5.
『その壱。〈生徒〉は〈試験〉において、赤点をとってはならない。赤点をとった者には、死んでもらう』
教室には23人の高校1年生がいて、そして教卓をまたいだ先には齢四十前後とおぼしき白髪交じりの大柄な担任教師――慈共寺浮那葉が、森の奥底に眠る大木のごとく立っていた。
慈共寺が来る前の教室は、にぎやかとまでは言えないものの、どこかしこから雑談めいたコソコソ話が聞こえてきていた。まさに入学初日にふさわしい、緊張感が漂いつつもこれからの生活に胸を馳せるような、そんな雰囲気だった。
しかし、どうだろう。今この瞬間、期待感という概念はまるで消え失せていた。あったのは緊張感――それも、先の生ぬるさを古池とするなら、大海といっても差し支えないほどに、緊張の糸はピンピンに張っていた。天井からクラスを照らす蛍光灯も、心の奥底までは照らせないらしかった。
オレたちの眼前に広がるのは、横に極めて長いホワイトボード様の電子パネル。十数年前に台頭し、黒板が観光スポットになってしまう要因ともなったそれは、どうやらこの学園においても使われているらしかった。慈共寺は金属棒――チョークの代わりと思ってもらっていい――で自分の名前を書いたあと、すぐにリモコンを操作する。彼の名前は、ふわりと消え去った。再度、リモコンを操作する。長々とした文字列が、箇条書きをなして現れた。内容を要約するなら、学園でやってはならない禁止事項を端的に示したものだった。〈拾の掟〉の名のとおり、ぜんぶ合わせて10個あるらしかった。
見たところ、混沌である。繰り返そう。ただひたすらに、混沌である。
内容どうこうという話ではない。兎にも角にも、混沌なのだ。
すべての掟が、『死んでもらう』でその文を終えている。
『その弐。〈生徒〉は地上《学園の外》に足を踏み入れてはならない。踏み入れた者には、死んでもらう。』
現代日本に住まう者ならば――いや、そうでなくとものような気がしてならないが――これがいかに土地狂ったルールであるのか、わからないはずもないだろう。
いや――ある意味で逆だろうか。平和ボケしきった今だからこそ、その意味を瞬時には汲みとれない。
いずれにせよ、この文脈から判断できることは1つしかなかった。掟を破れば、〈死ぬ〉ということだ。
『その参。SPは卒業までにGPに達しなければならない。なお、GPおよび入学時点でのSPは人それぞれ異なる。失敗した者には、死んでもらう』
月光の藤――もとより支給されていたスマートフォンのホーム画面は、アップデート後、進化した。いや、進化することをアプデというのであろう。そうでないアプデがあるなら持ってこい――などというツッコミを入れたくなる気持ちは百も承知だが、そんなことは今、さして重要ではない。アップデート後、ホーム画面には名前や所属クラス、学籍番号といった諸情報が表示されるようになった。しかしこれもまた、同様にさして重要ではない。
特筆するべきだったのは、いま、ホーム画面には大小2つの数値が明らかにわかりやすく表示されていることだった。大きい方は〈SP : 〉と書かれた横に、小さい方は〈GP : 〉と書かれた横に。数値がそれぞれくっきりと、ディスプレイ上に表示されている。
最初に見たときはいったい何を意味しているのか、まるで見当もつかなかった。しかしこの〈掟〉を知れたことで、おおよその理解が実現された。
SP。推し量るに、生徒の能力を客観的に評価するべく、数値化したものなのだろう。リアルタイムで刻々と変化する通知表のようなものだろうか。なるほど、わかりやすい。何を基準に評価しているのか、それについてはまだわからないが、『卒業するまでにGPに達しなければならない』という記載を見るに、この学園に在籍する3年間のあいだ、現状はGPに届いていないSPをなんとかGPに届かせられるよう、絶えず学業に励まなければならないというわけだ。
『その肆。一瞬であろうと、SPがBPを下回ってはならない。BPは人それぞれ異なる。失敗した者には、死んでもらう』
実に興味深い制度を設けるものだ。BP。SPがある一定値を下回った場合、その時点でゲームオーバー。殺されてしまうらしい。
おもしろいな……。学園側は『ムチ』の原理を遺憾なく発揮していくつもりのようだ。ホーム画面には大小《《2つ》》の数値が表示されている。それはSPであり、またGPだった。裏を返せば、現状オレたちは自分のBPがわからない。それより下がってしまったら殺されてしまうのに、だ。一瞬たりとも怠けてはならないということ。1, 2年生の間は気楽に過ごして、3年生で取り戻す――なんて戦法は一切通用しない。どれだけ3年生で挽回できる自信があろうと、SPがBPを下回ってしまえばその時点で人生丸ごとおさらばなのだから。
さて……そんな具合に分析していたところで、まもなく慈共寺は教室を後にした。〈拾の掟〉は表示してくれるだけで自分の口から説明してくれることはなかったし、いかにして【子の神】対策を講じているのか説明してくれることもなかった。わざわざオレたちを名指しでこんなところに呼びつけたのだから、そのくらいの説明はあってしかるべきだと思っていたのだ。〈瑠璃悠理と牡丹遊華は職員室に来なさい。大切な話がある〉みたいなことくらいは、あると思っていたのだ。
クラスは静寂ここに極まれりといった具合だった。〈拾の掟〉のあまりの理不尽さに、頭でもやられてしまったんんだろうか。
しかし少し時間が経つと、ちらほらと、首をどこかしこに傾ける生徒が現れ始めた。誰でもいいから、目が合う者を求めているのだろう。
おぼつかない空気を立ち込めた領域が、ある1人の男子生徒が立ち上がったことで打ち破られる。何を隠そう遊華の弟、牡丹竜胆だった。
真うしろの席に座っていたものだから、生憎と彼の様子をこの目で見ることは叶わなかった。けれども、音だけ聞けばそれで十分だった。
乱暴に椅子を引き、粗雑にスクールバッグに手をかけ、椅子を机にしまうこともなくスタスタと――ドカドカと?――教室後ろの扉へ闊歩する。
それが引き金になったのか、他の者たちもゆっくりとではあるが自分のバッグに手をかけたり、あるいは体の重心を椅子の中心から外したりする者が現れ始めた。
きっとこのままでは、クラス内でまとまって話す機会は少なくとも1週間、失われることになる。なんせ明日からの4日間は、連日、テストが行われるからだ。
それを密かに恐れたのだろうか。教卓の真ん前に座っていた1人の《《金髪》》がひそかに立ち上がり、まもなく扉に手をかけようと努めた竜胆も含めた全員に対して、言葉を投げかけた。
「全員、ちょっと待ってくれ。話したいことがある」




