表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/3

MerryChristmas~やぶれた男の微笑~

『クリスマスが今年もやってくる』

叩きつける様にキーを押しこむ。使いなれた相棒はガタガタと怨み辛み嫉み僻みを受け止めて、画面に文字列を映し出していく。並べられた文章は吐き気を催すほどに甘ったるい。

死ねばいいのに。

己が垂れ流す妄想に対し、脳の一部が明確な拒否反応を示す。無意味に絶叫したくなるような、全身をかきむしるような衝動。自分の目が死んでいくのを自覚しながら、無感動にその衝動を殺す。

指先だけが不必要に強く、甘い言葉を書き連ねて行く。

リアリティもクソもない、こんなことが現実なわけがない。

そんなことは分かっているが、そんなことはどうでもいい。これはただのフィクションだ。自己満足だ。

「……ふぅ〜」

長く、細く息を吐く。気持ち悪い物を全て絞り出すように長く、長く。

思考をぶつ切る。繋げる。現実へ目を向ける自分を眠らせる。

ただ今は、幸せな妄想だけで頭を埋める。

腐った魚の目のままで、画面の中へ精神を溶かした。



こきりと小気味よい音が鳴った。全身の関節が凝り固まり、伸びをするのが異様に辛い。何時間同じ体勢で居ればこうなるのか、学習しない俺は時計を見ない。見なくても、相当な時間がたったで

あろうことは分かった。

書き始めた時と比べて、周りが暗い。室内で光を発する物はいくつかの電化製品のみ。そのうち最大の物が目の前にあるパソコンだ。瞬きすら辛くなるような目の痛みも、時間経過に対する推測を

裏付けている。

これ以上の作業は無理と判断し、集中を切る。初めに襲って来たのは、掠れる喉が訴える切実な渇きだった。

とりあえず水を飲み、疲れ目のために目薬をさす。潤いが沁み渡り、感覚が研ぎ澄まされていくような錯覚。聞こえてくるのは、妙に澄んだ罵声だった。

「……」

壁を殴りたい衝動を堪える。

意味があるのかないのか分からないほどの薄い壁は、一定以上の音量を平然と通す。

家賃が安いだけにこのアパートは作りも安い。感情が安い俺にはお似合いだが、隣人にこの声は似合わない。

ここのところ落ち着きのなかった隣人。毎日のように買いものだの何だので家を空けたと思えば十分足らずで戻ってくる。ほんの僅かな外出の割に気合いの入った格好をして。

原因は、本当に分かりやすい。見ているこっちがもどかしくなるほどに。

思考の方向性が分からなくなってきた。ふるふると頭を降り、忘れていた眼を開く。目薬はしっかりと役目を果たし、気持ち以外はすっきりとしていた。

さて、と。

紙袋を一つ、玄関前に放置していたのを思い出す。

自己満足の贈り物。嫌がらせに近いというか、嫌がらせ以外の何物でもない。砂粒の様な期待と泣きたくなるほどの諦め、最後に買い求めた物を握りしめ玄関を出る。

目的地には、三歩で着いた。

軽いタッチでボタンを押しこむ。間の抜けた音がふわふわ漂う。何やら騒がしい音がしたが、声は特に聞こえてこない。あの声、好きだったのにな。

しかし、寒い。

部屋着のジャージしか着てない事にそこで気付き、うんざりと息を吐いた。白い吐息が消える前に、もう一度ボタンを押す。

ややあって出てきた隣人は、何やら俯きがちだった。幸せそうな空気を感じて、チクショウと嘆く心を押し殺す。

体にフィットした黒のセーターに、シックなスカート。

地味なようで、統一感があるファッションは、過度に飾らない彼女の魅力を際立たせていた。

が、俺は特に気にしない。今から俺は、怨み辛み嫉み僻みを言葉に乗せる。相手の事を気にしていたら、そんなことは出来やしない。本当は、そもそもの相手を間違えているのだけど。

「夫婦喧嘩は犬も食わない。当然俺も食わない。当てつけるならキャッキャうふふにしてくれ!」

隣人がびくりと身を竦ませる。イメージとあまり合わないが、別にどうでもいい。

モテナイ男の心の叫びは、そんな事では止まらない。

「なんなんのあんたら、付き合わないの? 死ぬの? 両想いだろどう見ても、いい加減にしろよ!」

音量自体はとても小さく、こめる熱量は限界近く。

「はやく告白すれば? 毎日毎日幸せすぎる不満を垂れ流すのをやめてよね。本気になれば付き合えない訳ないじゃない」

暴走する言葉はいまひとつ意味が通らない。言葉としてギリギリ成り立っているだけの音の塊。

「畜生……どうせ明日はいちゃいちゃするんだろ! 分かってんだよこの野郎! いや、女性だけど!」

目茶苦茶なのは自覚しているし、意味がないのも知っている。ただそれでも、言いたい事だけは言っとかないと割に合わない。俺の心に諦めがつかない。

「まあきっかけがないと踏み込みづらいのは分かるよ? 分かるけど、見せつけられるのもつらいのよ。

 ぶっちゃけいらいらしてくるのよ。わかる? 分からないよね? 分かっていたらこうはならないもんね?」

相手に理解を促しているくせに、俺自身が喋っている内容を理解できない。隣人も同様なのか、顔に驚愕を貼り付けて固まっていた。

「……と、云う訳できっかけをプレゼント。 これで誘惑でもしとけ」

どういうわけだろうと自分で納得が出来ないまま、目的を果たす為に紙袋を押し付ける。その目的は、隣人たちの関係を終わらせるためのプレゼント。

自然と頬が緩む。これで隣人の幸せな悩みを聞く事がなくなる。

颯爽と去ろうとして、三歩で付く目的地にげんなりした。

まあ、隣人に見られてないから良しとしよう。



三歩の散歩から帰宅し、体を炬燵で温める。じんわりとした熱が冷えた頭に血を送る。

顎を膝に乗せて、さっきの会話を反芻してみた。

……思い返せば返すほど、酷い。ああ言えば良かった、こういえばちゃんと伝わった。そんな事ばかりがグルグルと頭をめぐり、ただ無意味に時間が過ぎる。

どれくらい考えていたのか、いつの間にか日が変わってから結構な時間が経っていた。

その間アレな音は聞こえなかった、どころか会話も聞こえなかった。

寝たのか。そう判断して自分も長い間睡眠を取ってなかった事に気付く。もう丸二日になるのか。感覚が遠すぎる。疲労を感じなくなるほどに疲弊していたようだ。

目をつぶる。寝転ぶ。頭の中がまだグルグルする。別に後悔はしていない。カップルなんて…カップルなんて!

うだうだと色々考えているうちに、気付かぬうちに眠りに落ちた。



目が覚めた。頭と喉の痛みのせいで。

声を出そうとして、やめた。と云うより、無理だ。いったい何時間寝ていたのか、渇きを通り越しているような気すらする。炬燵をつけて寝ていたせいか。

立ち上がるだけで体中が悲鳴を上げるように音が鳴る。運動不足が深刻だなと、寝ぼけた頭で考える。だからどうということはないけど。

のろのろと水を一杯、二杯、三杯。滅茶苦茶旨かった。炬燵で寝ていたせいか、脱水症状でも起こしかけていたのかもしれない。

水分補給をし、寝なおすかと布団に入るが眠気がさっぱり来ない。

枕元の携帯を手に取ると、電池が切れていた。

しぶしぶ充電器につなぎ、電源を入れて驚愕。どうやら丸一日以上寝ていたらしい。ふとカーテン開けると、眩しい朝日が目に沁みた。

それ以上に、朝帰りのカップルが心に凍みた。

贈り物は、活用されたのだろうか。どうでもいいけれど。強がりとは裏腹に、拳は今度こそ壁に当てられていた。

窓を開け、深呼吸する。冷たすぎる空気がいっそ心地よい。

本当は分かっていた。限界まで息を吸い込む。

こうなってよかった。細く長く声を絞り出す。

「畜生! 全てのカップルに祝いあれ!!」

緩んだ頬は、温かい涙を受け取っていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ