後編 美しい思い出(※主人公、一人称)
嬉しかった。誰かに認められ、「必要」とされた事が。心の底から嬉しかった。私は自分の好きな所に彼を、時間の許す限りに導いた。「ここは、どうです? 私の一番」
彼は柵の手すりに手を乗せて、そこから目の前の風景を眺めた。私の故郷を眺められる、私だけの風景を。春には桜、夏には雲、秋には紅葉、冬には雪が観られる絶景を。彼はむじゃきな笑顔を浮かべて、その絶景を眺めつづけた。そして、「あっ!」
何を思ったのか、不意に「うっ」と泣きはじめた。彼は両目の涙を拭って、私の方に笑顔を向けた。「素晴らしいです!」
私はまた、彼の言葉に救われた。心の雪がそっと、溶けるように。人間の熱を感じてしまった。私は彼の隣に立って、彼と同じ物を見た。「ここだけが、私の味方」
彼は、顔の笑顔を消した。今の言葉を聞いて、何かを察したらしい。正面の景色に向きなおりはしたが、その意識は私にずっと向いたままだった。彼は何かを考えてからすぐ、遠くの山を指差して、それに顔の表情を変えた。
「俺は、あの山になりたい。誰かの心を癒すような、そんな自分に」
「ガリアくん」
「シュリノさん」
彼は、私の目を見た。私の目をじっと覗きこむように。「結婚しませんか? 俺達」
私は、言葉を飲みこんだ。本当は何か、ではない。結局は、何も言えなかった。彼の気持ちに対して、何も。私に言えるのは、彼の告白を断るだけだった。私は自分の境遇を呪う中で、隣の彼に何度も謝った。「『貴方の事が嫌い』とかじゃないの。ただ……」
彼は、地面の上に目を落とした。私の本心を察して、その視線を逸らしてしまったのである。彼は自分の足下をしばらく見て、私の顔にまた視線を戻した。
「居るんですか、他に?」
「うん。お父様が、うんう、父さんが勝手に決めた事だけど。国の王子様……。私、そこの王子と婚約を」
「そう、ですか……」
彼は、柵の手すりを握りしめた。私の言葉、「王子」の部分に落ちこんで。自分の感情に笑みを零した。「なら、仕方ないですね。俺の家は、地方の……」
私はまた、彼に謝った。彼の心を傷つけた、その罪悪感に押されて。
「ごめんなさい」
「大丈夫」
「ごめんなさい」
私は、自分の言葉に苦しんだ。自分の本音と現実、その違いにも苦しんだ。目の前の彼に救いを、今すぐに「助けて!」と叫びたいのに。私の後ろにある世界が、そのワガママを許さなかった。私は一瞬の、でも大事な幸せに心から喜んだ。「ありがとう」
彼は、私の体を抱きしめた。体のすべてをぎゅっと、自分の心を見せるように。私の涙を無視して、私に自分の愛を見せつづけた。彼は私の体を放して、その涙を殴った。
「俺は、待っています」
「え?」
「貴女の運命が変わるまで。俺は、貴女の事を想いつづける」
彼は「ニコッ」と笑って、私の手を握った。その表面にある、不安や恐怖を宥めるように。「俺の父上、父さんもそうしていたから」
私は、「そうしていた」の部分に驚いた。「そうしていた」と言う事は、「自分の相手を待っていた」と言う事だから。時の流れを越えて、その感情に感動を覚えてしまった。私は彼のおでこに自分のおでこを付けて、囁くように「待っている」と言った。「私も、自分の運命が変わるのを。神様に祈って、待ちつづけます」
彼は、「はい」とうなずいた。私も、「ごめんなさい」と微笑んだ。私達は自然の光を浴びる中で、刹那の幸せを味わいつづけた。
幸せは、二日後に終わった。彼が帰る事になって、その余韻がすっかり消えてしまった。私は何度も振り返る彼の顔に胸を痛めたが、隣の次女がそれに苛立った事、三女が次女の横顔を睨んでいた事に思わず怯えてしまった。「ハイリ、フローラ……」
次女のハイリは、それを聞き流した。三女のフローラも、同じように黙った。二人は正反対の(たぶん)思いを抱く中で、同じ方向をじっと睨みつづけた。ハイリは私の顔を見て、その隣からぐるりと回るように遠ざかった。「姉さんは、欲張りよ……」
私は、妹の背中を見つめた。「怒り」と「悲しみ」しかない背中に。無言の謝罪を言いつづけた。私は悲しい気持ちで、自分の右手に視線を移した。
「私は」
「欲張りじゃない」
「え?」
私は、フローラの顔を見た。何かの決意に震えるような、そんな表情のフローラを。
「そう、かな?」
「そう」
「姉上は、正直。だから、美しい」
フローラは、私の目を見た。今の言葉に怯える、私の目を。その澄んだ瞳で、見つめつづけた。彼女は私の目をしばらく見、そしてまた、ガリア君の方に視線を戻した。「あの人も」
私は、妹の顔を見た。彼女が何を考えているのかは、分からないけど。その乾いた眼差しに妙な不安を覚えてしまった。私は末っ子の存在に畏怖を抱いたが、彼の事をふと思い出すと、今の心境を忘れて、自分の未来を憂えた。「私は」
うんう、そうじゃない。現実はそうでも、気持ちはそうじゃない。私の中にある気持ちは、その思考とまったく違った。私は相反する気持ちの中で、自分の前を見つめた。
「フローラ」
「はい?」
「私」
生きるよ。そう誓った瞬間、だけではない。その後もずっと、色々な事に耐えつづけた。父からの虐めにも、次女からの嘲笑にも。あらゆる根性を使って、その屈辱に耐えつづけた。
十四歳の夜、王子の命令で王宮に呼ばれた時も。その生臭い屈辱に耐えつづけた。私は初めての痛みに涙を流す中で、王子の唇に耐え、その愛撫や甘言に耐え、自身の精神を守りつづけた。「く、うっ、はっ!」
王子は、私の抵抗に目を細めた。私の反応がどうやら、気に入らなかったらしい。何も付けていない私の体に対して、ご自慢の暴力を使った。彼は私の体が悲鳴を上げ、その痛みに嗚咽を漏らした所で、自分の拳を引っ込めた。「自分の立場を考えて?」
私は、それに応えなかった。応える余力が無かったから。一つの音として、その言葉にうなずいた。私は彼の命令に嫌々ながらも従い、その劣情をずっと、まるで町を囲う防壁のように耐えつづけた。「分かりました、分かりました、分かりました」
最後の部分はもう、石像のようになっていた。私は自身の精神が壊れる感覚に恐怖を覚える中で、かつての思い出に自分を立たせつづけた。けれど……。壊れる時はやっぱり、壊れる。希望の中に絶望を感じて、自分の人生に幕を降ろしたくなる。
自分の人生が、すっぽり覆われるように。「自分の人生とは一体、何だろう?」と思ってしまった。私は彼の趣味、女遊びや賭け事、豪奢な浪費や怠慢の中に義憤と憤怒を感じた。「あんな人に弄ばれているなんて」
そんな風に思った。彼が寝室の中に女性を、恐らくは自分の引っかけた女を入れる度に。私の中にある自尊心が、ズタズタに引き裂かれてしまった。私は媚声が交わるの部屋の外で、自分自身の運命を呪い、そして、次女の言葉に怒りを覚えた。「所詮は、負け犬の遠吠え」と言う言葉に。
「どこか?」
「じゃない。見た通りでしょう? 相手の声にも、応えられないなんて? 姉さんは、あの人達。モテる女に負けたのよ」
私は、妹の胸倉を掴んだ。私の用事に「付き合う」と言った、妹を。その本心を忘れて、彼女の体を押し飛ばしてしまった。私は胸の動悸に苦しむ中で、妹の顔をじっと睨んだ。「負けてない」
私は……。「あんな連中に。雌豚共に負けてない!」
ハイリは、「フッ」と笑った。私の心を笑う、文字通りの笑みを浮かべて。彼女は私の前にしゃがんで、私の頬をぶった。「負けているわよ? 誰がどう見てもね? 姉さんは……。色が使えないなら、教会にでも入れば良いんじゃない? あたしは、そんな人生嫌だけど?」
私は、彼女の指摘にうつむいた。指摘の内容に打ちのめされて。彼女の「大人になりなさない」にも、ただ「うっ」と唸ってしまった。私は自分の未熟さに苛立ちを覚える中で、王子との結婚式を迎えた。
読んでくださり、ありがとうございます。
次回より本編スタートです!




