11話 冥星の巫女
お師匠様が去った後、
ジゲン、クオンと私の三名だけが大部屋へ通された。
そこはフレハラウ様が「ビジネス」とやらのために用意した場所だという。
「……広い」
思わず零した声が、どこまでも吸い込まれていく。
白く続く、壁と天井の端が見えない。
置かれているのは椅子と、横になれる箱状の物体が整然と並んでいるだけだった。
「異様な光景ですね。
この建物、外から見た限りでは、そこまで大きいとは思いませんでしたが……」
ジゲンが眉をひそめ、結界の奥を探るように視線を巡らせる。
「魔法で作った結界の中ばい。
ここはムーの谷で、最も安全な場所なんだな」
賢者様の言葉に頷きながら、
私は胸の奥に溜め込んでいた疑問を吐き出すように口を開いた。
「フレハラウ様……
私達は今日、この地に辿り着いたばかりです。
……聞きたいことが、あまりにも多すぎて」
彼は一瞬だけ目を伏せ、首を横に振る。
「さぞ、お疲れでしょう。
今夜は、お三方でゆっくりされるとよろしい」
それだけを残し、扉は静かに閉じられた。
床に置かれた荷物。
私達は三人、向かい合うように腰を下ろした。
「天変地異みたいなことが立て続けで……
心を整理する暇もないわ……」
思わず顔を覆う。
自分でも驚くほど、疲労が滲んだ声だった。
その時、クオンの視線を感じた。
ちらり、ちらりと――落ち着きなく、私を見ている。
異様なほど、彼女らしくない。
「……ねえ、クオン。
ここに来てから、ほとんど喋っていないけど……どうしたの?」
「まさか、また従者のしきたりに縛られてる、なんて言わないわよね」
その言葉を聞いた瞬間、
クオンが覚悟を決めたように立ち上がった。
一度、大きく息を吸い込む。
そして――
私の目の前に立ち、両の手で、そっと頭を抱き寄せた。
「ちょっ……クオン……?」
息を止めたまま、彼女は告げる。
「ずっと……あなたに――
会いたかった、ナタレ」
全身が、芯から震え上がった。
その声音は、
決してクオンのものではない。
幼い頃、何度もこうして抱きしめられ、あやされた。
耳元で聞いた――
亡き、母上の息遣い。
あり得ないと、理性では分かっている。
それでも、視界が滲む。
「……どうして……?」
「さあ……どうして、でしょうか」
ジゲンは言葉を失い、
目を見開いたまま、私達を見守っている。
「……クシナ……?
母上、なの……?」
「――ええ。今の私はクシナ」
その微笑みは、確かに母のものだった。
「この世界に来てから、クオンの中で眠っていた私の魂が覚醒したの。
だから、彼女の記憶も……私の一部として知っているわ」
「……なぜ、クオンの体に……?
あの子は……どうなったの……?」
母上の表情が、わずかに曇る。
「彼女の魂は、今、深く傷ついているわ。
正気は保っているけれど……長くはもたない」
喉が、ひくりと鳴った。
「原因は……狐の鬼。
精神に入り込み、少しずつ穢しているの」
「……それを祓えなければ……?」
「いずれ、魂そのものが擦り切れてしまう」
一つずつ、突き付けられる現実。
逃げ場のない言葉だった。
「……セイメイ様なら……助けてくれるはず……」
縋るように言った私に、
母上は、ゆっくりと首を振った。
「彼は敵ではないわ。
私達の味方――世界そのものの均衡を守る側の人」
「けれどクオンの“味方”には、決してならないでしょう」
「……ごめんなさい。
これ以上は、言えないわ」
母上は言葉を呑み込み、それ以上は語らなかった。
(お師匠様が……?
クオンの傷を癒してくれたというのに……?)
信じたい気持ちと、
否定できない矛盾が胸の中でせめぎ合う。
沈黙を破ったのは、ジゲンだった。
「……なるほど。
言えぬ事情が、あるというわけですね。
この世界に来てから、
ずっと"クオン殿のフリ"をしていた……と」
母上は、小さく頷く。
「ナタレ」
その名を呼ばれ、私は顔を上げた。
「あなたしか、彼女を救えないわ」
「……私、ですか……?
母上の力なら……」
「……実は、もう試したの」
母上の声が、わずかに低くなる。
「この世界で目覚めてから、
"陽世の術"で、何度も穢れを祓おうとしたわ」
思わず、息を呑む。
「けれど……届かなかった。
死霊である私の魂には、
祓えるだけの生命力が、足りない」
「私の術は、彼女の魂の表層に触れることはできても、
狐の鬼が巣食う“核”までは、弾かれてしまう」
私は一言一言を嚙み潰すように、黙って耳を傾ける。
その眼差しに応えるように、母上は静かに首を振った。
「生前の私なら、力で押し切れたでしょう。
けれど今の私は、仮初めの存在。
彼女の魂を留めておくだけで、精一杯なの」
「術を重ねるほど、
クオンの魂そのものが摩耗していくのが、分かったわ」
母上の手が、静かに私の胸元に触れる。
「クオンを救うために――
邪鬼封殺の舞、鬼封神楽を極めなさい。
"神衣"が顕現する、その境地まで」
胸の奥が、熱を帯びる。
クオンが――彼女が血に倒れる、その時まで。
私は、守られてきた。
助けられることを、当然のように待っていた。
「今度は――」
母上は、はっきりと告げた。
「あなたが、彼女を救うのよ」
クオンを救う意思は、初めからある。
けれど。
私にそれができなければ、
彼女は――失われる。
その責任の重さから逃げたいと、唇を噛みしめた瞬間。
彼女が私を庇い、刃を受けた、あの一閃が脳裏をよぎる。
――気が付けば。
私は、震えたまま、それでも大きく頷いていた。
――その顔を見た母上は。
何も言わず、優しく微笑んで、私を抱きしめた。




