4話「悪徳領主の息子に転生したようです」
次の日の朝、親父に呼ばれた。嫌な予感しかしない。おれが広い書斎に入ると、親父は大きな椅子にふんぞり返り、いつものように威圧感を漂わせていた。
「昨日、魔術でムウトとレオスをのしたそうだな。」
案の定、チクられているらしい。
「はい。」
「喧嘩なんてどうでもいいが、どこで習った?」
「本で。」
おれは簡潔に答えた。
親父は興味がなさそうに鼻を鳴らし、椅子の肘掛けに身を預けながら言った。
「まあいい。だがな、おまえは他の兄とは違い、メイドの子だ。分をわきまえろよ。」
その言葉を聞いた瞬間、昨日レオスが言っていた「メイドの子」云々の意味がやっと腑に落ちた。なるほど、おれがそういう出自だということを指していたのか。
「肝に銘じます。」
おれは抑えた声で短く答えた。今更その事実に感情を乱されるほど子供じゃない。おれが何者であろうと、自分がやるべきことは変わらない。
親父はおれの反応を面白くなさそうに一瞥しただけで、すぐに手を振って追い払うように言った。
「もういいぞ。」
おれがその場を去ろうとすると、親父はふと思い出したかのように言い足した。
「それと、お前が頼んでた教育係が来ているぞ。」
その言葉におれは少しだけ顔を上げた。
「……分かりました。」
おれは一礼して書斎を出た。背後で扉が閉まる音が響き、その瞬間だけ、わずかに胸の中で緊張が解ける。
「さて……どんな教師なのか、見物だな。」
おれは心の中で呟きながら、教育係が待つという部屋へと足を向けた。
「はじめまして、リカルド様。本日よりリカルド様の教育係を務めさせていただきます、クラウスと申します。以前はここで執事長を務めておりました。」
深い皺が刻まれた顔に穏やかな笑みを浮かべた老人が、丁寧にお辞儀をする。その白髪は知恵と経験を象徴しているようで、落ち着いた雰囲気が漂っていた。
「うむ、よろしく頼む。」
「さて、まずは何から始めましょう?ご希望はございますか? なければ、こちらで進めさせていただきますが……」
「そうだな……」
おれは少し考えてから言った。
「最優先で文字を覚えたい。それ以外だと、本では学べない現代のことだ。この国や領地の現状、国家間の関係。歴史とかは本である程度学べるだろうから、あとまわしでいい。」
「失礼ですが、算術なども必要かと思いますが……」
算術?確かにこの世界では重要だろうが、俺にはその必要はない。前世の記憶がある限り、基本的な計算なら問題ない。
「算術?そんなものはできるから必要ない。」
「そうはおっしゃられましても……」
信じていないのが見え見えだ。それも無理はない。5歳児が「算術なんて必要ない」と言ったところで、普通なら何の説得力もない。逆に考えてみろ、もし俺が5歳児にそんなこと言われたら「世の中なめるなクソガキが」といって蹴っ飛ばしてる。
「なら、何か問題を出してみろ。」
おれがそう言うと、クラウスは少し困惑しながらも、小さく頷いた。
「では……1+4は……?」
「なめるな、5だ。」
即答すると、クラウスの眉がピクリと動いた。後ろで控えているメイドも、目を丸くしているのが分かる。
「……では、67-23は?」
「44だ。」
またも即答。クラウスの顔には驚きが広がり、後ろのメイドは口を手で押さえている。
「では……6×7は?」
「42だ。」
おれは軽く肩をすくめて言った。
「これ以上難しくしてもできるぞ。」
クラウスは目を丸くし、何かを言おうとして言葉を失った。そして、しばらくして震える声で尋ねる。
「い、いったいどこで習われたのです……?」
おれは少し考えたが、適当な理由が思い浮かばない。初めて図書館に行ったのは昨日だし、そこでは算術の本なんて開いてないことをメイドにみられている。
「……勘だ。」
「し、神童じゃ……!」
クラウスの顔に驚きと感嘆が入り混じった表情が浮かび、後ろのメイドは呆然としたままおれを見つめていた。
ふっ、「神童」か……悪くない響きだな、と思いながら、おれは文字の勉強に早く移りたいと思った。
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「ねえ、聞いた?リカルド様の話。」
「聞いた聞いた。算術をもうマスターしてて、文字も覚えかけてるんでしょ?おまけに魔術まで。まだ5歳児よ?信じられないわ。」
メイドたちが掃除をしながら、噂話をしている。
「まさに神童ね……。ある日から突然口調も変わって、はっきりしゃべるようになって。そこから変わった感じがしたわよね。」
「ご兄弟や領主様とは全く似てないわ。どうやったらあの家族からあんな傑物が生まれるのかしら。」
「しっ!誰かに聞こえたらどうするの?その瞬間、あなた終わりよ!」
「軽率だったわ……とにかく、リカルド様の成長を待つしかないわね。」
「はあ……今も凛々しく勉強されているのかしら……。」
その瞬間、館内に響き渡る声が割り込んだ。
「最悪だーーー!!!」
「リカルド様、そのようなことはあまりおっしゃられない方が……。」
「これが叫ばずにいられるか!」
おれは机に突っ伏しながら絶叫した。勉強が始まって約1か月。文字の勉強も並行しながら、この世界やこの領地について学んでいる。だが、その結果わかった事実は、どうしようもないほどに最悪な現実だった。
「あのくそ親父……!」
「リ、リカルド様!?」
クラウスが驚いて声を上げるが、そんなものは無視だ。
「あのくそ親父、いや、くそ領主!とんだ悪徳領主だ!」
どうやらおれの父親、領主リオス・フォウ・レーベンシュタインは、絵に描いたような悪徳領主らしい。領民から搾取するだけ搾取し、公共事業には金を出さない。それどころか、貴族間での贈り物や宴会や女に湯水のように金を使い込んでいるらしい。
クラウスはそれとなく気を使いながら教えてくれたが、それでも周辺領地との比較や、この領地の現状を見ると絶望的なまでの惨状だ。税率が異常に高いだけでなく、治安の維持にも力を入れておらず、領地内の盗賊や犯罪者が横行している。
そもそもうちは子爵家だ。これは貴族の中ではまあまあらしい。なぜあんな無能がそんな地位かと言うと、今の先々代――つまりおれの曽祖父が、数多の功績を残し男爵から子爵になったそうだ。クラウスもそのころに仕えていたらしい。
だが、その息子が領地を継いでからは衰退。今は当時の領地の面影は見る影もないそうだ。
「この領地、どう見ても地獄だろ!」
おれの叫び声が館内に響く。
クラウスは困惑した表情を浮かべながらも言った。
「リカルド様、どうかお気を静めくださいませ。若い身であまりそのような口調をお使いになると……。」
「静められるか!これで静まる方がどうかしてる!」
おれは椅子に座り直し、深呼吸をして頭を冷やそうとする。現状を知った以上、叫ぶだけではどうにもならない。
「……これからどうするかだ。」
おれは心の中でつぶやく。このまま悪徳領主の息子として無為に過ごすつもりは毛頭ない。どうにかして、この領地を立て直す方法を考えなければならない。だが、そのためにはさらに多くの情報と準備が必要だ。
「いや、待てよ……うちには兄貴が二人いるよな。つまり、領地を継ぐのはそのどちらかってことか?おれは家を出てもいいんじゃないか?」
クラウスは少し間を置いてから答えた。
「それは可能でございますが……私にはリカルド様が継いだ領地を見てみたいものですな。」
「何を言ってるんだ。」
おれが困惑して言い返すと、ノックの音が部屋に響いた。
「失礼します。」
扉が開き、部屋に一人の少女が入ってきた。青紫の髪が長く流し、かわいらしいカチューシャをしている。大きな髪と同じ色の瞳が印象的だ。肌は白く、整った顔立ちには幼さが残るが、その動きにはどこか品が漂っている。彼女はメリッサ。
「勉強中すみません。紅茶です。」
彼女は小さな手でティーカップを差し出してきた。メリッサは7歳で、おれの専属メイドだ。ここのメイドの一人の娘で、どうやら「同年代の方が親しみやすいだろう」ということで、おれの専属になったらしい。
「ああ、ありがとう。」
おれが礼を言うと、メリッサはきょとんとした表情を浮かべた。
「リカルド様……メイドに礼を言うべきではありません。格が落ちます。」
「なぜだ。してもらったことには礼を言う。それに身分の差なんて関係ない。」
おれはきっぱりと言い切った。その言葉にメリッサは一瞬口を開きかけたが、言葉を飲み込んだようだった。
「ですが……」
「おれがやりたくてやっていることだ。お前は気にするな。それに、もっと気軽に接してくれ、むず痒い。」
そう言って紅茶を受け取り、口に運ぶ。温かい香りとほのかな甘みが口の中に広がる。
「うまい。」
つい一言漏らすと、メリッサは照れくさそうに小さく微笑んだ。
「……あ、ありがとうございます。」
その様子に気づかないふりをしながら、おれは次に何をすべきかを考え始めた。領地のこと、兄たちのこと、そしてこの家での自分の未来──決めるべきことは山ほどある。
「クラウス、折り入って頼みがある。」
おれは、机の上の本を閉じてクラウスに視線を向けた。
「なんでしょうか?」
クラウスは落ち着いた表情のまま、おれの言葉を待つ。
「剣を学びたい。人を紹介してくれ。」
その一言に、クラウスは一瞬だけ目を細めた。驚きと戸惑いが入り混じったような微妙な表情だ。
「……リカルド様、剣をですか?」
「ああ、そうだ。必要だと思う。」
おれは即答した。この異世界がどういう場所なのか、学べば学ぶほど身の安全を確保する力が必要だと痛感していた。特に、領主家の人間としてはなおさらだ。
「確かに、貴族の方が剣を嗜むことは珍しくありません。しかし、リカルド様、まだお若い。体も十分に成長しておりません。剣術は非常に厳しいものです。」
「それでも構わない。むしろ早いうちから学んでおきたい。」
その言葉にクラウスは再び少し間を置いてから答えた。
「……分かりました。適任の者を手配いたしましょう。リカルド様に合った指導をしてくれる剣士を探してみます。」
「頼む。」
おれは深く頷いた。学問だけではこの世界で生き抜くには足りない。剣術を学ぶことで、自分自身を守れる力を手に入れなければならない。
クラウスは立ち上がり、一礼すると部屋を出て行った。その背中を見送りながら、おれは拳を握りしめた。
「この世界で生きていくために、できることは全部やる。今はそれしかない。」
剣術の訓練が始まる日を思い浮かべながら、おれは再び机に向かい、勉強を続けた。