44.
朝、希望をもって目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝とともに眠る。
これはかつてその名を世界で轟かせたらしい、かの大物政治家が言ったセリフであるのだが、それがオリジナルなものなのかどうかは定かではない。
ふと意識をうっすらと感じ、まぶたがわずかに持ち上がる。
カーテンの隙間から差し込んだ朝の光が、針みたいに目の奥を突き刺した。
――痛い。反射的にまぶたを閉じてしまう。せっかく薄く開きかけた世界は、またすぐに閉ざされ暗闇へと引き戻された。
それでも――――もう一度、その光を浴びてみたい。
自分でもよくわからないわがままが、心のどこかでひょいと顔を出す。
今度はさっきよりも少しだけ勇気を込めて、そっとまぶたを持ち上げる。
うぐいすのさえずりは聞こえない。その代わりというのもどうかとは思うが、すぐ隣から規則正しい、そしてやけに心地いい寝息が聞こえてきた。
首を左へきゅっと傾けてみる。そこには、まだ夢の中にいるらしき遊華のかわいらしい寝顔があった。
――そうか。
昨日は結局、あのまますぐに眠ってしまったんだ。
無造作に額へかかる前髪がひと息つくたびにかすかに揺れる。そのささやかな動きが妙に愛おしくて、思わず見入ってしまう。
つい出来心で、前髪にすっと指先を伸ばしてみる。軽くすくい上げるようにしてみるのはいいのだが、無情にも重力はそんな戯れすら容赦してくれない。
一瞬だけ持ち上がった髪の数本はこと何事もなかったように、また同じ場所へと落ちていってしまった。
――オレはいったいなにをしているんだ。
そんなふうに自分で自分をツッコんだ――そのとき。
遊華のまつげがぴくりと震え、ゆっくりと、それはもうゆっくりと、まぶたが持ち上がった。
と思ったのだが、再度その目を閉じてしまう。
さっきのオレと同じような流れを迎えてるのかもしれないな。
声をかけるタイミングを少しだけ見計らっていたそのとき、彼女の唇がふっとゆるんだ。
「――おはよ」
「ああ、おはよう」
「いま何時?」
「7時みたいだ」
「わ、けっこう寝ちゃったね」
「そうだな」
淡々とした言葉のやりとり。
それなのに、胸の奥底から温かいなにかがじわじわと広がっていく。誰とも会話できない夜という孤独で凍てついた身体が、だんだんと溶けていくみたいに。
ぬくもりが逃げていかないよう、少し身構えては布団をかぶり直す。熱の逃げていきにくい、最適な位置へ。
そのときふと、相対する彼女の指元で光る指輪を捉える。牡丹を匂わせる、紅きリングは、いま、右手人差し指には位置していなかった。
オレの視線がとらえるものに彼女も気がついたのだろう。
「ふふっ。なんだかちょっと、恥ずかしいね」
「学校でもつけていくか? 気づくやつは気づくと思うぞ。それこそ、星羅あたりは」
「昨日誓い合ったあのアツアツな約束は、いったいどこにいったんだい? 悠理はそんな程度の覚悟だったの?」
「……いいえ」
昨夜……アレから起きた出来事は、それはそれはもうR18なやつだった。指輪のつける位置を変えよう、というといころまではよかったのだが、そのあとは、まあ、うん。ご想像にお任せします、ってやつだった。
「私は本気だからね? 対称会の掟がどうとか、家族がどうとか、知らないよそんなの。私たちの家族にもしも何かあったら、それこそかたっぱしからぶっとばしてやるだけだし」
「それもそうだな」
といいつつ、オレは彼女に手を下させるつもりなどさらさらなかった。
すべて、オレ1人で片づける。
そんな覚悟がなかったら、きっと、あのような決断をすることは最後まで叶わなかっただろう。
「てか、そろそろ出ないと! 桜香ちゃんもうちょっとで来ちゃうっ」
いつもオレの部屋の目の前で集合して、3人で一緒に登校することにしている。遊華は…………うん、な姿だ。昨日の放課後、華音と話をしたとき、手合わせをしたときはオレたちは制服のままだった。そしてそのまま食べ放題に行き、遊華は自室に帰ることなくオレの部屋に訪れた。まさか制服のまま寝るなんてことはあり得ない。…………。はい、そういうことなんです。
「ひとまず制服着て部屋にもどったほういいんじゃないか? まさか牡丹家次期党首がそんなボッサボサな髪で外をうろつくわけにもいかないだろ?」
「そうっすね……」
何のためらいもなくバサッ!っとふとんを取り払ったのち、遊華はあられもない姿のもとソファにかけられた制服に手をかける。
そんなときだった。
――ガチャ。
「「――はっ!?」」




