永月が縁
この世に起こりうる様々な事象
万象に彩られている世界
数え切れないほどのことが世界には溢れ
そして、消えていく。
様々な原因を基に
様々な要因を基に
何かが起こり、何かが消える
では
その世界に起きる様々な事象
その最も多い原因とは何なのだろう。
自然現象
天変地異
人為的
超自然的
連鎖的
蝶の羽ばたきで世界が揺れるように、この世界には様々な事象が在り、原因が存在する。
ほんのわずかな、どんな大きな物事にも
発生条件――生まれた理由が存在する
望んでも
望まずとも
そこにあるのだから
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「――むぅぅ…」
久方ぶりに浴びた朝の光に瞼を瞬かせながら呻き声を上げた。
多少の睡眠をとったとはいえ、長時間にわたって酷使し続けた目に、太陽は鋭い刃物のようにも感じられる。
「おや、ご出立ですか」
光に順応するために立ち止まっていたこちらへと、一人の女性が声をかけてきた。
片手に箒を抱えているところを見ると、どうやら庭掃除をしていたらしい。
「ええ、お世話になりました」
そういいながら軽く頭を下げると、「いえいえ」と丁寧に返される。
「こちらこそ。往来物の翻訳をしてくださったそうで、主人が喜んでおりました」
まるで子どもみたいに、そういってくすくすと笑う女性。
――確かに、子どもの様な人だった。
古今東西の書籍。物語、神仏書、どんなものかをも問わずに収集し、
貿易品に紛れ込んでいた落書きのような冊子までに喜悦を上げる。
そんな物好き、好事家。
――まあ、でも…
だからこそ、気が合ったのかもしれない。
変わり者――変人ともいってしまえるような人間。
様々な知識を差別することなく集め、それを知ることに喜びを得る。
知らないことを、素直に知ろうとする―――世界には、知らないことがあるのだと、知っている人間。
多少、偏った所はあったが―――
「――それは良かった」
子供のように自らの好きなことに打ち込む姿。
何かに懸命になる姿を眺めているのは、楽しいものだ。
それは
生きているということなのだから
望んだ場所で
願う場所で
自分らしくいられる場所で
「―――…っとに、計画性がないな。俺は」
そんなことを思いながら、屋敷を出たのが、ほんの半日前といったところ。
現在、太陽は西の山々の向こうへと姿を隠し、頭上には数え切れないほどの星の群れが、月の明かりを中心として舞っている。
申し訳程度に整えられた緑の間に走る土の線は、視線の先を何処までも進んでおり、その先には、一つの灯火も見えない。
つまり
「――また、野宿か」
小さく吐き出した息は夜の闇へと溶け、近くからは何の気配も感じられない。
精々、鳥と虫の声が響くのみだ。
――少し、のんびりしすぎたか。
そんなことを思いながら、途中で食った道草を思い出す。
――薬草採取、むやみな獣道の散策、昼寝、貰った本の歩き読み……そりゃ、道も進まないはずだ。
あまりに適当すぎる道行に、思わず苦笑いがこみ上げる。
流石に、気を抜きすぎだ。
――とはいっても
目的地もない道楽遊行、急ぐわけでもなく、ただ、風任せに進むだけ――そんな旅に、速度も何もあったものではない。
その時々に、何かを見つけ、何かを探し―――何かをする。
暇を潰す、それ以外のなんでもないのだ。
気分任せの道のりに、計画も何もあったものではない。
なら、寄り道ばかりで足が進まないのも良くわかるだろう。
それも、旅の目的なのだから。
――とはいっても
ここ数日は、屋根のある場所で寝泊りしていた分、いささか気分が乗らないのも確かなことだ。
途中で睡眠をとった分、眠気も感じない。
――どうせなら、このまま進んでしまおうか。
幸いなことに、今夜は月が明るい。
これなら、道を外れることもないだろう。
そう考えて、その夜の空を見上げた。
「……む?」
一瞬
見間違いかと思ってしまうような
それほどに微かな光の反射
星の合間に紛れた別種の煌めき
――あれは
それに思い至った瞬間
目の前に迫るのは、一筋の銀光
「…っ!!」
月光を反射しながら飛ぶそれは、鏃。
此方の中心線――致命となる部位へと向かい真っ直ぐと進む凶器―――その群れ。
見た瞬間に理解する。
――避けきれない
絶妙な位置に配置されたその矢群、たとえその内のいく本かを避けようとも、何
処かしらに傷を負う、そんな計算された攻撃。
「――くっ!」
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「これは・・・」
――当たった・・・?
射線の先。
矢を射ち放った標的の気配を探りながら思う。
――掠りだけでもすれば動けなくなるはずだけれど・・・
一撃で仕留めるよりも、手傷を負わせるため攻撃。
本命は、鏃自体に仕込まれた薬の作用。
避けられないように放たれた矢群は、相手の薄皮一つを貫くだけで鯨をも昏倒させる毒の刃。
――気配は消えた・・・けれど・・・
妙な違和感が残る。
確かにこれほどの遠距離射撃なら、相手を仕留めたという手応えも感じられない
というのは理解している。気配で探るしか方法がない。
そして、確かに今、気配は消えた。
それは標的の命中、死亡か、もしくは戦闘不能を意味する――そのはずである。
――ただ
数瞬、ほんの瞬き二つ分程の時間だけ、計算していたよりも矢の命中が早い。
そんな気がした。
ただの計算違い、そうともいえるはずだ。
けれど
――そんなことが有り得るだろうか。
重力、大気、相手の動作、反応・・・不確定要素までも含めて、その総てを計算した。
自らの力も把握しきった上での、不完全さえ視差に入れた予測。
それが
――誤差範囲からさえずれるなんて・・・
そんなことが有り得るだろうか。
予想外の自体に、警戒と並列した思考が駆け巡る。
――私のことを範疇に入れた追っ手・・・事態を把握してのものなら、明らかに早すぎる――報告する側は全滅しているのだから、まずはその確認のはず――生き残り・・・無くもないだろうが、それでも月を行き来するだけの時間はなかった筈だ。
では、これを予測していた・・・それこそありえない。
そんなこと
「・・・っ・・・」
牛車の後ろ、微かな寝息をたてながら眠る優麗な少女。
――私はこの子を見るまで、微塵も思っていなかったのだから。
正直、今でも不思議で仕方がないのだ。
なぜ自分がこんな行動をとっているのか、こんな馬鹿なことをしているのか。
――少し、おかしくなっているのかもしれない。
長い時、永遠にも思える時間の中で起きた、ほんの小さな事件。
それでも
なぜだか、放っておけなかった。
今まで、何度だって経験してきたこと、通りすぎたはずのものだったのに、なぜか。
私はあの時
この少女の中に
――何を見たのだろう。
そんな思考を遮るように、一陣の風が通り過ぎた。
懐かしい――幾時振りかもわからない空気の匂い。
――私は酔っているのかもしれない。
この星の大気に
懐かしい、故郷の世界に
だって
「――これはこれは」
こんなものが見えている。
「懐かしい気配だと思ったら」
予想、予測、理解、計算・・・そんなものの範疇を超えている。
「――こんな縁も、あるのかね」
永い時の中では、そんなことを呟く男の姿は、ひどく歪んで見えた。
まるで――
「■■」
幻のように
________________________________________
「■■」
口にした言葉は、ひどく遠い言葉だった。
とっくの昔に置いてきてしまった言葉。
懐かしい・・・そういうには、あまりにも、遠くなり過ぎてしまった言葉。
「こんなところで会うなんて、思っても見なかった」
有り得るはずがないと思っていたもの。
永遠の時間にすら存在しないと思っていた。
それは、自らの過去と対面したような、そんな感覚。
――まるで
普通の人間にでもなった気分だ。
久方振り――数百年振りかに感じる大きな驚き。
忘れていたようなその感覚に、少しの間、言葉を失った。
風が止み、木の葉の擦れる音が消える。
残るのは、夜空に浮かぶ星と月、そして、ほの明るく輝く牛と車。
郷愁
その静けさに名をつけるなら、そう呼ぶのだろうか。
少なくとも、自らにとってはそうだった。
遠い・・・過去に呑まれた時間だった。
「――あなたは」
口を開いたのは、向こうが先だった。
声こそ落ち着いていたが、言葉を探しながら話すその様子に、まだ混乱が治まっていないということが容易に理解できた。
記憶の中でも、見られなかった光景。
妙な感慨を覚える。
「あなたは生きていたの?」
あの時間から
ずっと
そう聞こえた気がする。
事実、本当に聞きたかったことはそれなのだろう。
ずっと生きていたのか。
この世界で、この場所で、たった一人で
言外にそんな想いが込められた言葉。
「―――」
その問いへの答えは――決まっている。
「――生きていた」
ぎりぎりの処で
その境目で
何かが消えてしまいそうな――そんな中で
生きていた
全てを
喪ったこの場所で
失くしたこの場所で
少なくとも
「今、こうしていられる分には、生きている」
微かに残った自分を抱いて
僅かな
幻のような人間らしさを抱いて
それでも
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怖い、違う。
嬉しい、違う。
驚き、確かにそれもあるが多分違う。
わからない。
それが一番近い。
別に大切なものではなかった。
ただ、興味深かっただけ、良い研究材料だっただけ
あれの完成に必要な、一番根幹の情報を持っていただけの存在。
だからこそ、一番最初にその役割を終えていた。
その後のことは、私は関係していない。
情報として、その男が死んだはずだということは知っていた。
生きられるはずがないと、自らも判断を下した。
そして
消えるべき存在だった。
自分にとってはどうでもいい、ほんの些細なこと。
けれど、人々にとっては、彼は否定すべき存在―――許してはならない存在だった。
ほんの偶然であっても、ただの事故的発生のものだったとしても、
彼の存在は、特別を特別でなくしてしまうものだった。
だからこそ、あそこで抹消してしまう。
なかったことにしてしまう。
その筈だった。
そう
聞いている。
けれど
―――生きていた。
無いはずのもの。
消えてしまったはずのもの。
忘れてすらいたもの。
そんなものを目の前にして
「――生きていた」
そこにはもう、おかしなことだという考えしか浮かばない。
驚きを通り越して、疑問にしか―――不思議だという感覚しか沸かないのだ。
気を抜くと、なぜだか笑ってしまいそうなほどに
不思議さしか感じない。
――なるほど…
どうやら私は、彼の気配を追っ手と勘違いしたのだろう。
その気配は、紛う方無き知ったものであり、それと似たものだ。
ほんの少しの違いはあれど、そのほとんどは変わりない。
ならば、解らずとも無理はない。
少しずつ落ち着いてきた頭が、そう考えをまとめる。
―――けれど
安心はできない。
彼が――敵でないとは限らない。
それに関わりがあろうとなかろうと、こちらは彼らを見捨てた側であり、彼は見捨てられた側の人間なのだから
沈黙が続く中、再び風が通り抜け、草木を揺らす。
重苦しい――肩に重荷を背負っているような、そんな感覚。
「――ふむ」
口を開いたのは、今度は向こうから
何かを考えこむように腕を組みながら、男は軽く息をもらした。
「さてさて、どうしますか」
独り言のように呟かれたその言葉には、少しの重苦しさも感じられない。
まるで、久しぶりに出会った友人との距離を測っているといったような――
男は、こちらとの距離を少し縮めると、近くにあった両手で抱えるほどの岩を指差した。
そして、顔をこちらへ向けて、一言、こういった。
「とりあえず、座って話しますか」
――そんな気軽さがあった。
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「へええ、そんなことが・・・」
月明かりに照らされた下、手ごろな岩を腰掛にして、さして雅もない話しをしていた。
星空の下、月明りが灯り、隣には、ぼんやりと輝く牛車。
そんな中で話す、男と女。
人が聞けば、邪推しても仕方がないようなそんな雰囲気の中、話題に上がるのは、ただの日常の話。
なんの赴きもない日常譚。
ただし
「変わらないな、月の都も」
「顔ぶれが変わらないのだもの。大きな変化はないわ」
交わされるのは、空に浮かぶ対の一つ――届かぬ月の話。
「そりゃ、退屈もするな。姫さんの気持ちもわかるよ」
「月にとっては一大事だったのだけれどね」
不可思議な会話。
けれど、ある意味自分たちにとってはその方が正しく―――普通なはずのもの。
交わされるのは、数万――憶振りの世間話。
「じゃあ――完成したのか」
「ええ、やっと完成品が」
永遠の中でこそ、交わされる会話。
隔てた時の継ぎ合わせ。
――懐かしい、のかね・・・?
そんな会話を続ける中、胸中に渦巻くのは微かな違和感。
まるで、物語を読んでいるかのような、実感の伴わない世界の話。
それは
今までの仮宿と同じ―――置いてきた名前たちと同じもの。
すでに、過ぎてきたものと等しいもの。
――ああ、そうか。
響く言葉は理解できても、その内側へは響かない。
――とっくの昔に、失くしていたのだった。
それは、何度も繰り返してきた記憶と同じ。
――あの時に
その場所は“仮のもの”に過ぎず。
――帰る場所ではなくなった。
故郷ではないのだから。
辿りついた思考の結論は、至極納得いくものだった。
数千、数万と時を重ね、億をも越える時間が過ぎる中
それすらも、ただ“通り過ぎた場所”の一つでしかなくなっていた。
そういうことらしい。
――考えてみれば
あそこにはもう、帰りたいと思う理由もなくなっている。
もう、あの時の時点で
そう考えて脳裏に浮かぶのは、最後の光景―――終わった場所でしかない。
改めて実感する時の流れ―――その重さに何故か笑みがこぼれた。
案外、それを意識するのは、こういうときなのかもしれない、と。
「どうかしたの?」
不自然に浮かべた笑みに、疑問の声を上げる旧知の女性―――似て非なる時を生きる薬師。
「いやいや、なんでもありませんよ」
ただの思い出し笑いです、と笑って返した。
そう、と小さく返す彼女。
眺める月は、相も変わらず遠いままに。
「それじゃあ、これからどうするんだ?」
互いの事情を理解し、それに納得したところで、その話題を切り出した。
向こうもこちらも、無駄に争う意味もない――偶然、死にかけただけ。
そんなことには慣れている。
「――身を隠すわ。姫様の能力を使えば、それも可能なはず」
「能力、か…」
「そう、私の能力を使う」
そこまで話したところで、後ろからそんな声がした。
「あら、姫様のお目覚めね」
長い着物のすれる音。
その音の方向に振り向くと、そこに立つのは――優麗さを体現したかのような柔らかき美しさを持つ少女。
――なるほど、あの噂は本当だったか。
竹の中より産まれし少女、その美しさはこの世のものとは思えないほどのもの。
その噂は、はるか都まで伝わり、天の長が我を失うほどだという。
「私の能力を使えば、月の追っ手からも見つからない」
なよたけのかぐや姫。
高尚なる美しさは、確かにこの世ならざる美麗さを誇っている。
まるで、別世界の――別種の美しさをもつかのような、そんな姿。
「――盗み聞きは良くないですよ。竹取の姫さまよ」
「聞こえてしまったの。仕方がないじゃない」
返す言葉には、なんの悪びれた様子もない。
そのまま、手ごろな岩を見つけてそこに座りこむ。
「そのための場所を探していたところなの。ねえ、永琳」
そういって優雅に従者を指し示す。
「永琳・・・?」
「こちらでの名よ」
地上の人間に、私の名前は理解できないようだから、との補足。
なるほど、と軽く頷いた。
________________________________________
「姫様の力なら、あちら側に発見されない――発見されたとしても手出しができないような結界を張ることが出来る」
当てもなく空を彷徨っていた理由。
わざわざ、人気のない夜を飛び回っていた訳を説明する。
「そのためにはまず、大きな力を使っても、それとわからない場所を探さないといけないから」
その力の源である姫が、後を引き継いで補足を加える。
そう
私たちはその場所を探さなければならないのだ。
確かに、姫の力を使えば、余程のことがない限り、それが露見することのない結界を創ることが出来る。
けれど、そのためには大きな力を使わなければならない。
そうなれば、いくら強固な結界を張ろうとも
「――結界を張るための力によって、居場所がばれる。そういうことか」
それを理解したのか、男は納得したように呟いた。
「正解」
説明の手間が省けて嬉しいのか、輝夜が微笑みながら答える。
「足取りを混乱させるのはできるのだけど」
流石に、一箇所に留まっているあいだわね。
苦悩を滲ませた言葉に、男は納得がいったというふうに頷いている。
「――それで、永琳。場所は見つかったの?」
「――まだ、ね」
輝夜が上げた疑問に、暗い調子で返した。
月の者たちにすら通じる結界―――それほどのものを拵えるには、余程の大きな力を使わなければならない。
それが、紛れてしまうほどの力を秘めた土地となると
―――滅多なことでは見つからないだろう。
そう、と気落ちしたように呟く輝夜の顔にはあまり精彩がない。
元々、家屋からあまり出たがらない性質の人間だ。
長期間の野外生活に、肉体的には大丈夫でも、精神的に疲れが溜まってきているのかもしれない。
―――早く見つけなければ
そんな焦燥感がこみ上げる。
「――それは」
何かを考え込むように、腕を組んでいた男。
それが、ぼそりと呟くように言葉を発した。
「例えば、龍脈――土地自体に力が集まりやすい場所。力を惹きやすい場所ってことでいいのか?」
「ええ、かなりの規模は必要になるけれど、そういう強い力を秘めた場所なら大丈夫」
ふむ、と何かを思い起こすかのように顎に手を当てる男。
こちらの様子を探るように、低い声で問う。
「そこに住人には、何の影響もないのか」
「隠れる場所さえあれば、その者達が近づかないような呪いもできるわ」
よし、と軽い声を上げ、男は膝を叩いて立ち上がる。
そして、こちらから少し離れ、ぶつぶつと何か呟きながら空を見上げた。
どうやら、月や星の位置を見て、方向を測っているらしい。
「――ふむ、ここからなら・・・向こうの方向か」
そう呟いて、ある一点の方向を指差した。
「ここから真っ直ぐ―――まあ、歩けば半月といった処に、変わった土地がある」
指し示された方向にあるのは、険しい山々。
「人間と――多分、妖怪もいるはずだが、まあ、上手く位置を調整すれば、隠れる場所くらいあるだろう」
そこなら多分大丈夫だ、そういって男は振り向いた。
――歩いて半月・・・最高速度で飛んでいけば、一日二日程度でたどり着けるだろう。
男が離した距離を自分たちの速度に換算する。
―――それほど手間もかからない。何より
「――手がかりなしに探すより、よっぽど楽でしょう?」
こちらの思考を読むように呟かれた言葉に、思わず男の顔を見ると、男はにやにやと胡散臭げに笑っている。
「何やら、信用しづらいわね」
「嘘はついてませんよ」
疑わしげに目を細めた輝夜に対して、男はそのままの表情で答えた。
「ま、参考程度に聞いといてください」
そういって、元に位置に座りなおした男。
眠たそうに欠伸をしながら、話す姿には、ほとんど頼りがいを感じられない。
けれど
――こちらは手がかりも何もないのだ。
「――行きましょうか。姫様」
「いいの?永琳・・・?」
あっさりと男の話に乗ったこちらに、輝夜が不思議そうに声を上げる。
確かに、いつもの自分ならもう少し情報を得てから動くだろう。
けれど
「――たまには、騙されてみるのもいいでしょう?」
微笑みながらいった言葉に、信じられないと驚いた様子を見せる輝夜。
――自分でも、なんだかおかしな気分ではある。
けれど、なんとなくそうしてみたい気分なのだ。
「おや、信用してくれるんですか?」
慇懃無礼に微笑む男に
「ええ、折角の縁なのだもの」
自然に浮かんだ笑みで返した。
輝夜は、その様子を不思議そうに眺め、それから、何故か微笑んだ。
何かに安心したように―――何かに納得したように。
「それじゃあ、また、縁があれば■■―――いや、八意永琳、か」
「ええ、また」
それは、ここにいると決めた名前。
そう、きっとここにいれば、また会うこととなる。
永遠に続く時の中
永遠に浮かぶ月の下
決して終わりはないのだから
________________________________________
「で、結局、あの男は誰だったの」
光り輝く牛の車に乗り、空を駆ける中。
先程から浮かんでいた疑問をぶつけることとした。
「あら、聞いていたんでしょう?」
「あれだけじゃよくわからないわよ」
断片的に交わされていた会話からは、二人が昔馴染みだということは理解できても、男が何者なのかということはわからなかった。
ただ、この月の頭脳と対等に会話しているという時点で、何かしらの力を秘めているということだけは推測できたが
「教えなさい。永琳」
彼は何者なの。
そんな疑問に、答えを探すように遠くを見る従者。
その様子は誤魔化そうとする、そんな印象ではなく、ただ、わからないのだといった様子に見えた。
何でも知っているような彼女には、とても珍しい表情だ――長い付き合いである自分にとってもあまり見たことのない表情。
――よくわからないわね。
そんな状態の従者に、ますます疑問がわく。
「―――切っ掛け、かしらね」
しばらくして、囁くように呟かれた答え、また理解しづらいものだった。
「え?」
思わず聞き返したこちらに、彼女も、考えを整理するようにぽつぽつと呟く。
「最初の――可能性というものを知った、最初の切っ掛けといったところ、なのかしらね」
曖昧な答え。
けれど、きっとそれ以上のことを聞いても答えてくれないだろう。
多分――自分でも理解していないことなのだ。
そう思った。
「そういえば、姫様。最後に、何か渡していたようですが…あれは?」
「ああ、なんでもないの」
道案内の褒美よ、尋ねられた疑問に用意しておいた言葉を返す。
そう、お礼。
「――珍しいものを見せてもらったものね」
「――?」
ぼそりと零した呟きに、従者は不思議そうな顔をする。
慌てて何でもないと答えると、まあ、いいかといった様子に、探索の続きを始めた。
――本当に珍しい。
妙に表情の豊かな様子を眺めながら思う。
――こんなにペースを乱してるのを見るのは初めてだわ。
いつものようにみえて、なぜだかバランスを崩している様子の従者――長年の友人を見て思う。
なぜだか、嬉しい――と
ずっと見てきたものの新しい部分を知ったからなのか。
この友人が、なぜだか、少し楽しそうに見えたからなのか。
それはわからない。
けれど
――地上にきて良かった。
そう思えた。
ずっと変わらない月の下で
少しだけ変わった時を見た。
退屈な永遠の中で、そんなものと出会うのは、本当に稀なこと。
本当に稀で―――とても面白いものだ。
そんなことを
今更ながらに――深く実感した。
袖触れ合うも永月の縁。
永き時を生きているなら、だからこそ感じる驚きもきっとある。
多分、きっと。