「あなたを愛することはない」と拒否したら、溺愛されたので、結局「婚約破棄」した
きらびやかな夜会、大公爵家の豪奢なバルコニー。
私――エレノア・フォン・ロズベルグは、目の前に立つ美貌の婚約者に、冷徹極まる声でそう告げた。
「私は、殿方を愛することなど一生ございません。……もちろん、アークライト様、あなた様のことも」
アークライト・フォン・アウグスト。
この国の第一王子であり、プラチナブロンドの髪に、エメラルドの瞳を持つ完璧な美貌の持ち主。そして何より、私が前世で死ぬほど貢ぎ、愛してやまなかった乙女ゲーム『エメラルドの涙』の最推しキャラクター。
(……うう、嘘です! 本当は世界で一番愛してます! 毎日その顔を拝めて私は限界オタクになりそうです!!)
内心で血の涙を流しながらも、私は扇で口元を隠し、冷ややかな公爵令嬢の仮面を維持した。
なぜこんな酷いことを言っているかというと、理由は単純。ここが『エメラルドの涙』の世界だからだ。
原作のエレノアは、アークライト様への異常な執着から、市民出身の「聖女」をいじめ抜き、最終的に婚約破棄されて「ざまぁ」される悪役令嬢。
だが、問題はそこじゃない。私がざまぁされるだけなら、推しの幸せのために甘んじて受け入れよう。
恐ろしいのは、【アークライト様と悪役令嬢が結ばれると、聖女の力が覚醒せず、最終的に魔王が復活して世界が滅ぶ】という裏設定があることだ。
彼が聖女と恋に落ち、魔王を封印しなければ、この世界の人々は全員死ぬ。もちろん私も死ぬ。
だから私は、泣く泣く彼から嫌われ、距離を置く必要があった。
「……エレノア」
アークライト様が低く、美しい声で私の名を呼ぶ。
きっと、傲慢な婚約者の冷たい言葉に幻滅したに違いない。よし、これで原作通り、彼は聖女の元へ――。
「やはり、君は不器用だな」
「……え?」
私の手から、そっと扇が奪われた。
見上げると、エメラルドの瞳が、見たこともないほど熱く、愛おしげに揺れている。
アークライト様は私の手を取り、その甲に深く、熱いキスを落とした。
「そんな冷たい言葉で私を遠ざけようとしても、無駄だよ。君がどれほど私の激務を心配し、あえて突き放すような態度を取っていたか、私は知っている」
(ち、違う! 本気で拒絶したんです!!)
「これからは、もう無理に強がらなくていい。私は君を、生涯をかけて愛し、守ると誓おう」
「は、はいいい!?」
違う、そうじゃない。
嫌われるはずが、なぜか王太子の溺愛ルートの扉が爆音を立てて開いてしまった。
◇
あれから数ヶ月。
どれほど溺愛の手を伸ばしても、するりとすり抜けていく私に、アークライト様はついに悲痛な声をあげた。
執務室の机を挟み、彼の美しいエメラルドの瞳が絶望に揺れている。
「……なぜだ。なぜ、そこまで頑なに私を拒む」
(顔が良い……! 泣き顔も最高だけど、違うの、私は世界を救わなきゃいけないの!)
私はぎゅっと拳を握りしめ、冷徹な公爵令嬢の仮面を張り直した。
もう、まともな方法では距離を置けない。私は懐から、あらかじめ用意していた【婚約破棄の合意書】を取り出し、机に叩きつけた。これが私の最終手段だ。
「アークライト様。これが私の最終通告です。……私との婚約を破棄してください」
「なっ……!?」
「私はあなたを愛していません。これ以上、私にまとわりつくのはおやめなさい。これからは、あなたを真に救う、相応しい方と手を取り合うべきです」
私は彼の引き留める声を無視し、一礼して執務室を飛び出した。
大公爵家の権力を使い、半ば強制的に婚約破棄の手続きを進め、彼との関係を完全に断ち切った。
すべては、世界を滅ぼさないため。私の、最推しへの最大の愛の形だった。
◇
それからさらに、季節が流れた。
王宮で開かれた、国を挙げての盛大な夜会。
きらびやかな大広間の中心で、私は壇上を見つめていた。
「皆に紹介しよう。我が新たな婚約者、聖女・マリアだ」
そこには、アークライト様と、純白のドレスをまとった市民出身の聖女の姿があった。
並び立つ二人は、まるでおとぎ話の絵本から抜け出してきたかのように美しく、完璧だった。
アークライト様の表情はどこか硬く、一瞬だけ会場の隅にいる私を捉え、痛切に歪んだ気がしたけれど――これでいいのだ。
彼が聖女と結ばれたことで、シナリオの強制力は働き、世界は滅亡の危機から救われるステップへと進む。
私はお気に入りの扇でそっと口元を隠し、誰にも気づかれないように、満足気な笑みを浮かべた。
「これでいいのよ……」
推しが世界を救うために、正しい道を歩み始めた。
それを見届けられたなら、私の恋なんて、喜んでこの海の藻屑にしてあげるわ。
◇
その後、予言通りに世界に闇が訪れ、復活した魔王が人々を脅かし始めた。
しかし、私に焦りはなかった。
なぜなら、シナリオ通りに覚醒した聖女マリアと、彼女の婚約者となった王太子アークライト様が、世界を救うための旅に出発したからだ。
世界を滅ぼさないために、あえて嫌われ、婚約破棄を突きつけた私の選択は間違っていなかった。
王都の屋敷から、遥か遠く、魔王を封印する旅に出た彼らの無事を祈る。
「どうかご無事で、アークライト様」
これからは一人の「ファン」として、彼の歩む英雄譚と、この世界の未来を静かに見守り続ける。
それが、悪役令嬢として生まれ変わった私の、最初で最後の純愛だった。
◇
――そして、魔王が封印され、世界に平和が戻ってから一年。
王都は、世界を救った英雄たちを称える熱狂に包まれていた。
色とりどりの紙吹雪が舞う中、私は群衆の片隅から、豪華な馬車で行進するアークライト様と聖女マリアの姿を見つめていた。
(本当によかった……。アークライト様は世界を救い、英雄になった。私のしたことは無駄じゃなかったんだわ)
一年前、泣く泣く彼を突き放した胸の痛みが、ようやく報われた気がした。
これで私の役目は本当に終わり。
そう満足して立ち去ろうとした、その時だった。
中央広場の特設ステージに上がったアークライト様が、民衆の前で、隣に立つマリアの手をそっと離した。
そして、朗々とした声で告げたのだ。
「皆に聞いてほしい。私はこの旅を通じて、真実の愛を見つけた。……マリア、君との婚約を破棄させてほしい」
広場が、水を打ったように静まり返る。
(ええええええええええええっ!? 何言ってるの推しーーー!?)
心の中で大絶叫する私をよそに、当の聖女マリアはショックを受けるどころか、にっこりと美しい笑みを浮かべた。
「ふふ、やっと決めましたか、このヘタレ王子め。喜んでお受けいたしますわ」
「すまない、マリア。感謝する」
マリアのあまりに男前な快諾に、周囲が呆然とする中、アークライト様はまっすぐに群衆の……いや、私の方を見つめた。
「エスコートを。そこにいる、エレノア・フォン・ロズベルグをここへ」
「は、はいぃ!?」
近衛騎士たちに案内され、頭が真っ白のままステージへ上げられた私。
アークライト様は私の前に跪くと、きらめく指輪を差し出し、至高の笑みを浮かべてプロポーズをしてきた。
「エレノア。一年前は君を掴めなかったが、もう離さない。私と結婚してほしい」
「お、お待ちください! なぜですか!? 私はあなたを愛していないと言いましたし、婚約破棄までしたのに……!」
混乱する私に、アークライト様はふっと悪戯っぽく微笑み、私の耳元で囁いた。
「種明かしをしよう。実はね、私には『愛の波動』が見えるんだよ」
「……は?」
「一年前、君がどれほど冷たい言葉で私を拒絶しても、君の身体からは、視界が真っ赤に染まるほどの凄まじい『愛の波動』が溢れ出ていたんだ。だから、君が嘘をついていることも、本当は私を死ぬほど愛してくれていることも、最初からずっと知っていた」
(ば、バレてたーーーーーーー!!! 私の限界オタクな心の声、全部可視化されてたの!?)
「君が世界のために身を引いたことも気づいていた。だから私も、世界を救う義務を果たすために、マリアと旅に出たんだ。すべては、今日、君を迎えに行くためにね」
アークライト様のエメラルドの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。
どれほど私が彼を想っていたか、そして彼がどれほど私を想い、この日を待ち望んでいたか。その深い愛が伝わってきて、私の目からも、堪えていた涙が止めどなく溢れ出した。
「……はい。喜んで、お受けいたします……!」
私が手を重ねると、広場は割れんばかりの歓声と拍手に包まれた。
「やれやれ」と肩をすくめて近づいてきたマリアが、私の耳元で楽しげに囁く。
「いつもウジウジして面倒な王太子を好きなんて、あなたもなかなかの変わり者ね、エレノア様」
「ふふ、否定はしませんわ」
私は涙を拭い、最愛の婚約者――いえ、未来の旦那様の腕に寄り添った。
ありきたりなゲームの世界だけど、ここには、私だけの最高のハッピーエンドが待っていた。




