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薄紅色の誘いの中で

はるか昔に大陸から歌が伝わり、この国でも様々な歌が詠まれるようになった。

自然の営みから人の感情まで、それは優美に詠いあげられ、一種の芸術として、国の文化の一部とも呼べるものへと洗練されていった。


その中でも、花というものは人々の目を強く惹くものだったのだろう。

それを扱った歌というものは、数え切れないほどに存在している。

花というものは、それほど人の感情を――心を揺さぶるものであったのだろう。


けれど、その基――原型となった場所

大陸であっては、花といえば『梅』が代名詞であったといわれている。


美しい薄紅の花といえば、詠うのは『梅』と決まっていた。

それは、当たり前の、当然のことでもあった。

それが、時代が進むにつれて代わっていったのだ。


いつの間にか

いつからか


花は『桜』となった。


それは

この国がやっと

自らの美しさを知った瞬間だったのかもしれない。

自らの価値に気づいた瞬間だったのかもしれない。


そんな『誇り』とも呼べるかもしれないもの。

この国の美しさ

一つの象徴


薄明るく灯る(あかり)

薄紅に染まる光の下



少なくとも

そんな季節に舌鼓を打つのも悪くない。


たとえ

自画自賛であろうとも

自らを誇れるということは―――それは、とても尊いことだ。



そう思う。


自らを大切にするからこそ

その内の――本当に大事なものに気づけるのだから





________________________________________




ひらりひらりと散っていく欠片たち。

薄い紅色、桃色のそれは降り積もり、雪の様に地面を染める。

雪と違うのは、そこに冷たさはなく。

溶けぬままに、ただ、積もっていくということ。


温かく降り重なっていくこと。



「――絶景絶景」


高く続く登り階段。

その上から降り続ける花びら。

高き場所から、ひらりひらりと風に舞い、階段を少しずつ染め上げていく色。


――いい光景だ。


そんなことを考えながら落ちる花片を眺めた。


「桜、か……」


大陸の方では、春の花といえば『梅の花』、うわさで聞いた程度の話だが、それが象徴とされているらしい。

けれど、この国。

この日出ずる国なら、なんとなくだが――この『桜の花』の方が合っているようにも感じられる。


築き上げてきた豊かな強さではない。

しなやかで、それでも芯の通った強さ。

散っていく弱さの中にあるからこそ、残る余韻。


――この国には、そんな柔い美しさが似合う。


そんな気がしている。

あくまで、主観ではあるのだが・・・

「――もし、御主。ここで何をしておる」


そのまましばらくぼうっとしていたところに、背後から声をかけられた。

振り向くと、初老の男性が立っている。


白い髪に、緑を基調とした着物。

ゆるりとした佇まいでこちらを見据えているが、その気配自体は凛と澄んでいて、一縷の隙も感じられない。

腰には二振りの刀、長刀と短刀を一本ずつ帯びていて、一目で侍なのだとわかった。

その振る舞いからしても、それなりの達人なのだろうと感じた。


けれど


――なんだ・・・


何か違和感がある。


多分、人間なのだろうと思う。

けれど、なぜか多分としかいいきれない、そんな違和感。

姿かたちは確かに人間のもの、けれど、なぜか半分(・・)ほど、違うものようにも感じられる。


――知っている、ような気もするが・・・この気配は・・・


「おう、聞こえておるのか」


もう一度声を上げられて、はっとする。

ここで黙り込んでしまっては、自ら不信を煽っているようなものだろう。


―――敵意は感じられない。多少妙な気配はするが……多分、大丈夫だ。


そう思い直して、意識を切り換えた。


「ああ、申し訳ない。あまりに桜がきれいなもので」


少し見惚れていました、と笑いながら返した。


「ふむ、そうか……」

そういいながら、侍はこちらと同じように落ちてくる花びらを眺めた。


「――確かに見ごろではあるが、しかし、あまりここに長居するなよ」

悪いことが起きるかもしれん、ため息をつくように彼はいう。


「悪いこと?」

「ああ、そうなりたくなければここには近寄るな」


最後の言葉を威圧的に

脅しつけるような声で言い渡された。


――ここにいて欲しくないのか。


それは勧告であり、それでいて脅しでもあるのだろう。

『ここにいれば、何があっても文句はいえないぞ』と、言外にそんな意図が含まれているようにも感じられる。

少しの剣呑さをはらんだ態度は、こちらに向けて刀を抜き放ってもおかしくはない。


けれど


態度と声色こそ厳しいものだったが、その雰囲気自体は微妙なものだ。

こちらを睨むように細めている目には――そんな感情は感じられない。

鋭く尖ってはいるが、どこか寂しげなものを含んでいるようにも思える。


悔やんでいるのに、それを飲み込まねばならない。

何かに耐えているような、そんな感情。


「――ここの屋敷に何か?」

「深入りせんでくれ」


触れてはいけない、そんな拒絶の声。

こんな声を昔聞いたことがある。


何かを守るために、自分を犠牲にする声。

傷つきながら、自分以外のものが傷つかないように守る声。


――それが、どこかに潜んでいるように思えた。


風が通り抜け、桜が舞う。

しばしの間、沈黙が訪れる。


「もうしばらくだけ、眺めてていいですかね」


桜を、といいながら、その優美な色を指差した。

侍は、少し思案気な顔をした後「少しなら」と許可をくれた。


「しかし、長居はせんでくれよ」


再度念を押してから、階段を登っていく男の後ろ姿を見送り、散り続ける桜を眺め続けた。

堅物そうではあったが、元来優しい気質なのだろう。

言葉尻からそう感じられた。


それにしても


「――何があったのか、ね」

ぼそりと呟いた。


先代(・・)なら、ここで一緒に花見酒と洒落込んだことだってあった。

ここの主人は、そんな広い器の持ち主だったはずだ。

風のうわさで亡くなったという話を聞き、この場所はどうなったのだろうとやってきたが、桜はそのままでも、ここに温かさはない。

あの風流な歌と、温厚な人柄と共に、様々な人がこの桜をのぞみにやってきていたというのに――


今はまるで、何かが『死』んでしまったような、そんな気配がする。


主人と共にその温かな世界も消えてしまったような――温度を失っている場所。


桜はまるで『墓標』のようにも見えた。


しばらくそれを眺めた後、ふっと息を吐き、歩を進めた。

ここはもう、あの時の場所ではないのだろう。

そう強く感じて、時の流れを想いながら――


けれど


「―――?」


再び上を見上げた。


妙な気配を感じる。

何かと何かが争うようなそんな感覚。


間に何か挟んでいるように微妙に解りにくくなっているが、確かに戦闘(あらそい)の気配がする。


―――結界・・・?


いつのまにか、外界から切り離されるようにして、屋敷が薄い壁に包まれている。

ぼんやりと――意識を凝らさなければ、認識できない程に高度な結界。


それに気づくと同時に気配が強まり、余計に濃くなる――争いの音色。


「・・・っ!」


微妙に見覚えのあるような気がするが、思い出している暇はない。

間違いなく――何かが起きている。


一瞬、侍の言葉が頭によぎったが、かまわず石段を駆け上る。

数秒もかけずにのぼりきると、その屋敷の戸へと手を添えた。


視界に移っている景色には、何の変哲もない。

ただ、閉じた扉があるのみ。


けれど


すぐそこに感じる喧騒の気配。

何の変化もない屋敷の風景。


「――違和感ありすぎんだよ」


境界に覆われた扉に手を添えて、目を瞑る。

幻と現実、それを区切る境界の扉を脳裏に浮かべて、その鍵を開く様を思い浮かべる。


一瞬だけ、すり抜けるように

ただ、『扉を潜る』だけ、そんな感覚で


――我、幻想の扉を開く


言霊を放つと共に、押し込むようにして身体を進めた。

閉じていた境界は何の抵抗もなく――その向こう側への道を開く。




________________________________________



刀を振る。

長刀と短刀の長所生かしながら、それぞれの隙を失くすように、

振り、薙ぎ、払う。

長い年月をかけて、研磨してきた技術。

片腕の力では決して絶つことのできないものをも断ち斬る――技の剣。

半分が人ではない我が身だからこそ、たどり着いた境地。

そして、この身の一部ともいえるこの二振りの剣。


これさえあれば、斬れぬものなどない。


それほどの自信を持つ剣技。

それが


「あらあら、物騒ね」


届かない。

目の前の空間が何の前触れもなく割れて、現れた妖怪の女。

薄笑いを浮かべ、主人のいる部屋を眺め、その襖に手を伸ばそうとする瞬間。

それをなぎ払った。


「何用だ。妖怪」


ふっと姿を消し、少し離れた場所に着地した妖怪に刀を向ける。

久しく見ていなかったが、妖怪退治の経験は積んでいる。


そして、人型の妖怪というのが一番厄介だということも、よく理解していた。

けれど


―――これは別格だ。


そう感じた。


今まで退治した数々の妖怪、それを全て集めても足りないほどの実力を持っている。

にやにやと浮かべる薄笑いに、背中の汗が止まらない。


「ここの主人に用があったのよ――あの噂が少し気になってね」

放たれる圧力に耐えながら、その言葉を聞く。


「我が主は妖怪などに用はない。お帰り願おうか」

萎えかける意識を叱咤して、無理やり相手を睨みつける。


「あら、ここの主人は客人を選ぶというの。どうも失礼な話ね」

こちらの様子を眺めながら笑みを深くする妖怪。


「噂では、どちらかというと私たちに近いものと聞いたのだけれど……」

言った瞬間、刀を振った。


最速で音を鳴らした刀は、何も存在しない空間をきる。


「人の話もきかないのかしら」

「我が主を貴様らなどと同じにするではない」


怒りを込めてその言葉を発する。


――そう。同じではないのだ。


報われぬ力を持ってしまっただけ(・・)の少女を化け物として、人であらぬものとして――これ以上、傷つけてはならない。

そんなもの、そんな言葉を近づけてはならない。


――何も出来ぬ自分に


不甲斐ない従者ができることは

ただ、それだけだ。


「――失礼な話ね。まあ、邪魔なものはどけて進めばいいわ」


そういいながら妖怪が手を上げると、空間に裂け目が入る。


「遅いっ!」

いいながら、一気に距離を縮め、両手に持った剣を下から切り上げる。

空間の裂け目へと逃げ込む時間はないと踏んだのか、妖怪は滑るように後ろへと下がった。


―――そこへ上空からの影がかかる。

半霊、我が身の半身。

自分が半分でしか人でないことの証。


「……っ!」

予想外の方向からの攻撃に妖怪は一瞬怯んだ様子を見せたが、半霊から放たれる一撃へと向けて手をかざし、不透明な障壁のようなものでそれを防いだ。


その動きが止まった瞬間。

飛び込むように地面を蹴り、すれ違いざまに二刀の刀を振りぬいた。


――魂魄流『現世斬』――


自らの最速の一撃。


しかし


「なるほど、あなたもただの人ではないようね」


当たるはずの一撃に、手ごたえはなかった。

刀を構えなおした先に浮かぶのは、無傷のままに微笑む妖怪の女。


「――少しだけ、難易度をあげることにするわね」


先程まではわざとだったのだろう。

こちらの一撃を食らう寸前の、ほとんど見えないほどの速度での移動。

わざわざ空間に穴を空ける手振りなどする必要もない。


―――能力を使用する前に仕留めたかったが。


頭の中で毒づいた。

相手がこちらを侮っているうちならば、まだ可能性があった。


「今度はちゃんと相手をしてあげましょうか」

そういってこちらに手を伸ばす姿には、もう微塵の隙もない。


――こうなれば相打ってでも


覚悟を決める。

相手が一撃を放つ瞬間に、捨て身の攻撃を仕掛ける。


そうしなければ――命をかけなければ勝てない、これはそんな相手だ。


伸ばした手のひらに収束する光。

こちらも構え、唯の一撃に全てを込める気構えを練る。

主人を守るために命をかける覚悟を――その身に刻む。


「では、いくわよ」

収束された妖気が形をとっていく。


それが放たれれば、瀕死に近いダメージを受けるかもしれない。

額から脂汗が流れ落ちるが、構ってはいられない。

その分だけ、一撃分の力を溜める。


――ほんの一瞬・・・ただ、一撃を放つだけの間、命が保てばいい。


決死の覚悟を刃に込め、相手の攻撃に真っ直ぐに進む。

そうすれば、この剣が届くかもしれぬ。


ただ、それだけを考えて――二刀を持つ腕に力を込める。


妖怪の笑みが深くなり、その手が振るわれるその瞬間だけに意識を傾けて――



その直前――一寸手前で、妖怪の動きが止まった。


今までの笑みが消え、口元を押さえ、信じられないといった表情へと変わる。


「――私の境界を破った。いえ、すり抜けた?」

口の中で呟くように、ぶつぶつと何かを呟き、こちらの存在を無視するように何かを考え始めた。


――これは、どうした・・・?


依然として構えは続けているが、相手の変化に少し気構えが崩れそうになる。


闘いの最中の隙。

けれど、格上の相手に対して、それに飛びつくのはあまりにも愚策である。

それなら、一か八かの捨て身になった方がまだ可能性はある。

乱れた意識を整え、再び集中を呼び戻す。

そこへ


「――こんなとこで何やってるんだ・・・八雲の」

気の抜けたような声が響いた。



________________________________________



仕切られた境界を抜け、屋敷の入り口へと出た。

先程までは微かにしか感じなかった闘いの気配が大きく感じられる。


―――裏か。


幾度かだけ通ったことのあるその場所を思い出し、大体の位置を割り出す。

建物を迂回した先、あの桜が咲いている辺り。


――これは


予想以上な大きな力の波動。

それが、二つ―――いや、三つ以上感じられる。

それぞれが混ざり合い、干渉しあっており、その判別は困難だが


――そこらの中堅程度は一蹴できるほど、か。


何があってもいいように、ある程度の力を溜めながら、出来るだけ早い速度で走る。


――不意を打てば、多少有利になるかもしれない。


そんなことを考えながらたどり着いた先、桜が散りばめられた庭園の中。


そこには、二振りの剣を構えた先程の侍と――見知った妖怪がいた。


「こんなとこで何やってんだ。八雲の」

思わず気が抜けた声が出た。


――一体何をやっているんだ・・・あの妖怪の嬢さんは・・・


「なるほど。貴方だったのね」

一瞬驚いたような顔をした件の妖怪――八雲紫は、すぐに納得したといった表情へと変化した。

「それなら」などと呟きながら、うんうんと頷いている。


「――けれど、どうやって私の結界をすり抜けたのかしら」

「それは能力を……いや、その前に――」


話を聞こうと口を開いた瞬間

鋭い殺気を感じ、後ろに飛びのいた。


「――貴様も仲間か」

見ると、先程まで立っていた場所に剣を振り下ろした男の姿。

あきらかに攻撃態勢に入っている。


――一体なにをしてたんだ。


戦闘の気配、八雲紫の存在、切りかかってきた侍と、妙な状況になってきたことに頭を抱える。


「妙な気配を持つものとは思っておったが、妖怪か。上手く化けたものだな」


放たれた言葉に紫がクスクスと面白そうに笑い声を上げる。


―――笑うな。まあ、真っ当なものじゃないことは確かだが。

開こうとした口は、追撃をしかける侍の一閃二閃によって妨げられる。


「――っと」

思う以上に鋭い剣さばきに、さらに間合いを開き、ぷかぷかと空に浮かぶ妖怪の隣まで移動した。

優雅に笑いながら、それを観察する妖怪に、侍は舌打ちして動きを止める。


――合流した・・・とでも思ったか、ね。


同時に相手するのは分が悪いとでも思っているのかもしれない。

そんな気はさらさらないが――話しをするには丁度いい間だ・


「すまないが、こっちのが何か迷惑でもかけましたか?」

「あら、ご挨拶ね」


わざと引っかかる言い方をすると、八雲が不満気な顔をして噛みついてくる。

それに向かって顔をしかめながら、そちらだけに聞こえるように小声でいった。


「……どう見てもこの状況は、お前が原因だろう」

失礼ね、と脹れる八雲を無視して、相変わらず怒気を発したままにこちらを睨みつけている侍に目を向ける。


「戯けたことを――」

ジャリ、と地面の砂を踏みしめるように構えをとる侍。

あきらかにこちらの話を聞いてくれるようには思えない。


―――やれやれ、厄介なことに巻き込まれた、か。


最近は色々なことに巻き込まれやすくなった気がすると、頭を抱えたくなった。

ここの辺り、妙に事件に出くわす年月を送っている。


少しだけ考えた『いつも通りだ』、という感覚は打ち消しておく。

自分の日常はもう少し、のんびりしているもののはずだ。


そんな言い訳を頭にめぐらせながら、

癖になった溜め息と共に、『荒事』に対する構えをとった。



________________________________________



「っし!」

唇の間から息を漏らすように、鋭い声と共に刀を振るった。

その一撃に対して、男は大きく距離を開けるように飛び退いた。

隣に浮かんでいたはずの妖怪の姿は既に離れ、屋敷とは違う方向へと移っていた。

こちらに手出しする気も、隙を見て屋敷へと向かうつもりもないらしい。

何を考えているのかは分からないが、好都合だ。


――まずはこの男を・・・


対面する男からは、あちらほどの脅威は感じられない。

妙な雰囲気は持っているが、それほどの手間をかけずに無力化できるだろう。


――出来るだけ時間をかけずに終わらせる!


なるべく、あの妖怪を相手にする力を残したい。

そう考えながら、地面を蹴った。


「っはあ!」


男との距離を潰すと同時に、左に構えた長刀を男の首を薙ぐように振り下ろす。

相手はそれを身体全体で屈むように避けるが、それは想定の内、その下がった頭へ向かって流れるように右の短刀を突き込む。

二刀流の利点である隙間のない二段攻撃。

しかし


「……!?」


手応えが消える。

外れたのではなく、攻撃したという事実自体が消えてしまったようなそんな感触。

身体の芯の部分から勢いを消されてしまったような、何もしなかったことにされてしまったような感覚がその身に襲う。

――なん、だ・・・?


力が抜けてしまった腕に、思わず動きだと止まった。


「――話、聴いてくれる気になりましたか?」

刀に手を添えたまま、こちらに口を開く男。

その掌には、こちらの刃が真っ直ぐに受け止められている。


――これは、次元が違いすぎる。


それが意味するところに、愕然とする。


おそらく、この男は、こちらの全体重を乗せた一撃をそのまま殺しきった(・・・・・)

全速の一撃を、腕の動きのみで零へと変えてしまったのだ。


それは、自分の剣ではこの者には届かないという確信になる。


こんな芸当ができる者に、例え偶然であったとしても――剣先が掠めるということすらもありえないだろう。

自分の剣は、殺されてしまった。

そのことに大きな衝撃を受ける。



――退くわけにはいかない。


自分の役目は主を守ること。

自らの矜持が折れそうになろうとも、せめて誇りは守り通さなければならない。


体は完全に止められているが、ただの人間ではない自分にはもう一つの身体がある。


「舐めるな!」


自らをも奮い立たせる、気合の一喝。

男の背中に迫るのは、自らの半身、半霊。

二番煎じだが、あの妖怪とそこまでの会話をする余裕はなかったはず、初見ならば、あの妖怪のような力がない限り、避けようもない攻撃のはず


あるだけの霊力を込めた一撃が、相手の背後から放たれる。



________________________________________



首を薙ぐように、斜め上から振り下ろされる一閃。

するどい一撃だが、見切れないほどの速さではない。

膝を曲げ、屈むようにしてそれを避ける。

すると、その下げた頭へと右手の短刀が流れるように迫ってきていた。


――上手い剣だ。

長い時をかけ、研鑽してきた流麗さがそこにはある。

人の贅力では困難であろう片手での殺傷を、その一撃は可能としている。


まるで、その時間の全てを剣につぎ込んだように。


――けれど、時間をかけたことでは、自分も負けてはいない。


右の手のひらを盾とするように、突きこまれる剣先へと伸ばす。

そして、剣がその刃に触れた瞬間、同じ速度で、力を分散させるようにしながら――引いた。


いくら刃が鋭くとも、止まっているものに触れても、指を切ることはないように。

勢いを失くしてしまえば、それはただの鉄の棒と変わりはない。

その原理で


真っ直ぐに、勢いを殺すように―――その速度を殺す。


「……!?」

相手の驚愕が伝わる。


これほどの達人だ。

自らの剣を――こんな形で止められたことなどなかったのだろう。


「話、聴いてくれる気になりましたか?」

実力の違いを知らせ、それをもって説得にかかる。

趣味ではないが、この状況をなるべく穏便に済ませるには仕方がない。


武人であるからこそ、認めるしかないだろうと、そう楽観しようとした時。

一瞬の逡巡を見せた侍の瞳に、火が灯った。


「舐めるな!」

殺しきったはずの体から、気合の入った一喝がはいる。

そして背中側から感じた悪寒。


感覚的に理解したのは――背後に撃ち出された霊力の塊。




________________________________________



煙が晴れる。

そこにいたのは、二対の人間。

侍自らをも巻き込む、ただただ力だけを込めた暴発のような一撃は確かにその男へと直撃したはずだった。

けれど


「――なるほど」


そう呟く男は無傷だった。

捨て身にも近い攻撃で、自らも傷を負う覚悟だっただろう相手もまた無傷。

あるのは、先程までなかったはずの、地面に空いた穴一つのみ。


そう。

死角から放たれたはずの、その予想外の攻撃を、背中を向けたままで捌ききったのだ。

全身全霊――半霊によって打ち出された最大限の霊弾は、後ろでのままに受け流された。


――それは、もはや、人間業ではない。


「……」

言葉もなく侍は絶句している。

自らの全力の攻撃を殺され、さらには、自滅覚悟の特攻でさえも、目線すら向けないままにいなされてしまったのだ。

なまじ実力がある分、その衝撃は計り知れないだろう。


「確か、半人半霊っていうんだったか。危ない危ない」

妙な気配の正体はそれだったか、初見だったら危なかったな、と土煙によって負った埃を払いながら話す男。

まさに


「――規格外、ね」

感嘆の声が漏れる。


多分この男は、長年の経験のみによってあの半霊の攻撃に対応したのだ。

百戦錬磨という言葉では足りない。

億と数えても小さすぎるほどの闘いを積んできた経験。

あの程度の不意打ちなど、無意識で対応できてしまう――それほどの年月の塊。


相手が半人半霊という自覚がなくとも、勝手に身体の方が半霊に反応していたのだ。


――しかも、相手を傷つけないほどに手加減をしたまま。


敵に回すとこれほど恐ろしい存在はいない。

なんせ、一つの歴史といえるほどの年月を相手にするようなもの。

そんな経験の塊に、不意打ちなど通じるはずがない。


呆然とした表情のままの侍。

それでも相手に向けた切っ先を下ろさないのは賞賛に値するものだろう。

この侍の主への忠誠心は、きっと自らの死の恐怖よりも強いもの。


―――これほどの実力者に、ここまでの忠誠を誓わせる主人とは一体どんな人物なのだろう。


ただの暇つぶし、興味本位でしかなかった屋敷の主への想いが少しの強さを帯びた。


「とりあえず話を……」

「さて、そろそろここの主人に会わせてもらえないかしら」


事情を把握していない言葉をさえぎり、相手に畳み掛けるように話す。

この規格外は性質上、事情を把握すれば邪魔になる可能性の方が高い。

なら、この雰囲気のままに話を進めた方がいい。


「おい、ちょっと……」

「ふざけるな!この命ある限り、我が当主には触れさせん!」


勝ち目はないのは理解しているのだろう。

それでも、その意志は衰えていない。

下手な攻撃ならば、せめて腕一本だけでも道ずれにする、そんな眼をしている。


「そう。なら――」

お望みどおりに、そう続けられるはずの言葉は、別の、涼しげでどこか冷ややかな声に遮られた。


「もういいわ、妖忌」

その声と共に開かれた襖。そこにいたのは幽玄な雰囲気をもつ少女。

幼いといってもいい姿からは何故か、その年齢からは考えられないほどの静かな空気が漂っている。


「し、しかし姫様」

呆然としていた侍が、慌てたように叫ぶ。


「下がりなさい。あなたではこの者たちの相手は務まらないわ」


静かな声で、配下の者を律する。

その眼はこちらを見ているようで、まるで何処も見ていないような希薄さがあった。


そして


―――強い。

そう感じた。


「貴女がこの屋敷の御主人かしら」

「いかにも、私がこの西行寺が家の主人。何用でここに訪れた、妖怪よ」


辺りに広がる強い霊力。

一流の術者でも、これほどの力を発揮できないだろう思えるほどの規模。

それに


――これは、霊魂?


その力と共に集まりだす魂の形。

濃密で―――それでいて清浄な、死の気配。


――なるほど、これなら


並の人間ならば、耐えられない。

正常な生が

当たり前の命が


理解すら出来ない光景だ。


「ただの見物よ――なるほど、確かに噂どおりのようね」

「貴様!」

激昂する侍の声。

主人に諌められたせいか、刀に手をかけてはいるが飛び掛ってくるという様子ではない。


「本当に噂どおりというのなら、貴女もその通りになるかもしれないわよ」

「あら、ただの人間程度と比べられてもね」


そう、と小さく呟くと、集められ、浮かびあがる霊魂の群れが主人の前方へと集中した。


「なら、貴女も死霊の仲間入りね」

その言葉と同時に、膨れ上がった霊力。それが――人魂にのせて放たれる。


「あんまりなめてかからない方がいいわ――怪我をするから」

矢のように打ち出される人魂を妖力によって作り出した妖弾によって打ち払う。

弾幕と弾幕の衝突よって拡散する霊力と妖力、具現化していた力が残照を残して消えていく様は、まるで散っていく花のように美しい。

――その美しさの中で


「これは」

思考の中に、妙な乱れが生じる。


――こ……こい…


何処かへと誘われて、呑まれてしまうような


――こっちへ・・・こい・・・


そんな声。


精神に直接受ける負荷。

死に――誘われる。



「……!」

背筋にはしる悪寒に、その精神波から身を守るように境界を弄った。

予想していた以上に強力な力は、それでもこちらを蝕み、軽い頭痛が襲う。


――こちらが本命、ね・・・


死の概念が薄い妖怪であっても、それを意識せずにはいられない。

惹き込まれるような、引きずり込まれるような―――死への誘い。


―――妖怪である自分がこれほどの干渉を受ける・・・もし、相手が人間ならば


「――便利な能力ね」

表情を読まれぬように、わざとらしく微笑んでみせる。


「便利……そう、そう思えるのね」

無感情にそう呟く少女。

精神攻撃が通じないと理解したのか、先程よりも多くの弾幕が打ち出される。

それを相殺しながら、自らの隣の空間を弄り、隙間を広げる。


覚悟していれば、自らの能力を持って精神干渉など防いでしまえる―――ならば、あとは力勝負――圧倒的な物量で私の前に跪かせる。


捻じ曲がり、繋がった隙間からは、上下左右関係のない攻撃が広げることができる。


大量の弾幕を境界の内に潜ませ

それとわからぬように力を設置して



――さあ、踊りなさい。

笑みを深くして、そこに妖弾を打ち出そうとしたとき。


「――いい加減に」

ぼそりと、そんな呟きが聞こえた。

侍の、ではない。

あの少女が力を使い始めたところで、あの侍は後ろへと下がった。

ならば


「話を聞けといってんだろう」


―――あの規格外に決まっている。


低く呟かれたその言葉と共に、片足で地面を強く叩く。

恐ろしいほどの力が込められたそれによって――打ち出していた弾幕、集めていた力が、吹き飛んだ。




________________________________________




気当たり、というものがある。

元来それは、立会いなどで相手の出方を伺うための威嚇や牽制のものである。

けれど、それが一流の者によるものならば、ただそれだけで相手を萎縮させ・・・格下の者ならば、気絶させ、吹き飛ばすことすら可能だともいう。



―――それでも、これは桁違いだ。


一瞬、風のようなものが生まれたかと思うと、溢れていた霊力・妖力といった力のみを吹き飛ばしてしまった。

それを操っていた本人たちに影響がないところを見ると、他の方法なのかもしれない。

それでも、相当の実力差がなければ、こんなことができるはずがないということくらいは理解が出来る。


あまりの力に自然と竦みながら、自らの主の身を案じた。


いつでも飛び出せるように身構えながら―――せめて、この身を盾として



それを行った男は、ゆっくりとあの妖怪の方へと近づいていく。

そして、優しげにこりと微笑んだ。


「さて、お話ししましょうか」


自分より、一回り以上も下に思える男に恐怖を感じたのは、これが初めてだった。



勝手に巻き込まれて

勝手に置いてかれて

流石に怒りますよ、的な


会話のキャッチボールは大事です。


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