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迷宮料理人 ~一皿目:迷宮牛鬼の頬肉赤ワイン煮~

クロニス・クリヤ:流浪の料理人。黒髪赤目の偉丈夫。調理魔術なる物を編纂し、魔物食を研究する奇人。

騎士ルゼ:男装の騎士。美しい金髪に翠の瞳。負傷で倒れていた所をクロニスに助けられた。


 無数の連山に鬱蒼と緑の生い茂る土地が国土面積の半分を占めるラピクニルム公国。

 この自然豊かな国は近隣の帝国や王国程に長く巨大な迷宮こそ有さないものの、小規模な迷宮であれば手付かずの物を含めて五百を超すとされる。

 そしてラピクニルムで発見された百番目の迷宮――迷宮の数が多い為、シンプルに『百番迷宮』と命名されている――に、一人の騎士が居た。


「――はっ……、はっ……」

 のっぺりとした鎧を身に纏った騎士が石畳の道をのろのろと進む。

 固く布を巻いた脇腹からは出血が続いており、治療しなければ早晩力尽きるだろう。

 或いは血の匂いに気付いた魔物に襲われるのが先か。

 ここまで何度も魔物を撃退してきたが、いよいよ体力も限界となっていた。


「はは……っ、私も、これまでか……」

 ふらり、と膝から力が抜けて崩れ落ちる。

 兜が脱げ、からん、からからと音を立てて転げた。

 美しい金の髪に(みどり)の瞳、男女の区別なく魅了されるような美貌の騎士は迷宮の中で倒れる。

 意識を失う前の一瞬、人影らしきものがその視界に映った。


「……」

 倒れた騎士を見付けた男は少しばかり考え込み、見た目以上の力強さで騎士をひょいと肩に担ぎ上げる。

 そして元来た道を戻り、休息の取れそうな場所まで移動することにした。


        §――――――――§


「――……っ!」

 がばり、と騎士が勢い良く身体を起こす。

 被せられていたブランケットをどかし、腰に据えていた筈の剣を(さぐ)った。


「武器なら枕元の方だぞ」

「っ!?」

 自分以外の声に驚き、騎士は座ったまま後ろに下がって愛剣を手に取る。


 声の主は見知らぬ男だった。

 黒い髪に赤い瞳、立てば6フィート(約180センチ)以上になる長身で、年の頃は二十代か三十代か。

 身体のラインにフィットしたダブルのコートの上になめし革の前掛けをしており、串を打った魚を焚き火で焙っている。


 ぱちぱちっと魚の脂で火が弾けた。

 食欲をそそる香気がふわりと漂い、騎士の鼻をくすぐる。


「……私を助けて下さったのか?」

 ごくっと唾を飲み、騎士はやや遅れて状況の把握に努めた。

 周囲を見ればここが迷宮の一室であることが分かる。魔物は居なかったか、倒されたか、四方に結界(けっかい)(びょう)が打たれて安全部屋となっていた。

 中綿(キルト)の簡易寝具に寝かされており、怪我も手当てされたらしい。

 武器も奪われていないことを考えると、少なくとも敵対的な人物ではないようだ、と騎士は考える。


「……丁度、魚が焼けた。貴公、腹は減っているか?」

「え? あ、ああ……」

「では先に食事をしろ。傷は水薬(ポーション)で塞いだが、栄養を取らなければ血が足りん」

 ずい、と皿の上に載せられた魚の串焼きが騎士の前に差し出された。

 香ばしく焼けた香りは暴力的なまでに空腹を刺激する。

 ぐぅーっ、と丸一日飲まず食わずで迷宮を彷徨(さまよ)っていた騎士の腹が鳴った。


「い、頂こう。かたじけない。……!」

 恥ずかしそうに頬を薄く染めた騎士は皿を受け取り、はっと表情を曇らせる。

 その魚が通常は食用とされない物だと気付いた為である。

 だが他者の善意を踏みにじる訳にはいかない――――そして耐え難い空腹もあり、ええいままよと焼き魚へとかぶりついた。


「……な!?」

 思わず驚きに声を上げる。

 美味い。そして、小骨が無い(・・・・・)


「そんな馬鹿なっ!? 吹き矢魚(ダートフィッシュ)は固く鋭い小骨が多いことから罠魚とも呼ばれる魚だ! こんなに美味く食べやすい筈が……!?」

 困惑しつつもその美味さには勝てず、塩の効いた皮までぱくぱくと食べる。

 パリッと焼き目の付いた皮は鱗が綺麗に落とされており、皮と身の間の脂が溶けた汁もまた絶品だった。

 不思議なことに、その吹き矢魚には小骨どころか背骨すら無い。残るのは頭と尾と背びれだけだった。


「フ、良い食いっぷりだ。まだ食えるだろう? そら」

 黒髪の男は自分の分以外にお代わりも持ってきて、騎士の皿に二本目の串を置いた。


「……感謝する。だが、この魚は……?」

 骨の無い魚など居る筈も無い。

 しかしどうやって吹き矢魚から小骨も背骨も取り除いたと言うのか。


「『吹き矢魚(ダートフィッシュ)骨食(ほねば)み焼き』。少々魔術を使っただけだ」

 男はあっさりとそう言って、食事を始める。


「……はぁぁ!?」

 余りに常識外れの答えに、驚愕の声がラピクニルム百番迷宮に響いた。


        §――――――――§


「……先程は失礼した。手当てをして頂いただけでなく美味しい食事まで頂き、本当に感謝している。私は……ルゼ、済まないが家名は明かせない。だがこの礼は必ずすると約束しよう」

 騎士であるルゼは右手を心臓の上に当て(こうべ)を垂れる。

 王国や公国の伝統的な騎士の作法の一つだ。


「俺が勝手にしたことだ。気にする必要は無い、サー・ルゼ。それともデイム・ルゼと呼んだ方が良いか?」

 男の言葉にルゼはぎくりと表情を強張らせる。

 サーは男性騎士への敬称であり、デイムは女性騎士への敬称である。


「……ルゼだけで良い。或いはサー・ルゼと」

「了承した。俺はクロニス・クリヤと言う流れの料理人だ。俺も敬称は不要だ、クロニスと呼んでくれ」

 クロニスと名乗った男は荷物を腰に結わえ付けてある小さな袋へ全て入れた。


 『魔法の袋(マジックバッグ)』と呼ばれる収納用のマジックアイテムだ。

 別の空間に物を入れることで、重さすら感じずに運ぶことが可能な代物である。


「それではクロニス殿」

「なんだ、サー・ルゼ」

「……クロニス、教えて欲しい。骨食み焼きとはまさか黒魔術の『溶骨(ボーンメルティング)』を使った調理法なのか?」

「ほう、良く知っているな。その通りだ」


「…………」

 ルゼは自身の耳とクロニスの正気を疑って絶句する。

 黒魔術とはいわゆる呪術のことだ。まさか他者の骨を溶かす呪術を使って魚を料理する人間が居るとは彼女の想像外だった。


「何故そんなことを?」

「……呪術や死霊術による(けが)れは魔術滓と負の精神エネルギーが結合して生じる。これは神聖魔術で浄化が可能であり、少量なら聖水で洗い流すだけで良い。危険性が低く、美味い物が作れるのに使わない理由が有るか?」

 クロニスが整然と答え、ルゼは目を見開く。

「つまり美味しい料理を作る為、だと?」


「そうだ。貴公も味わって分かっただろうが、ダートフィッシュの身は癖の無いあっさりとした上品な味だ。脂の乗り具合も良く、ソテーやムニエルにしても合う。油でさっと揚げて塩とレモンを掛けて食べるのも良いだろう」

「……っ」

 結局串焼きを三尾食べた騎士は舌の上に広がった味を思い出してごくりと唾を呑んだ。


「骨を溶かせばそれが可能となる。しかも溶けた骨は出汁となって身に回るので美味しさはより増す訳だ」

 クロニスの説明にルゼははっと気付く。

「そ、そうか……! あのかぶり付いた瞬間に染み出てきたのは骨を溶かして出来たスープだったんだ……!」


「……ダートフィッシュもだが、世の中にはきちんと調理してやれば美味いのにそれを知られていない物が多過ぎる……!」

 ギリッとクロニスは歯を噛み締めた。


「俺は既存の魔術に手を加え、調理魔術へと昇華させた。この調理魔術で以て新たな美食を作り出すのが俺の使命だ!」

 黒髪の料理人が力強くそう宣言する。


「お、おぉー……!」

 金髪の騎士は感嘆の声を漏らした。


 ……彼女は命の恩人と言う贔屓目と勢いで誤魔化されているが、冷静に考えればこの男が異常者であるのは明らかだろう。

 魔術師なのに料理を作る為に迷宮へ一人で潜る人間がまともな筈が無い。

 クロニスがルゼを助けたのは慈善等からではなく、"味見係が欲しかったから"である。


「この百番迷宮に来たのはとある食材を()りに来た為でな。一緒に来るのなら単なる魚の塩焼きではない、俺の本気の料理を味合わせてやろう。どうだ、ルゼ?」


「――――行こう」

 そう言うことになった。


        §――――――――§


 迷宮には魔物が生じ、最奥には迷宮の主が居る。これは千年以上も前から変わらない。

 迷宮に潜って資源や財宝を回収する者は古来より存在した。俗に探索者と呼ばれる者達である。

 探索者は通常、複数人で組んで潜隊(パーティ)を作るが、慣例的に最大で六人一組となる。


 これは国家的な取り組みとして軍で迷宮攻略にあたった際の最小編成数が六人であったことがその始まりと言われており、七人で組む場合には三人と四人のパーティ二つで連携する形になる。

 ルゼも本来は六人と五人のパーティ二つで百番迷宮へと挑んでいた。


 それがただ一人で迷宮を彷徨っていたのは、仲間と思っていたのがルゼを始末する命を受けた刺客だったからだ。

 辛くも刺客の魔の手から逃れたものの、ルゼを待っていた負傷し、食料等も無い状態での単独潜行(ソロダイブ)

 迷宮の入口は封鎖され、魔物に襲われて死ぬか負傷による失血死か或いは餓死するしかなかっただろう。

 どうあっても死が待ち受けていたが、偶然にもクロニスと出会ったことが運命の転機となった。


「……ルゼ、この迷宮にはコボルトの派生とノッカー、レッドキャップ、バグベア等が出現する」

 クロニスの言葉にルゼが頷く。

「邪妖精と呼ばれる類だな。サイズは小さいが、魔術で攻撃してくる場合も有るので注意が必要だ」


「そんなことはどうでも良い。問題はこいつらを倒しても土くれにしかならんことだ」

「……まぁ卿にとっては重要なことだろうな」

 ルゼは呆れ顔で今しがた仕留めたコボルトから剣を抜き、砂を払った。

 迷宮の道程は順調と言う他ない。ルゼもこの程度の雑魚相手に苦戦する程度の実力ではなく、万全の状態なら一人で潜っても迷宮の主を倒すことが可能だろう。


「だが出現する魔物の種類とここが典型的な迷路型迷宮であることから、迷宮の主が何か推定出来ることは良い」

 クロニスは大振りな長方形の包丁――方頭刀(クリーバー)――の刃に欠けが無いかを確認し、腰に差し直す。

 この料理人は戦闘をしていない。ただ通りすがり様に敵の急所を掻き切るだけだ。

 見ていて怖気が走る程に見事な仕留め方だった。


「ふむ、迷宮の中身と主は関係すると聞いたことは有るが……」

「大型の邪妖精や下級デーモンの可能性も有るが、恐らくここの主は迷宮牛鬼(ミノタウロス)だ。断定は出来ないが元素霊(スプライト)幽魂(ゴースト)を見ないので十中八九合っているだろう」

 クロニスは鉄鉱石や無加工の原石が埋もれた土や砂の塊には目もくれず、ずんずんと先へ進んで行く。

 探索者らしからぬ行動にルゼは苦笑しつつ、彼を追って先へと進んだ。


「……と言うことはもしやクロニスはミノタウロスを料理する為に来たのか?」

「それ以外あるまい」

「ふーむ、興味深いな……。どんな味がするのか、見た目通り牛なのか……」

「近い味としては筋肉質な牛だな。だがサシの入った肉とは違う旨味が凝縮されている。さっぱりとしているのにガツンと来る濃い味わいは丸々太った牛とは別種の美味しさだぞ」

「それはまたそそられる話だな……!」


 二人は会話を交わしつつ奥へ奥へと進んで行く。

 地図も作らず、戦利品も回収せず、ただ最奥のみを目指す。

 不思議なことにクロニスは道順が分かっているようで、彼の先導に従えばただ歩くだけで階段を降りることが出来た。


「次の階で終わりだ。疲れは大丈夫か?」

 出会ってからそう時間は経っていないが、二人の間には友情と呼べるような物が出来ていた。

 波長が合った、とでも言うべきか。立場や性別、年齢が違っても、心の奥底で通じる部分が有ったらしい。


「ああ、それは大丈夫だ。……クロニス、一つ頼みが有る」

「何だ、ルゼ」

「ミノタウロスだが、私に任せて貰えないだろうか?」

 翠の瞳が真剣に料理人を見つめる。

 何らかの事情が有ることはそれだけで分かった。


 クロニスはその事情が何なのか一瞬考えたが、要らぬ勘繰りだと軽く首を振って忘れる。

何であろうと、彼には関係なかったからだ。

「……まだ主がそうだとは決まっていないぞ」

「きっと合っているさ。まぁ私はミノタウロスでなくとも良いんだがね」

 からからと翠の髪の騎士は明るく笑った。


「……出来る限り傷は付けるな。良いか?」

本来、数人掛かりで挑むべき強敵を相手に無茶な注文である。

 だがルゼはまっすぐな笑みを浮かべて首肯する。

「承知した」


 百番迷宮の主が倒されたのはその僅か三十分後のことだった。


        §――――――――§


「……上出来だ。動き回らせず、心臓を一突き。まぁその状態で『狂奔(バーサーク)』が使われそうになった時は焦ったが、『術式崩し(マジックブレイク)』の出来る魔剣だったとはな」

 身の丈8フィート(約240センチ)程の迷宮牛鬼を眺め、クロニスは満足気に口の端を持ち上げる。


「これ位では驚いてくれないのだから参るね。一応伝家の宝刀と言う奴なんだが」

 飾り気の無い白い鞘に荘厳な白銀の剣を納め、ルゼは肩をすくめた。

「いや、十分驚いたとも。俺でもこの個体をこうも上手く仕留めるのは難しかっただろう」

「出来はするんだね……」

「流石に魔術込みだぞ?」

「それでもだよ!」


 話をしながら魔術師兼料理人は巨大な吊るし機を構築し、ウインチと滑車で迷宮牛鬼の死体を逆さに吊る。

 2500ポンド(約1・1トン)を超える巨体が宙にぶら下がり、その下にドンと大きなタライが置かれた。


「これから食肉処理をするが……、見ていて楽しい物ではないぞ?」

「……見せてくれ。これも経験だ」

「分かった」

 クロニスは返事をすると同時に左手で角を握り、右手で素早く方頭刀を閃かせる。

 樹の幹を思わせる太い首がずるりと斬り落とされ、どぼどぼと滝の如く血が流れ出た。


「……!」

 既に死んでいたとは言え、その鮮やかな手並みは一撃で仕留めたルゼも目を(みは)る程である。

「まず首を落として血抜きする。出来る限り早める為に魔術も使う。ついでに変化を抑える為に肉の温度も下げておく」

 クロニスがボソボソと魔術を唱えると迷宮牛鬼が周囲の空気ごと冷やされ、タライに貯まった新鮮な血液から湯気が立ち昇った。


「あらかた血を絞り取ったら皮を剥ぐ。足首と手首を落として空気の通り道を作り、腹に穴を開けたらそこから風の刃を潜り込ませる」

 ぶわりと迷宮牛鬼の身体が膨らみ、ぱんと空気の弾ける音と共に少量の血飛沫が飛ぶ。


「皮の次は内臓だ。迷宮で湧いた魔物は物を食べていないから処理が楽で良い」

 クロニスは皮に切れ込みを入れて服を脱がすようにぺろりと剥がすと、今度は腹を縦に割った。

 いつの間にかタライは別の物に入れ替わっている。彼は幾つも『魔法の袋(マジックバッグ)』かそれに類する物を所有しているようだった。


「新鮮でなければ駄目だが、モツも立派な食材だ。その点、これは新鮮その物で糞便も気にしなくて良い。氷漬けにして保存すれば半年は()つ」

 水を張った(ます)に種類ごと腑分(ふわ)けした内臓を放り込み、凍らせて袋の中へと放り込んで行く。


「最後に背骨を割って枝肉にする。……これが少々難物でな。ウォーターカッターを使う、魔道具で丸鋸を作る、色々と考えたが……」

 クロニスは迷宮牛鬼の背中側へと周り、鉈のような方頭刀を両手で大上段に構えた。


「――――フッ!」

 刃渡り1フィート(約30センチ)の包丁は見事に股から首までを一刀にて両断する。

 迷宮牛鬼はほんの数分で見事な枝肉となった。

 因みに枝肉とは頭部と皮と内臓を抜いた状態から、幾つかに分割された状態までを指し、背骨を縦に割って半分にした状態は特に半丸と呼ぶ。


「……とまぁ結局は包丁(これ)で斬るのが一番だった。で、後は水で血を洗い流したら終わり……どうしたルゼ」

 迷宮の中で空を見上げるように天を仰ぐ騎士へと料理人は声を掛けた。

「いやー……、これ絶対何の参考にもならない奴だね……。こんな短時間に解体作業が終わるのはおかしいと私でも分かるよ」

 ルゼは呆れ顔でクロニスの異常さを改めて認識する。


「今は俺が手作業でやっているが、もっと未来にはこれが自動で行えるようになる」

「はは、流石にそれは有り得ないだろう」

「……どうだろうな」

 冗談だと思ったルゼは苦笑するが、クロニスはにやりと意味深に笑っていた。


        §――――――――§


「――……さて、では調理を始めるが……枝肉(これ)は使わん」

「はい!?」

 料理人の意味不明とも言える宣言に騎士が叫ぶ。


「生き物は死んでから数時間後に筋肉が硬直し始め、二日から四日掛けて硬直が解ける。魚はもう少し早いがな」

「……ふむ、人でも同じ話を聞いたことが有る。死後硬直、だったか」

「そうだ。だから肉は一旦寝かせる必要が有る。これも適切な温度管理の下、数日保存してから解体する」

 クロニスは大きな袋に枝肉を入れ、肉を吊り下げていた装置も分解して別の袋にしまった。


「……死後硬直が起きる前に食べるのはどうだ?」

「良い質問だな。探索者は基本そうする。但しミノタウロスの肉は固く締まっており、全体的に歯応えが有り過ぎる。部位によっては硬直が解けた後でもステーキ等には不向きだ」

 今度は組み立て式の調理台が登場し、真っ黒な鍋がズンと置かれる。


「ううむ、そうなのか……

「ミノタウロスの肉が食肉として流通していないのは供給が安定しないことも理由の一つだが、シンプルな焼く・煮ると言った調理法ではその美味さを引き出し辛いからだろう」

 クロニスはそう説明するが、そもそも探索者ならば魔物の肉よりまずは財宝である。

 倒された魔物の死体はある程度時間が経つと迷宮に呑まれてしまう為、迷宮の主を食べると言う機会がまず限られているのだ。


「だが、調理法によっては解体し立ての肉であっても柔らかく美味しくすることが可能だ。今回は頬肉を使ってそれを実演して見せよう」

 まな板の上にいつの間にか迷宮牛鬼の頭部から切り取られていた肉がドンと載せられた。


「これがミノタウロスの……!」

 鮮やかな断面を晒す赤い肉は巨大な宝石の原石のようですらある。

 ルゼが見つめる先でクロニスはすっ、すっ、と軽やかに包丁を動かして迷宮牛鬼の頬肉を切り分けた。


「まず肉を一口大より大きめに切り、ハーブソルトを振って小麦粉を付ける。そして凍らせる」

「凍らせる?」

「これは今回の調理法において重要なポイントだ。低温によって死後硬直の開始を遅らせる他、解凍も調理工程の一つに組み込んでいる」

 クロニスは魔術で凍らせた肉を一旦しまい、今度は野菜を取り出す。


「次にソースのフレーバーベースを作る。玉ねぎ、人参、セロリ、ニンニクをバターで炒める。この後の工程でも火を通すので軽く色が付く程度の加熱で良い」

 ぽい、と宙に放り投げられた野菜が賽の目状に切り刻まれて鍋の中に入ると言うことが数度繰り返された。

 魔法陣の刻まれた台がじわりと輝き、火が(おこ)る。

 バターが溶け出し、ジジジと食材の水分が熱せられて音を立て始めた。


「今回作る料理の基本形は牛肉の赤ワイン煮(ブッフ・ブルギニョン)だ。この辺りでも良く知られているのではないか?」

「ああ、私も好きな料理だ」

「そうか、ただブッフ・ブルギニョンは長時間煮込む必要が有る。ミノタウロスの肉であればより長時間煮込まねばならんだろう。普通に考えれば、な」

 クロニスは料理をしながら説明を続ける。


「では卿なら如何(いかが)する?」

ルゼは翠の瞳を面白そうに(しばたた)かせた。

「その答えはもう少し待て。野菜を炒めたらそこに濃縮赤ワイン、蜂蜜、岩塩を加え、煮立たせる」

 火の勢いが強まり、すぐに鍋の中身がぐつぐつと言い出す。


「そうしたら肉を入れて蓋をし……、『虚空(こくう)灼湯(しゃくとう)』を起動」

 クロニスが手をかざした瞬間、鍋の側面に刻まれていた緑と青の紋様がじわりと輝き出した。


「っ!? な、何だそれは……?」

「俺の作った調理器具であり魔道具だ。この鍋には内部の水の沸点を上げる魔術と空気を抜く魔術が刻まれている」

 難解な説明に騎士は首を(かし)げる。


「……さっぱり分からん。それがどう料理と関係するんだ?」

 ルゼは頭の上に疑問符を浮かべているが、魔術師でもない人間には理解出来なくて当然である。


 まず水の沸点を上げる理由だが、これは百度以上の熱湯で煮ることによって調理時間を大きく短縮出来るからである。

 加熱調理も化学変化の為、アレニウスの法則により調理温度が十度上がれば時間は二分の一で済み、二十度上がれば四分の一で済む。

 水温の上限や下限を変化させる魔術は非常にマイナーだ。しかしこの魔術はローコストでありながら調理技術に革命を起こし得る、とクロニスは考えていた。


 次に、空気を抜くことで鍋の中が減圧される。凍った肉は解凍と同時に減圧されてスポンジのように膨らみ、食材内へ調味液が急速に浸透する。

 凍結減圧含浸法と呼ばれる手法と減圧鍋を応用した物だ。

 だが空気を抜くことで圧力が下がると言う概念を理解するのは魔術師であってもまだ多くはないだろう。

 そして、物理法則に従えば減圧下では水の沸点が下がる為、高温低圧調理は実現し得ない。

だが、もしそれが実現すれば――――圧力鍋よりも短時間で柔らかく、それでいて形を崩れさせず、食材の奥まで味を染みさせる奇跡の如き調理方法となる。


「――――と言う訳だが分かったか?」

「分からんな!」

 ルゼは元気良く返事をした。

 繰り返すが、魔術師でもない人間には理解出来なくて当然である。


        §――――――――§


「……まぁ原理はどうでも良い。御大層な蘊蓄(うんちく)を垂れても美味い物が出来なければ意味は無いからな」

 クロニスは説明の途中から意識が飛んでいたルゼへの講義を切り上げ、鍋の中身を皿によそう。


「お、おぉ……!」

 出来立ての料理の香気がお客(ルゼ)の鼻孔に吸い込まれた。

 数時間前に食べた吹き矢魚三尾は既に消化済みである。

 クロニスの用意したテーブルには銀製の食器(カトラリー)が並べてあり、フォークとナイフの間に皿が置かれる。


「さぁ、出来上がりだ。『迷宮牛鬼(ミノタウロス)頬肉赤ワイン煮(ブッフ・ブルギニョン)』、ご賞味あれ」

「……味合わせて頂く」

 ルゼは緊張した面持ちで食器を手にした。

 ゴロゴロと塊の肉にフォークを突き立て、ナイフで切る。


「……!」

 その時点で目の前の料理が自分の知る料理とは別物であると察せられた。

 ただ刃を押し当てるだけで切れた肉を恐る恐る口へと運び、翠の目を大きく見開く。


「――――こ、これはっ!? サクサクと噛み切れる、だが肉の弾力も有る……!? 何なのだこの食感っ! しかもしっかりとソースの味が身の奥まで染みていて、噛む程に肉汁が出てくるジューシーさ……!」

 ルゼは喉の奥に消えて行った味を惜しむように感想も忘れて次から次へとフォークを動かした。


「……」

 皿の中身は瞬く間に消え、ふっと息を吐いた彼女は茫然と空っぽの皿を見つめる。

 料理人がにやりと笑ってパン籠をテーブルに置いた。


「全く、貴公ときたら丸パン(ブール)を食べるか聞く暇すら与えてくれないとはな」

 からかわれたルゼは羞恥から顔をかぁっと赤らめる。


「し、失礼いたした……」

「気にするな、良い食いっぷりだった。まだ食べれるだろう? 鍋一つ分作ったのだから遠慮はしなくて良い」

 そう言ってクロニスはひょいとルゼの皿をとった。


「……ああ、頂こう!」

 その嬉しそうな返事に料理人は満足気な表情を浮かべ、お代わりをよそう。

 二人は()3ポンド(1.5キロ)の頬肉から作られた十人前の赤ワイン煮を平らげた。


        §――――――――§


「さて、実に素晴らしい料理だったが……、その、今は返せる物がなくてな……」

 ルゼは申し訳なさそうに告げる。

 身元を知られないように貴重品は身に着けておらず、宝剣は流石に譲ることが出来ない。


「貴公の倒したミノタウロスだ。それに、元より代価を取るつもりはない。丁度味見係が欲しかっただけだからな」

「いやいやあれは獲物を横取りしたような物だろう。助けて貰って美味い食事まで貰い、こちらの都合で迷宮の主を倒させて貰った。礼の一つもしなければ面目が立たんよ」

 クロニスはふーむと唸り、何か良い案はないかと考えた。


「……何故迷宮の主を倒す必要が有った? その訳を聞かせてくれれば良い」

 今まで互いに触れようとはしなかった部分に踏み込まれ、ルゼは表情を強張らせる。

「……面倒なことに巻き込まれるかもしれないぞ」

「今更言うことではないな」

 クロニスの言葉にルゼは苦笑した。


「……まぁそれもそうか。……知っているかもしれないが、この国の貴族には自ら迷宮を攻略する経験を積む習いがある」

「ほう」

「正確にはこの義務は継承権を得る為の物だ。……そして隠していて済まなかったが、私の本当の名はエスメラルダ。ラピクニルム公国ゼルヴベル伯爵の娘だ」

 クロニスはくいと片眉を持ち上げる。

 ルゼが宝剣の力を使った時の半分位は驚いていた。


「……(とうと)い血とは分かっていたが、伯爵家の御息女とはな」

「私には弟が一人居るのだが、あの子は病弱でな……。迷宮へ潜るのは難しいかもしれん」

「だから貴公が代わりに継ぐと言う訳か」

 ルゼは一瞬目を伏せ、頷く。


「――まぁそう言うことになる」

 彼女が爵位を望んでいないのは明らかだった。


「……察するに、倒れていたのは弟へ家督を継がせたい者の手勢に襲われたからか」

「流石だな。卿の考えた通りだ」

「欲していない立場の為に殺され掛けるとは、損な役回りだな」

 クロニスとしては珍しく、他人の境遇に同情を示す。

 何事においても料理を優先する彼は友人と言える相手も少なかったが、友誼を結んだ相手には助力を惜しまぬ性質(たち)だった。


「全くだ。……しかしお陰で一時とは言え代え難い友を得て、人生で最も美味な食事を口にすることが出来た。差し引きとしては得だったと私は思うね」

「……」

 ルゼが小さな幸せを噛み締めるようにふっと微笑む一方、クロニスはむっつりと押し黙る。


「あ、勝手に友だなんて言って気分を悪くしたかな? 済まない、私的に親しい相手を余り持ったことがなくて――」

 何か機嫌を損ねてしまったかと慌てる騎士に対し、料理人は首を振った。


「――そうではない。あの一皿だけで満足してしまうのは勿体ない、そう思っただけだ」

「勿体ない……」

「ああ。言った筈だ、"新たな美食を作り出すのが俺の使命だ"と。貴公は食べてみたくはないか? 俺の他の料理も」

 ルゼの視線が動揺に揺れる。


「それは……食べたいに決まっているが……」

「ならば俺と共に来い。伯爵の娘エスメラルダは百番迷宮で命を落とした、その筋書きに乗ってやれば良い。そして騎士ルゼは料理人クロニスと旅に出る、これで問題ない」

 真面目な表情でクロニスは無茶苦茶な筋書きを口にした。


「……止めてくれ! そんな冗談……。私には、貴族としての責任が有るんだ!」

「――――自己犠牲が責任の果たし方ではない!」

「っ……!」

 ぴしゃりと言い放たれた言葉にルゼは息を呑む。


「己が苦労する道を歩けば他は幸せになれるとでも? そんな考えは思考停止に過ぎん。より良い結果が得られる方法を模索し、挑戦することが貴公ならば出来る筈だ」

「っ……、だが私が居なくなればゼファーが、弟が爵位を継がなければなくなる……!」

「それがどうした。弟の健康に不安が有るのなら医者を探しに行け。統治能力に不安が有るのなら副官を探しに行け。庇護するのが最良とは限らんだろうが」


「卿は……――」

 クロニスの淡々とした口調の奥に潜む熱を感じ、ルゼは目の前の男が何か後悔を抱えていることを察した。

「――いや、そうだな。その通りかもしれない。……だが、何故だ? 私を連れて行っても卿は一切得をしないだろう?」

 じっと翠の瞳が赤い瞳を見つめる。

 クロニスはようやく、ふっ、と小さく笑った。


「……失敗作を食べさせても心の痛まん味見役が欲しいと思っていた所でな」

「おっと? それはどう言う意味かなクロニス殿」

「いや、サー・ルゼは胃腸が強そうだからな」

 料理人は飄々とした態度で騎士へと答える。

 事実、細面(ほそおもて)の見た目に反して金髪の騎士は良く食べた。


 クロニスは、それに、と続ける。

「……友との旅も悪くないか、と気紛れに思っただけだ」

「……そうか。では、迷惑を掛けるだろうが宜しく頼む。友よ」

「ああ」

 ルゼが右手を差し出し、クロニスは握手を返した。


 ――――()くして、後に翠玉の騎士と(うた)われる騎士ルゼと、伝説として名を残す迷宮料理人クロニスの旅が始まることとなる……。


        §――――――――§


「まぁまずは貴公の命を狙う刺客達の包囲を抜けて、この迷宮から脱出することが出来てからの話だがな」

「……そうだったな!」

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― 新着の感想 ―
[一言] めちゃくちゃ面白かったお(´・ω・`)。 個人的に著者の初期の作品であるEra: Lost Godsがものすごく好きでした。 なので続編書いてくれないかなぁ~、でも書かないだろうなぁ~とずっ…
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