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サイハテの歩き方―とある令嬢と聖女の場合—

作者: 中華鍋

パイロット版です。

これ単体でも読めます。

 あるところにお姫様がいました。

 お姫様は賢く、美しく、そして優しい人でした。

 そんなお姫様は国中で人気者で、王様とその息子である王子様とも仲良しです。

 特に王子様とはずっと一緒にいて、大きくなったら二人で結婚しようと約束をしていました。


 ところがある日、お城に聖女がやってきました。

 聖女は病気や怪我をした人を治していきます。

 王子の心は、あっという間に、お姫様よりも賢く、美しく、そして優しい聖女のことを好きになってしまいました。


 お姫様は、そんな聖女を妬ましく思い――




 サイハテ、という場所がある。

 そこは、世界から忘れられたものや、役目を終えたものが流れ着く終着点のような場所。森の隣に唐突に近未来的な建物群が現れたりするような、荒唐無稽にもほどがあるところで、大抵は無機物ばかりが流れ着く。

 また、仮に生命が流れるつく場合は、ドラゴンやユニコーンといった、伝説上の生き物や滅多に姿を見せない魔法を纏った生き物であることが多い。もしくは絶滅してしまった生き物などなど……。それでもサイハテにたどり着く頃には、大抵は寿命が尽きてしまう。


 だが、稀にいるのだ。

 そのどれにも当てはまらない場合が。


 ある日サイハテに唐突に表れた湖は、常に霧がかっていて神秘的といえば神秘的な場所だった。湖の精や伝説上の生き物がいてもおかしくないほどに荘厳で、木漏れ日からは光が差し込んで霧に反射してキラキラと輝いている。

 ただ、その霧には毒がないとも限らない。精神に異常をきたす可能性もあったのだが――


「人だな」

「人だね」

 簡素な白いシャツと薄茶のパンツに身を包み、短く借り上げた銀色の髪と、日に焼けた褐色の肌。そして二メートルはあろうかという、鍛え上げられた体躯の男が低い音を振るわせて呟く。

 それに呼応するように、学校指定なのか夏用の制服であるセーラー服に身を包み、肩口で切りそろえられた黒い髪と、黒い瞳を持つ裸足の少女が口を開く。

 どこかちぐはぐな彼らの視線の先には、小さな船に倒れるように乗っている女性の姿。彼らのどちらにも該当しない、シンプルだが細かい装飾のついた値打ちのあるドレスに身を包んでおり、絹糸のような金色の髪と陶磁器のような白い肌を持っている。目は閉じられてわからないが、縁取っているまつげは、マッチ棒が乗りそうなほど長い。

 まるで絵本の中から飛び出してきたようだ。

 だがどこかのご令嬢なのか知らないが、そんな人物がこんな場所に流れ着くこと自体が、奇跡に近しい確率だった。


「時に魔女」

「はいはい、なんでしょうか」

「『こういう事』はよくあるのか?」

「ないよ。ここに居て随分と長いけど、意識をもった人間が流れ着いたのはセトが初めてだもの」

「…………」

「……」


 魔女と呼ばれた少女がセトと呼ばれた男に投げかけられた質問に答えると、途端に彼の頭の中に嫌な考えが頭によぎる。

 もしかしたらこの女性は……。


「まぁ、まだ死んだと決まった訳じゃないし、確かめてみよう」

「お前な!」

 セトの考えをあっさりと口にした少女は、特に気にするでもなく湖に近付いて女性の肩に触れる。慌てて止めようとしても、当の彼女は手を振って大丈夫だという意思を示した。それ以上は何も言えず、とりあえず危険と判断したら介入しようと、セトは傍観者になることにした。

「もしもーし、大丈夫ですか?」

 そして少女は何度か女性の肩を、意識があるか確かめるように叩く。だが、反応はない。彼女はそのまま頭をなるべく動かさないようにして、女性の身体を動かし口元に耳を近づけた。


「魔女?」

「しっ静かにして」

「……」

「……呼吸、はあるか」

 セトの疑問を遮って女性の呼吸音を聞いた少女は、外傷がないことも確認すると、セトに女性を船から下すように頼む。彼は何も言わずに女性を軽々持ち上げると、ゆっくりと地面に寝かせた。

「家に連れて帰らないのか?」

「脳震盪かもしれないから下手に動かせないの」

「のーしんとー?」

「えーっと……頭に強い衝撃があって、目を回したとかそういう……」

「なるほどな」

 救命訓練受けててよかった……。と呟いく少女をよそに、セトは女性を見る。まるで作り物のように美しく、かつて彼が住んでいた国にいたのならば、美姫とも呼ばれたであろう人物だ。

「セト、見とれてないで、君のナイフかして」

 女性の観察をしていたところで、少女が手を差し出す。「見とれていた訳じゃない」と言いつつその手にナイフを握らせてやれば、彼女は器用にコルセットの紐を切り裂いたのだ。

「なっ!」

 だが、セトにとっては衝撃だったらしい。女性の下着を切り裂くなんて何を考えているのか、と思ったのだが。

「だってこうしないと、呼吸できなくなるよ」

 なんて、至極全うな言葉を返された。



 どのくらい時間が経っただろうか。少女が湖周辺を散策して戻ってきたところで、女性の長いまつげがふるりと震え、金色の額縁からは空のように青い色の瞳がのぞく。暫くぼうっとしていた女性は、セトと少女に気づいたのだろう。はっと身体を起こす。

「あ、あの!!」

「目が覚めた? おはよう」

「み、身代金は出せませんよ!」

「…………はい?」

 思わぬ言葉に二人は目を見開いた。身代金? という疑問をよそに女性は口を開き続けた。

「確かに、わたくしはエスメラルダ家の娘ですが、国を追い出された身です……身代金などは」

「ちょっと待って」

 まったく嚙み合わない会話に、少女が思わず待ったをかける。寝起きで混乱しているのかわからないが、身代金など金銭の価値がないここでは、全くもって意味をなさないものだ。だからまずは話を聞けと少女がそう言うと、ようやく落ち着きを取り戻したのか女性は少女とセトを見た。

「まず、ここは金銭なんて意味をなさないよ

 だって、世界のサイハテだからね」

「サイハテ?」

「そう、忘れられたもの、役目を終えたもの……世界のありとあらゆるものがたどり着く終着点」

「そんな場所に、どうしてわたくしが……

 そ、それに貴方たちはいったい!」

 信じられないと言った様子で睨みつけてくる女性を制しつつ、少女は説明を続ける。

「まず、貴方が流れてきた理由はわからない

 そもそも人がここに流れてくるなんてことは、滅多にない」

 最後の言葉を敢えて強調し、少女は口を開く。

「私はサイハテの魔女……名前はどこかに忘れてきた、誰でもない魔女

 それで、こっちはセト」

「……」

「ま、じょ……」

 魔女と自らを呼称する少女は、魔法も使えないような、街中にいたら忘れ去られてしまうような……そんなどこにでもいる少女だ。それなのにどうしてそんな風に名乗るに至ったのか、女性は知らない。知らないのに、彼女のその呼び名は彼女にぴったりだと思えてしまったのだ。


「ようこそサイハテへ

 まずはあなたの事を教えてほしいな」


 笑顔で告げる少女に拍子抜けしながら、女性はセトが座っている倒木に同じように腰かけた。ぱちぱちと焚火の明かりが辺りを照らしていて、火はこんなに暖かいものだったのだと改めて思いなおす。セトはそんな女性の哀愁など気にせず、持ってきていたサンドイッチを少女に渡す。


「申し遅れました。わたくしはエスメラルダ公爵家の一人娘、アイラ・エスメラルダと申します」

「公爵家か……」

 貴族、王族に因縁のあるセトは意図せず地獄のような低い声が出たが、少女がそれを制す。そして、不憫にも隣にいたアイラは、男から出た圧に驚いたのだろう。かわいそうなくらいに真っ青になっている。

「ほらー! アイラさん真っ青じゃん! セトの殺意は怖いんだって」

「む……」

 大柄な男に物怖じせずに少女は注意をする。それどころか制裁と言わんばかりに肩をぽかぽか叩いているではないか。

「あ、あのわたくしは大丈夫ですので」

 アイラはそれを見て、気にしていないというように告げると、少女は座っていた場所に戻っていく。ますます二人の関係性が気になったアイラだが、自分の状況を説明しないことには変わりないだろう。


「どうしてこうなってしまったのか……わかりかねるのですが

 きっかけは、恐らくわたくしの婚約破棄からの国外追放でしょうね……」

 物々しい雰囲気で、アイラは話始める。

 時間はほんの数刻前の出来事に遡っていく。


 曰く、アイラは国の中枢を担うような……所謂王族から派生した公爵家の長女だったそうだ。

 美し姫とも呼ばれるような美貌と、それに見合った賢さを持ち、完璧なマナーとやさしさと率先して政を行うような行動力を持っていた。そんな彼女を誰もが放っておく訳もなく、幼い頃に目をつけていた国王が王子と婚姻を結んだのだという。よくある話だし、アイラも当初は王妃になるよう勉学に励み、必死に己を磨き、外交も積極的に行っていたのだという。

 けれど――


「ある日、国に聖女が現れたのです」

「おあー……」

 聖女と聞いて魔女が潰れたカエルのような声を上げる。聖女とはやはり相性が悪いのかしら、とアイラは思ったのだが真相は謎のままだ。続けてと促す少女を見て、彼女は再び語り始める。


 聖女は瞬く間に力を見せ、国の病人や怪我人たちを癒していったのだ。そうして噂はどんんどん広がっていき、王宮にも届くほどだ。

 そんな聖女は、ある日王宮に召し抱えられた。癒し手として、国の未来のためにと。アイラも初めて見たときは、愛らしい少女だと思ったのだ。

 だが、聖女の教育係としてアイラが着任した時に事件は起きた。

 聖女がアイラの婚約者である王子は「自分の婚約者に相応しい。だから寄越せ」と言ってきたのだ。無論、どこの誰かもわからない、聖女という肩書だけを持つ娘に、そんな大役を渡す訳にはいかない。そもそもアイラの国は王政だ。王妃もそれに見合った知識を身につけなければ、国はあっさりと傾いてしまう。

 それを説明しても、聖女はうっとりとただひたすらに自分の妄言だけを吐いて、アイラのいう事など聞く耳を持たなかった。それどころか、急に叫びはじめ「アイラがいきなり殴ってきた」とのたまったのだ。

 当然、誰も聖女の言い分など信じられるはずもなく、その日は王子から謝罪を受けただけに終わった。


「そこからですわ、歯車が狂い始めたのは」


  ふう、と大きくため息をついたアイラに、少女がセトがいれたお茶の入ったコップを渡す。金属でできたコップが不思議だったのか、アイラが首を傾げたのに苦笑して、中身は普通の紅茶だと告げる。

「粗茶だがな」

「ふふ、それでも構いませんわ。誰かがいれてくれたものだからこそ価値があるのです」

「これが貴族の風格かー」

「お前はいつも一言余計だ」

 茶々をいれた少女にセトが軽く小突き、話の途中を促してきた。まるで仲の良い兄妹のような二人を少しばかり羨ましいと思いながら、アイラは話を続ける。


 教育係として、何度も聖女に会いにいったのだが、「そんなものをしなくても構わない」の一点張り。教育もできず、かといって聖女はマナーもなっていない。目上の人間には敬語すら使わず、城の使用人はこき使い、自分の気分次第で物を投げつけ虐めるほど。まるで自分が偉くなったかのような振る舞いに、思わず注意をしても今度は「アイラが自分を虐めた」と言う始末。


 そろそろ王と王子に聖女の処遇について伝えなければ、と思って相談しに行ったのだが……。


「アイラが本当に虐めたのではないか?」

 なんて、王が信じられない事を言い始めた。

 アイラを責めるような視線と、軽蔑するような表情は見た事がない。いつもどちらの言い分も聞いた上で決断を出す。そんな王だというのに。

「わたくしが虐めたなどという事実はございません!」

「だがな、聖女を虐めたという報告が多数上がっているのだ……証言もある」

「そんな!」


 一方的に嫌だと我儘を言っていた聖女に対し忠告はした。だがそれだけ。手は出してないし、お互い会話もほとんどないのにどうして。


「聖女の能力に嫉妬したのではないか?」

「違います!」


 王は疑いの目でこちらを見て、そんな事を呟いた。少し前までは、皆の言う事を取りまとめて、聖女に注意をしたというのに。急な心変わりにアイラは理解が追い付かない。困った彼女は隣にいた王子に視線を向けてみるが


「っ――!」


 そこにあったのは侮蔑とも呼べる視線だった。周りの貴族たちもひそひとそアイラが悪いように囁き合い、それが彼女の耳に届いていく。これは悪い夢でも見ているのだろうか、と思っていても確証はない。だからアイラは震える身体を叱咤し、泣き顔を見せないようにカテーシーをして王の前から立ち去った。

「嫌らしい女め……」

 そんな王子の声を聞きながら――


 玉座から立ち去ったアイラが混乱し、次をどうるすべきか考えていた時だ。カツカツとヒールの音を鳴らし、誰かが近づいてきた。つい先日まで質素なドレスに身を包んでいた聖女が、華美とも言える――アイラにとって趣味が悪いとも言える派手な――ドレスを着て歩いるではないか。彼女はアイラの姿を視界に入れると、途端に顔を歪め勝ち誇ったように傍に寄る。

「どう? 周りから見捨てられた気持ちは」

「……貴女が……」

「あぁ、殴っても無駄よ? ここにいるみーんなは、もうアタシの虜なんだから

 まったく、王族といっても所詮は人よね、アタシが一言いえばすぐに味方になってくれたんだもの」

「一体何をなさったのですか!」

「何? って、そんなものお話よ。『王様は素敵ですね!』とか言ったら、いちころだったんだもの」

 そんな訳ない。そんな訳あるか! 聖女に対し初めて怒りが沸いて頭の中が真っ赤に染まる。思わず少女に殴りかかろうとして、アイラはそこで大きくため息をついた。

 殴ったら、それこそ自分が危ないと思ったからだ。

「どう? 味方がいない悲しみは。これでこのお城はアタシのもの、王子様もアタシのもの

 国で散々贅沢していたんだから、これくらい頂戴よね? 王妃候補様?」

「贅沢などしていませんわ……妃になるために勉学に励んでいたまで、国を守るためですわ」

 それに、聖女のような考えをしていたら、国は滅ぶに決まっている。王族が贅沢な生活をしていたからと民が革命を起こし滅んだ国があるのを、彼女は知らないのだろうか。

「ふん! まぁいいわ……じきにアンタも追い出してあげる

 それまでせいぜい怯えていなさいな?」

 きゃははは! と品のない笑いを出しながら聖女は去っていった。あれは聖女の皮を被った悪魔なのではないか、と考えが過りとうとう彼女は座り込んでしまう。

 今まで味方だったもの達が手のひらを返し、敵になったのだ。底抜けの恐怖が彼女を支配していった。


 孤軍奮闘とも呼べる状況の中では、当然疲弊は激しい。おまけに相手は国王とその王子なのだ。アイラの説得も、訴えも聞く耳を持たず、それどころか聖女を信じあざ笑う日々。何度も諦めそうになって、それでも諦めきれずに説得を続けていた時だった。

 ある日国王から呼び出しがかかった。


 一体何なのだろう。呼ばれる理由など見当もつかないが、王からの呼び出しは絶対だ。王のいる玉座へと向かえば、そこには元老院と数名の貴族と……顔色の悪いアイラの父。そして玉座に座る国王、その傍に控える王子と――何故か王子に寄りそうように聖女の姿があった。


「何故ここに呼ばれたのか、わかるかね?」

「いいえ」

 王の問いにアイラが呟く。

 皆目見当も着かない問いに答えたのだが、王の目が吊り上がり王子が腰に刺さっていた剣を抜き去る。

「ふざけるな! アイラ!」

 王子に怒鳴られた事などないのに、激高した彼に剣を向けられる。切っ先こそ肌に触れていないが、少しでも動けばアイラの肌に傷を付けてしまいそうだ。

「アイラ!」

 その様子を見て、彼女の父が叫ぶ。解放してくれ! と訴えているが、王はお構いなしに続けていく。まるでレコードのように、録音された言葉を再生するように。

「貴様は、聖女を虐め精神的苦痛を味合わせたというではないか」

「そんな! そんなのあり得ません!」

「おや? ありえない? そんな馬鹿な……証拠はたんまりあるぞ?」

 一体どこにそんなものが……アイラが考えていると、王は彼女が知らない罪をでっち上げていく。ドレスを破いた、平民だからと馬鹿にした、殴られた、蹴られたなどなど……。物的証拠などないのに、匿名の誰かからの証言により、何もしていないアイラの罪がどんどん重くなっていく。


「わたくしでは……わたくしではございません!」


 だから彼女は気丈にもそんな罪は知らないと告げる。実際にやっていないし、使用人に聞けば間違いないだろう。そう訴えても、国王の口元はひび割れた人形のように歪む。

「だがな、私は王だ。王の命令は絶対だ」

「王の命令は絶対だ!!」

「な……」

「王の命令は絶対だから、アイラは罪人なのだ」

「罪人なのだ!!」

「罪人は王子の妻に相応しくない!」

「相応しくない!!」

「だから、打ち首だ!」

「打ち首だ!!」

 劇でもみているかのように、王らしからぬ言葉が次々に飛び出し、アイラを避難していく。指をさし、壊れた笑顔を貼り付けて何も映さない目でこちらを見ている。異様とも言える空間は、アイラとアイラの父の訴えすら届かない。届いていたとしても、彼らには理解できないだろう。

 そんな中で、すっと誰かの手があがった。


「王様!」

「おお、聖女か」

「打ち首はあんまりですわ……それではアイラさんが可哀想ですもの」

「この期に及んで何を……!」

「煩いぞ、エスメラルダ公爵。王の御前である!」

 憎々し気に聖女を睨んだアイラの父に、元老院の一人が叱咤する。この茶番の邪魔をするなと、近くに控えていた兵に拘束されてしまう。


「お父様!」

 アイラが叫んだが、王と聖女のやり取りは続く。

「流石は聖女……実に慈愛に満ちているな」

「私に対し、暴行をしたのは何か理由があるのでしょう……ですが、それも許しますわ。だって私は聖女ですもの! 全然気にしていませんわ……今回もアイラさんの嫉妬だったのでしょう

 だから、国外追放に留めてあげてくださいな」

「なにを……!」

 得体の知れない恐怖にアイラが怯えていれば、色のない瞳を持った聖女がこちらをみる。歪み切って醜い笑みは勝ち誇っていて、聖女の一声で彼女の首と胴は別れてしまう程の狂気があった。

「うむ……分かった。では、こうしよう

 アイラ・エスメラルダ嬢と我が国の第一王子との婚約はこれを持って破棄とする。そして、彼女は国外追放だ

 代わりに、聖女を第一王子の婚約者とし、国の妃にする」

「なにを……馬鹿な……」

 暴君とも呼べる決断に、アイラの父が唖然とする。そんな事がまかり通ってたまるかと、拳を握りしめるが、王に睨まれ、再び王としてあり得ない命令が下った。

「あぁ、ついでにエスメラルダ家は取り潰しとしよう。これで娘にも支援できぬだろうしな」

 これにて、解散! と有無を言わせる暇もなく、アイラは兵に引きずられるようにつれていかれる。


「こんな……こんな事があってたまるか! 王よ! 貴方の決断はいつか後悔することになるぞ!」


 最後に、父の悲痛な訴えが耳に届いた。


 そうして、アイラは国外追放の身となり、父との別れすらもさせてもらえず、死の湖と呼ばれる場所に着の身着のまま小舟で流されたのだ。貴族の娘だから何もできないだろう。と打ち首よりも酷い罰として――


「気が付いたらここにたどり着いていて――魔女様とセト様に助けられました」


「なーるほどね……」

 アイラの話をすべて聞き終えて、魔女は手にしていたサンドイッチを食べながら大きくため息をつく。胸糞悪いにも程がある話だし、それに――

「ものすごいテンプレートな話だなぁ」

「テンプレート?」

「あぁ、こっちの話」

 魔女の言うテンプレートが何を指すのかわからないのだが、こうして聖女に加担しない人に話すことができ、アイラはほっと息をつく。聖女が来てからずっと緊張の連続だったのだ。王宮を追い出された今は、自分の身の安全を保証しなければならないのだが、あんな薄暗く冷たい水中のような空気に晒されることがないだけマシだろう。

 そんな事を考えていると、紅茶を飲み干した魔女が口を開く。

「それで、これからどうするの?」

「え?」

 これから、とは。思わぬ魔女の問いにアイラは目を丸くした。

「あなたには選択肢が二つある

 ひとつ、このままここで寿命が尽きるまで過ごすこと。ただし、当然私たちは手伝わない。生活は自分でどうにかして

 ふたつ、元の場所に帰ってその聖女っていう女の鼻を完膚なきまでにへし折ること。これは私も手伝う」

 あまりにも極端な選択肢に目を見開いた。否、それよりも――

「わ、わたくしは戻れるのですか?」

「勿論、私はサイハテの魔女だよ」

 ――あなたを帰すことなんて簡単だ。


 その言葉は、魔法のようでアイラに染みわたっていく。

 理不尽にも国を追われ、何もかもを奪われ、とうとう諦めたアイラにとって救済の手とも呼べるようなもの。ただ甘い言葉だけを吐かず、条件を出した事にも彼女は感謝していた。あのままずるずると「ここにいる?」とだけ言われたのなら、心が疲弊したアイラはその言葉に従うだけになっていただろう。


「勿論、帰りますわ

 わたくし、あの女の顔面を殴ってやらねば、気が済みません!」

「ふふ、わかった」


 今まで自分が使ったことのない言葉に魔女が笑って立ち上がる。軽く伸びをしてから自分の頬を軽くたたいた。


「セト」

「ん?」

「今の話聞いていて、何か違和感はなかった?」

「あぁ……そうだな

 唐突に態度を変えた、と言っていたが……恐らくその聖女は魅了でも使っているんだろうな

 無意識か、意識的かしらんが……そういう特性を持った者がたまにいるんだよ」

 魔女に言われた問いに、セトはあっさりと回答する。だが、アイラはそうもいかなかったらしい。顔を真っ青にして口を手で覆う。

「魅了、ですって……そんな禁術を」

「お前のところもか……俺の世界では、魅了という術は使いすぎると依存性が高くなり、最終的にかけられた側は廃人になる。聖女がそれを知っていて使っているのであれば、災厄を振りまくとんでもない女になるが、話を聞いている限りではその線はないだろうな」

 「ただちやほやされたいバカなんだろう。そんな奴によって国は滅ぶがな」とセトがはっきりと告げて、近場にあった石を拾う。白くてつるつるしており、彼の手のひらほどの大きさで、平べったい水切り遊びをするには丁度いいものだ。それに向かって何かを呟き、力を込めている。やがて終わったのかほのかに光輝くそれをアイラに渡してきた。

「解呪のまじないを込めた。勢いあまってバカどもを吹っ飛ばすかもしれないがな」

「ありがとうございます」


 見れば、何か文字のようなものが刻まれていて、青く光っている。解呪と言うのだから城の中で使えという事なのだろう。

「地面に向かって投げろ、あとは自分でどうにかしろ」

「はい」

 渡されたそれを大事そうに抱え、アイラは立ち上がる。元々強い女性なのだ。ここで引き下がる訳にはいかないと、その目には強い意志が宿っていた。

「精霊のいとし子が作ったんだから、効果は保証するよ」

「お前が言うな」

「言わないと、怪しい物を渡されたって思うかもしれないじゃん」

「む……」

 セトと魔女がそんなやり取りをしつつ、魔女はアイラに船に乗るように促す。素直に乗った彼女を見て、大柄なセトが船を押し湖に着水させた。ここからどうやって帰るのだろうか、そんな事を思っていた矢先――


「まぁ……」


 魔女が水面を歩いていたのだ。

 着けた足の先から水面が光り、それが粒子として昇っていく。波紋が広がり、美しく共鳴して、湖全体が唄っているような感覚に陥った。幻想的とも呼べる風景に、アイラは思わずうっとりと見つめてしまう。


「さて、アイラさん

 目を瞑って、帰りたい場所を思い描いて」

「はい……」

 言われるがまま、彼女はゆっくりと目を閉じて、思い出の詰まった城を思い浮かべる。

「私が路を繋げるから、そのまま力に身を委ねて」

 優しい気配がふわりと彼女を押し上げて、やがて力がうねり流転していく。ぼんやりと光が溢れかえって、何処かに連れていかれるような感覚だ。そうして白い世界が広がっていき――もうアイラの意識はそこにはなかった。



「うわっ!」

 『世界』を返した少女は、砂塵のように消えた世界から落下しそうになり、丁度別の世界の欠片に避難していたセトに腕を掴まれる。ゆっくりとそのまま引き上げられて、彼の真横に立たされた。

「全く、もう少し後先考えてくれ……流石に肝が冷えた」

「あはは……ごめん」

「で、帰れたのか?」

 セトの言葉に彼女が頷く。

「うん、帰れたよ。あとはアイラさん次第」

「そうか……」

「セトも、貴族様の印象が変ったんじゃない?」

「そんな訳あるか」

 だが、殺意を向けていた相手に協力したのだから、それだけでも進歩なのだ。無意識に心を許した彼に笑って軽く背中を叩く。

「セト、ありがとう」

「何がだ」

「何も言わすに協力してくれて」

「あそこで協力しなかったら、お前はこっちが疲れるまで暴れ回っただろう」

「あはは……さ、帰ろう」

「いいのか?」

「うん、結末は――きっと大丈夫だから」

 だって、努力した人間にはご褒美がないといけないのだから。

 少女の言う事に仕方ないと笑って、セトは彼女の隣を歩幅を合わせて歩いていく。いつか隣を歩く彼女の事も、もっと知れたらいいと思いながら。



 あるところにお姫様がいました。

 お姫様は賢く、美しく、そして優しい人でした。

 そんなお姫様は国中で人気者で、王様とその息子である王子様とも仲良しです。

 特に王子様とはずっと一緒にいて、大きくなったら二人で結婚しようと約束をしていました。


 ところがある日、お城に聖女がやってきました。

 聖女は病気や怪我をした人を治していきます。

 王子の心は、あっという間に、お姫様よりも賢く、美しく、そして優しい聖女のことを好きになってしまいました。


 ですが、それは聖女……いいえ、魔女が魔法を掛けたせいです。


 王様も、王子もお城の皆が魔女の魔法にかかってしまい、魔女を王子と結婚させると言い始めたのです。お姫様は果敢に立ち向かいますが、魔女相手では歯が立ちません。


 可哀想に、とうとうお姫様はお城を追い出されてしまいました。

 船に乗せられて、死の湖という場所に流されてしまいましたが、お姫様は諦めませんでした。

 流された先で、お姫様は魔女と名乗る聖女とそれを守る精霊の騎士と出会います。

 聖女は言いました。戻って戦うのであれば、力を授けましょう、と。

 お姫様はそれに頷くと、精霊の騎士と聖女の力を借りて、お城に戻ります。


 そして――




「な、なんで戻ってきたのよ! バカなんじゃない!?」

「…………」

 短期間いなかったとはいえ、城がここまで陥落するのかとアイラは頭を押さえる。華美な服を着こみ、見目麗しい男どもを侍らせた女性は、聖女らしからぬ堕落さをみせていて、とても国を救う救済の少女とは思えない。

 それならば、アイラを救った『サイハテの魔女』と自らを呼ぶあの女性のほうが、よほど聖女と呼ぶに相応しいだろう。

「全く、こんな風に国を陥落させるだなんて、誰も思わなかったのでしょうね」

「衛兵! 衛兵! あの恥知らずでふしだらな女を捕まえて! 私の頼みなのよ!」

 呪いから守るアミュレットの導入が必要かしらね。と思いながらアイラは玉座に向かって精霊のいとし子から貰った石を投げた。白くほのかに光るそれは地面に触れると途端に閃光が溢れ、辺り一面全て塗り替えるように光で埋め尽くしていく。

「ぎゃあっ!!」

 聖女らしからぬ悲鳴が聞こえ、アイラも思わず目を瞑って光に耐える。

 やがて収束した先で見たのは、光にやられ倒れている男と――


「王子!」

 アイラの婚約者である王子だった。

 思わず駆け寄って調べれば、気絶しているだけのようだ。だが、表情は固く苦悩に満ちていて、魅了されていた間も心の中で戦っている様子が見て取れた。

「あぁ……なんてこと……」

 アイラはしっかりと王子を抱きしめると、聖女の方に振り返る。睨みつけたが、どうにも様子がおかしいではないか。


「な、なんで……なんでよ……」

「な……」

 見れば、彼女の愛らしい顔は火傷のようにただれ、腕は老婆のようになっている。

「おかしい、おかしいじゃない! なんで、どうしてよ! なんで聖女のアタシがこんな目に合わないといけないのよ! 国中で愛されるはずでしょ! なんで、なんでなんで!!」

「愛とは……お互いを慈しみお互いを尊重しあうことです

 貴方のやったことは魅了による一方的な押し付け……呪いでしかないのです」

「違う! ちがうちがうちがう違う!! そんな事ない! 呪いだなんて、アタシは愛されないといけないの! 愛されて、皆愛されるようにならないと!!」

「っ!」

 余りにも悲痛な叫びに、アイラは思わず聖女に手を差し伸べたくなる。そんな事はないと抱きしめようとして、王子に呼び止められた。

「ダメだ……アイラ」

「王子……」

「彼女の言葉を聞いてはダメだ……。寂しかったのは本当かもしれない……だが、ここまで国を浸食したのだ、彼女はそれ相応の罰を受けねばならない……」

 無論、我々もだが。という王子の言葉に涙を流しながら頷く。心底優しい女性だと王子は呆れながらも慈しみ、弱った身体を起こしてアイラを抱きしめる。

「なんで! アタシを! あたしを……あた……」

 そうして、聖女という何かは灰になって消えた。本来であれば救済の少女として国の象徴になったであろう彼女は、力の使い方を誤った。行き過ぎた力は天から罰が下る。だから国を傾けた彼女には丁度いい罰だったのだろう。

「もう少し、お話できれば未来は変っていたのかもしれません」

「あぁ。だがそれは結果論だ。過去は変えられないよ……」

 聖女が去ったことで正気に戻ったのだろう。魅了されていた者たちが身体を起こし、現状を把握し始めている。

「さあ、アイラ

 僕に罰を……操られていたとはいえ、君を傷つけていたのは事実なのだから」

 ふらふらな身体でそう言った王子に、アイラは苦笑する。この人も大概甘いのだ。

「そうですね……なら――」



「こうして、元の世界に戻ったお姫様は、悪しき魔女をやっつけ

 魔除けのアミュレットを作り国はいつまでも平和に繁栄しつづけましたとさ」

 おしまい。と魔女は手に持っていた本を閉じる。図書館と呼ばれるスペースにいつの間にか追加されていた本は、先ほど出会ったアイラの物語だった。

「無事に戻れたんだな」

「だから、最初からそう言っているでしょ」

「お前はただの大飯ぐらいだと思っていたんだがな」

「なにおう!? セトのくせに!! 私が拾わなかったら、今頃飢え死にしてたんだからね!」

 魔女の言葉に苦笑して、セトは彼女の身体を持ち上げて台所に向かう。触れた体温は温かく、生きている事がわかった。


 ――あの時……


 あの時、アイラを戻すために魔女が使った魔法は、酷く美しくこの世のものとは思えない輝きがあった。セトの魔法とも違う何かは、彼女を何処かに連れて行ってしまうような気がして、不安で仕方なかった。

 そんな感情を抱くまでになるとは……例え刷り込みだろうと、セトにとってはそれでよかった。今の自分には彼女しかいないのだから。

 だから、そんな感情を隠して揶揄うように会話する。


「魔女よ、今日の夕飯は何をご所望だ?」

「んー……なんだろう。セトのごはんならなんでもいいよ」

「それが一番困るんだがな」

 例え誰がきても、このポジションは譲れない。

 セトはそう思いながら今日も魔女のために尽くすのだ。


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