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サイエンスの宝石  作者: はましょ。
壱_慟哭
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43.

 彼女はオレの手をぎゅっとつかみ取るや否や、当たり前のようにオレの家のロックを解除して中へとスタスタ歩いていく。必然、それに付き従う格好になってしまったオレは、手のぬくもりを感じながら、彼女に無理な力を働かせないよう大人しくテクテクとついていく。そしてソファの近くにたどり着いたそのとき――


 ――バタンッ。


 オレの体は強引に翻され、ソファにたたきつけられた。

 反動で手にしていたカバンも床に転がり落ちてしまう。


 ――バタン!!


 2度目の轟音がとどろいた。

 まちがいなく、遊華がオレの上に圧しかかってきた音だった。

 まちがいなく、もへったくれもないだろう――もしそのように思った者がいたのだとしたら、それは大間違いである。いま、部屋の電気は立ちどころに消え、あたりはてんで見えない状況に陥っていたからだ。無論、そのカラクリはひとつしかなかった。遊華が電気を消したのだ。

 甘い香りが鼻腔をくすぐったかと思うと、すぐさま誰かの息が頬を撫でる。彼女の顔がいま目の前にあるのは、もはや確定的事項であった。


「悠理にさ……ひとつ聞いておきたいことが……あって」

「……?」

「もしさ…………もしも、だよ? 対称会の掟を破っても、私たちや家族になんの実害も訪れない…………そんなふうに言われたら、どうする? それでもやっぱり……桜香ちゃんと……結婚、するの?」

「……」

 もしそんな現実が訪れた……のだとしたら。

 その問いは……いままでオレが幾度となく頭を振っては振って、かき消してきた机上の空論であり、また妄想でもあった。

 そう……気づけばオレは、そんな……ありもし得ない妄想を、幾千幾万と…………下手したらそれ以上、重ねてしまっていたんだ。

 遊華と付き合えたらどれだけ幸せなことだろう。遊華と一生を共にできたらどれだけうれしいことだろう。考えて、かき消して、考えて、かき消して考えて、考えて、考えて。なんの意味もなく無為に過ごした脳内時間は、もはや無限にすら届き得る。

「私ね……別に竜胆のこと、好きってわけじゃないんだ。もちろんきょうだいとしてはだいすきだよ? 無口だけど、すっごく優しいし。でもね……異性として好きか――そう聞かれたら、それはぜったいにありえない。だってきょうだいなんだもん。好きになれるはずもないよ」

 彼女は……運命として定まっている自分のパートナーを――竜胆を、異性として好きになることは断じてないと……そう、断言してみせた。牡丹家の掟も瑠璃家と同じ。彼女もまた、対称会に束縛される道を選ぶなら、竜胆と生涯を添い遂げなくてはならなかった。掟を破れば対称会は滅びる……そう、言われているからである。

 彼女の主張はもっともだ。オレもまた幾年もの間、同じようなことを、思ってきたのだから。

 実妹――瑠璃桜香。彼女は紛れもなく魅力的な女の子、そしてあらゆる芸に秀でている。およそ高校1年生とは思えない、まさに才色兼備ここに極まれりな優等生だ。

 学校が始まってわずか1週間。桜香はすでに常人とは思いがたい過激行動に走ってしまっているせいで、この学校でも順風満帆に優等生を貫き通せるとも思えないが、少なくとも小中学生のときは、それはそれはもう、同級生から他学年にいたるまでモテまくっていたものだ。男どもをバカにするなど、到底できやしない。もし仮にオレが桜香と血のつながらない、それこそ赤の他人として生まれていたなら、きっとその有象無象の一員だっただろう。

 だが……その、〈血のつながらない〉という条件がなにより重要な事実を物語っていた。遺伝学的にも極めて理にかなっている。遺伝子の似通う者どうしが子を成せば、劣性遺伝の確率は跳ね上がる。神さまも実に見事なシステムを創ったものだと、感動せずにはいられない。桜香は魅力的な女の子だが、異性として好きにはなり得ない。異性のきょうだいを持つ人間なら、だれであれ直感的にわかる論理だった。


「だからね…………」


 …………ああ。そうか。そういうことか。


 オレの身勝手な勘違いじゃ…………なかったんだな。


 ()()を自覚したのがいつだったのか、確定的な日付はあいにくと持ち合わせていない。


 【雪柳】をもつあのバケモノと相対したそのときから、遊華が傷つけられたあのときから、そんな気持ちを持つようになった気がしなくもなければ、そのときよりも()()()()()()()()()好きになってしまってた気もしなくもない。

 オレにとって彼女は特別で、それはたとえこの世のすべてを敵に回したとしても味方であり続けたいと心から思えるような、そんな人なのだ。

 だから…………


「私は対称会の掟がなかったら……きっとちがう人と結婚したいな……って思う……と、思うよ」


 いま……彼女はきっと、世界にいるだれよりも、そして幾重にも上る苦難を経てきた人生のいつよりも、振り絞った勇気をオレに見せてくれているんだろう。


 表情はなにひとつ見当たらない。――というのに、頬のあたりでうごめく熱気が彼女の恍惚とした顔の所在を手にとるように教えてくれる。


「でも……ちょっとね、なんだか最近、私おかしくなっちゃったみたいなんだ」


 ――――おなじだ。

 なにか特別なことがあったわけじゃない。その感情は、時間の経過とともに増すことはあれど減じることなど欠片もなかった。


「正直……もう、我慢するのが、なんというか……限界、なんだよね」


 真なるところをかわすがごとく、かといって遠ざかるわけでもない。ただひたすらに曖昧な言葉を少しずつ、少しずつ吐き出していく。だから、いまのオレは彼女の本心を完全に言いあてるには至らない。至れない。九分九厘……彼女の言いたい本質を……すでに理解しているはずなのに……本能が今もなお、それを疑い続けている。

 自分の好きな相手が……まさか本当に自分のことを好いてくれているだなんて……そんな偶然、起こり得るのだろうか。


「いまから言うのは、かんっぜんに私のわがまま。だけどもう……こらえきれないの。ねえ悠理。私のお願い、聞いてくれる?」


 その言葉を聞いたとき、オレの中でなにかが、プツンと――――切れた。


「待ってくれ」


 返事はない。しかしその必要ももはやない。


 大切なのは、たった今、勇気を極限まで振り絞るべきは彼女ではなく、オレだということだ。

 この瞬間に至るまで、彼女はきっと、途方もない緊張を持ち合わせていたはずなのだ。不安を、怖れを、抱え込んでいたはずなのだ。


 じゃあ…………オレはいったい――――なにをした?

 ただ彼女の勇気にあずかるばかり。身をゆだねるばかり。

 そんなラクをした果てに得られた楽園など、いったいなんの価値があると言えよう。

 オレは彼女を1番近くで支えたい。なのに並び立つことさえできていない。

 

 今ここで足を踏み出さなければ……いっそ死んでしまった方がマシなのだ。


 余計な言葉は、なにひとつ要らない。必要なのは率直な気持ちと、それを余すことなく伝えきる手段だけだ。


 オレは眼前にあるにたがいない彼女の頬を両手で覆い、そして、言った。




「好きだ」




 両手に感じとれた、雫の感触。

 彼女のぬくもりが全身を包み込んでくれていたからこそ、その冷ややかな感触が心地よく、そして次なる展開を自信を持って迎え入れられた。




「私もっ!!!!! ずっと大好きだった!!!!!」

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