結婚式の日の静かな夜に、再びあなたと。
「静かですね…」
「そうだな」
昨日までと違って静かな夜に、少しだけ戸惑いながらも、特別だった今日を噛み締めていた。
珍しく夫に晩酌に誘われて、部屋で2人きりだ。
こんな過ごし方はいつぶりだろうと考えるが、昔はこんな時間なんてあったかしらと全然思い出せない。
それだけ、長い時間をこの家で過ごしてきたのだ。
どうりで歳もとるわけね。
「ロドリーヌがいないだけで、我が家は静かだったんだな」
夫が表情を変えずに酒のグラスを傾けたのを、私は目で追っていく。
「あの子は元気だから」
「賑やかだしな」
「ええ。だから今日涙を流しているところを見て、私も泣きそうになってしまったわ」
今日は、愛娘ロドリーヌの結婚式だった。
娘の晴れの日を見守ったあとの夜が、こんなに寂しいなんて知らなかった。
お嫁に行った娘がいないだけで、我が家はこんなにも人の気配を感じないのかと思う。
下の息子のリーブは結婚式を終えて、寄宿舎に戻ったので、正真正銘家の中に家族は私と夫だけだ。
こんな日は新婚以来だが、これからはきっとこういう日が増えていくのだ。
慣れるかしらね。
私の結婚式の時は、私って泣いていたかしら…。
「あの子でも泣くのね」
「ロドリーヌは、うんと小さい時は泣き虫だったろ」
夫の変わらない声に、そういえばそうだと思った。
もう落ち着かなくて、すぐにはしゃぎ回るものだから、侍女たちも手を焼いているところばかり見てきた気がするのに。
「そうですね。あの子、いつから泣かなくなったのでしょう」
「リーブが生まれたからだろ」
「…そうでした、っけ」
「リーブが生まれた時、お前が危なかったからな」
「それは、そうでしたけど…」
下の子を産んだ時に、私自身が生死を彷徨ってなんとか持ち直したことがあって以来、体が少し弱くなった。
日常生活には支障はなかったが、あの前後の記憶は朧げだったりする。
何よりそのダメージを受けて、忘れたことが多くて、以前の記憶は一部曖昧だったりする。
ロドリーヌのことでも、忘れていたことがあったのかしら。
「あの子は涙をいっぱい溜めて、私のところに来たんだよ」
夫はいつものように表情こそ変えなかったけれど、懐かしそうに目を細めた。
「それで、私に宣言してきた。『もう泣かないって決めたの。ローはお姉さんになったんだもん、そしたらおかあさまは元気になってくれる?』って。だから、ロドリーヌはあれ以来、泣かなくなった。おかげで騒がしくなったけどな」
夫の声があまりにも優しくて、喉がギュッとなった。
なぜ、今そんなことを言うのだろう。
「もっと、早く教えてくださってもよかったのに…」
「ロドリーヌがお前の負担にならないように頑張っていたことを、告げ口なんてできないさ」
「……っ」
「なんだ、お前も泣くのか?」
夫がほんの少し眉を顰めて、ポケットを探っていた。
泣きそうになっている私は、グビッとお酒を飲み込んだ。
「寝間着だから、ハンカチが入っていなかった」
そう言って、腕だけ伸ばしてきて、寝巻きの袖口を私の目尻に押し当てた。
普段がそんなことしないのに、娘の結婚式にあてられたのだろうか。
私と夫は、紛れもなく政略結婚だった。
それは、娘たちと変わらない。
ただ、娘夫婦みたいに恋人のようだったかと言われると、そんなことはなかった。
実家よりも家格が上のこの家の嫁いできたから、夫に釣り合うようにと必死だった。
私から尊敬の気持ちはあるけれど、ただそれだけのような気もする。
ロドリーヌたちの誓いのキスを見て、あんなふうな時代もあればよかったのかしらと、脳内を掠めたのは若い頃の自分の反省点なのかもしれない。
「君はいつも気丈に振る舞っているのにな」
「それは、…この家に見合うために必死だっただけです」
「おかげでロドリーヌはきちんとした家に嫁いでいった。ありがとう」
「な、なんですか、急に」
「君が今生きていてくれていることが、嬉しいという話だよ」
夫はどこか遠くを見るように、私のことを見ている。
それがなんとも居心地が悪いような、こそばゆいような。
「ロドリーヌは、本当に私によく似ている」
「そうですか?あなたにもあんなにお転婆な時期があったのですか?」
「いや、どちらかというと、泣き虫だった」
「泣き虫……」
「私も結婚式には泣いてしまったからね。あの子と一緒で一人で誓ったものさ、もう君の前では泣かないって」
そうだ、どうしてそんな大事なことを忘れていたんだろう。
この人は、私たちの結婚式の日、私ではなくて夫が泣いていたんだ。
ポロリと一粒落ちた涙が綺麗で、この人の人生を支えていくんだと、あの時覚悟が決まったのだ。
その決意だけ覚えていて、きっかけが何だったのかはすっかり忘れていた。
この人が、本当に私の前で泣かなくなったことも大きいのだろう。
それでも、私の頑張りは合っていたみたいだ。
だって、今もまだこの人の隣にいられているのだから。
「もう泣かないのですか?」
「随分歳をとったからね、枯れているだろうよ」
「ふふ、そうですか」
随分と静かな部屋の中は、より一層更けていって、眠気が襲ってくる。
「疲れただろう、今日はお開きにしようか」
夫が先に立ち上がって、グラスなどをまとめ出す。
廊下に出しておけば、夜勤のメイドたちが片付けてくれるだろう。
重くなった瞼を開けながら、ゆっくり夫の姿を目で追っていく。
この人に釣り合うようにとずっと思ってきたけれど、私、ちゃんとなれているのかしら。
「ねえ、あなた」
私は夫を呼んで、手を伸ばした。
その手は空中を掴むだけだったけれど、温かい気がした。
「私、あなたの隣に立てているかしら」
そんなことをはじめて訊いてしまったのは、お酒も入っていたし、何より娘の一大イベントが終わって、肩の力が抜けていたのもあったと思う。
指先にたしかな温もりを感じたのだけれど、眠くて、目の前が霞んでいる。
「妻が君だったから、私は今日まで立てている」
その声を聞いて満足したはずだったのに、額に柔らかい感触がして、一気に目が覚めた。
「…え」
思わず両手で自分のおでこを触ったけれど、確認している間に夫はもう部屋を出ようとしていた。
「…酔い覚ましに、庭でも歩くかい?」
「いえ…、今ので完全に覚めましたわ…」
「そうか…」
おそらく今頃甘い時間を過ごしているだろう娘に負けないくらい、甘酸っぱい瞬間が訪れていて、私は今度こそむず痒くてどうしていいのかわからなくなったのだった。
ただ、これからの2人だけの生活が、ほんの少し楽しみになった。
娘と息子が自分たちの元から飛び立っていくのも、悪くないのかもしれない。
了
お読みくださりありがとうございました!!
毎日投稿193日目。




