7話「決心」
「あの……奴隷の私がこんな服を着てもいいんでしょうか?」
屋敷に来たイガルダ族の少年が、おずおずとそう言った。短髪の白い髪はまだ少し濡れていて、金色の瞳が怯えたように揺れている。彼は支給された衛兵の制服を手にして、まるでそれが自分には不相応なものだと感じているようだった。
「構わん。お前には俺直属の騎士になってもらうからな。」
少年は目を見開いた。自分が「騎士」として扱われるとは夢にも思っていなかったのだろう。彼が制服を着替える間、おれは少しだけ窓の外を見て時間を潰す。
やがて、制服に着替えた彼が戻ってきた。衛兵の服が彼の体にきちんとフィットしていて、見た目は一人前の護衛といった風貌になっている。
「さて、まずは話をしたいが……。」
その時、メリッサのお腹がグーッと鳴った。
ふと見ると、メリッサは真っ赤な顔をしておなかを抑えている。
「す、すみません……」
「……飯にするか。」
おれは微笑を浮かべながら言い、彼とメリッサを連れて食卓に向かった。
食卓にはおれたちのための料理が並べられていたが、一つだけ明らかに違う点があった。
おれの料理は彩りも良く、豪華で手の込んだ品が並んでいる。一方で、少年の前に置かれたのは乾いたパンと薄いスープだけだった。
「おい。」
おれは執事に向かって声をかけた。
「なぜおれと食べるものが違う?」
執事は一瞬、困惑したように目を泳がせたが、すぐに冷静を装って答えた。
「リカルド様、彼は奴隷、それもイガルダ族です。同じものを食べさせるわけにはいきません。」
その言葉におれの眉が動いた。
「彼には今後、俺の護衛をやってもらう。」
おれは静かだが明確に怒りを込めて言葉を続けた。
「満足な食事も与えず、体調が悪くなり、きちんと護衛ができなかったらどうするつもりだ?それで俺が怪我を負ったら、責任を取れるのか?」
執事はおれの言葉に返すべき答えを失ったようだった。視線をそらし、何も言い返せない。
「同じ料理を出せ。」
おれがそう命じると、すぐに動きがあり、少年の前にもおれと同じ料理が運ばれてきた。
「さあ、食え。」
少年は目を輝かせ、感動したように料理を見つめていた。そして、少し震える手でナイフとフォークを持ち、恐る恐る食べ始めた。
「……おいしい……。」
彼は噛みしめるように言い、目を潤ませながら一口一口を大切に食べている。その姿を見て、おれは微かに笑みを浮かべた。
「しっかり食べて力をつけろ。それが俺の命令だ。」
少年は勢いよく頷き、再び料理に向かった。食卓の光景は、どこか心が温まるような静かな時間へと変わっていった。
――――――――――――――――――
食事を終え、部屋に戻ると、突然少年が跪いた。
「なんだ?」
おれは思わず声を上げた。その様子に戸惑いを隠せない。
少年は顔を上げ、真剣な表情でおれを見つめながら口を開いた。
「リカルド様。私を救っていただきましたこと、このご恩は忘れません。私は、あなたに忠誠を誓います。」
その言葉におれはぎょっとした。
「……いや、まだ奴隷商人から買って、まともな食事を与えただけだぞ。」
おれは頭を掻きながら答えた。こんなことでここまで感謝されるとは思ってもいなかった。しかし、すぐにその理由に思い当たる。
イガルダ族――彼らは「戦争で多くの人を殺した野蛮な種族」として迫害を受け続けてきた。そんな彼が、これまでまともに人間扱いをされたことなど一度もなかったのだろう。
意図したことではないが、この様子を見る限り、彼はおれを裏切ることはないだろう。前世で部下に裏切られたようなことは、もう起きないはずだ……そう思った。
おれは一息つき、少年に問いかけた。
「おまえ、名はなんという。」
「ジェイド・イガルディアでございます。」
少年――いや、ジェイドは背筋を伸ばし、落ち着いた声で答えた。その名前におれは軽く頷く。
「そうか、ジェイド。これからよろしく頼む。」
おれは椅子に腰を下ろし、短くそう告げた。
その時、視線をメリッサに向けた。
「メリッサ、クラウスを呼んで来い。そしてドアの向こうに誰かいないか確認しろ。」
「……? はい。」
メリッサは少し不思議そうな顔をしながらも、部屋の扉を開け、出ていく。数分後、クラウスを連れ扉を閉めて戻ってきた。
「誰もいません。」
「そうか。」
「リカルド様、突然お呼びになって、どのようなご用件でしょうか?」
おれは三人を交互に見た。そして、低く静かな声で言う。
「これからする話は、この四人だけの話だ。決して外には漏らすな。」
その言葉に、メリッサとクラウスは一瞬緊張したように背筋を伸ばし、ジェイドは神妙な面持ちでおれを見つめた。
部屋の中に張り詰めた空気が漂う中、おれは一呼吸置いて口を開いた。
「ジェイド。おまえはあのイガルダ族だ。ということは、戦闘はできるか?」
ジェイドは少しの間考え込み、やがて静かに答えた。
「長年、戦闘奴隷として貴族たちの見世物にされていました。そこそこ自信はあります。」
その言葉を聞いて、おれは頷いた。ジェイドの体つきを見れば、その言葉に嘘はないと分かる。
「よし。」
おれは椅子に腰を深く掛け直しながら、次の言葉を探すように考え込む。
「リカルド様?」
メリッサが問いかける。声には少し戸惑いと緊張が滲んでいる。
おれはゆっくりと顔を上げ、二人の目を順番に見た。
「ずっと考えていたことがある。」
おれは深く息をついて、言葉を続けた。
「おれは領地を継がない。領主にはなれない。それは父上や兄貴たちがいるからだ。」
その言葉に二人は黙って耳を傾けている。
「だが、この領地の惨状を見て、おれは思うところがある。父上や兄貴たちは、財を己の欲望のためだけに使い、弱者を踏みつぶしている。真っ当に生きている者が損をし、そうでない者が得をする。そんな社会が、今、この領地にある。」
おれは拳を握り締め、言葉を重ねた。
「おれは領民を助けたんじゃない。ただ――弱者を踏みつぶす奴らが許せなかっただけだ。」
一瞬、頭に過去の記憶が蘇る。
前の世界では、おれは間違いなく強者側にいた。だが、最後は部下に裏切られ、全財産を奪われ、簡単に踏みつぶされた。あそこでおれは死んだが、生きていたら、きっと弱者に転落していた。今のこの領民たちのようにな。
その記憶を振り払うように、おれは顔を上げた。
「だから、おれは領主になる。」
おれは力強く宣言した。
「兄さんも、父上も押しのけて、おれがこの領地の領主になる。そして、この世界にはびこっている悪人どもをおれが蹴散らす。」
メリッサは目を見開いている。感動と驚きが入り混じった表情だ。
「リカルド様……!」
クラウスが感嘆の声を漏らし、一方でジェイドは何も言わず、ただ静かにおれを見ている。その金色の瞳は、どこか感慨深いものを湛えているようだった。
「やっと決心がついた。だが、そのために――最初にやるべきことがある。」
「……?」
二人が疑問の表情を浮かべる中、おれは一瞬視線を床に落とし、次の言葉を紡いだ。
「父上の……暗殺だ。」
その言葉が部屋に響いた瞬間、重い沈黙が降りた。メリッサは息を飲み、ジェイドの目にはわずかな動揺が走る。
だが、おれの目には迷いはなかった。
「これが必要だ。奴を排除しない限り、領地の変革はあり得ない。」
おれの声は低く、だが確固たる決意に満ちていた。
「リカルド様!御父上を暗殺なさるとは、どういった意味でしょうか⁉」
クラウスが声を上げた。その表情には明らかな動揺が滲んでいる。
おれは冷静に言葉を返した。
「言葉通りの意味だ。あいつはまだ死ぬような年でもないし、それを待っていたら、この領地が滅びる方が先だ。むしろ今でも遅すぎるくらいだ。」
その言葉に、メリッサが恐る恐る口を開いた。
「しかし、領主様が亡くなっても……兄上が領主に即位するのでは?」
「……ああ、そのとおりだ。だから、遺書を書かせる。」
「遺書……ですか?」
「そうだ。『次の領主はリカルドだ』と、そう言い残した遺書を残し、自殺に見せかけて暗殺する。」
その瞬間、室内の空気が凍りついたように重くなった。メリッサは息を飲み、クラウスは呆然とした表情でおれを見ている。ジェイドも金色の瞳を驚愕で見開いていた。
「そ、そんなことが可能なのですか?」
クラウスが信じられないといった様子で尋ねた。
「今すぐには無理だろうな。」
おれはあっさりと言った。
「いくつかのステップを踏む必要がある。」
「ステップ……?」
メリッサが不安そうに聞き返す。
「ああ、まずは、暗殺を行うための組織を作る。」
その言葉に、クラウスが激しく頭を振った。
「お待ちください!犯罪組織を作るなど、そんなことはなりません!」
「心配するな、あくまで表向きだ。」
おれは冷静に言葉を重ねた。
「せっかく暗殺に成功しても、俺に疑惑が向けられたら意味がない。表向きはただの犯罪組織だが、実際は暗殺のため隠れ蓑だ。」
「……隠れ蓑……。」
クラウスはまだ納得しきれていない表情だが、言葉に詰まっている。
「裏では俺がその組織を完全に掌握する。その上で、父上を排除し、次の領主として俺が即位する準備を整える。」
「そんな回りくどいことをするなら、ご兄弟も一緒に暗殺された方がいいんじゃないでしょうか。」
ジェイドが静かに、だが核心を突くように言った。その言葉に、クラウスが激しく反応する。
「貴様、なんてことを!」
彼は驚きと怒りの入り混じった表情でジェイドを睨みつけたが、おれが手を上げて制止する。
「いいんだ、クラウス。」
おれは冷静に言った。
「確かにジェイドの言うことも一理ある。しかし、それでは誤魔化しきれない。」
「誤魔化しきれない……とは?」
メリッサが恐る恐る問いかける。
「考えてみろ。父上だけでなく、兄たちまでもが一斉に死んで、俺だけが生き残ったらどうだ?」
おれは静かに言葉を続けた。
「誰だって俺を疑うだろう。暗殺の主犯が誰なのか、王都の連中も真っ先に目をつけてくるはずだ。自殺を装うことも難しい。」
ジェイドは腕を組み、思案するように目を伏せた。一方でクラウスとメリッサは、まだ事態の重さに飲み込まれそうな表情を浮かべている。
「その点、父上は領民からの恨みを買いすぎている。領地の惨状を考えれば、父上がその重圧に耐えかねて自殺した、もしくは殺されたとしても不思議ではない。領民の仕業だとか、反乱だとか、いくらでも理由をでっち上げられる。」
おれは一呼吸置いて、彼らを見渡した。
「だから、父上だけを狙う。それが最も現実的で、計画を進める上での第一歩になる。」
おれは言葉を切り、三人を見渡した。
「これは単なる復讐でも、無謀な計画でもない。この領地を守り、変えるための唯一の手段だ。」
クラウス、メリッサ、ジェイド。それぞれの表情に迷いや驚きが浮かんでいるが、おれの視線は揺るがない。
「さあ、覚悟を決めてくれ。この計画にお前たちの力が必要だ。」
その言葉に、部屋は静まり返った。
「私、やります。」
静かな部屋の中で、メリッサが口を開いた。その言葉は、はっきりとした決意を感じさせるもので、全員の視線が彼女に集まった。
「私はただのメイドです。何ができるのかは正直わかりません。でも、リカルド様が領地のためだと思って決断されたのなら、全力でお支えします。がんばります。」
その言葉に、おれは少し驚いたが、同時に嬉しさがこみ上げてきた。
次に、ジェイドが口を開いた。
「私は先ほど、リカルド様に忠誠を捧げました。どこまでもついていきます。どんな命令でも果たします。」
その目には揺るぎない信念が宿っていた。おれが助けたことで生まれた絆が、ここまで彼を変えたのだと思うと、少しだけ誇らしい気持ちになった。
最後に、クラウスが少し悩むように眉を寄せながら、重々しく口を開いた。
「私は……先々代、つまりリカルド様の曾祖父の代からこの家に仕えておりました。」
それは前にも聞いたことがある。俺黙ってクラウスの言葉を聞いた。
「その時のレーベンシュタイン州は、それはそれは素晴らしい領地でした。領民たちには活気があり、喜びがあり、私はその領地がとても好きでした。」
クラウスの言葉には懐かしさと悔しさが混じっていた。
「ですが、今の領地は見る影もありません。領主とその後継者たちが己の欲望のために領地を蝕んでいった結果です。」
彼は深く息をつき、次の言葉を慎重に選ぶように一拍置いた。
「もし、リカルド様があの頃のレーベンシュタイン州を取り戻せるのなら……私はどんなことでもいたします。この老骨、存分にお使いください。」
そう言って、クラウスはゆっくりと跪いた。その姿に、おれは一瞬言葉を失ったが、次第に口元に微かな笑みを浮かべた。
「ありがとう、皆。これで決まったな。」
おれは立ち上がり、三人を見渡した。
「この計画は危険だ。だが、おれが成功させる。この領地を変えてやる。」
三人はそれぞれに頷き、覚悟を示すような目でおれを見つめていた。部屋の空気は一層引き締まり、共通の目的を持った者たちの間に、強い絆が生まれた瞬間だった。
「夢を見せてやる。俺に従え。」