染み
人によっては想像するだけでも恐怖体験かも知れません。 お気を付け下さい。
「ようやくある程度の整理が出来たか……」
それでも段ボールの積み重なる部屋を眺めつつ、彼はそう呟いた。
家の改築の為、おおよそ半年間の引っ越しが決定した藤川家。
近所の空き家をその間の仮の宿とする為の引っ越し作業を始めたのが昨日で、取り敢えず彼の自室となる部屋の整理を終えたのが今であった。
と言っても所詮は仮の宿。 大半の段ボールは閉じたままで、必要最低限のものだけを開封した状態である。 それでも今まで時間を要したのは幼い弟妹の分を優先していたからに他ならない。
自分だけなら布団さえ出してしまえば休めるが、幼いふたりが慣れない環境で眠れない休めないなどと言い出したら「事」であるからだ。
ただでさえ忙しい両親に手を掛けさせる訳にはいかない。 ならば彼がやるしかなかった。
半分、ロフトの様な、一般的な二階建てとは違う低い天井が気にはなるものの、所詮は仮住まい。 多少の圧迫感はあるが眠れない程気になるモノでもない。 事実、昨夜はぐっすり睡眠を取っている。
デカいベッドは業者に預けている為、慣れない布団ではあるが、それも問題になるレベルではない。
彼は溜まる疲労で、深く呼吸をしながら布団へ転がった。 と言っても時間はまだ夕刻。
眠る訳ではなく身体を休める為に横たわる。
天上には古くさい蛍光灯。 裸電球じゃないだけマシなのかも知れないが、低い天井から照らされる光は少し明るすぎる様に感じた。
「まぶし……」
思わず声が出てしまう。
腕で影を作り、半眼で見る視界に、何か黒い染みが見えた。
(……ん?)
黒い……何だろうか?
吊り下げられた蛍光灯の後ろ側――天井に広がる黴の様な黒い広がり。
(……カビ?)
昨夜は気づかなかったが、それは確かに黴の様に見えた。
(あんなモン、あったっけ?)
眠る時、それを気にした記憶はない。
だが、黴だとしたら一日でこうも広がるはずがないだろう。 ならば、自身が気づかなかったと考えるのが妥当である。
ふと、それが動いた様に見えた。
と言っても動かないモノが動いて見える原因は様々だ。
誘導運動や動揺視などの錯視、飛蚊症や眼振などで、まあ病気も含まれているが、それでも動いている様に見えるだけなら多くは錯覚だろう。
気にする事はない。
気になるなら明日にでも雑巾でゴシゴシと拭いてしまおう。
そう思いつつ、疲れから自然と目が閉じようとする。
そんな視界の中で、染みはゴソッとふたつに割れた。
(――!?)
驚きに閉じかけた瞼がクワッと開かれる。
そんな動きをする染みが黴である筈がない!
一瞬、心霊的なモノを思い浮かべるが、時刻は夕飯前であり、そもそも昨夜もここで眠っている。 即座にそれを否定した彼は、直ぐさま立ち上がると至近距離で『それ』を見て――絶叫した。
「きょおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
きゃあじゃないだけ褒めて欲しい。
それは小さな、蟻よりも小さな体躯をした子蜘蛛の群れ。
恐らくは卵から孵ったばかりの子どもたちが成した安全の為のコロニー。
彼等は、そんな大声を感じたのか、一気に拡散したのだ!
文字通り、蜘蛛の子を散らすように!!
幸いだったのは、自身の部屋を後回しにしていたお陰で掃除機がここにあった事だろう。
彼は信じられない程の素早い動きでそれを引っ張りだし、子蜘蛛たちを吸い込んだ。 それはもう遠慮なしに何の躊躇いもなく吸い込んだ。
隠れられそうな段ボールの隙間、布団の下、家具の隙間、自身の身体と徹底的に掃除機を掛け、その上で部屋中満遍なく殺虫剤を噴出すると、扉を閉め切り密閉する。
「はあ……ビックリした……」
実はこれ、実体験です。 おぞましい事に。