1話「転生」
「は?」
おれは思わず声を上げた。
「ですから、丸田が会社の資金全てを持って消えたんですよ!」
部下の焦った声が耳に刺さる。
「なに……いってるんだ?」
「もう終わりですよ!社長があんなやつを許すから!」
吐き捨てるような言葉に、心の奥で鈍い痛みが走る。それでも、おれは言葉を返さず、社長室──いや、自分の私室に向かって足を踏み出した。
勢いよく扉を開ける。そこには……乱暴に鍵が壊された痕跡があり、中は見るも無惨な有様だった。床には紙や書類が散乱し、机は引き出しごとひっくり返されている。
祈るような思いで金庫を確認する。だが、そこには、開け放たれた扉と空っぽの中身があるだけだった。
「くそっ!」
叫びたくなる衝動を抑え、職場を飛び出し、自分の車に駆け込む。
エンジンをかけ、車を道路に走らせる。アクセルを踏む足に力が入り、スピードが増す。向かう先は一つ──丸田の家だ。
頭に浮かぶのは、過去の丸田のこと。
あいつは以前、会社の金を横領したことがあった。あの時、周囲の社員たちは「クビにすべきだ」と口を揃えた。だが、おれはそれをしなかった。減給処分で済ませたのだ。
丸田は泣きながら謝った。
「一生ついていきます!」とまで言っていた。おれはその言葉を信じた。信じることで自分の懐の広さを示したつもりだった。
気分は良かったんだ、あの時は……。
しかし、現実はこのざまだ。会社の金を全て持ち逃げするとは。おれの甘さが、こんな最悪の結果を招いたのかもしれない。
信じたことを後悔する気持ちが湧き上がり、胃が絞られるような痛みを覚える。それでも、車を走らせる手は止めない。
「絶対に逃がさない」
おれはそう心に誓った。
その瞬間、前方から突っ込んできたトラックに反応する間もなく、おれの車は弾き飛ばされ、路肩に激突した。ガラスが割れる音が響き、車体は勢いよく横転する。
頭を何か硬いものに打ち付けた衝撃の後、頬を伝う温かい感触。血だ。視界はぼやけ、耳鳴りが止まらない。何も聞こえない。
動かそうとしても、体は言うことを聞かない。痛みも麻痺していく。全身が、地面に縫い付けられたように重い。
頭の中に、これまでの人生がフラッシュバックする。
幼いころから何でもできた。周囲から天才と言われ、有名国立大学をトップクラスの成績で卒業した。卒業後、すぐに起業し、20代後半で中小企業の社長にまで上り詰めた。成功者だと自分でも思っていた。
だが、その人生の終わりがこんな形だなんて。
「はっ……」
虚ろな笑いが漏れる。
血が滴り落ちる音が耳に残る中、おれは呟いた。
「最後が……これかよ……」
思い返せば、甘かったのだ。信じた人間に裏切られ、全てを失った。それでも最後に行動を起こせたのだから、悔いはないと思いたい。
だが――
「次からは……絶対に容赦しない……」
そんなことを考えたところで、次なんてない。それは分かっている。
おれは、自分の言葉に自嘲しながら、意識を失った。
全てが暗闇に沈む中で、かすかな憤りと悔しさだけが胸に残った。
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そして、おれは目を覚ました。
バッとベッドから起き上がる。目の前に広がるのは豪華な天蓋付きのベッドと、美しく装飾された壁。柔らかな絨毯が敷かれた広い部屋だ。
「ここは……?」
混乱する頭を抱えながら、周囲を見回す。何かが……違う。
突如として、一人の男の記憶が流れ込んでくる。車に乗り、事故を起こし……そこで終わる人生。その記憶が、鮮明に頭の中に蘇った。
「……車? なんだそれ?」
ふと疑問が浮かぶ。車というものの存在が思い出せない。それなのに、確かにその経験をした記憶がある。この違和感は何だ?
そのとき、ドアが静かに開き、誰かが入ってきた。
「お目覚めですか、リカルド様」
優雅な声が部屋に響く。若く、可憐な女性──メイドだった。黒いドレスにエプロンを纏い、礼儀正しくおれに微笑んでいる。
……誰だ?
おれは言葉にできない違和感を抱えながら、彼女をじっと見つめた。
いや違う、この女を俺は知っている。いつも毎朝来るメイドだ。
「どうかなさいましたか?」
不思議そうに首を傾げる彼女。その仕草が妙に可愛らしい。
「いや……」
今話してる言語も、日本語ではない。だがわかる。なぜだ.....?いや、そもそも日本語って.....?
なんだかいつもの光景のように感じるのに、確かな違和感が胸の中にある。
「……おれの名前は、リカルド・フォウ・レーベンシュタインであっているか?」
その瞬間、彼女の顔がぱっと明るくなった。
「まあ!5歳で自分の本名を完璧に言えるなんて、なんてお利口なんでしょう!」
5歳。
その言葉が、頭の中をぐるぐると駆け巡る。5歳?自分が?おれは社長だったはずだ。どういうことだ?
横に目をやると、大きな鏡があった。おそるおそる覗き込む。
そこには、黒髪で、目つきの悪そうな男の子が映っていた。
あれがおれ……?
「……5歳児だな。どう見ても」
「?はい」
おれは間違いなく、リカルド・フォウ・レーベンシュタインという名前の5歳児だ。しかし、その中には、かつての社長だった自分の記憶が確かに存在していた。
「なるほどな……これは……転生ってやつか」
おれはベッドの上に腰を下ろし、窓から射し込む光をぼんやりと眺めながら、静かに息を吐いた。新しい人生が始まる。しかも、この状況……どうやら、一筋縄ではいかないようだ。