指している。


「それが水だとしても――もし、上手く作用しなければ」


くるりと手首を回転させて、男は炎の灯る焚き木を掲げるように持ち直した。

宿った炎はパチパチと音をたて、細かな火の粉を散らし――


「炎は止まらない」


赤々とした灯りが、男の顔を下から照らしてみせる。

ちろちろと揺らめく炎にあてられて、天井に伸びた影がゆらゆらと揺らめいた。


「それは絶対じゃない」


伸ばされた指の先、炎よりも暗い紅の――するりとした肌触りの髪留め、その存在を確かめるように手を伸ばした。

触れた指先に感じるしっかりとした強さを持った生地。


「ああ、わかってる」


いつかは綻びてなくなってしまうもの。

それはこれを受け取るとき、最初に説明されたことだ。


――それまでに


力を制御できるようになる。

私自身で抑えられるように――力をつける。

それが私の誓ったこと。


改めて言った言葉に、男はうんと頷いてみせた。

そして、目を細め、何処か、老人のような昔を思い出すようなそんな表情を浮かべて


「ああ、それが一番いいんだがね」


そういった。


「いくら水を探しても――火を消そうとしても、それがない場合もある」

「どういうこと?」


小首をかしげる私に、男はにこりと何処か自嘲するような調子に笑みを浮かべて、低い声を出す。


「抑えられないもんってのもあるでしょう自分自身では――いや、自分自身であるからこそ、どうしても・・・ね」


男には珍しく、小さく呟くように――何か噛み締めるように、少しの憂いを含んだ声で・・・

少し伏せられた目には、一体何が映っているのか、それはわからない。

けれど


――抑えられないもの


何処か共感めいたものを感じた。


思い浮かんだのは――自分が犯した罪の記憶とその原因となったもの。

息が苦しくなるほどの後悔と激情。


私も

もし、それを目の前にすれば・・・


「――だから」


ひゅっと

風を切る音がした。


「他の方法も考えておくんです」


松明のような炎を上げていた木の棒が、私の目に明るい残像を刻みながら、素早く振り下ろされて――その先端の炎は、風圧によって吹き飛ぶように散り消えながら、その先に待っていた囲炉裏の中、その灰の中へと突き刺さり、その姿を消した。


「火を消すのは水だけじゃない――土に埋めてしまえば消えてしまうし、岩でせき止めることもできるってね」


男は、炎の消えたことを示すように焚き木を持ち上げてみせる。

赤く燃え上がっていた木炭は、ぶすぶすと細い煙を上げながら窒息したようにその活動を止めていた。


「風に散り、地の止まり――薪を加えなくても、その姿は消える」


それを囲炉裏の中心の炎へと放り込む。

半分が焦げついた薪はすぐに炎呑まれて、その勢いの中へと加わった。


「――だから、色々な方法を身につけておけばいい」


勢いを増す炎。

少量の水では、消えない炎。


「消えない炎を止めるために」


水を溜めて

岩で囲って

風で止めて


「知っておくだけで、用心しておくだけでなんとかなるかもしれない」


だから、その気があれば―――




________________________________________



――学ぶ。


陰陽術でも、法術でも――何かの力を身につけておけば、この力を抑えられるかもしれない。我を失っても、意識をなくしても、どうにか(・・・・)なるような、可能性が残る。足掻いて、足掻いて、どうにかしようともがき続ければ、少しだけでも変わるものがあるかもしれない。

その少しだけを得るために――その方法を学ぶ。



「――ふぅ・・・」


額に流れる汗を拭い、その手の強張りを吐き出すような感覚で大きく息を吐いた。


――なんとか・・・形になった


やっとのことで完成させた一枚の札。

老人が描いた札や――あの男が作った札とは比べようもないが、数ヶ月かかって、やっと少しコツがつかめてきた。

少しずつだが、自分が成長しているのが分かる。


『成功すれば万々歳』


そう言って笑っていた男。

何の役にも立たないかもしれないし、意味のないことかもしれない。

けれど

役に立つかもしれないし、身を結ぶかもしれない。


『そんな微妙な可能性ですが』


努力したいのならすればいい。

頑張りたいなら頑張ればいい。


『そうしたいなら――手助けぐらいにはなるかもしれない』


そういった差し出された書状は、半分は役に立たず、もう半分も半信半疑にされるものが多かった。


――当然だ。


どうやら長生きしているのは本当であるらしい。

だって、あの書状の先にいたのは、その子孫であったり、弟子であったりといった、何世代も後のものであったりと・・・・・・昔の縁からの紹介状といえど、その縁自体が忘れられていたり、伝わっていなかったりして――結局、地図の代わりになる程度にしか役に立たないものばかり。


――まったく・・・いい加減だな。


けらけらと胡散臭い表情で笑う男の顔が浮かんで、少しむっとなった。

案外、それを知っていてからかったとところもあるのかもしれない。


――そうだとしたら、今度あった時はぶん殴ってやろう。


助かったことは確かなのだ。

妖怪退治屋や呪い師などの中でも、伝手を知らなければどうしようもない人たちに会うことができた。特に、地方に住む実力者や隠遁者などは、教えられなければ知ることすらできなかっただろう。


それでも――


まだ生きていた人。

男を知っている人は、揃って笑っていた。

相変わらずだねとか、変わらないようだ、とか――そんなことを言って可笑しそうに笑んでいた。

若いままだという男の話に驚きながらも、何処か納得するように頷いて


「お嬢さんもからかわれたのかい?」


なんて面白そうに聞かれたときは、何だか可笑しくて笑ってしまった。

いつもそんな調子なのだと――なんとなく納得してしまって



だから――




――――




『まあ、それでもどうしようもなければ――雨でも降るように祈るしかないんですが、ね』


最後は、そんなことをいって、けらけらと笑っていた男。


あの人を食った男に一泡吹かせてやろう。

世話になった分の礼をいって、からかわれた分、思いっきりぶん殴って


――こんなに上手に、力を使えるようになったんだって


そういってやる。


そんな

永い時の中、少しだけできた楽しみに向けて

ぐっと伸びをして――また筆をとった。


今頃、あの変わった男は何をしているのだろうと、少し思い浮かべながら――




________________________________________




「ああもう――」

どうしてこう、間が悪いのか。

疫病神以上に死神に気に入られていそうな、自分の生まれついた天運を呪う。


――といっても、両方見知っている気はするが・・・


しかも、どちらも年下で一緒に酒を飲んだ記憶もある。

なかなかに楽しかった。


「――っと・・・」


頭の中に浮かんだ馬鹿な記憶を振り払いながら、地面を蹴り飛ばすようにして左に跳んだ。

強く踏みしめられて地面には深い足型が残り、その上をいくつもの黒い球体が通り過ぎていく。


――さらに


着地先。

地面に右足が触れた瞬間にそれをさらに蹴り上げて後ろへと跳び退いた。

乱れた体勢からの無理な跳躍によって脚には鈍い痛みが響くが――


ドゴンッ――とそんな破砕音が響いて、一瞬前まで自分がいた場所に大きな穴が空く。


――あれを食らうよりはましだ。


避けなければ脚が吹っ飛んでいたかもしれない。

身体をくるりと一回転させて、両腕の向かってきた弾幕を避けながら、不安定になった姿勢を立て直した。

通り過ぎた弾丸は、荒れた地面に着弾し、その道をさらに歩きにくいものへと変えている。


「まったく・・・」

怖ろしいことで。


そう呟く暇もなく、襲来し続ける弾幕の群れ。


――どっか良い場所は・・・


地面を穿ち、空気を切り裂き、こちらを追い詰めようとする弾幕。

それを紙一重のところでかわし続けながら、辺りを観察する。


周りは、鬱蒼と茂る木々の群れ。

まだ時刻は昼時ほどのはずだが、その奥は見通せないほどに暗い。太陽が雲で隠れてしまっているせいだろう。


――あっちの方に逃げこむとしても・・・


動きを先読みするように逃げる方向へと群がる光球。

それを近くにあった木に駆け上がることで回避する。

が――


「・・・っとと」


その球体が幹に直撃し、まるで爆発でもするようにして吹き飛んでいく木々。

ぎりぎりとのところでそこから飛び降りるが、着地した先へとさらに攻撃が迫る。


――そんな暇がない、と


身体に巡る力を凝縮し、瞬発的な限界突破を繰り返し――それでも、ぎりぎりのところ。

避け続けるだけで手一杯だ。

何か切っ掛けでもなければ――


「――いつになったら大人しくしてくれるのかな?」


そう思い至ったところに、凛とした声が響いた。

歌うように高らかに――涼やかな声。


暴風のように降り注いでいた弾幕の嵐が止み、森の中に静けさが戻る。


「のらりくらりと楽しそうに逃げ回って」


ほんの数間先に見える大きな黒い塊。

それが生き物のように身震いし、凝縮するように小さく形を変えていく


「早くお食事にしたいのだけど」


闇が凝固したような――小さな人型。


この国の人間とは思えない黄色の髪を長く伸ばし、細長いすらりとした体躯に、闇に溶け込むかのような黒の衣装。

にこりと上品な笑みを浮かべている女性。


「まだ、じっとしてくれないの?」

人間さん。


そういって可憐に笑うのは――妖怪。それもかなりの大物だ。

少し小柄な体型からは考えられないほどの濃密な妖力に、空気がぴりぴりと振動しているようにすら感じる。


――まったく・・・


「まだまだ、いい味だせるほどに熟成した自信がないもので」

来世の楽しみにでもとっておいてください。


こちらもにこりと愛想笑いを浮かべ、慇懃無礼にそう返す。


「――そう」


細められる赤い瞳――と、同時に降り注ぐ黒の塊。


「なら、私が美味しく調理すればいい」


――難儀な相手だ。


脚や腕を中心としたこちらの四肢を削ぐように襲いかかる攻撃。

遊ばれているのか。食べる部分が減るのが嫌なのか。

どちらにしても、この攻撃を食らっても多分すぐに死ぬことはない――ただ、数が減ってしまうだけだ。


「達磨になるのは御免ですよ、と」


降り注ぐ弾幕。

それを真っ直ぐに見据え、その位置を頭に叩き込んだ。


――老人の知恵袋ってね。


その弾道、性質を読み、先ほどまでの攻撃の分析と合わせて、回避方法を構築する。

あとはそれに従って、腕を引き、脚を弾くだけ。


瞬き一つ分前には右手があった部分を、真っ黒な球体が通り過ぎていく。

次弾を肩に、その次を袖先に掠めさせ、紙一重の形でその黒の塊のわきをすり抜ける。


「へえ・・・」


経験によって造る先読みでの動き。


先ほどまでよりも小さく。

必要最小限の動きによって攻撃を避けるこちらに、女性は感心するように声を上げた。

愉しそうに口元を歪め、鋭い視線で探るようにこちらを見つめる。


「なら――これはどう?」


すっと優雅に伸ばされた両腕。

その先から伸びるのは――二筋の閃光。


「――そらまた」

えげつない攻撃だ。


両脇から挟みこむようにして振るわれる光は、射線上にあった木々をなぎ倒し、全てを切り裂きながら、こちらを真っ二つにするような形で迫り来る。

それに飲まれれば、こちらも二つに分けられるか、焼け焦げ、上手に焼かれることとなるのか。


――逃げ場は・・・


「そう、上空のみね」


垂直に地面を蹴り、光線に挟み込まれる前に空へと舞い上がった。

そして、二筋の光が真下を通り過ぎるのを見届けた――その瞬間にぞわっとした悪寒が背中を駆け上がる。


「――こんどこそ」

美味しく焼けるかな。


これは


周りを取り囲む球体の群れ。

足場のない空中に、敷き詰められた暴力の塊。


――引っ掛った、か。


回避行動をとろうにも、ここは空中。空でも飛べない限り、普通の人間にはどうしようもできない。

悪戯が成功したというように、視界の端でくすりと笑う少女。


――ああもう・・・・・・とんだ災難だ。


暗い闇の中、金色の長い髪がゆらゆらと明滅し、紅く裂けたような口に鋭い犬歯が見え隠れする。愉しそうにこちらを眺める眼は、玩具で遊ぶ子供のような好奇心か、活きの良い獲物に舌を濡らす妖怪としての食い道楽か。


どちらにしても、このまま呑まれてしまう。

無駄に長生きしているとはいえ、そんな最期は真っ平御免である。


「なけなしの・・・なんですがね」


小さく呟いて、もはや用をなしていないぼろぼろの袖の内へと手を引っ込めた。




________________________________________




――ドンッ


そんな音と共に空気が振動した。


力と力が衝突し、互いの威力を持って相殺しあった余波の広がり。

辺りに散らばっていた木々の残骸を吹き飛んで、そこら中に飛礫を撒き散らす。


そして、それが晴れた先に――


「――耳が痛い、な」


無傷で立つ男の姿。

先ほどの爆音に耳をやられたのか、顔を顰めて片手でそれを抑えている。


――何を・・・?


動きのとりようのない空中を狙った不可避の攻撃。

よしんば耐えることが出来たとしても、無傷のままでいられるはずがない。


「一体どうやって・・・」

「ちょっとした手品ですよ」


あげようとした疑問の言葉を遮り、男がにこにこと胡散臭い笑みを浮かべて声を発した。


「まあ、思った以上に簡単に避けられたもんですが」

手加減してくれたんですか?


にやにやと口端を持ち上げて、こちらをからかうような声音で話す。

そんな男の姿が――癇に障った。


「――馬鹿にしてるの?」


多少のいらつきを込めて、男を睨みつける。

この程度のやり取りで馬鹿にされるほど、私の底は浅くない。図に乗られるのは気に食わない。


「いえいえ」


こちらの視線――程度の低いものなら、それだけで動けなくなるほどの力を放っているのにも関わらず、男は平然とした様子で私を見返して――


「この程度なら反撃だってできるんじゃないかと、ね」


そういった。



「・・・・・・・っく」


込み上げるのは、抑えきらない感情の嵐。

この人間に対しての――馬鹿げた存在に対しての


「くくっ・・・あははは!」


笑いがとまらない。

この程度の存在が――こんな食物でしかないものが私を馬鹿にして、対等になるとでも思っているのだろうか。


――本当に笑いがとまらない。

可笑しくておかしくてオカシクテ――


「いいわ――かかってきて」


愉しくなってしまう。

本当に愉しい獲物だ。


壊して、砕いて、潰して――出来るだけのことをして、散々に遊び尽くしてから――美味しく食べてしまおう。


その希望(ひかり)を叩き潰して、絶望(やみ)の中に閉じ込めて

上手に料理してしまえば、きっと素晴らしい食事になる。


そう決めた。


だから


両腕を上げ、まるで磔にされた罪人か何かのような姿で待ち受ける。


何をしても無駄だということを見せつけるように

全てが意味のない行為だと知らしめるように


「――あなたの全てをみせなさい」


格の差を見せつける。





________________________________________



――さて・・・


濃くなる気配を身体全体で感じながら――目の前の相手を眺めた。


光を返す長い髪。

少し小柄な身体と細長い体躯。

闇に溶け込むような真っ黒な衣装は、そのすらりとした体型にきっちりと沿って、美しく妖艶な雰囲気を引き立てる。


――まあ、それだけならただの美人ってことですむが・・・


そこから感じられるのは、ただ、目の保養になるという雰囲気だけではなく――暗く、鋭い多大な力の気配。

数少ない大妖の――それもその中でも選りすぐりの者に並ぶか、それ以上に強大な妖力。


――まったく・・・


不敵に笑う姿が型に嵌りすぎて、本当にお似合いだ。

これに敵う者など、この国中を探しても数えるほどにしか存在しないだろう。


――加減した攻撃が中級妖怪の全力以上で。まともに相手しても、ただ殺されるだけ・・・地力に差がありすぎる。


両腕を袖の中に引き込んで、その内に仕込んだ札を握り締めた。

さらに濃くなる気配に体勢を整え、何時でも飛び出せるように構えをとる。


「そろそろかしら」


余裕を見せ付けるように尊大に微笑んで、こちらを見下す妖怪。

猫が捕まえた鼠をなぶって遊ぶように、彼女にとってそれは暇潰しの遊戯のようなものでしかないのだろう。


「ええ、そろそろ(・・・・)ですね」


袖から取り出した札を見せ付けるように掲げて、こちらもにこりと微笑んだ。

相手と違い、こちらは虚勢を張るだけのものだが――騙まし討ちには丁度いい。


――一応、時間は稼げた。


後は上手くいくことを祈るのみ。

天のご機嫌次第。


――にしても


待ち受ける強大な妖怪。

それに立ち向かう矮小な人間。


何処かの物語のようだと、なんとなく思った。

くすりと微かな笑いが漏れて、怪訝に眉を顰める妖怪。


――もっとも、自分が行うことは、まったく物語の主人公らしからぬこと。


そのために油断を誘い、正面からの打ち合いを望んだ。

あとはそれが満ちるのを待つだけ


さらに濃くなる気配に笑みを深めて・・・・・・


その瞬間を待つ。


「・・・・・・」



ぴりぴりと痛いような沈黙が流れ、空気が張り詰める。

それでも、大気に満ちる湿気に身体は暑さを訴えて汗を流れる。


のろのろと進む時間。

どろどろと濁る時間。


そこに――






ぽたりと、音がした。



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