45.
その音の発生源は考えるまでもなかった。今いるリビングからあの廊下を少し行った先の玄関である。
本来……鳴り響く可能性のある音には2種類しかなかった。〈ピンポン〉か、〈ドンドン〉である。
しかし今回鳴った音はそのいずれでもなかった。既視感しかないのだが、あいにくとその既視感を引き起こした張本人は今、オレのすぐそばにいる。それが指し示すのは、つまるところ、この部屋のパスワードを知っている別の誰かがこの部屋に有無をいわさず侵入してきたということ、そして――その者がまちがいなく桜香であるということだった。
「…………は?」
必然、桜香はこちらの有り様、その全貌を垣間見ることになる。集合時刻であるというのにいまもなおあられもない姿をした両名、ボッサボサの髪の毛を携えた両名、そして何より……
「…………薬指」
桜香が言葉にしたのは、そんなひとことだけだった。
それが意味するところがわからないほど、生憎と桜香は残念な頭を持ち合わせてはいなかった。
見つけた途端、地獄でも見たかのような不愉快な顔。
ブラコンここに極まれりといった様相で、オレを非難し、罵倒する。
――――そう、なるはずだった。
――――そうなるにちがいないと、信じてやまなかった。
桜香が見せたのは、つーつーと流す涙のみだった。
「おっ……桜香?」
「……ごめんっ、ごめんね、桜香ちゃん? これにはいろいろと理由が……」
「…………」
自分の格好が意味するところなどまるで忘れてしまった様子で、遊華は桜香の肩を両手でなだめて説得を試みる。
しかしそんなことにはまったくと言っていいほど気づいていない様子で、桜香はただただ、涙を流し続けるばかりだった。
「兄さまは…………そう…………決断した…………のです、ね」
…………。
……そうすること?
いったい……何を、意味している?
婚約相手を桜香ではなく、遊華に決めたこと……を指しているのか?
それに気がついたのなら……桜香が泣いているということは……それはもう、話は早い。
いま……オレが妹にかけるべき言葉。
それは……
「……ああ。だからお前は――」
「――待って!!」
「――!?」
オレが桜香に、対称会の掟をオレたちの代で潰すことに決めたこと、ゆえに桜香にはオレでない別の誰かと幸せになってほしい――そんなことを伝えようとした矢先、遊華に歯止めを聞かされた。
「その先は、言っちゃダメだよ――悠理」
「???」
……どういうことだ?
……いったい、なぜなんだ?
遊華の表情があまりにも険しい。それは自分のことなどまるで気にする様子もなく、ただひたすらに桜香を心配しているようにうかがえた。
「……いいえ、構いませんよ遊華さん……ひとまず私は先に学校に行きます。お二方も遅刻などしないよう、くれぐれもお気をつけて」
と――言うや否や、桜香はリビングを、そしてオレの部屋をあとにした。
オレは見逃さなかった。桜香がトビラをかいくぐった後、エレベーターのある左――ではなく、自分の部屋がある右に折れたところを。
――パタン。
「……はあ。いったいなんだったんだ」
「ねえ悠理……あなた……本当にまだ……気づいてないの?」
「気づいてないって……どういうことだ?」
「はあ…………」
深々とため息をついたのち、遊華は両の手のひらとともにソファに身を預け、こちらを覗き見てくる。必然、上目遣いの形になったわけなのに、しかし不思議と、蠱惑的には映らなかった。目の奥底が……ゆらいで、見えたからだ。
「桜香ちゃん……好きなんだよ、悠理のこと」
……?
だからどうしたというんだ? そんなこと、いまさら言われずとも重々承知している。桜香はブラコン。自分で言うのもどうかとは思うが、桜香がオレのことを好いてくれているのははるか昔からよくわかっていた。
「……ああ、知っているが……」
「いや……そうじゃなくて……。悠理は……桜香ちゃんが、悠理のことお……きょうだいとして、好きだって思ってるでしょ?」
「だってそうだろ。そうじゃなかったら、わざわざ毎度毎度オレたちの邪魔をしてこないはず――」
「――だぁぁからっ!!! その考えがだめなんだって!!!」
「……?」
「桜香ちゃんは悠理のことを……異性として……ちゃんと好きになってた……ってことだよ」
「――――!!?」
「悠理。あなたいままでも心の中で……私と仲良くしてる最中に桜香ちゃんに割り込まれたとき、いっつも思ってたんじゃないの? 邪魔すんなよーって」
「…………」
「気持ちは……まあ、わからなくもないよ。私だって正直……悠理ともっと仲良くしてたいって思うこともあったから。でもさ……悠理は……なにがなんでも押さえ込まなきゃならなかったんじゃ……ないの?」
…………。
まさか…………本当に……そんなことが。
桜香が……オレの遊華に対する恋心をいつもバカにしてきていたのは…………。
「だって……桜香ちゃんには、視えてるんだから」
オレがだれかに……遊華のことを好きになったという話をしたことは、これまでに一度たりともない。それこそ、誰に対してでもだ。
にもかかわらず、桜香がオレの恋心に気がついていたのには明確な理由がある。
対称会で生まれた女には、瑠璃家・牡丹家に関わらずある特異な性質を生まれながらに備えていた。
年子として生まれた男の……
遊華は竜胆の……
桜香はオレの……
「悠理の……心だよ」




