5話「剣術を習おう」
「ひでえ領地だな。」
屈強な男が、馬車の窓から外の景色を見ながら呟いた。道端に立つ人々の顔は、まるで生気を失ったように暗く沈んでいる。服は薄汚れ、足取りも重い。
「人々の顔が死んでやがる。あんたのとこの領主は罪深い奴だぜ。」
男は腕を組みながらクラウスを見た。
「だからこそ、あんたも一度はあの屋敷を出たんだろう?なんで戻ったんだ。」
クラウスはしばらく黙っていたが、少し笑みを浮かべて答えた。
「使えるべき主君を見つけたかもしれんのでな。」
その言葉に男は肩をすくめ、鼻を鳴らした。
「ふっ、あんたらしいな。それにしてもクラウスさん、あんたもぼけたな。」
「ほう?」
「おれに5歳のガキを指導しろってか?」
男は馬車の揺れに合わせて不満げに頭を振る。
「ガルザス、あの方は少なくとも学問においては天才だ。魔法も扱いになられている。それに、不思議と武術でも才能があるような予感がする。」
「ほう、魔法は大したもんだが、その根拠は……?」
クラウスは一瞬視線を外し、窓の外に目をやった。
「……勘だ。」
その瞬間、ガルザスは目を丸くして、次の瞬間には大声で笑い出した。
「がはははは!勘とは!あんたがそんなことを言うとはな!」
馬車が揺れる中、彼の高笑いが響く。
「剣士ならともかく、学問で勘なんて当てになんねえだろ!」
「わしも、最近まではそう思ってたんだがな。」
クラウスの穏やかな口調は変わらない。その静かな自信に満ちた声に、ガルザスは言葉を失いかけたが、すぐに冗談交じりに返した。
「ったく、あんたがそこまで言うなら、仕方ねえ。見てやろうじゃねえか。」
その時、馬車が大きく揺れ、徐々に減速して止まった。
「さて、着いたぞ。」
クラウスは窓の外を指し示し、馬車の扉を開けた。
目の前には、大きな屋敷がそびえ立っている。豪華な装飾が施された門と、その奥に広がる整然とした庭園。そして、堂々とした佇まいの建物が見える。
二人は馬車を降り、足を揃えて屋敷に向かって歩き出した。
おれは庭に降り立った。背後には、いつものようにメリッサが控えている。庭には清々しい風が吹き抜け、広々とした空間が広がっていた。その中央に、屈強な男が立っている。
「リカルド様、ご紹介いたします。」
クラウスが一歩前に進み、男を手で示した。
「こちらはガルザス。昔、王都にいたころの知り合いでしてな。今は放浪している身ではありますが、元は王都の騎士団に所属しておりました。腕は確かです。リカルド様の剣術指導をしてくださいます。」
おれは一歩前に出て、ガルザスを見上げた。
……でかい。
最初に抱いた感想はそれだった。ガルザスは190センチ以上はありそうな巨体で、鍛え抜かれた筋肉がどっしりとした肩や腕を覆っている。日に焼けた肌と短く刈り込まれた青い髪、口元には無精髭が生えており、その姿はまるで熊のようだった。鋭い目つきの中に野性味が宿り、全身から漂う戦士のオーラが圧倒的だ。
「リカルド・フォウ・レーベンシュタインだ。よろしく頼む。」
ガルザスは腕を組み、おれを見下ろしながら口の端を歪めた。
「どうも。おれは平民出身なんで、言葉遣いとかは丁寧じゃねえんだ。そこんとこ、頼むぜ。」
にやりと笑う彼の言葉に、背後のメリッサが少しむっとしているのが分かった。
「構わん。おまえは俺に剣を教えてくれればいい。それ以外は望まない。」
ガルザスは目を細めておれをじっと見つめ、やがて口角を上げた。
「へえ、器はほんもの、か。」
その言葉には少しばかりの驚きが混じっているようだった。
「さて、じゃあ早速やるか。準備しな。」
ガルザスは持っていた荷物を地面に置き、庭に足を踏み入れる。
「いや、もう準備はできている。」
おれはそう言って、メリッサから渡された木剣を手にし、ガルザスの前に立った。
「へえ、いいね。」
ガルザスは笑みを浮かべ、木剣を軽く振ったあと、おれに向き直る。
「じゃあ、俺に打ち込んで来い。」
「え、いきなりか?」
思わず口を開くと、ガルザスは肩をすくめて答える。
「ああ、自由にでいい。」
そう言いながら木剣を肩に担ぎ、完全に油断している態勢をとる。
おれは剣を構えた。もちろん、前世でも剣なんて触ったこともない。サッカー部に所属していた程度で、運動神経には自信があったが、それは球技の話だ。剣術の動きなんてわかるはずもない。
おれはガルザスの動きをじっくりと観察するが、何が「隙」なのかすらさっぱり分からない。素人なんだから当然だ。
「くそ、どうする……」
考え込む時間を削るように、自分に気合を入れて一気に駆け出した。そして勢いよく振りかぶり、ガルザスに向けて全力で木剣を振り下ろす。
だが――
「ふん」
軽く一言呟かれるとともに、剣はあっさりと弾かれた。反撃どころか力加減すら感じられないまま、おれの手から木剣が飛び、次の瞬間にはしりもちをついていた。
「よし、わかった。」
木剣を振り下ろしたままのガルザスが言った。
「リカルド、座学にしようか。」
そう言って、おれが立ち上がるのを待たずに、木陰に向かって歩き出す。
「どういうことだ……?」
ガルザスは木陰にどっかりと腰を下ろし、それに続いておれも座った。ガルザスは肩の力を抜きながら話し始める。
「いいか、まず、この世界には剣術の流派が多く存在する。いろんな流派があるわけだが、やみくもに学べばいいってわけじゃねえ。自分にはどんな流派が合ってるのかを見極め、それを習うことが重要だ。剣術は体格、動きの癖、性格――そういったものと深く結びついているからな。」
ガルザスの言葉に、おれは感心して頷く。
「今のお前の攻撃は、お前がどんな流派に向いているかを見極めるためのものだった。」
「え、あんな一瞬でわかるのか?」
驚いて尋ねるおれに、ガルザスは軽く笑いながら答えた。
「ああ。お前はまず俺の隙を窺っただろう?まあ実際には隙がなんなのかわからなかったみたいだが、それでも素人で『隙を窺う』なんて発想が出るのは珍しい。」
「……それって、悪かったのか?」
恐る恐る聞くおれに、ガルザスは首を振った。
「いいや、悪くはない。それどころか、むしろいいことだ。問題はその後だ。」
ガルザスは腕を組み直しながら続けた。
「お前は一撃で決着をつけようとしたな。剣術の基本は、相手の動きを見極めて無駄なく動くことだ。その意味で、一撃必殺を狙うのは悪い選択じゃねえ。」
「ただし、大事なのは中身だ。」
ガルザスの目が鋭くなり、おれを真っ直ぐに見据える。
「お前の一撃には、なかなか力が乗ってた。そこが評価できるポイントだ。それに、攻撃に至るまでの体の動かし方もな。」
「……体の動かし方?」
「そうだ。お前の動きは妙にスムーズだった。体の使い方が慣れてるんだ。」
体の使い方が慣れてる.....それがほんとなら、それは前世で言ってたスポーツ――サッカーをやってたからだろう。
それにしてもこいつ……あの一瞬でそこまでわかるのか。
おれは驚きと感心を隠しきれなかった。粗暴に見えるが、ガルザスは本物だ。その経験と洞察力は、確かにただ者ではない。
「そこで、お前に合う流派は……『流星剣流』だ。」
「流星剣流……?」
「そうだ。」
ガルザスは頷き、説明を始める。
「『流星剣流』は、『流れ星が一瞬で光を放ち消えるように、一撃で勝負をつける』ことを理念とした剣術流派だ。」
彼は木剣を軽く振りながら続ける。
「技の洗練とスピードを極限まで高め、無駄のない動きで相手を制することを重視する。それが『流星剣流』の特徴だ。」
「……なんか聞くだけで、すげえ強そうな流派だな。」
おれはつい口を開いてしまった。その名の響きもさることながら、理念そのものが鋭く心に刺さる。スピードと洗練された技──それはおれの動きの特性に確かに合っている気がした。
「お前の体の使い方、それから攻撃に対する考え方を見れば、この流派がぴったりだ。力を無駄にせず、瞬間にすべてをかける。その素質はある。」
おれはその言葉に、自分の中に何かが灯るのを感じた。
「おれはちょうど『流星剣流』の上級だからな。これからはこの『流星剣流』を教えていく。気合い入れて行けよ。」
本で読んだのだが、この世界の剣術には階級があるらしい。
初級、中級、上級、マスター、そして王だ。それぞれの流派で納めた技の数で決まり、階級が上がるごとに強い。上級と言うと達人と呼ばれる領域だ。
「……ああ、頼む。」
おれは強く頷いた。これから始まる修行がどれほど厳しいものになるかは想像がつく。それでも、未知の流派に挑む期待感と、自分を鍛える覚悟が心に満ちていた。
「『流星剣流』か……やってやる。」
おれは木剣を握り直し、静かに気合いを入れた。