24.
蓮杜も言っていた通り、Aクラスは全員80階に集約されている。必然、オレと遊華、それに星羅は同じフロアだった。最後の最後までとるにたらない雑談を続けたあと、部屋についたところでお開きとなった。
ちなみにちなむとフロアは環状になっていて、エレベータから少し出た先にオレの8001号室、そして反時計回りに8002の遊華、8003の星羅、8004の桜香、8005の竜胆の順でものの見事にご近所さんを形成していた。左手側には8050の部屋が見えたので、おそらくは1フロアにつき50の部屋があるんだろう。とはいえAクラスの生徒は23人。どうかんがえても空きが生まれる計算になる。他のクラスの者でもいるんだろうか? もしくは空席? おそらくは後者だろう。〈宝石ゲーム〉を踏まえると、どう考えても他クラスと同フロアになっているのはいろいろと危険だからだ。〈マンション〉アプリを再度起動させればそれについても家訓できるにちがいないが、生憎と今はそんなひと手間を掛けられるだけの余力が物理的にも精神的にも残っていなかった。テストゆえが半分、星羅のせいで半分である。
トビラのロックは6ケタのパスワードを入力することで解除できた。パスワードは、スマホでいつでも変更できるらしい。とはいえ設定は昨日すませた。一切の滞りなくパスワードを打ち込み、ドアを開く。
「改めて見ると……広いな」
玄関を抜けた先には奥行きの見える通路が転がっていた。シルクを思わせる側面と天井に、冬でも足が冷たくならずに済む紺色のカーペット。開けた先には、壁一面に広がる窓付近に1人用ソファが4つと、一家団欒を実現するには十分すぎるくらいの巨大なふかふかL字ソファ。その真ん前には随分と時代に似つかわしくない大型テレビが設置されていた。昨日言え? バカ言え。色々とあたふたしてたんだ。家に帰ったと思ったらクラスの〈宝石〉が盗まれるし、Aクラスの連中がてんやわんやでビデオ通話をし始めるし、事情を知りたいと桜香がせがむせいで夜中に学園に戻ることになったし。とてもじゃないが豪勢な学生寮を声高らかに自慢している場合じゃなかったのだ。
などと愚痴を吐きつきながらひと通り寝る準備を済ませる。コーヒーを1杯入れて、寝間着に着替え、家から持ってきた本を手にとる。ツッコミどころが2つ生まれたな。なぜに寝る前にコーヒー? 眠れないじゃないか。いいや、それは間違っている。ふつうの人間ならばカフェインは神経活性を高める。しかし正確に言えばその表現は性格じゃない。車を思い出してみてほしい。アクセルとブレーキがあるだろう? アクセルはなにをするものだ? そう、車のスピードを上げるためのものだ。じゃあ、ブレーキは? その通りだな、車のスピードを下げるためのものだ。ここで少々難しい話なんだが、〈もともと少しだけブレーキを踏んでた状態で、ブレーキから足を離し〉たら、どうなる? その通り。これまた車のスピードは、速くなるんだ。カフェインが人間の神経活性を高める原理も今のと同じ。アクセルを踏んでるわけじゃない。ブレーキを抜いているんだ。オレたち対称会の人間は、常人と比べれば常にアクセルを踏んでる状態に等しい。裏を返せばブレーキなんてものは端からほとんど踏んでないみたいなもんなのだ。よってカフェインの影響は皆無。どころか若干眠くなる。寝る前に飲む1杯のコーヒー。まさに合理的であろう? そしてもう1つのツッコミ。寝間着? 家から持ってきた本? そんなのいつ持ってきた? 答えよう。先日学園が送りつけてきた1通の封筒。その中には、生活の中で必要な類はすべて1つのスーツケースに詰め、〈学園宛て〉に郵送するよう記載されていた。住所は〈藤花〉。それオンリーで届いてくれるらしい。どうやってここまで運んだのか、それについてはむしろオレたちのほうが知りたいくらいだ。確かだったのは、昨日ここに訪れたときにはすでに運送が完了していた、ということだけである。まったく便利なことである。
――ガチャ。
「は?」
いや、カギは締めたはずだ。
なっていい音は2種類しかない。〈ピンポン〉か、〈ドンドン〉、だ。
「やっほ」
「遊華か……」
「ごめんね、いきなり押しかけちゃって」
「パスワード、のぞき見してたのか?」
「ううん。私も同じパスワードだから」
「なるほど……」
まあ、不思議ではないか。
「何か用か?」
「んーっと……」
どこか、遊華の様子がおかしい。こんなにしゅんとしているのは久々だ。
「もう0時まわってる。それに明日も7時までに学校に着かなきゃなんだ。そろそろ寝たほうがいいんじゃないのか?」
「そうなんですケドも……あっ!」
急にぱっと表情が明るくなる。右手人差し指がピンッと天井を向いたことで、指輪の牡丹色がULEDの光を受けて軽やかにキラる。
「一緒に漫画読もうと思って!」
「……お、おう」
そんなの家から持ってきたのか……。と、ツッコミかけたのち逡巡。よくよく考えてみれば、いまからソファに寝転がりながら優雅に小説を読もうとしてたオレにはそんなツッコミを入れる資格などさらさらないのではかろうか。ちょっぴり内省する。
「あれ、もしかしてそれ読むとこだった?」
「一応そのつもりではあったが……でもまあ、なんか持ってきてくれたんだろ? 読ませてくれ」
「うんっ! ありがとっ!」
遊華から手渡された漫画の表紙には、どこか見覚えがあった。
「神の罰……か」
「そうそうこれ。まだ読んでなかったでしょ?」
神の罰。人間が愚行を繰り返し続ける様を見て呆れた神様が、文字通り天罰をあたえるお話だ。もとは小説の内容なので、実は中身は読んだことがある。だが遊華の話では、どうにも漫画では内容が随分と異なっているらしい。原作準拠至上主義者としてはいささか憚られるものがあったのでなかなか手を出せずにいたが、原作もコミカライズも呼んだ遊華いわく、そっちのほうが何やら面白いらしかった。
「早く読んでよね? ネタバレを言わないように気をつけるの、なにげストレスなんだから。せっかく買ってきた10個入り卵をつい手が滑って落としちゃって、全部使いものにならなくなっちゃったときくらいにはストレスなの」
「そいつは厄介だな。どのくらいで読み終わればいい?」
「うーん。明日までっ!」
「無茶だろ」
如何せん長編なのだ、この作品は。原作は60巻、コミカライズはたしか……100冊は優に超えてた気がする。それを1日で読み切れと? 娯楽とは何たるかをまるで理解していない。いや、もしかしたらオレが逆にその境地にたどりつけてないだけ……の可能性も、あるのか?
「まあまあがんばってくれたまえ――ヨイショっと」
「ちょっおい、コラッ」
――ドシッ。
「まだ膝枕してもらってません。肩たたきも、まだしてもらってません」
「……たしかにな」
こうして肌身を寄せ合うのは、いったい何時ぶりだったろう。最近はいろいろと忙しかったせいでゆっくりできていなかったからな。藤花学園はその点いい。身体的にも、精神的にも。対称会の干渉をいっさい受けずに済むのだから。
遊華はオレに背中を――正確には後頭部を――向けながら、フフフと笑ってページを開き始めた。ネタバレになるので中身は視野に入れないでおく。そして、昔からよく彼女にしていたように、オレが頭に手を伸ばしかけたそのとき――
――ドクッ。
心臓が、跳ねた。




