枯れ木に花を
焼けた木々は灰となり、土を鼠に染め上げる。
煤けた灰は宙を舞い、彼方の場所に降り注ぐ。
はらはらと散った命
さらさらと流れた命
風はいつか吹きやんで
浮かんだ鳥も止まり木に
何処かの
遠い空気をはらんだままに
新たな命が芽吹く土地は
新たに運ばれた大気を吸って
いつか
花が咲くこともあるだろう。
枯れた命を糧として
花は色づき、緑が咲く。
聖灰から再誕する焔のように美しくはなくとも
灰に汚れた手だからこそ
魅せられる姿
一つの命の生き様を示した。
異端の辿った軌跡
何処まで外れても
その中心は変わらない。
きっと
どこまでも
どうしても
私は私でしかないのだから
________________________________________
――調子の狂う。
胡散臭い笑みを浮かべていたと思えば、妙に真剣な雰囲気を出して話出し、かと思えば、急にふざけた調子になる。
はぐらかされているようで、からかわれているようで、何だかつかみ所がない。
語られ
諭され
誤魔化され
その雰囲気に呑まれて、自分が何に怒っていたのかもわからなくなってしまう――不思議な感覚
戸惑い
迷い
溢れ出るものは変わらない。
――でも
これほど他人と話したのは久しぶりかもしれない。
最近はほとんどが野宿で、人里には近づこうとしなかった。
自分が違うことを意識させられるから
何か別のものになってしまったことを実感してしまうから
――それが怖かった。
他人の視線。
自分の力。
投げかけられる言葉も
向けられる感情も
だから―――
「さてさて、寝床はどうするかねぇ・・・」
端に束ねてあった布切れを確認しながら、男は何やら思案気に呟いている。
まるで、何事もなかったかのように
ただの、日常の延長とだとでもいうように
「――不思議じゃないのか?」
ぽつりと、独り言のようにいった言葉に、男は訝しげな顔をこちらに向ける。
「あ、えと・・・」
無意識に零していた言葉に、自分自身でも驚きながら、慌てて口を動かした。
「こんな・・・わけのわからない姿で、炎を出して――」
その声は擦れ、聞き取れないほどに小さくなっていく。
口に出すのが、自分でも辛くなる。
――けれど、それは本当のこと。
「ばけ・・・」
「ああ、そういや水沸かしとかないといけませんねぇ」
続けようとした言葉は、中途のところで男の飄々とした声に遮られた。
夜半に沸かしなおすのも面倒だと、そんなことをいいながら、置いてあった鍋を抱えて男は扉の外へと出ていってしまう。
「あ、え・・・ちょ」
折角覚悟した気概をいなされたようで、なんだかたたらを踏んだような気分となってしまった。
――ああ、もう
ほんとに調子が掴めない。
そんなこちらの様子を知ってか知らずか、戻ってきた男は、慣れた様子で囲炉裏の火を調整している。
妙に良い手つきで、それもなんだか癇に障る。
――なんなのよ・・・この男は
「で、火がどうしましたって?」
丁度いい具合に火を治めた様子で、男はそういいながら自在鉤にぶら下げた鍋からこちらに向き直った。
一応聞いていたのか、と半ば呆れて、残りは怒りが込み上げる。
――なんでこんな奴に私は・・・
ああ、もう
「――こんな炎を出すこんな“化け物”、それがおかしく思わないのかっていってるんだ!」
ほとんどやけくそのような感覚で――苛立ちを吐き出すように一気にその言葉をぶつけた。
本当は口にしたくない言葉。
認めるしかない現実。
一瞬の沈黙と
ぱちぱちと小さな火が弾ける音だけが響く。
受け入れられるとは思っていない。
ただ、それでも
――何かが変わるかもしれない。
諦めがつくのか。
何かを得るのか。
そんな希望とも絶望ともつかない――小さな予感。
それを感じさせる男の、答えを待った。
握りこんだ拳は、白く――痛みを伴うほどに力がこもる。
そんな状況で
「――くくっ・・・」
聞こえた声と知らぬうちに下がっていた視線。
それを上げると、頭を抱え込むようにして笑みを浮かべる男の姿があった。
「――何がおかしいんだ・・・?」
いたって真剣だったはずの発言。
それに対して、笑い続ける男。
「なんだ・・・いいたいことがあるならいってみろ」
心なしか自分の声が低くなった気がした。
俗にいうと、いらついている。
「いやいや、すいませんね」
そんなこちらの様子を察しながらも、全く反省の色もない様子で男は答えた。
その様子にますます目尻がつりあがる。
「あー・・・悪気はないんですよ?」
こちらが少し本気になっていることに気づいたのか、男は少し焦ったように表情を崩す。
それでも、目だけは笑ったままで
――胡散臭い。
今までの様子から見ても、まったく信用できない態度。
男は、こちらの訝しげな目をまったく気にしない様子で
「まあまあ、落ち着いてください」
おっとりといった印象にいった声色で――そういった。
「あんまり興奮するから――指から炎がはみ出ててますよ」
「・・・っ!?」
その言葉に慌てて自分の両手を見つめた。
そこにあるのは、白く汗ばんだ手のひら。
いつも通りの、傷一つない手、だった。
火花の一つも飛んでいない。
はっと顔を上げると、口元を押さえて声を抑えながらも――先程より数段笑みを深くした男の顔があった。
「――おい」
低く、ドスの効いた声。
妙に落ちついた怒りが込み上げてくる。
頭は冷えているのに、腸が煮えくり返っている。
「ふざけるなよ・・・」
今なら罪悪感もなくこいつを殴ることができる。
そんな感覚に反応してか、いつもはぎりぎりのところで抑えている炎が思い通りに――掌の上でごうごうと音をたてるのみに収まっている。
――妙に落ちついてる・・・
造り出した炎に自分でもそんなことを思ったが、今は置いておく。
先ほどよりも鋭く――敵意を込めて睨みをきかせた。
脅しのように炎を見せつけると、男は興味深そうに目を細めた後、胡散臭そうな笑みを浮かべて-―敵意はないというように両手を上げた。
「まあまあ、落ちついてくださいよ、お嬢さん」
「人をからかっておいて・・・」
よくいう。
鼻先に炎をちらつかされても笑んだままの男。
――本当に殴り飛ばしてやろうか・・・
そんな危険な思考が頭をよぎる。
けれど、一瞬だけ、男の表情が歪んだように想えた。
幼子を眺めるような、昔を思い出すような――そんなものが・・・
――なに・・・?
疑問が浮かぶが、その表情はすぐに、先程までの胡散臭いものへと変わった。
ほんの一瞬にしかすぎなかった出来事に、見間違いかと意識を戻す。
「――では」
そんな微妙に逡巡していたこちらに、男は小さく呟いて、ゆっくりとこちらに腕を伸ばした。
こちらの前に伸ばされた腕の先、その拳の中身見せつけるようにそれをゆっくりと開く。
そこには、何ものっていない。
「なんだ?」
ぶっきらぼうに声を上げて、男に視線を向ける。
「一つ面白いものを見せましょう――これで許してください」
男は大仰そうにそういって、軽く息を吐いた。
目の前の掌に、少しだけ力がこもる。
そして
「さてさて、お立ち会い」
そんな軽い調子で放たれた言葉と共に
「え?」
そこには――小さな、蝋燭の灯りほどの炎がそこに、ふっと浮かび上がった。
呆然とする此方を淡い光で照らしながら、水、火、光の玉など、次々と小さな何かが生み出されていく。
「――よいよいっ・・・と」
そんな軽い掛け声と共に、生み出したものたちはふわふわとその手の上に浮かび、複雑にその空間を動き回った。
様々な成分で造られたそれらは、互いに光を反射し合いながら
くるくると渦を巻くように揺れて、
きらきらと星のように明滅して
――男がすっと手を閉じたと同時に、ぱんっと音をたてて消えた。
固まったこちらに、にやにやと嫌味な笑みを浮かべながら、男が視線を向ける。
「おやおや、どうしましたお嬢さん。何か驚くようなことがありましたか?」
からかうように上げられた声。
その嫌味な態度が気にならないほどに、頭に一つの疑問が持ち上がる。
「何者、なんだ?」
こぼした疑問ににやりと口元を歪ませて、男は口を開く。
「なあに、ただの年寄りですよ」
また寂しそうな表情を見えた気がした。
けれど、それもまた、すぐに消えてしまう。
そして
低く、落ち着いた声で
その不思議と、呑まれてしまうような雰囲気で
「髪の白くない、若づくりの、ね」
そういった。
そうして
内緒ですよ、と悪戯っぽくいって、男は笑う。
軽い調子で
飄々と
その姿はあくまで自然体で、あくまで普通で
何もおかしいところは存在しないし、存在していないようだった。
ただ、当たり前に――特別なことをしていた。
おかしな普通さ。
不思議な自然さ。
それでもいいか、と思ってしまえるような当たり前。
それが、妙に滑稽で、妙に可笑しくて――なんだか子どものように笑ってしまいそうになった。
頑張って堪えたけれど、少しだけ、笑ってしまった気もする。
それくらい
おかしいことだと思えた。
自分も
相手も
それでいいのかと、思ってしまうくらいに。
こぼれた笑いは、なんとなく湿っぽかった気もして・・・
少しだけ頬が濡れていた。
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「さて、と」
――始めますか。
小さく息をついてから、荷物を探り、一枚の衣を取り出した。
すっかり夜も更けて、鳥と虫の声しか聞こえない。
久しぶりに人と話したせいで疲れているのか、少女もすっかり眠ってしまっている。
――市で捌こうとも思ってたんだが・・・まあ、いいか。
鮮やかな紅色に白い線で模様がいれられたそれは、なかなかに珍しく、かなりの
上物である。
上手くすれば、貴族や豪族を相手に高値で売りつけることも可能だっただろう。
――しかしまあ
路賃に困っているわけでもない。
無用に財をもっても、旅の邪魔になるだけだ。
そう考えて、綺麗に縫いつけられた衣をほどき、一枚の布の形へと戻していく。
――加工しやすい部分だけを残して・・・あとの端切れは大きいものを残して・・・他は村人に渡せばいいか。
端切れといっても、こういう上等の繊維は貴重品。
きっと上手く役立ててくれるだろう。
そう考えて、必要のない分の布を適当な袋に押し込み、細長く、長方形のような形になった残りをしわのないように綺麗に広げた。
――確か、と。
壁際においておいた荷物を解き、奥から筆と小瓶を取り出す。
手のひらほどの大きさそれから栓を抜き、中身を小皿へと引っくり返した。
細長い口から、とろとろとした液体が注がれ、円の形へと波が落ち着く。
――少し薄めるか・・・これじゃ描きづらい。
そう考えて、隣に置いておいた鍋――温めておいた白湯の残りをそこに足す。
筆の先でかき混ぜると、先程までは白く濁っていた塊が、半透明程度の液体へと
変わった。
「・・・まあ、こんなもんだろう」
そう呟いて、改めて広げた布へと向き直る。
――基本的には封印の式。それを長期発動、装備者への簡易的干渉と制限。
あまり複雑にすると、式が短命となる。
なるべく長期的に考えるなら、無理矢理にではなく、術者が自主的に動く方向に働きかけるもの。
――夜明けまでには完成する・・・それでいて効果的な。
そんな術式を頭に浮かべ、それを目の前の布へと刻んでいく。
染み入るように吸い込まれていく液体は、乾くと何もなかったかのように消えてしまう。
全体図を把握しておくためにも、あまり時間はかけられない。
――円と線、曲と式・・・継ぎと繋ぎ・・・
霊力を込めながら淀みなく腕を動かして、その図を組み上げる。
参考とするのは、朝に眺めた封符。
あれよりは余程に簡単ではあるが、様々な要素を組み合わせるのには違いない。
水で消し、土で沈め、金で塞ぐ。
風を止め、氷で冷やし、木で和らげる。
その火を、その感情を、その高まりを
あくまで微かに、あくまで簡単に――けれど、気づける程度に。
――あとは本人次第。
これは、ただの印。
今の現状を知らせるだけのもの。
――完全に抑えはしない。
ただ、きっかけを与えるだけだ。
それ以上の効果はつけない。
そこまでする気はない。
これはあくまで――忠告程度。
「よし、と」
一つ目の術式を描き終えて、再び筆を濡らしなおす。
――自分で自分を扱えなければ、結局繰り返す。
だからこそ、最初の切っ掛けだけおいておく。
一つの機会はそこにあり、あとは、掴むかどうか。
――完全封印をずっとなんてのは、俄然無理だろう。
その印はいつか消えてしまう。
だから、それまでに出来るようになっていかなければならない。
後悔しないように。
――ほっぽりはしないが・・・
甘やかす気もない。
ただ、学ぶ機会を与えるだけだ。
何をすればいいのかは、自分で考えるしかない。
方法はいくらでもある。
――それに
多分、自分一人しかできない方法で――それは治まる。
なんとなく、そう感じている。
原因は少女自身で、解決するのも少女自身。
これは
それに気づくための切っ掛けに過ぎない。
自分で自分を律するための
自らに由る力を操るための
「さてさて」
どうなりますか。
一人呟いた言葉は何処か楽しげで
それはそのまま、響きどおりの感情を示していた。
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久し振りに感じた感覚。
それは、目が覚めたというものだった。
夢か現か、朦朧とした意識の中をさ迷う眠りではない。
目蓋を閉じた暗闇の中に、身をゆだねる感覚。
――ああ・・・朝なのか・・・
ぼやけた思考の中で、差し込まれた光によって日の出を知る。
なんだか、とても懐かしいような気がした。
――いつもと同じはずなのに・・・
少しだけ、違う。
それは、何だか悪くない感覚だ。
――昔は、そうだったかな。
温かい布団の中、慣れ親しんだ人たちの声で起こされて、誰かと供に食事をとる。
当たり前で
普通のことだった日常。
それは・・・
「――ん、目が覚めたのか・・・」
そんな追想に水をさすように、無粋な声が響いた。
ふわあ、と眠たげに欠伸を噛み殺しながら、ぼうっとした視線でこちらを見る男。
「まあ、よく眠れたようだ、な。お嬢さん」
重畳重畳、とやる気なく呟く様は昨日と同じだが、妙に覇気のない。
胡散臭い印象の言葉使いもどこか薄れて、なんだか疲れているようにも思える。
――眠っていないのか?
なぜ、その原因・・・もしかしたら、という様々な憶測が頭の中に満ちていく。
――建物は焼けてない・・・怪我は?・・・見当たらないけど、隠してるのかも・・・でも・・・えっと
蓋が外れたように溢れだす悪い予感。
先程までの清々しさが嘘のように萎んでいく。
自分のせい、私の責任。
そんな言葉で埋まっていく思考。
そこへ
「――落ち着きなさい、と」
トンッと軽く突くようにして、額に指が当てられた。
急いで立ち上がろうとしていた体の力が抜け、ぽてんっと尻餅をつくような形で座り込んでしまった。
目の前には、呆れ顔でこちらの前にしゃがみこむ男の姿。
「何を勝手に盛り上がってんですか・・・」
寝ぼけないでください、とそういって男はまた眠そうに口に手を当てて、大きな欠伸する。
「まあ、おかげで少しは目が覚めましたが・・・」と目蓋を指で擦っている以外は、本当に平常な状態に見えた。
「ね、眠ってないのか?」
「あー・・・ちょっと野暮用で」
少しヒリヒリとする額を押さえながら尋ねた疑問に、やりたいことがあったんですよ、と男は簡潔に答えた。
「・・・私のせい、か?」
迷惑をかけたのかもしれない。
そんなことを考えながら、恐る恐る声を上げる。
「いやあ…」
それに対して、男は小さな欠伸を噛み殺しながら答えた。
「それは半分くらいで・・・」
あとはこっちの都合です。
言いながら、男は先程まで座っていた場所へと移動し、床に拡げてあった何かを取り上げる。
そして、何かを確認するようにその全体を眺めてから、「うん」と軽く頷いて、こちらに放り投げた。
「わわっ・・・と!?」
ばさりと風圧にはためきながら飛んできたそれを慌てて掴みとった。
手にはするりとした感触。
――これは・・・
薄紅色の細長い布に、何かの文様のようなものが白い線で描かれている。
繊維のざらつきも感じられない感触の良さから、この布が高級品であることが伺えた。
それを
「やる」
「え、あ・・・?」
端的にそう告げられる。
――一体・・・何?
そんな疑問が浮かぶが、男は気にした様子も見せずに眠たそうに欠伸をしている。
昨日の人を食った態度が幾分減退している分、なんだかまた――微妙な印象だ。
「さてさて」
男はこちらの戸惑いを、知ってか知らずかなにやら呟いて、調子悪そうに伸びをした。
ぐっと両腕を上げて「うう」と苦しそうに呻きながら腕を下した後、隣においてあった荷物から何かを取り出して、隣に置く。
そして、そのまま何かの作業を続けながら、口を開いた。
「――あんたはこれからどうしたい?」
こちらの疑問とは関係のない質問。
視線は別の方向に向けたまま、そんなことを問われた。
何の脈絡のない質問に多少逡巡しながらも、少し悩んでから答えた。
「――もうこんなことがないように、山奥にでも引きこもるさ」
そうすれば、誰にも迷惑はかからないし、このまま何もしなければ――何もなかったことになる。
私は自分の罪だけを背負っていればいい。
そう考えれば、随分と楽になった。
自分でも納得がいっている。
けれど、そんな答えに、男は顔をしかめた。
そして、「はぁ」と小さく溜め息をついた後、また問い直す。
「どうするんじゃなくて、どうしたいかって話だ」
問われた言葉に疑問がよぎる。
――一体なにをいっているんだ?
上手く繋がっていないような会話に、少しの苛立ちを覚えた。
本当に寝ぼけているのかと、男の方をきっと睨みつけるように見つめる。
そうするしかない。
そうしなければならないのはわかっている。
それが、私の罪だ。
他に方法はない。
そんなこちらの様子に再び嘆息しながら、男は先程の布を指差した。
「それを身につければ、お嬢さんの力を抑えることができる」
「・・・・・・!?」
告げられた言葉に思わず男の顔を見つめた。
男の言葉は、変わらぬ調子で続いている。
「まあ、正確にはそのきっかけとなるものだ」
男が語るのは、その役割。
制限と方法。
「お嬢さんが止めようと思えれば、それは止まる」
制御の方と意識の蓋。
方法自体はごく単純なもの。
私の気持ち次第、というだけ
――ただ
「止めようと思えなければ、それは止まらない――すべてはお嬢さん次第ってことになる」
自分を制御できるか。
自分を止められるか。
自分次第の―――自分の責任。
「受けとるかい?」
突きつけられたのは、一つの選択。
このまま諦めるのか、足掻こうとするのか。
思っても見なかった可能性――広げられた誘いに、言葉が出てこない。
一瞬、どうすればいいのかがわからなくなる。
――私は・・・
どうすれば
「――と、まあ急ぐこともありません」
また、熱くなりかける思考。
その手前で、男はあっけたかんとした調子でいった。
「その前に一杯といきますか」
――迷いをみせたこちらを察しているのか。
どうやら、少し時間をくれたようだった。
男は、いつの間にか沸かされていたお湯に先程隣においていた容器から何かを注ぎ、細長い棒でそれをかき混ぜる・・・・・・それが湯の中に完全に溶けると同時に微妙に強めの香りが広がった。
柔らかい香草の匂いが部屋全体を覆う。
「ちょっとした滋養の薬草です。少しは目が覚める」
そう説明しながら、それが注がれた器が差し出される。
温かい湯気を立てるそれ、少し息を吹きかけて冷ましながら、男はそれを口に含んで目を瞑った。
そして、こちらにも、どうぞというふう指で促した。
強めではあるが、何だか身体に活力を与えてくれるような、そんな香りを放つそれ。
少し迷いながらも、相手と同じようにそれを冷ましながら、それに口をつけた。
――瞬間
「・・っにが!?」
舌の上に絶大な苦味がはしった。
思わず叫び声を上げ、器を放り出しそうになる。
「――ね、目が覚めるでしょう」
思わず涙目になったこちらに、けらけらと笑い声を上げながら、平然とした様子でそれを飲み続ける男。
確かに、先程よりも目が覚めたようで――昨日の調子に近づいている。
「おまっ・・・!」
「身体にいいことは確かです。ゆっくり呑みながら――悩んでください」
言い放たれた言葉に、怒鳴りつけようとした言葉がしぼむ。
微妙に釈然としないが、『その間ぐらいは待っていてやる』、そういうことなのだろう。
「――ありがとう・・・」
すっかり子ども扱いされるのに、少し憮然としながら、ぶっきらぼうに礼をいった。
それに対しても、「いえいえ」と軽く笑って受け取る。
本当に、子どもに戻った気分だ。
それに反発するように、その苦い飲み物に無理やり口をつけた。
________________________________________
「私に出来ると思う?」
やっと半分ほど薬草汁を飲んだところで、少女は口を開いた。
その姿には、昨日ほどの悲壮感は見られないが、やはり、あまり明るいものには感じられない。
それは、積み重ねてきた失敗の重さであるのだろうし――自分を信じきれない自信の無さでもあるのだろう。
それだけの経験があるということだ。
「さて、ね・・・」
そんな様子の少女の器に、鍋の中身を継ぎ足しながら呟いた。
微妙に嫌な顔をしていた気もするが、まあいいだろう。
「ふう」と自分の分の器に口をつけながら、軽く息を吐いた。
昨日に使いすぎた気力が少し回復し、頭が働き始めるのがわかる。
――やっぱり二徹はきつかったか・・・
ただでさえここのところちゃんと眠っていなかったのが、昨夜に力を使った分、かなりの疲労となっている。
保存しておいた薬草によって多少緩和できるが、この体の重さは、きっちりとした睡眠をとらない限り抜けきらないだろう。
――まったく・・・
そんな疲れを吐き出すように息をつきながら、回りきらない頭で、正直な返事をした。
「わからん」
「そんな適当な」といった感じに少女の表情が曇るが、構わず言葉を続ける。
「お嬢さんが何を抱えているのか――何に囚われてるのかもしらないんでね」
少女の根幹になる記憶に対して、自分は何も知らない。
人間何人分もの時間、その間中、保ち続けた感情を知ることはできない。
そして
――知りたくもない。
たとえ、まったく同じ時間を生き続けたとして――感じるものは違う。
それが、人の生というものだ。
決して共有できるものではないだろう。
「それがどれだけ大きいもので、どれだけ根深いものなのかもわからない」
それでも
それが、苦しいもの。なくしてしまいたいような重荷だとしても、きっと、なくしてしまえば、何かを失ってしまうくらいに。
それほどに――生きる意味だと言い換えてしまってもいいほどに、大きくなってしまったものなのだろうことは理解できる。
それと似通った何かは知っている――多分、それは別のもので少女と自分は違うが――
「それでも」
それでも
「嫌なんでしょう?」
そうしてしまうのが
そうとしかできないのが
「苦しくて、辛くて、何もかもを終わらせたくなって、消えてしまえと願っても――それでも、嫌だ」
そう思ってしまう。
それだけが変わらない。
それは
きっと同じ
「消えない火のなかで、ずっと在り続ける」
それが何なのかはわからない。
ただ、いつもそこにあることだけは確かなもの。
振り切れない、磨耗しない、風化しない。
折角消えたと思っても、いつの間にか、また生まれ、そこに居座って
いっそ失くしてしまえば、そう願っても
「自分が自分である限り―――変わらない」
そんなもの。
身体の不調を訴えるように込み上げた欠伸を噛み殺しながら、少しぼうっとしている頭に浮かび上がる言葉を連ね続ける。
「そんな不老不死みたいなもの、相手にし続けるだけ面倒になる」
これはきっと、実体験を語っているだけの思い出話。
ただの事実で、自分を振り返っているだけに過ぎない。
重なるか。
重ならないか。
自分なりの解釈で
「なら、相手にできるほうを相手にしてる方が楽だ」
昔の後悔、過去の失敗。
自分の中に根付く教訓と経験。
当てはまるなら、そうしなければいい。
当てはまらないなら、そうすればいい。
「その力は自分のものだ」
選ぶのは自身の想い。
したいことをしたいようにするだけだ。
「悲しみだとしても、憎しみだとしても、それは自身のもので、そこから沸きだしたもの――なら」
止められない想いで、振り切れない感情で
それでも、自分自身のものならば
「方向を逸らすくらいはできるかもしれない」
誰も、何も巻き込まないように
消えない炎ならば――広がらないように
自らのうちに楔を――誓いを打ち込んで
「――少なくとも、この一夜に――ぼや騒ぎも何も起きていない」
自らの過去から、今の目の前の少女に向き直る。
「あとは、それを繰り返す」
それだけのこと。
偶然を繰り返せば、いつかは当たり前になる。
それがずっと続けば
――日常に
そうなればいい。
そう思った。
________________________________________
遠くを見ていた目は、いつの間にかここにまで近づいて、こちらの前に立った。
柔らかく笑いながら、男はこちらを眺める。
「こんなじいさんより、よっぽど若いんだ――時間は腐るほどある」
なら、腐ってしまう前に。
そういって微笑んで
「年寄りが新しいことを始めるのは大変だ」
軽い調子で嘯いて
「先はお嬢さん次第」
その手をとるのか、払い飛ばして逃げ出すのか。
選択するのも私自身。
そんな選択を差し出した。
「年寄りにできるのは、その手伝いだけです」
言い渡すように指された指先には、赤い布。
まだ汚れぬままにいるのは、私のことを示すのか。
「当たるも当たらぬも、信じるか信じないかも――お嬢さん次第」
手をとりますか――闘う気はありますか。
そう問うたのは、言葉ではなく、その眼差し。
無言のままに告げられる。
自分の想い。
自らの覚悟。
頭によぎったのは、過去の過ち――そして、その元凶への暗い感情。
それを思い浮かべるだけで、焦げつくような炎が胸を焼く。
――それでも
眠るのが怖い。
近づくのが怖い。
――もう嫌だ。
何度も振りおろしかけた腕。
焼け焦がした生活。
――この炎に呑まれても
見過ごせないもの。
捨てられないもの。
無間地獄のように続く生とその切欠と――届くかもしれない指先。
希望に続くのか。
絶望に終わるのか。
「ああ」
きっと、睨み付けるような視線を男に向ける。
自らを奮い立たせるように
誰かに誓うように
「私は――」
ばらばらに放っていた髪に手を差し込んだ。
ずっと変わらない傷みのない髪の間にしゅるりと音をたてて、通り抜けていく感触。
半分に閉じていた視界が広がって、はっきりと前が見える。
――どうせ逃げないと決めたんだ。
その先に立つのは、眠たげに目を細めながら、どこか楽しそうに微笑む男。
負けじと、こちらも不敵に微笑んでみせる。
焼き尽くす炎ではなく。
この先を照らす火を灯せるように
「――――」
可能性を手に取った。
________________________________________
荷車にのせてしまえば楽になる。
けれど、これだけは自分で運んでいこう。
その荷車だけが別の場所に行ってしまっても失わないように。
重くとも
辛くとも
これだけは失くしたくないものなのだから
心の隅に置いておこう。
きっとそれだけで
私は私を失くさない。