親友がいたんです。たった1人のね
『姫様〜お腹すいた〜! カツサンドと紅茶のセット貰える?』
一目で夢だと分かった。辺りを見渡せば、そこは祖父が経営している喫茶店だったから。あちらが夢だとも思ったけど、目の前の彼女にその可能性はないと突きつけられた。
黒い髪に褐色の肌、猫のようなくりくりとした健康的な少女が店のカウンターに頬杖ついていて、あの日と変わらずにこちらを見つめていた。
『茉衣………?』
『姫様、私のこと忘れてない? まだ、ちゃんと貴女の記憶に残ってる?』
当然だと、口にしたかったのに。彼女の声が、聞こえない。高い声? 低い声? 読唇術で話してる内容は分かるけど、どんな声だったかが私の記憶から消えている。だから、彼女の声が聞こえないんだと嫌でも突きつけられた。
『茉衣………ごめんなさい』
『いいよ、いいよ。気にしなくてさ。仕方なかった………うん。仕方なかったんだよ』
寂しそうに笑う彼女に手を伸ばすのに、カウンターから先に手が届かない。茉衣も手を伸ばすのに、その間に無限でもあるかのようで混じり合う事はなかった。
『姫様の最新作読んだよ〜らしくないね。何でこんな作品を書いたの? 異世界もの描くにしてもガチガチの設定詰めるくせに。流行り物に載るなんてさ、姫様らしさは何もないよ?』
『いいんです。その物語に私らしさはないとしても………私の願いの為に書いたんですから』
『──記憶の中の私を残しておく為?』
夢とは記憶の整理だと聞いたことがある。だから、目の前の彼女があの彼女ではないと分かっている。だけどまだ、声以外は正確に再現出来ているなら──
『やってる事は無意味じゃない筈、です』
『姫様さぁ。リアリストに見せかけて、変なとこで夢を見てるよね〜。私が本人じゃないって分かってる癖に………』
『分かっていてもやらざるを得ないのが人間ですよ。そこに合理的な理由がなくても………親友が死んだのを引き摺らない人はいないでしょう?』
──あの世界を作った甲斐はあるのだろう。
彼女が何も苦しむ事もなく、何の障害もなく、ありのままの幸せを享受できる世界を。
亡き親友の弔いのために、作ったあの世界に私が呼び出されるなんて思いもよりませんでしたが。
『姫様はさ、アタシを元にした人物に会いに行かないの?』
『まさか。元にしただけで、貴女本人じゃないですもの。会いに行く理由もありません』
『そっかぁ。アタシは姫様に会いたいけどね〜』
彼女が席を立つ。私は思わず追いかけようとするが、カウンターから先に向かえない。透明な壁に邪魔されて、彼女が入口の扉へ向かうのをただ見送るだけ。
『姫様。アタシはさ、後悔はないんだよ。だからさ、姫様も後悔なんてしなくていいんだよ』
『それは………無理よ。私は後悔を抱え続ける。未来を、運命が見えていながら──貴女を見捨てた私を、私自身が許せない』
『………いつか、忘れる事が出来たらいいね』
入口のベルが鳴る。白い光に彼女は包まれ、私もまた目が眩み、思わず目を閉じる。
そして、また目を開ければ………そこは潮風が入り込む宿の一室だった。
「久しぶりに見ましたね………まだ、明け方ですか」
夜明け前の紫色の空に何故だか無性に外を出歩きたくなった。隣のベッドで寝ていたエリスを起こさないように部屋を出て、近くの海岸へ足を運ぶ。
「ユア様?」
どうも先約がいたようだ。アグネスが潮風を浴びながら、薄暗い海岸線を眺めていたのだ。どこか、憂いを帯びた表情で。
「アグネス? こんな時間に何をしてるんですか?」
「それはこちらの台詞ですよ。まだ起きるには早いのでは?」
「目が覚めてしまったんです。エリスから聞いたボク達の状況の理由を聞いて、考えが頭の中をぐるぐる回るんです」
「──納得出来なかったかしら?」
「はい。貴女の話を聞くならば、この世界は聖女を中心に作られた世界だ。貴女の言う通り、それを脱却したいならボクらが頑張るしかない。それも分かります」
「では、何に納得がいかないんです?」
「貴女がこの世界を作った理由について」
今のは顔に出なかっただろうか。いや、アグネスの目が見開かれてるという事は、顔に出てしまったようだ。私とした事が情けない。
「………聞かれたくないのであれば、聞きませんが」
「いえ、いいですよ。貴女はノイズの女教皇です。であるなら、女神に問いかける権利はありますからね。ただし、この事は貴女の心に留めてください」
彼女の隣に並び、私は腰を下ろす。砂の感触に安心感を覚えつつ、私もまた海岸線を見つめた。
「──親友がいたんです。たった1人のね」
「意外、ですね。ユア様にもそのような方がいるとは」
「こんなドライな人間に親友なんていないと? 気持ちはわかります。だって、彼女以外に友達になってくれる人はいなかったんですから」
「恋人さんはまた別ですか?」
「彼は私の運命と混じり合うのが見えていましたから。勿論、運命が見えるなんて与太話を信じてくれて接してくれてますから大切な人ですよ──ただ、私が幸せを掴むまでに隣にいたのが彼女だっただけです」
出会いは本当に偶然でした。私が軟禁されていた地下室の扉、その向こう側から彼女が声をかけて来たのが全ての始まりでした。
「私は彼女の運命が見えなかった。何にでもなれて、何だって出来る。そんな物語が彼女には待っていた筈なのに」
「その親友さんは………お亡くなりに?」
「ええ。私は救えた筈でした。いままでも同じように助けられましたから。でもその時だけは違ったんです」
その運命は酷い有様だった。悪意のドミノ倒しと言うべきか、巡り巡った結果、私と恋人、親友が乗ったバスが事故ったのだから。
「きっかけは子供のいたずらでした。運転手に注意されたのが気に食わなかったのか、玩具の蜘蛛を足元に投げたんです。その結果、運転手は驚き、加速。その表紙に誰かのペットボトル………飲料の器が転がり、運転手の停止装置に挟まってしまいました。その結果、止まる事が出来ないまま崖へ向けて一直線に進みます」
「………それで?」
「すぐさま運転手は挟まったものを退けようと頭を下げた瞬間、荷物が落ちて来て気絶し、しかも荷物が加速装置に嵌り、もはや落下は免れませんでした。それに気づいたのは親友で、次に私でした」
初めて見えた彼女の運命はここで死ぬか生きるかという事。なら、さっさと逃げようとした私の目に映ったのは、恋人の親友と真逆の生死の運命でした。
「──究極の2択でした」
恋人を殺せば、親友は助かる
親友を殺せば恋人は助かる
「どちらを選んでもどちらかを失う。私は結局、選べませんでした。その結果──」
「──親友さんが貴女と恋人を助けたのか」
私は黙って頷いた。親友は窓ガラスを拳で叩き割ると、そこから私と恋人を突き落としたのだ。落とされた芝の上で私は最後に見た。彼女が笑っているのを。
「『私を忘れないで』それが彼女の遺言でした。今だに正解はわかりません。本当はあの日、私が死ぬべきだったんじゃないかって。今でも思うんです」
「………神に身を捧げる立場から、言わせてもらえばその選択に意味はないと思う。女神様なら分かっていると思いますが」
「………ええ。本当に自分が嫌になります。でもね、分かっていても非合理的な理由を探してしまうんですよ。私が死ねばよかった。彼女はまだ別の世界で生きてる筈だって」
「──貴女がこの世界を作ったのは、亡き親友が笑って暮らせるためですか」
「貴女は私をおかしいって笑うかしら?」
ある人物に私は彼女の命を与えた。苦しい事も辛いこともないように。だから、この世界で私と彼女は出会う事はない。
出会ってしまったら、きっとまた悲惨な結末を迎えてしまいそうな気がしたから。
「作ったものに愛情を抱かない、なんて言いながら、私はただ1人の為に世界を作ったんです。世界が不完全なのは当然………始まりからして、不公平だったんですから」
長く語りすぎた。私らしくもない。夢見が悪かったからと言って明け透けに本心を話しすぎた。とはいえ、今すぐにアグネスに殺される運命は見えない。彼女はただ、海岸線を見つめているだけだ。
波の音だけが場を支配する。次第に夜も明けて来た。太陽が海岸線から顔を出し始めたとき、小さな笑い声がした。
「何がおかしいんですか? アグネス」
「いや、安心したからですよ。ユア様。貴女にも少しばかり人間に近いところがあるんだってね。貴女は常に合理的で超然としてる存在だと思ってましたけど………少し、考えを改めます」
漸く、彼女がこちらを見た。その瞳に映る自分は何故か泣いているように見えた。
「貴女は聖女よりも人間らしい。全てを平等に愛する聖女は正しくはあるが、人としては間違いだ。貴女は不公平に愛するがゆえに間違っているが、人としては正しいと思います」
「全てを平等に愛するが故に、平等に辛く当たるから? 確かに、そちらの方が女神らしいですね。それじゃあ、私は女神様としては失格という意味かしら?」
「まさか。私達の女神様としては満点ですよ。ボクらは切り捨てられる側にいた存在だ。ボクが大事なのは同胞であってこの世界じゃない。同胞が平和であるなら、人間が絶滅しても構わない。そんな不公平さがボクにはある」
陽光が私達を照らす。夜明けの道が私達の目の前に現れる。アグネスから差し出された手は妙に輝いて見えた。
「ですが、貴女の親友の生まれ変わりは助けると約束します。それを貴女との交換条件にさせていただきたい」
「女神に祈りではなく、取引するなんて不敬にも程がありますよ?」
「だって、祈りでは貴女がいなくなっても馬鹿みたいに祈るだけになるでしょうから。貴女に頼らなくても生きていけるように取引として、対等な位置で関係を築きたいのです」
船の中で何かあったのだろう。少し前までは情けない女の子が、一端のリーダーらしき片鱗を見せている。成長とはいつだって価値があるとは思いますが、ここまでとは思いませんでした。
「ふふっ、いいでしょう。改めて、力を求めます。アグネス。私の親友の生まれ変わり………ジャスミンが笑って暮らせる為にも貴女に力を貸します」
差し出された手を握り返し、了承の意味を伝える。恋人には謝らないといけないかもしれない。だけど、許して欲しい。
これは、私が彼女に許される為の物語なのだから。