42.
帰宅する最中、つめたい夜風が全身の体温を冷やしてくれた。
遊華の酔いもすっかりさめ切ってくれたみたいで、先ほどのような刺激の強すぎる暴走をすることもなかった。
何気ない会話をオレたち3人は口ずさみ続ける。気づけば、学生寮の玄関はすぐそばまで迫っていた。
A棟の自動トビラを通過する。エレベーターに乗って、80階へ。
解散しようとまた明日を言いかけたそのとき、桜香がドアの取っ手に手をかけながらくるりと身を翻してきた。
「まったく…………兄さまたちの仲の良さはずっと昔より承知しているはずなのに、いまだなお目に猛毒です。学校では、マジで気をつけたほうがよろしいかと」
「あはは……ほんとうになんと弁明したらよいのやら……ごめんなちゃい」
「はぁ……」
ため息をつきながら、桜香は高めに結われた桜色のサイドポニーをゆらりとなびかせて、手はそのままにして身体はきちんとこちらに向き直る。なんとなく、いつもの作り物めいた凛とした所作と引き換えに、元より備わる粗雑な感じを漂わせている気がした。なんだかんだ言いつつも、オレたちの前では気楽に過ごせているということだろうか。兄として、妹には心より人生を文字通り謳歌してもらいたいと思っている。……じろりと睨まれてしまったが、これは紛れもない本心だ。ギャグを言いたくて言っているのでは、断じてない。
「ともあれ遊華さん、兄さま。お誕生日、おめでとうございます。お二方が常に私の前を走ってくれたおかげで、いまの私があるのです。これからも、どうぞよろしくお願いしますね?」
「おう」
「うんっ! 桜香ちゃんも、身体には気をつけてねっ!」
「言われるまでもありません」
そう言って、桜香はバタンッ!とたたきつけるようにドアを閉め、自分の部屋へと入っていく。身体に気をつけるよういちいち言われたことにイラだってしまったんだろうか……なんてことを、コンマ数秒考えたりもしたのだが、その線は明らかに薄かった。
「けっこう怒ってたな……」
「もうちょっと気をつけたほうがよかったですかね……」
前からちょくちょく思ってはいたのだが、桜香には若干、ブラコンの気質があった。決してそのことを否定したいわけではないのだが、毎度毎度、遊華とじゃれ合うたびにムリヤリ割り込んでくるものなのでブラコンはブラコンでも、それはそれは重度なやつなのではないかと心配していたところだったのだ。
「まったくだ。コーヒーであんな酔い方するやつ、聞いたことも見たこともないぞ」
「あはは……確かに少し……ムチャが過ぎましたか」
「今度から気をつけろよ?」
「了解ですっ!」
元気よく敬礼した遊華を横目に、オレは手を振って……
――ん?
ふと、一点の違和感を覚えた。
「……おい。まさか遊華、お前……」
そのことに気づくや否や、たちどころに今まで気づけなかった違和感が一挙に脳裏に広がった。
そもそもおかしいはずなのだ。対称会の遺伝子を継いだオレたちの身体を考えれば、カフェインは神経を興奮させるでなく抑制させるはず。況や酔いが回るなどという失態を犯すはずもない。
そもそもおかしいはずなのだ。遊華がお酒を好んでないこと自体は事実だが、それは単にアルコールの匂いが苦手だという話なのであって、アルコール自体が身体に何かしらの影響を及ぼすわけではないはずなのだから。況やカフェインごときで酔いが回ることなど、あろうはずもないというのに。
試験が終わって浮かれ気分になってしまっていたからなのか、はたまた彼女の魅力に包まれて頭が焼き切れてしまっていたからなのか。お酒が苦手だというありきたりな事実を、無意識にアルコールで酔っ払いやすいと決めつけてしまった。そして酔っぱらいやすいというこれまたこれまたありきたりな事実を、無意識にカフェインにも弱いというよくわからない論理に繋げてしまった。
「酔ってたわけじゃ……なかったのか?」
「……ん? あれ、もしかしてそういうこと?」
遊華はまるで今までオレが気づかなかったことに今さらながら気づいたとでも言うように、口を無造作に開いて首をキョトンとかしげた。
「……?」
「てっきりウソなのバレバレだと思ってまして……」
「…………それって――」
「ねえ、悠理」
有無を言わすまいとでも言わんばかりの鋭い一歩とともに、遊華はスカートをふわりと浮かせて目の前に歩み寄る。
今度の耳打ちは――まちがいなく酔っぱらってるわけじゃない。そう断言できるほどに、彼女の声色には確固たる蠱惑的な芯が通っていた。
「今日……泊まってっても……いい?」




