3話「魔法」
本を読み進めていくうちに、もう一つ大きな発見があった。それは、この世界には魔法が存在するということだ。
「これにはさすがに興奮したな。」
魔法。ファンタジーの世界ならではの要素だが、実際に存在するとなると話は別だ。本を読みながら、自然と前のめりになる。
まず、『魔法』と『魔術』の違いについてだ。
魔法とは、魔力が引き起こす現象の総称だ。例えば、魔獣が生まれつき操る力や、魔力によって引き起こされる自然現象――それらすべてが魔法に分類される。言わば、魔法はこの世界に存在する“自然法則を超えた力”そのものだ。
一方で、『魔術』とは、人間の手で再現可能になった魔法の一部を指す言葉だ。すなわち、人の意志で制御し、術式や詠唱を用いて現象を引き起こす技術が魔術というわけだ。そして、その魔術を扱う人間を『魔術師』と呼ぶ。
故に、魔術師が扱う魔術は、魔法の完全な模倣ではなく、魔法という壮大な現象の一部を、知識と技術を駆使して制御したものに過ぎない。
魔法、魔術は「マナ」と呼ばれる自然界に存在するエネルギーを操ることで発動するらしい。このマナは、大気や土壌、水、生命体など、あらゆるものに宿っているという。要するに、世界そのものに魔法の力が満ちているってことか。
しかし、誰でも魔術を使えるわけではない。マナを操る才能が必要で、それは個々の才能や訓練、そして血筋に大きく左右されるらしい。つまり、「才能ゲー」ってことだ。どこか理不尽さを感じるが、それでも学べる可能性があるなら試してみたいと思う。
次に魔術の分類についてだ。本によると、魔術は以下のように分けられているらしい。
火、水、風、地の基本属性魔術。この4つが魔術の基礎であり、誰もが最初に学ぶものらしい。あとは治癒や結界を扱う光魔術。いわゆる回復系だ。そして呪いや精神攻撃を得意とする闇魔術。不気味だが、非常に強力らしい。
「雷とかはないのか?」と少し残念に思ったが、さらに読み進めるともっと特殊な魔術が記載されていた。
血統魔術というものがある。これは特定の家系や種族にのみ伝わる魔術で、他の人間には絶対に扱えない。たとえば、王族に伝わる古代の力とか、特定の種族に固有の能力が該当するらしい。これこそ完全なる「才能ゲー」だ。
最後に精霊魔法。自然界に存在する「精霊」と契約し、その力を借りて使う魔法だ。契約した精霊の種類によって特殊な魔法が使えるらしい。火の精霊なら炎系の攻撃が強化されるし、水の精霊なら氷や霧を操れるとか。これは人の手を介さないため魔法と呼ぶ。
読みながら、心がどんどん踊っていくのを感じた。
「この世界、思ってたよりずっと面白いじゃないか。」
魔法に関する知識が頭に入り込むたびに、自分の可能性や未来の選択肢が広がっていくような気がする。この世界に転生した意味が、少しだけ見えてきた気がした。
そして、肝心な発動方法についてだが、本によると基本的には詠唱が必要らしい。
詠唱と聞いて真っ先に思い浮かんだのは、「火よ!俺に力を与えたまえ!」みたいな、中二病全開のセリフだ。
「……どこの中二病発表会だよ。」
内心そんな風に思ったが、さらに読み進めてみると、どうやらおれの想像していた詠唱とは少し違うらしい。
この世界の詠唱では、「マナ言語」と呼ばれる特殊な言語を使用する必要があるらしい。これが普通の言葉と違うのは、マナそのものに働きかけるための専用の言葉であるという点だ。単なる意味のある言葉ではなく、エネルギーを引き出し、形にするための道具のようなものだという。
さらに、このマナ言語を用いて決まった詠唱を行うことで、魔術が発動できるらしい。これは例えば「火球を発生させる魔術」なら、その魔術専用の詠唱が存在し、それを正確に唱える必要があるということだ。
「……なるほど、簡単にはいかないってわけか。」
しかし、本を読み進める中で、さらに驚くべき事実を発見した。
魔術の扱いに長ける者は、無詠唱で発動することも可能だという。これには、膨大なマナ操作の訓練と、詠唱を完全に自分の中で簡略化する技術が必要らしい。無詠唱はまさに熟練者の技術であり、詠唱を省略しても魔法が発動する分、素早く、かつ自由に行動できる。
「無詠唱……それができれば、戦いの中でも圧倒的な優位に立てそうだな。」
しかし、それがどれほどの難易度なのかも、本にはしっかり記載されていた。膨大な訓練を経た魔法使いの中でも、無詠唱を扱える者はほんの一握りだという。
詠唱ができなければ魔法は使えないが、詠唱を超えた者が真の魔法使いと呼ばれる世界。おれはその記述に、興奮とともに、どこか遠い目標を見据えた気持ちになった。
おれは、最近手に入れた魔法の本を開きながら、ひとり練習をすることにした。メイドが俺に合う教師を見つけてくれるまで、時間はたっぷりある。今日はメイドもいないし、自分だけでできることを試すにはちょうどいい。
本をめくりながら、手ごろな魔術を探す。火魔法は危険すぎるし、室内で試すには不向きだ。そう考えて選んだのは、水を出す魔術だ。
「えーっと、読み方は……ネロ、アペレフセロス!」
本には詠唱が書いてあり、昨日メイドに教わった通りに発音したつもりだった。しかし、何も起こらない。
「……なにがいけないんだろうか。」
おれは首をかしげる。本には、詠唱だけでなく、イメージが大事だと書いてあったのを思い出した。
「イメージ……イメージか……。」
おれは手を壁に向けたまま、深く集中する。頭の中で、自分の手のひらから冷たく透明な水が流れ出す様子を想像する。それは、涼しげで、軽やかで、空中に浮かぶ小さな水球のようだ。
「……よし、これだ。」
再び手を構え、深く息を吸う。そして静かに詠唱を紡ぐ。
「『水よ、解き放たれよ、ウォーターボール』!」
その瞬間――手のひらの中心に、ぽつりと小さな水の玉が生まれた。それは軽やかに揺れながら、床にぽたりと落ちる。
「おお!やった!」
おれは声を上げた。初めての成功に、胸が高鳴る。
手のひらを見下ろしながら、もう一度試したいという衝動に駆られた。そして、もう少し大きな水球を出すために、さらにイメージを膨らませる。
「……これ、結構面白いかもな。」
おれは独り言を呟きながら、再び手を壁に向けて集中を始めた。
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廊下に怒声が響いた。
「おい!あの女は来ていないのか!!!」
怒鳴り声を上げているのは、一番上の兄、ムウトだった。彼は廊下の真ん中で、縮こまるメイドに苛立ちをぶつけている。
「申し訳ありません、確かに手配したのですが……。」
「言い訳などいい!」
ムウトはメイドの言葉を遮り、手元の鞭を振り上げるかのような勢いで声を張り上げた。今日、屋敷に来るはずだった娼婦の女が来ていない。
それもそのはずだった。前にムウトが手を出した際、あまりにも乱暴だったため、その女は命からがら屋敷を逃げ出したのだ。当然、ムウトがその事実を知る由もない。
「くそっ!」
ムウトは舌打ちをしながら苛立ちを隠そうともせず、廊下を行ったり来たりしていた。
「せっかくまたいじめてやろうと思ってたのに……。」
そう呟きながら、ふと横に立つメイドに目を向ける。その視線は徐々に下へと移り、美しい足から膝、腰、そして豊満な胸元へと舐め回すように動く。
「おまえ、年はいくつだ?」
ムウトの声にメイドは一瞬動きを止め、怯えた目で答えた。
「え?……17ですが……。」
「いいだろう。今夜はお前にしてやる。」
ムウトはそう言うとにやりと笑い、メイドに指を指す。
「今すぐ俺の部屋に来い。」
その言葉に、メイドは足元が崩れそうなほど震え出した。
それも当然だった。この家の領主リオスとその息子ムウト、レオスは、女性に対する暴行で悪名高かった。過去にも数多くのメイドが被害に遭い、辞めていった者は数知れない。その中には、命を落とした者さえいたという。
「どうした、早く来い。」
ムウトがメイドに詰め寄る。だが、彼女は動かない。恐怖で足がすくみ、声も出せないようだった。
その時、廊下の奥から聞き覚えのある軽薄な声が響いた。
「あー!兄さんずるい!」
現れたのは、次兄のレオスだった。彼はムウトと同じく顔に苛立ちを浮かべているが、その目はメイドの体を品定めするように動いていた。
「この女、俺が目をつけてたのに!」
「仕方ねえだろ。俺が使った後でよければやるよ。」
「えー、そん時には壊れてるじゃん!」
リオスはふてくされるように言いながら肩をすくめる。彼らの会話は、耳を疑いたくなるほど下劣で歪んでいたが、この家ではそれが日常だった。
廊下に立ち尽くすメイドの顔は青ざめ、身体はますます震えを強くしていた。
廊下にもう一人の足音が響いた。
「やめてくれよ、兄さん。」
姿を現したのは、おれ、三男のリカルドだ。
「彼女は先に俺とティータイムの約束があったんだ。」
おれは冷静な声で言った。メイドの震える体に目をやりながら、兄たちの下品な笑みに軽蔑を隠せない。
「はあ?そんなの知らねえよ。」
ムウトが鼻で笑いながら、腕を組む。
「長男である俺のもんだ。さっさと消えろ、ガキ。」
「もういいから、行くよ。」
おれはそう言うと、メイドの手を掴み、強引に歩き出した。彼女の手は冷たく震えているが、それを握りしめながら一歩一歩廊下を進む。
だが、その道を次兄のレオスが塞いだ。
「待てよ、お前、生意気だぞ。メイドの子の分際でよ。」
レオスの目は鋭く、おれを威嚇するように睨みつける。だが、おれは視線をそらさずに言った。
「どいてください、兄さん。」
「いいぜ、どいてやる。お前がそのメイドを置いていくならな。」
「それは無理です。」
おれはきっぱりと答えた。
その言葉にレオスの目が険しくなり、次の瞬間、拳を振り上げて殴りかかってきた。
おれは素早く手を前に突き出し、詠唱を紡ぐ。
「『水よ、解き放たれよ、ウォーターボール』!」
その瞬間、小さな水球が空中に現れ、勢いよくレオスの顔に直撃した。
「ぐわっ!」
レオスは顔を押さえながら後方に吹っ飛び、廊下の壁に激突した。
「お前……魔術を!?」
ムウトが驚きの声を上げる。その声には明らかに焦りが混じっていた。
おれは無言でムウトの方に振り向き、再び手を構える。
「『水よ、解き放たれよ、ウォーターボール』!」
「ま、待て!」
ムウトが慌てて叫ぶが、次の瞬間、水球が彼の顔面に勢いよく直撃した。
「うわっ!」
ムウトも廊下の壁に叩きつけられ、そのまま尻もちをつく。
「さあ、行くぞ。」
「あの……ありがとうございました。」
しばらく移動し、メイドが小さな声でそう言い、おれの手を離した。彼女の目には感謝と安堵が浮かんでいるが、おれはそれを特に気にする素振りも見せなかった。
「別に、お前のためにやったわけじゃない。あいつらが気に食わなかっただけだ。」
おれは軽く肩をすくめながら言った。視線を外し、特に感情を表に出すことはしない。
「……もう行っていいぞ。」
メイドは少し戸惑ったようだったが、すぐに深々とお辞儀をした。
「本当にありがとうございました。」
その一言を残し、メイドは廊下を足早に去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、おれは自分の手を見つめた。
「あいつらに一発食らわせるついでに試しただけだが……思ったよりうまくいったな。」
さっき使った魔術、「ウォーターボール」。
あれから何度も練習を重ねたおかげで、魔術の速度や大きさをある程度コントロールできるようになっていた。
水球を小さくして連射することもできれば、大きな一撃として放つこともできる。詠唱も随分と早くなり、戦闘でも使える実感が湧いてきた。
これからもっと上達してやる……。
おれはさらなる力を手にするために、努力を続けることを心に誓いながら自室へと戻った。