6.
慈共寺がこの教室をあとにして以来――正確には、入ってきて以来なのだが――生徒たちは皆、静寂を保ち続けてきた。
だからこそ、その声はよく通った。
だからこそ、皆の視線は一斉に、両手で教卓にもたれかかった金髪のほうへと引き寄せられた。
だからこそ、金髪は竜胆の視線をも吸い寄せた。
「俺はもう帰る。あとはお前たちで勝手にやっててくれ」
「そんなつれないこと言わないでくれよ。少しでも退屈だったら帰ってくれていいからさ。なあ、教室に残ってくれないか? 牡丹竜胆くん」
「――!?」
竜胆が驚くのも無理はなかった。知るはずもない自分の名を、彼は口にしたのだから。
「……どうして、俺の名前を知ってる」
「簡単なことさ。月光の藤――藤花学園から貸し出されてるスマートフォン。エレベーターを出てすぐそばの受付カウンターでアップデートしてもらったろ? 追加されたアプリはいくつもあったが、そのうちの1つに〈生徒名簿〉ってのがあった。オレは慈共寺先生が来るより前に、クラスメイトの名前と顔を覚えただけだ。竜胆くんは……その様子だと、気づかなかったみたいだな。いやぁ、悪い悪い。なんせ、いきなり帰ろうとするもんだから、てっきりその程度のことには気づいてるもんだとばかり」
「お前…………喧嘩を売っているのか?」
「ちがうよ。こうでもしなきゃ、君は残ってくれないと思っただけのことさ。君の顔には、そう書いてある」
見下ろすではなく、下から互いを見据える形でけん制する両者。
それは微量のリスペクトと、絶大なる敵対心の表れにも見えた。
「フンッ」と軽く鼻を鳴らした竜胆は、渋々オーラを全開にしてこちらに戻ってくる。一見するとブチギレてるようなので、幾人かは、〈そのまま帰らせた方がよかったのでは?〉と、内心ビクついていたに違いない。しかし彼の性格をよく知る者ならきっと、声を大にして言うだろう。これはこれは本当に、すごいことが起きたもんだと。
まさかあの竜胆を抑え込める一般人がいるとは思わなかった。彼はいったい何者なんだ。
「俺は漆花蓮杜。一応、中学は光華学園だった」
「……えっ!? ウソでしょ!?」
「光華って、あの光華!??」
「あのって……どの?」
「知らないの!? 光華っていえば名門中の名門。日本の中でも飛びぬけて頭がいい〈名門十選〉の中でも、特に抜きんでた偏差値を誇る学校で……」
どこからかそんな説明臭いセリフが聞こえてきたので両耳をシャットする。
光華学園か……。ある程度の知識は持っている。どんな歴史を持っていて、どんな理想を掲げているのか。まあ、今は極めてどうでもいいので割愛とさせていただきたい所存だが、確かに名門であることに変わりはない。藤花の……それもAクラスともなれば、知る者もさぞかし多いのだろう。
「早速なんだが……みんなと相談したいことがある。話題については言うまでもないよな? 〈拾の掟〉についてだ」
自分の体が見る者の妨げになると思ったんだろう。事実その考えは正しく、蓮杜が窓際にさささっと移動してくれたおかげで、電子パネルに記されていた〈拾の掟〉は再度、見えるようになった。
「そのことなんだけどさ……ねえ……。流石にこれは……ウソ、だよね……?」
自信なさげに問いかけたのは、女子高生《JK》とはかくあるべし(?)な様相の女の子。
紫髪のポニーテールが、一丁前にどこもかしこもクルリクルリと巻きつけられている。お化粧もカンペキ。驚くべきは、厚化粧をしている感が欠片も感じられないことだった。齢十五にしてこれほどの境地にたどりつけるものなのか。身だしなみに相当量の時間を費やしたのは、想像に難くなかった。
「だってここは日本だし……」と、女子は付け加えた。陽気な雰囲気を取り戻しつつあった教室に、再び寒気をもたらした。
そんなとき、オレの右斜め前方にいた小柄な女子生徒から野次が飛んだ。それも、こちらの感覚がバグるレベルにおっさんくさい野次が。
「はっはー。バッカじゃないのぉ」
オレの席は窓際の、前から2行目の席だった。
したがってその少女は窓際から2列目、かつ1番前の席に位置していた。少女は翻って、JK感の欠片もなかった。ポケットなんとかの対をなすゲームパッケージに出てきても差し支えないほどに、紫髪の女子とは対照的だった。あえて言葉を選ばずに形容するなら、クソ生意気な女子中学生《JC》といったところだった。
紫色のポニーテール……パープルなポニーテールということで、パテールと呼ぶことにでもしておこう。野次をとばされた張本人たるパテールはもちろんのこと、クラス中の視線は瞬く間に少女に吸い寄せられた。
当然な反応だった。たった今、教室の空気を掌握していた蓮杜。その蓮杜に対して問いかけたパテール。アンサーを返すはずだった蓮杜。まもなく2人を軸にして会話が生まれ、ようやく話が展開されようとした――そんなとき。少女は容赦なく、空気の流れをぶった切ったのだ。
さて、では少女の見た目はどうだろう。黒髪で、ぼさぼさで、まるで垢ぬけるビジョンが見当たらない。そんな様子……とは、まるでかけ離れていた。ひとことで形容するなら――耳を疑うかもしれないが――神秘そのものだった。




