1.
2046年4月15日、21時。オレは誕生した。
2046年4月15日、21時。遊華は誕生した。
2046年4月15日、21時。隕石は落ちた。
2046年4月15日、21時。神は舞い降りた。
2062年4月8日、東京都渋谷駅。
昼下がりの喧騒がゆっくりとうずまく改札口。その脇で、異様なほど人気のない無機質な空間が、流れゆく人々をただただ静かに見つめていた。そこにあったのは天井に貼りつけられた何枚ものULED――LED照明の最新型である――と、壁一面をデカデカと彩る1枚の絵画のみだった。
――薄紫の花房が幾重にも揺らめく、藤の花。
動くはずのない陽光が、花々の間を切り裂くがごとくひらひらとゆらめく。それがあんまりにも雅なものだから、ついつい絵の中へ引きずり込まれる感覚を覚える。身体の重心がわずかながら腹側へと、ずれる。
「――きれい。こんなのが本当に、高校の入口なの?」
息を弾ませながら軽やかにその絵に歩み寄っていくのは隣家の幼なじみ、牡丹遊華。
高く束ねた黒髪ポニーは背中でふわりと揺れていて、ほのかに香る甘い匂いもそっと鼻へと触れてくる。
オレ・瑠璃悠理と妹の瑠璃桜香。そして牡丹遊華と弟の牡丹竜胆。
2組の年子として同じ学校・同じ学年へ進むことになったオレたちは、今まさに、学園の入り口へとたどり着いたところだった。
『渋谷駅改札脇。藤花の絵画に訪れよ。【月光の藤】は、我らの元へと導かん』
先日家に届いた1通の封筒。
中には色鮮やかなパンフレットとともに、この1文を含む道案内が丁寧に同封されていた。月光の藤……単なる、電子学生証のことだった。表面はごくごくふつうのディスプレイ、裏面はひんやりとした金属プレート。見た目も手触りもなんらスマホと変わらない。そしていかにも厨二病めいたネーミングをしていた。高校生にもなって口にするのはあまりにためらわれたものなので、ひとまずオレたちはふつうにスマホと呼ぶことにしていた。
俄かには信じがたい話だ。
こんなお粗末な端末ひとつ、単なる絵画に差し向けたところでいったいなんになる。心のどこかでそうバカにする自分がいたのは確かだった。しかし流石と言うべきか、牡丹家長女たる牡丹遊華は一縷の迷いなくスタスタと歩み寄っていく。両足をピタリとそろえたところで、コトンと小首をかしげて見せた。うまくいくかな? そんな具合だ。
迷ってるヒマがあるなら試してみるのが人生ってもんでしょ! ――そんな本性の持ち主。
まったく……いつの時代も変わらないものだな、彼女は。
「ほらほら悠理。ぼーっとしてないでスマホ出してっ。竜胆と桜香ちゃんも!」
突然振り向いた遊華にぼーっとしてたのがバレたので、ズボンの内ポケットから端末をするりと抜きとる。眼前に広がる無数の藤へと恐る恐る差し向ける。
一瞬、裏面に刻まれた藤花の校章がどこか薄紫色に瞬いた気がした。
そして――世界が白く弾けた。
鋭く目を指すまばゆい閃光。
その上、底抜けた浮遊感に襲われたものだから、つい遊華の二の腕をつかみとってしまう。
それが彼女を支えるためだったのか、あるいは支えてもらおうとしたためだったのか、わからない。
しかし確かだったのは……次に目を開けたとき、オレたち4人が身を置くその場所がガラスのハコの内部だったということ、そして、そのハコがただひたすらに静かに、青空の奥底へと歩みを進めていたということだった。
四方を透き通ったカベに包まれた、狭く無機質な空間。
開閉ボタンも階数表示も見当たらない。それでも、オレたちを密閉する直方体は留まることなく淡々と上昇を続けていく。
頭上を覆っていたはずのビル群は、すでにどこにも見当たらない。
ただひたすらに青の空。ときたま白い雲。
そのとき眼下にふと、ビルの集積を捉えた。
……なるほど?
どうやらさっきまでオレたちを内包していた建物という建物は、はるか足元へと沈んでしまったらしい。否、その表現はまちがいなく不適切だろう。オレたちが、空高くへと舞い上がっていたのだ。
太陽の光を存分に浴びた都市という都市は徐々に淡さを帯び始め、彼方彼方へと霞んでいってしまう。
「やば……。こんなエレベーター、いったい誰が作ったんだろうね?」
興奮を隠しきれない様子でガラスに両手をあてがって、遊華はつま先立ちに街並みを覗き込む。
「現代科学を超越してるのは疑いようもありません。だからこそ、私たちの通うにふさわしい学園なのでしょうが」
桜香は遠くの青空を眺めながら肩口布をつまみとり、形をすっと整える。いま妹の身を包むのは、桜の刺繍が乱れ咲く唐衣風のボレロ。
白ワイシャツの上に重ねたその装いは、かわいらしくも几帳面な言葉遣いとどこか同じく、古風な気配をもたらしていた。
よくいえばいとをかし。悪くいえば場ちがい。
どうしてこんな格好をしてるのか。何か高尚な理由でもあるのか。そんな疑問が飛び交うことは想像に難くない。
しかし生憎と、そんなものはなかった。小学生のときに見た平安アニメに影響を受けた、ただそれだけのこと。
それはまあいいとして。
ふつう学校に来ていくか、それ?
「悠理はどう思う?」
ネコかぶりの妹に心中茶々でも入れてみてたところで、くるりと身をひるがえした遊華が、このオレにも問うてきた。
――どう思う、か。
何を想ったのか、視線が外の青空へと流れる。逸らしたと思われてしまったかもしれない。
気づけば淡みを帯びていたビル群も、厚みを伴い始めた雲で覆い隠されてしまった。これだけの高さに到達してなお耳はまったく詰まっていない。いったい全体どんなカラクリを披露してくれているのやら。。
2046年4月15日、隕石が地球に落ちた。
ユーラシア大陸の最大都市、カタストロフに落ちた。
落ちた……というのでは、あまりに主観的が過ぎるだろうか。
その日、隕石は無情にも地球に衝突してみせたのだ。
衝突したときの衝撃で一億の人間が死んだ。
――――そして死者数は、瞬く間に二十三億を迎えた。
隕石内から現れた生命は、尊大にも、神を名乗ってみせた。
しかしかといって、臆病な自尊心を持ち合わせていたわけでもなかった。
夜が創り出す暗がりをものの見事にかき消すがごとく辺りを照らす白光をまとい、燃え盛る眼光はコンクリートをも貫き、そして無慈悲にも巨大なる尾は一面を幾何学模様で彩った。
彼の言の葉を心紅に置くなら、【子の神】と言って差し支えなかった。
所謂、ネズミのことである。
結局、彼の額を地に臥すことは叶わなかった。
単なる気まぐれか、はたまた、端からそうなると運命づけられていたのか、わからない。【子の神】は、どういうわけか音速をも超える速度で跳びたったのだ。空の彼方へと、宇宙の彼方へと。
まもなく、カタストロフのカタストロフィックな大災害から、16年という年月が経とうとしている。
人類は、策を講じてみせた。
神をも穿つ、人知を超えた才能を求めて。
――――三千年の歴史を誇る【藤花学園】に、接触を試みた。
どういうわけか渋谷駅、上空三千メートルを舞う【藤花学園】に接触を試みた。
ノーベル賞、世界陸上、ヴェネツィア・ビエンナーレ。世界に羽ばたく卒業生という卒業生が、あらゆる賞を掻っ攫う――そんな恐るべき才能を次々と輩出してしまう【藤花学園】に、接触を試みた。
どんな教育を施すのか、日本政府すら知り得なかった。人知を超える存在は、【子の神】だけではなかった。迂闊なる接触は、何ひとつ叶わなかった。しかし確かだったのは、ひとつに、【藤花学園】はたった三年で常人たる新入生を超人たる卒業生へと変貌させてしまうこと、ひとつに、【藤花学園】の知恵と恩恵がなければ、神に勝るが人類は到底訪れ得ないということだった。
意外にも、学園は快く承諾した。
たった1つの条件を残して。
『瑠璃悠理と牡丹遊華。その両名を、必ず学園に招き入れよ』




