決戦 眠る街の中
僕らは作戦会議を開いた。
ホラーマンのこれまでの目撃情報を洗い出し、見えてきた傾向がある。それは「男子生徒が狙われる」ということ。唯一の例外が明里だが、それを除けば全員男子生徒だった。つまり――“男”が標的なのは確かだ。
問題は、いつ襲われるか。
日中、先生たちが学校にいる間には何も起きていない。だから、僕らは夜の学校に狙いを定めた。ネットで調べたところ、中学校の消灯時間はだいたい22時。先生方も完全に帰宅して、警備員もいない。つまり、そのタイミングがホラーマンが活動する“本当の夜”だ。
少し怖い。でも、明里のためだ。
そう、明里のためなんだ。
当日は、「よしひろの家に泊まる」と各自親に伝えた。ちょうどその日は、よしひろの両親が夫婦で寺巡りに出かけるという絶好のチャンスだった。
ホラーマンは、過去の話から「1人のときにしか襲ってこない」。だから僕たちは2人1組で行動することにした。
僕――勇魚と、よしひろ。
慎と、幸の双子ペア。
作戦が決まると、決行日までの時間はあっという間に過ぎていった。
正直言って、ワクワクと不安の比率は半分半分だったと思う。
⸻
そして、当日――
それぞれ泊まりの荷物を手に、夜の道を学校に向かった。道中、みんな普段と変わらない様子だった。慎は冗談を飛ばし、よしひろは緊張をごまかすように喋り続けていた。
「明里の様子、少し良くなったらしいよ。家の人が言ってた。」
その一言に、全員が小さく息を吐いた。
……やっぱり、これは無駄じゃない。意味のあることだ。
そんなことを思っているうちに、僕らは真っ暗な学校に到着した。街灯の届かない校舎には明かりひとつなく、代わりに夏虫の鳴き声だけが響いていた。
「準備はいいか?」
僕の問いかけに、みんなは小さく「おう」と答えた。
配置につく。僕とよしひろは理科実験室へ。慎と幸は2年1組の教室へ。
重たい空気のなか、時間だけがゆっくり過ぎていく。
そして23時――。
……何も、起こらなかった。
拍子抜けだった。
「なんだ。結局何もないのかよ……」
そう思って、みんなで2年1組に集まり、帰ろうとしたそのとき。
コツ、コツ――
足音。
誰かが、確実にこちらに近づいてきていた。
車は止まっていなかったはず。職員も誰もいない。僕らは動けず、足音に耳を澄ます。
――ガラッ。
扉が開く。
そこに立っていたのは、2組の担任、佐藤先生だった。
「お前ら……どうしてここにいるんだ。」
先生は腰を抜かしたようにへたり込み、僕らは慌てて事情を話そうとした。
「先生、僕たちは明里のことで――」
だが、先生はその言葉を遮った。
「……なんで、鍵を持ってるんだ。」
静かに、低く、どこか異様な声で。
そこで僕は、おかしなことに気づいた。
よしひろが、まるで操り人形のようにぼうっと立ち尽くしていた。目が焦点を結んでいない。
「よしひろ、おい、どうしたんだよ。」
僕が呼びかけると、彼の口元がにやりと歪んだ。
「――“水”は、どこにでもあるんだよ。」
その瞬間、教室の空気が変わった。
床が濡れていた。
気づけば、足元がじわりと水浸しになっていた。
蛍光灯の明かりもつけていないのに、水面が鈍く光っている。水は机の脚を這い、椅子を揺らし、僕らの足首へ、ふくらはぎへと這い寄ってくる。
慎が叫んだ。
「水だ!やばい、この水、普通じゃない!」
幸が目を見開く。
「よしひろが……洗脳されてる。これ……“水の化け物”か?」
よしひろは、虚ろな目で、僕らを見つめていた。
「水は空気にもある。逃げられないよ。だって、僕らの体の中にも水があるんだもん。」
寒気がした。理屈ではない。感覚が「これはまずい」と警告を鳴らしていた。
そのとき、佐藤先生がポケットから何かを取り出した。
それは、小さな木札。朱色の文字が刻まれた、御守りだった。
「……やっぱり出たか。昔、寺の跡取りになるはずだった身だ。こういうときのために、持ってきていた。」
先生はその御守りを、教室の扉の上に貼りつけた。
すると――
水の流れがぴたりと止まり、空気が澄んでいくのがわかった。
よしひろが、崩れるようにその場に倒れた。
僕らは急いで彼に駆け寄った。目を開いたよしひろは、きょとんとした顔で僕らを見た。
「……え? なんで、俺、床で寝てんの?」
そう言った彼の額には、汗がにじんでいたけれど、どこか安心したような笑みが浮かんでいた。
⸻
こうして僕らは――ホラーマン事件の核心に、少しだけ触れた。
まだ謎は多い。
明里がなぜ襲われたのか。
水の正体はなんだったのか。
そして――ホラーマンとは、本当にただの“噂”なのか?
でも今は、何より無事であることが嬉しかった。
夏虫の鳴き声の中、帰り道の風が、ほんの少しだけ涼しかった。空気の冷たさが嬉しかった。