三話
今日は朝一でログインするつもりだ。朝食もインスタントの味噌汁と卵かけご飯で済ました。
昨日、ログアウト前に情報収集も兼ねて酒場で食事を摂ったのだがスモールラビットの肉はそれなりに食べられた。
現実世界で兎の肉を食べた経験はないが食事にこだわりがある訳ではない。どちらかというと質より量を好むが、それはただ金が無いからだ。
準備が済んだので早速ログインすることにした。
「リンクスタート」
現実世界から仮想現実へとダイブする。目覚めたのは簡易ベットしかない殺風景な部屋だ。
仮想現実では宿に泊まらなくてもログアウトは可能だが、悪意あるプレイヤーや大地人(NPC)から身を護る為には宿でログアウトするのが一番安全な方法である。
部屋はシステム上、宿を借りたプレイヤー若しくはフレンド登録をしているプレイヤーしかドアを開閉することができない。
自分だけのクランを立ち上げ資金さえあればホームを手に入れる事も不可能ではないが、正式サービス開始してからまだ二日目なので流石にそこまでのプレイヤーは存在していない。
体に異常がないか確認した後で、ステータスの確認を行う。
「ステータスオープン」
Name_ソラ
Rank_F
Levle_一
Job_冒険者
Skill_【殴打:一】、【蹴り:一】、【短剣術:一】、【投擲:一】
メイン職はまだ一つしか得ていないので冒険者だけだ。五つまで職業を登録できるがそれ以降は【職神の神殿】にて変更を行わないとならない。
いまのところは資金集めのためメイン職は冒険者で行くつもりだが、ある程度コルが貯まったら商人ギルドに加入してジョブ【商人】を得るつもりである。
最初のギルド登録は無料で出来るがそれ以降は初回登録に一万コル必要になる。ギルドの掛け持ちは出来るが、魔法ギルドと錬金ギルドだけは出来ないらしい。
両ギルド共に国家の枠組みに囚われない組織ではあるが、新しい魔術・魔法や素材の開発の研究費は莫大なものになるため国の支援を受ける事もある。
国の予算は有限である以上は予算を巡って対立する。魔物の排除に有効な力となり、軍事転用ができる魔法ギルドの支援は研究しても役に立たないことも多い錬金ギルドより優遇される事が多く両者は犬猿の仲なのだ。
魔法師が錬金術師を兼ねている事も多いが一方のギルドにしか加入できないことで発展を阻害していることは両者が認める事実ではあるがプライドが邪魔をして譲歩する事が出来ないらしい。
商人ギルドも魔物の素材を扱うことから冒険者ギルドの領分を侵害している事になるのだが、独占は弊害を生む。
冒険者ギルドに一定額さえ支払えば両ギルドに加入していない商人でも魔物の素材を取り扱う事もできるし、商人が冒険者だった場合は手に入れた素材を好きに扱うことは暗黙の了解として許可されている。
ギルドに加入している冒険者も手に入れた素材を全て売却する訳ではない。自身の武器や防具の強化の為に素材を売却しないこともある。
冒険者ギルドだけに所属している場合、販路を持たないことが殆んどなのでギルドに売却する事になるが、直接、商人に売る事はギルド規約に違反した行為ではないが推奨はされていない。
ギルドを通じて商人ギルドに魔物の素材が渡る場合は商人ギルドが冒険者ギルドに依頼を出して買い取るのが殆んどである。
冒険者からしてみれば売却の交渉をしなくて済むし、依頼を達成した事でギルドポイントも得られる。冒険者がギルドを通じて売却した場合は誰も損はしない仕組みとなっている。
高ランクはそのまま社会的信用になるので、冒険者はランクを上げる事に躍起になる。
街に拠点を置いていてもBランク以下の冒険者は不動産を借りることすら出来ないのが普通だ。
いつ死ぬかも分からないのは冒険者の宿命ではあるが家を借りた方が安く済むのは言うまでもないし、プライベートな空間は誰でも持ちたいと思うのが人間である。
Bランクの冒険者も不動産に家賃の数ヵ月分を前払いする必要があるがパーティの共有資産として扱われるため、パーティが全滅しない限りは追い出される事はない。
流石に滞納する前に大家に出ていけと言われるだろうが、大家は強く言えないことも多い。
誉められた行為ではないが冒険者ギルドの魔物の脅威度ランクC位であれば単独で討伐できる実力があるので生活する分にはその辺の村人より豊かな生活が出来る。
なので過失によって滞納することはあっても故意に滞納すれば冒険者ギルドが介入してくるので大抵は素直に払う。
また社会的信用がある商人はDランクであっても家を借りる事が出来るし不動産も商人ギルドのギルドメンバーが運営しているというコネがあるためだが。
エバンスと明確に何時と約束した訳ではないが、なんとなくだが今日はいる気がした。こういう時の直感は外れた事が無いため従う様にしている。
「早速きたのか。儂は既にウォームアップは終わっているぞ」
「教わる立場で遅れてすみません」
内心、流石に年を取ると朝が早いんだなと思ったが、表情には出さない。
「構わん。何時からと約束した訳でもないからな。お主の都合が合う時だけで充分だ」
これ以上、師匠を待たせる訳にはいかないので軽いランニングとストレッチで体の調子を確かめていく。仮想現実だが、好不調の波がある。
絶好調の時には体は軽く絶不調の時には二日酔いの後の様に頭が重く体も重い。好不調は空腹度システムと関係があるようで宿をとって寝れば大抵、朝は朝食を食べる事になるので絶好調もしくは好調となるらしい。
逆に野宿をした場合や空腹度が十%を下回り食事を摂らない場合は調子は下降するシステムとなっているらしい。
自分の中では早く来たつもりであったがエバンスの様子を見る限りは軽いウォームアップどころか本格的に体を動かしていたのだろう。
とはいえ制限時間があるため、ログイン出来る時間は限られてしまうのでエバンスが教える気がなくなればそこまでの話だろう。
今日の体調は好調とも言って良い。宿に泊まるのはそれなりにかかるが初心者が多くいるポートロイヤルの宿は最低千コルからある。
スモールラビットを三匹も狩れば問題なく泊まれる価格でかなり良心的な価格となっている。その代わり食事も寝床も最低限といった感じだが文句を言える立場でないだろう。
準備が終わって無手でエバンスと対峙する。訓練所には訓練用の武器も用意されていたが全て木製で丈夫さだけが売りの代物だ。
実力が分からない内に訓練用とはいえ武器を使った訓練は危険が伴うので先ずは素手での戦い方を学ぶ事になったのだ。
エバンスと対峙してみて分かった事だが本当に隙がない。全身の力を抜いてだらけている様にも見えるが、脱力も一つの技である。
緊張をしていれば無駄な力が入り本来の力を出しきる事は出来ない。隙がなければ隙を作る様に相手を動かすまでだが、それは格下にしか通じない戦法だ。
「来ないのならこちらから行くぞ」
エバンスから発せられる重圧が体を固くする。スキル【威圧】によって任意対象に掛けられた圧力は格下である俺の動きを奪うのに充分な物だった。
気付いた時には空を仰いでいた。投げられた事にも気付かない程の速度だった。
「痛たたた。エバンスさん少しは手加減して下さいよ」
「充分したぞ。それに隙だらけだったから攻撃して欲しいのかと思ったぞ」
いい顔でそんな物騒な事を呟くエバンス。正直、素人に毛が生えたくらいしか武術に精通していないので危険な世界を生き残って来た古兵と対等に戦える訳がない。
「こっちは戦いの素人ですよ。ご覧の通り冒険者ランクもFです」
ギルドプレートは他の人間にも任意の情報を公開できるが殆んどの場合、名前とランクのみしか表示させない。
これは冒険者同士のいざこざを防ぐ為で、商売敵となる相手にスキル等の情報を提示することは自殺行為になるからだ。
冒険者ギルドや城門の兵士が持つ水晶は全てのデータを閲覧する事は可能だが外部に漏らせば罰則の対象となる。
例外はその土地を治める領主でそれが例え騎士爵であっても国の法に反さない限りは自由に閲覧することができる。
「最初は皆Fランクから始まるものだ。それは国で騎士をしていたものでも変わらない。まぁ実力があれば簡単にランクは上がるから細かい事は気にせんでも良い」
師匠。気にしますよ。冒険者になりましたけど、商人として生活するつもりなんです。
だがエバンスは冗談を言っている訳ではないみたいだ。早まったぞ俺。
「基本が出来てないのに応用はできませんよ。流派にもよりますけど基本こそが極意である何て事は良くあることじゃないですか」
「もっともだが脅威は待ってくれんぞ。今の若者にはがむしゃらでも食らい付く根性が足りん」
稽古は本番(実戦)の為にある。現代では人が武術で殺し合う事はないが武道は戦場で生き残る為に誕生した物だ。
殺人剣の余計な物を削ぎ落として出来たのが剣道だし、剣の間合いより広い槍術が現代の薙刀になっている。
無手である柔術も戦場で武器を失いそれでも生き残る為に武士が考えた術である。
「争いとは無縁だったのでそこまでの覚悟はできていないですよ」
「軟弱じゃな。この世界に生きて入れば争いとは無縁では居られん。お主はもしや稀人なのか」
稀人とは世界に根を生やして生きる大地人とは異なりあらゆる形でこの世界にやってきてしまったという設定のプレイヤーの総称である。
「言っていませんでしたか。この世界に来たばかりでまだ慣れていないんですが、生活の為に冒険者になったんです」
「そうか。異国風の見たこともない人間が増えたと思っていたが、どこかの国で大量召喚でもおこなったのか」
日本人プレイヤーはランスカ王国ポートロイヤルに召喚される。アメリカやヨーロッパは帝国や教国、共和国などに召喚され自勢力の拡大に努める事もできる。
他国に士官する事も可能だが大規模PVPである国境線の争奪イベントがない限りは国に所属しているという感覚は殆んどない。
勲功次第では、プレイヤーでも貴族になる事が出来る。プレイヤーに資金力と武力さえあれば土地を支配して国家を作ることさえできるのだ。
クランも現状、ただ一人として立ち上げられていないので皮算用でしかないが、夢は大きい方が良い。
大地人であるエバンスからしてみれば、この世界に住む者たちとは異なるソラたちプレイヤーが異質な存在であることは間違いない。
稀人は魔物から効率良く経験値を吸収し瞬く間に強者となる。大地人達もスキルの恩恵を受けるが生まれ持った才能がなければいくら鍛えてもスキルが身に付く事はない。
プレイヤーも確かにスキルの取得には努力を要するが、全ての稀人は魔法を扱い。努力次第で武技も覚える。
武技はスキルの言わば武器専用技であり、習熟度によって扱える種類が増える。
行動の動作はある程度、固定されてしまうという欠点はあるが、威力が高いのが特徴だ。
エバンスに武技を使われることなく敗れたソラであったが、レベル差によるステータスの差、それ以上に実戦経験の差が顕れたに過ぎない。
何度もエバンスに挑戦するソラであったが手も足も出ない。手加減されているのは丸分かりで、エバンスと無手で互角に戦えるならCランク以下の魔物は一蹴できるのでそこまでの道程は長い。
エバンスがというよりはギルドに隣接された訓練所で冒険者が死亡するのは外聞が悪いので冒険者ギルド専属の治癒師によって外傷は治されているが心身共にぼろ雑巾になる位にはソラは消耗していた。
その代わりにスキルのレベルアップは【蹴り】が三にそして新たにスキル【投げ】と【受け身】を取得した。【受け身】に関しては取得したばかりだというのに既に三になっている。
【投げ】はエバンスに幾度となく投げられたが、相手が間合いに入ってきた際に、返し技である燕返しが浅くでも掛けられたのが契機となったのだろう。
投げ飛ばすどころか体勢を崩す事もできなかったがその攻撃では地面を拝む事はなかった。数瞬後には地面に這いつくばる事になったが、少しはエバンスを見返す事が出来たのでソラは満足気だった。
ソラのスキルの上昇率が良かったのはエバンスが持つスキル【教導】によるものだ。
ベテラン冒険者であったエバンスは多くの後輩冒険者を鍛えた経験があり、エバンス独自の槍さばきはエバンス流としてランスカ王国では認知されている。
正式に弟子をとった事のないエバンスは自身の槍が一代で終わってしまうことに哀しさを感じていた。
槍を教えた者も多くの者が極める前にエバンスの前を去った。一番目をかけていた冒険者は大暴走に襲われた街を護る為に死んだ。
いつ死ぬか分からない世界に生きているこの世界の者にとって命は軽い。
少しの不作によって農家の子供は奴隷として売り払われ、物の様に死んで行く。
魔物に両親を殺された孤児は生きる為に集団を作り市場や街の人間から盗みを働き、その制裁として殺されることも珍しくないのだ。
世知辛いが自分達の家族が生き残るだけで精一杯なのだ。平民が一日を生きるのに必死になっているのに貴族というだけで裕福な暮らしをしている者がいる。
エバンスも騎士爵を叙勲される程の大功をあげたが、貴族の末席に名を連ねていないのは貴族嫌いがあってのことである。
訓練を終えたソラは回復魔法を掛けてくれた治癒師リースとエバンスに礼を告げて訓練所を後にした。商人として生きる為に必要なスキル【鑑定】を手に入れる為に朝市に行く予定があるためだ。
ソラは朝市へ向けて歩き始めるのであった。